【イエス】 これはわたしの愛する子 Part95 【キリスト】
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わたしは、新しいいましめをあながたに与える、互に愛し合いなさい。 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 ヨハネによる福音書 13:34 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。 (ガラテヤ人への手紙 3:26) メインライン(日本基督教団 日本基督教会、聖公会) 前スレ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1552295198/l50
>>595 少なくとも教会はからだや教会の文化を大切にする意味で土葬は推奨してるけど、火葬にしても復活に影響は与えない、とは言ってるな そりゃあ神は絶対者なんだかはちりから肉身を余裕で再構築出来るだろうからねw いいえ。霊の体に復活するとパウロが書いているのですから、生前の肉体がよみがえるのではなく、霊の体がよみがえるのです。 >>600 俺はなるみさんの言ってることに同意するけど、栄光のからだは可能態としてあり、誰もまだ理解できたいんだから、教会の立場を説明するだけ、に留めるでいいと思うけどね 教理省の死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針 2016年10月25日公布 教会は火葬の実施を妨げるための教理上の理由を見出しません。遺体の火葬は、死者の魂に触れるのでも、からだを復活させる神の全能を阻むものでもないからです。 >>530 ピッピさんは、プロテスタントでなく話の流れから謂うと、カトリックではないでしょうか。 ピッピさんは肉身の復活を物理的連続性をもった肉体の復活、みたいな感じで唯物論者的に理解してるところが違うというか、強調点の置き場所として違う 肉身は復活するが、その肉身は栄光のからだとして、霊のからだに昇華されている点が違う カテキズムでも聖書を元にその説明をしてるわけで、強調点すべき点は「差異」の中にあるのだと思われる スレ復活か。共産党の6中総のYouTube見てたら遅なったわ。 「からだ」とは五体を意味しません。あなた自身という存在を意味するの。 朽ちるべきからだとは死ぬ存在という意味。 復活する不滅のからだとは不滅の存在という意味です。 みるな。「人間はデータだ」と言いたいのか?マトリックスの見すぎや。 990とかだと 「肉」の語は、弱く死すべき人間を表します。 とありますな ただ、その後に 不滅の霊魂が存続するだけではなく、わたしたちの「死ぬはずのからだ」(ローマ 8:11)も生き返ることを意味しています。 ともある この時に今の肉身と栄光のからだは「違う」わけだから、「死ぬはずのからだが生き返って栄光のからだを与えられる」みたいな意味合いだとは理解してるな ちなみついでに、今回の議論で思ったのは ピッピさんは栄光のからだの霊についての部分を軽視しすぎてて なるみさんは栄光のからだのからだの部分を軽視しすぎてる印象を持った 非常に説明しづらいんだけど、キリスト教の特異性は復活にあり、さらに栄光のからだにある 霊魂の復活ではなくて、栄光のからだを伴った復活であり、 いわゆる我々の肉体の復活ではなく、栄光のからだでの復活 ここら辺の議論はマニアックだから教会が言うように、無記で(書いてあることを)信じるしかない、というスタンスで保留にするのがいいと思う 必要であれば信仰が深まればそのうち分かるようになる(けど、今は必要ない) ラテン語訳聖書では、この《ソーマ》(体)は「身体」を意味する語(コルプス、英語のボディー)で訳され、先の「肉体」とは区別されています。 すなわち、パウロの手紙における《サルクス》(肉)と《ソーマ》(体)の区別は正確に受け継がれているわけです。 ところが、使徒信条が形成されていく時期(それはウルガタ成立よりも以前になります)では、二つの用語が厳密に区別されないままで、 体《ソーマ》を備えた復活のことが、「肉体の復活」と誤解されかねない「カルニスの復活」という句で表現されることになったのではないかと考えられます。 この混乱は用語の混同から生じただけではなく、その背景には実際の信仰内容の混乱もあったようです。 初期のキリスト教会では、「死者の復活」とは「肉体の復活」であると理解する傾向があったことを窺わせる節があります。 パウロがその手紙であれほど明確に復活とは肉体の復活ではないと教えているにもかかわらず、パウロの手紙はヘレニズム世界の教団のその後の進展において、あまり普及せず、それほど理解されず、大きな影響も与えなかったようです。 その事情は、パウロの活動の数十年後に彼の活動圏内で書かれた使徒言行録が、パウロの手紙の影響を全然示していないという事実にもうかがわれます。 初期の教団に死者の復活を「肉体の復活」と理解する傾向があったことは、最初期の教団の指導者たちが大部分ユダヤ人であったことと関係があるのではないかと思います。 当時ユダヤ教の主流となっていたファリサイ派では、終わりの日に神がイスラエルの民を死者の中から復活させてくださると信じられていました。 そして、その終わりの日の復活は地上の身体と同じ身体への復活と理解される傾向がありました。 これは、イスラエルの宗教が、ギリシャ宗教の霊界と物質界の二元論とは異なり、本来地上の歴史の中での出来事を主題とし、具体性を重視する宗教であったことから来るのでしょう。 このような復活信仰をもつユダヤ人が初期の教会の指導的な立場にあったことが、キリスト教会が復活を「肉体の復活」と理解するようになった原因の一つではないかと考えられるのです。 http://www.tenryo.net/old/anas_apd.htm >>601 だから 私はこの目で見たと言ってるでしょう この河童わ何度言わせるの >>613 トマスから見ると肉体だった、と答えると思われます 「見た」とはなんなのか? みないで信じるものは幸いである >>615 のトマスは「トマスの不信仰」のトマス つまり、ピッピさんのことでもある 「肉体」《カルニス》というラテン語は、新約聖書のラテン語訳であるウルガタでは《サルクス》の訳語として用いられています。 《サルクス》は肉体を意味するギリシャ語ですが、パウロはこの語を神に敵対する生まれながらの人間本性という意味で用いています。 パウロの手紙では、《サルクス》は《プニューマ》(霊)に対立するもので、日本語聖書では「肉」と訳されています。 ですから、パウロの手紙では《サルクス》が復活するというようなことは一度も言われていません。 むしろ、「肉《サルクス》と血は神の国を継ぐことはない」(コリントI一五・五〇)として、復活とは関わりのないことが強調されています。 たしかにパウロが復活を語るとき、それは体または身体《ソーマ》を備えた復活です。 体をもたない不滅の霊魂は「裸のまま」で、それは厭うべき状態です(コリントII五・三)。 永遠の生命は体を備えた姿で現れなければならないのです。 体《ソーマ》を備えた姿で永遠の生命が現れること、それが復活です。 では、どのような体をもって復活するのかという問いに対して、パウロは 「自然の命の体で蒔かれて、霊の体に復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです」と答えています(コリントI一五・四四)。 こう答えることで、パウロは《サルクス》に属する地上の肉体とは別の体に復活することを強調しているのです。 死者の復活とは「霊に属する体《ソーマ》」をもって生きるようになることなのです。 http://www.tenryo.net/old/anas_apd.htm なるみさん、ピッピさんをこっちに連れてきたいんだろうけど、あっちでやりなよ イケズで意地悪なことはやめようずw 使徒パウロは「肉体の復活」というようなことは言っていません。 むしろ、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」(コリントI一五・五〇)と断言しています。 ここでパウロが「肉と血」とか「朽ちるもの」という語で指しているのは、この地上の肉体にほかなりません。パウロはこの肉体は復活と何のかかわりもないのだということを強調しているのです。 では、「死者はどんなふうに復活するのか、どんな身体で来るのか」という問いに対して、 「自然の命の体で蒔かれて、霊の体に復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです」(コリントI一五・四四)と答えています。 これは、復活の体が地上の体とは全然別種の体であることを強調しているのです。 パウロは続く箇所で、この「霊の体」がどのようなものであるのかは描写していませんが、それが与えられることの確かさを全聖書の救済史の構造から論証しています(四五〜四九節)。 http://www.tenryo.net/old/anas_apd.htm 肉身の復活は基本信条で語られていることで、カテキズムにも公教要理にも記載されております ただ、「肉身」という単語がどのような意味合いで使われているか、はその前後の説明に依存します カテキズムでも公教要理解説でも、我々の生前の肉体との違う、霊のからだで復活する、とわざわざ念押しされてます それが全てすよ >>620 どうせ、相手されなくて寂しくなった美魔男か誰かでそ そして、それをみて寂しくなる厨二病ヨハンネスさんであった 大爆笑である 肉体の復活とは輪廻転生にほかなりません。 キリストが解く復活とは霊の体への復活であり肉体と関係ないの。 輪廻転生は肉身は復活せんでそ 新しい肉のからだが生殖と遺伝で作られてその中に入るだけ いいえ。ユダヤ教のラビが書いた復活信仰を読みました。英語のサイトですが。 ユダヤ教では輪廻転生説があるんですって。びっくりしたわ。 輪廻転生は肉身の復活っつーよりも、再受肉みたいな感じすな >>627 それは所謂、輪廻転生と違って、古代エジプトのミイラの復活みたいな概念なんじゃん? 知らないけど ユダヤ教の肉体の復活信仰とは 輪廻転生した多くの体の中のひとつを選んで終わりの日に復活するのだそうですよ。 こんな話、今まで詠んだことありませんでした。ユダヤ教をもっと知らないとねー 難言を振り回しながら単純な問いに答えられない。 シたことないヤツがえっちを語る。 どちらもあほらし。 あー、やっぱ、輪廻と復活は別概念なんすね さくっと検索したら「ギルガル」って概念がそれにあたる、みたいなのがあった 英語で調べてみたら大枠は把握できるんだろうけど、なるみさんの論拠でもやっぱり輪廻と復活はユダヤ教でも別概念なんじゃん? あ〜あ、シャロンスレがくだらない輪廻論争で埋められてるわ。 河童てほんとカスだわ >>634 ほんとだ 書いてあるね やっぱり輪廻と復活は別々に書かれてる この部分 According to the Jewish mystical tradition, souls can be reincarnated in different bodies if those souls have not completed their missions on earth. At the time of the resurrection, the individual soul will be split among the various bodies it once inhabited, and the portion of the soul whose mission was completed in a particular body will return to that body. 色んな身体に輪廻するのと役目を果たした身体に復活するのは別の話すな そもそも、復活と輪廻は何の関係もない概念なんすよ ピッピさんやモブは無知でトンチンカンなことを言ってるだけ 輪廻は「未熟だから」「何度も生まれ変わる」システムで 復活はキリスト教の文脈だと救いを意味する キリスト以前の輪廻の伝統は輪廻を「ネガティブ」に捉えており、それは牢獄に囚われている、みたいなニュアンスが近い むしろ復活は「そこからの解放」に近しいわけだから、真逆なわけすよ また、ピッピさんが持ち出す、エリアとヨハネの生まれ変わり云々も、応身で捉えられていたはず 応身は神的存在は個(人間)に外的に働きかけて現れる キリストもグノーシス主義者的には、そのように現れた、と信じられていた なぜなら、神が穢れた牢獄に受肉するとか有り得へんからだ せいぜい、聖人に外から働きかけて使役した、ぐらいしか信じられなかった キリストはイエスに受肉したけど、エリヤについては応身だったんじゃないか、と考えとりますな わたしはピッピさんと同じかどうかわからないけれど、 どちらかというと、よみがえる時は今はまだ朽ちる肉体を纏うのでなければ、 この世に戻る必要はないと思います。 ゾンビの体になるとかでなく。 火葬でも土葬でも、骨が残るかどうかぐらいで、原型をとどめないのは 同じです。 イエスがなぜこの世の肉体を纏ったのかは、もちろんわたしたちと同じところに きてくださったという、こともあるのですが、 神様は、この世を馬鹿にして、創造されたのでなく、 この地球をいとしい子供たちのように創造されて、子供のように愛されていて、 体と霊の分離を一体化させるわざを、イエスに託された、分裂から統合への 道筋もイエスの受肉の意味に隠されているのではないかと感じます。 愛するとは、どういうことなのか。なぜそこを強調されたのか。 この朽ちるからだ、物質であるこの世を愛するという事が、キーになっており、 からだが変容し、エネルギー変容にも、地球というこの世が、 私たちには解明するに及ばない、何かがあるのかもしれないと感じます。 あーそれな 俺もあやふやだったから明確にしたんだけど 世界が崩壊した後に白い祭壇で最後の審判やるわけだから、肉体で復活しないといけない理由はないんだよな。。。 >>640 なに御託並べてるの? あんたの稚拙な聖書解説なんて誰も読まないから 奇跡だけを信じ込み悔い改めもしないで見苦しい偽者キリスト者達よ キリストの復活を超常魔術臭さで汚してはなりません >>641 でしたら、あの世で審判を受ければよろしいし、 よみがえりなど必要ないではありませんか。 いづれにせよ、何度も言いますが、分からない事を言い続けるよりも イエス様が言われた、私の言ったことを理解し守りなさいに どうして、ナルミさんは心を向けることができないのでしょう。 >>644 いや、聖書に書かれてることの話ししてるんすけど。。。 >>634 Rabbi Sari Laufer 女がラビになれるわけ? >>645 それでよいでしょう。 けれど、筋が通った話がない、はっきりしたことは分からない。 議論にもならないのです。 そんなことよりも、はっきりしているイエス様が伝えようとされた事に、 向き合う事が、大事だと思います。 >>647 いや、形而上の話は大概そうでそ だから少なくとも教会ではどう定義されているか、という話し方をしないと客観的な議論にならないのでつ そして、宇宙的崩壊の後に公審判があり、その聖書の記述の表象の一部がこれ↓みたいな話をしてるわけ --- 大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。 これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。 (黙示録20:11-12) 宇宙的崩壊云々はペテロ二とかカテキズムとか公教要理にも記載されとりますな こんばんは 聖書において、生きる、とはどういう意味なのでしょうね ラザロは復活した、それでもこの地上で復活したならばラザロもまた死ぬことになる 言葉にするならば、もう一度この地上で生きてまた死ぬ、ということになります イエスキリストが「生きる」と言われた場合、その言葉の中にまったく性質の違う意味が含まれる、と思います その意味を知る為には正しい認識を必要とするけど、果たして理性で捉えることが出来得るのかと問われれば言葉を濁す以外の方法が見つからないです この病は死に至らないとは難しい イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 ヨハネによる福音書 11:17-27 天も地もあとかたがなくなり、白い御座の前にたって裁きを受けるとか、完全に形而上の表象でそw 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html 血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。 英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。 ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。 「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏) キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。 これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。 秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、 1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。 今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか? ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。 その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。 北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。 キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 >また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、 >御座の前に立っているのが見えた。 >かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。 >これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、 >この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。 ええ、立っているとありますよね。 これだけでは、体論争に(笑)決着をつけることはできませんしね。 まあ、生前の体で立っていたとするのが、妥当なイメージかと思いますが、 こんなこと言い続けても、どうしようもない。 それよりもそのしわざに応じてのところでしょうね、意味があるとすれば^^ それと、輪廻の話は、わたしも述べましたが、 もともとサティさんに輪廻のことを言い続けていたのはナルミさんですよね。 >>649 三位一体の子なる神と共に在る、ということなのではないでしょうか 受肉して復活した人性を昇華させた子なる神と共にあれば、霊魂は栄光のからだと、キリストによって一つに結び合わされます 死はキリストと共にあって勝利に変わります 朽ちるいのちは永遠のいのちに入ります >>653 天地が消え去って、立っている、を表象してみてください そうすれば、「キリストを前に」という表象が徐々に形成されて行く、と思います 聖書を読んで心を動かされたキリスト者は キリストとキリストの言葉が滅びてないことの証人です。🙆 私らは決して復活は分かってなどいないのでしゅ。 これがキリスト信仰の立場ですしキリスト者が弁えることでしゅ。☆🎍 人間にとって信仰はむしろ分からないことが多いのでしゅ。🙆 むしろその事が人知を越えた神様に対する恐れと畏敬の弁えることになるのでしゅ。 キリストの特異性について ・前段としてアダムの罪がからだを通じて遺伝する、ということ ・そしえ、神がその救済のために「受肉した」ということ ・そして、神性と人性(受肉)の本性は一つの位格の中に結合していること ・そして、受肉した神が人として贖罪を果たし復活した、ということ ・そして、復活のからだはアダムの罪から免れた第二のアダムのからだである、ということ ・そして、キリストに連なり、第二のアダムの道が個に開かれた、ということ キリスト教において、「からだ」を巡る変容は人性の変容において欠かせないピースなんだな >>654 やはりそう考えますよね 生きて死なないとはキリストとともにあることで、イエスキリストを信じるものは生きるそして死なない、なぜならイエスキリストが復活であり命であるから、と ここに三位一体も含まれれば永遠も含まれる 朽ちるものと朽ちないものも含まれる 信仰ですかね ちょっと頭の中がスッキリしました 購罪も肉体の復活も分からないということが大切です。🙆 少なくとも決めつけてはいけません。 まるで目と目を合わせるかのように復活を知らせるのには違和感を覚えます。 心で罪を悔い改めもないのに 言葉だけを信じるというのは嘘つきです。☆🎍 キリストとの出会いは人の人生の中での個人的な体験なのです。🙆 復活は聖書は説明によって頭の理解を助けようとしていません。 復活の知らせは御使いから女達へ 女達から弟子達へ そしてイエスに出会ってます 更に弟子達から多くの人へ >>658 死って第一のアダムの子の支払うべき代償で不可避なんですよね それを克服するためには第二のアダムに連なるしかない、は信仰のベースですよね そして第二のアダムまで辿り着くのが、もともと神の計画であり、創造なのだと考えています 放蕩息子で子牛を屠って帰還を祝ったことに兄が怒りますが、この子牛と朽ちるからだ、の関連性を感じています 信仰の相対性からは神様は絶対で有るのですから人は絶対ではなく 相対性であり 故に神様を思うにしても信仰のことにしても 人が絶対と見なせることはないのでしゅ。🙆 つまり 本質的に人によって決めつけが可能ではなく 修成可能な時々の判断をすることが 信仰の道なのです。🙆 あ、お店のお掃除しないと❗ >>661 なるほど 全体的な把握知識が豊富ですね 放蕩息子の例え、ルカ 15:11-32の所を読んでみます あとは、キリストの言葉は「神の視点から見た時の生きる」と「人間の視点から見た時の生きる」があり、私のいうのはいつも前者だ、みたいな論法がある 「いきる」が「霊魂+からだ」を意味している時に人間の視点から見た「霊魂+からだ」は生きても朽ちるもの なぜならば地や肉に属するものはすべからく朽ちるから でも天や霊に属するものは永遠で朽ちない、みたいなモチーフがある だから神の視点だと死んでも神(キリスト)に連なれば復活で永遠に属する「霊魂+からだ」になるわけだから生きる、とも言える さらに、第一のアダムに連なる肉に受肉して、死は不可避だから贖罪を果たすことも不可避だけど、その後に復活するキリストを見る限り 贖罪の道を歩めば、霊魂の力で「内側からからだの変容を行える」みたいな概念も演繹できる そこから死によって粗雑な素材を引けば霊のからだだけ残る、みたいな水掛け論も生まれたりとか何とか >>664 キリストは神だからあれですが、放蕩息子は放蕩息子として父まで帰還するから親近感湧いて好きなんすよねw >>655 書物がつぎつぎに開かれていくとは、各人のそのままの記録であり、おもしろいですね。 おもしろがっている場合ではないのですが、 最後の命の書は、まるで判決文ですよね。 でね、立っている姿がもうすでに、栄光のからだや、それ以外に振り分けられたからだなら、 書物は必要でないしね。 まあ、やはり、こういうことにこだわっても、イエス様の御心と離れたことだね。 >>665 親近感を持てるような例えなんですね 聖書読み始めた初心者としてためになります 人間は関係に係る関係であるならば、神は神とする位置から、被造物は被造物の位置からそれを求めようとしますが、人間は被造物なのでついつい神の視点を見落としてしまいがちですね 前提を踏まえれば、その後に関連している論理も構築されていき言葉で説明することもできるようですね とてもためになります 復活であり命である、これはぼくにいつも引っかかっている言葉だったんですけど、贖罪はでつなげることは出来なかったです わざわざ説明ありがとうございます >>666 詩篇の50:3に「悪の全ては記録されている」とありますね また、キリストが裁くのではなく、裁くのは法であり、その原因は本人の行いす 義人は栄光を受けるため、罪人は罰を受けるために復活する、と語られているので、栄光のからだを与えられるタイミングが復活時点なのか公審判の後かは、僕は分かりまへん でも何れにせよ、そのタイミングは重要ではありまへん >>667 質問者さんは初めから全部わかってる(と僕は感じている)ので、釈迦に説法ですけどねw でも質問に答えるにはフワフワしてるものを一定シャープにしないといけないので勉強になります ありがとうございます おやすみなさいませ🌙 >>669 知っていたとしてもあなたに比べれば無知ですよw ぼくはぼくで気づくことがあります でも対話出来る相手が必要ですからね こちらこそ感謝ですよ おやすみなさい💤 俺と質問者さんを同一人物にしたら質問者さんに失礼だろwww なるみさんもおやすみなさいませ🌝 現存在=人間存在の固有の在り方を存在論的に 分析することによって存在の意味を明らかにするのでしゅ。🙆 皆様悔い改められますように。☆🎍 体系的な倫理を疑問としながらも 弁証法的に明らかにすることによって どんどん決定的に 自己存在の内に内実を呼び覚ますような倫理 の可能性を与えましょう🎵 続きを聴きたい人は「ワッフルワッフル」と 書いててください。🙆 サティの親族の兄貴は相当若い頃なので 昔の古い抗がん剤で ゲーゲー吐いてたのでしよう それを見舞いに行って見てる人達からは 身悶え苦しみ死に行く人として見えてたので 亡くなった後、 サティには 身悶え苦しみしながら亡くなったと伝わったのでしよう 今は、抗がん剤飲む前に吐き気止め飲んで 点滴にも吐き気止めが流されるので 今は、昔の抗がん剤に比べたら楽と聞きました。 今は、ステージ4でも数年は生きてる人多い時代だから 一日でも長く一緒に生きたいと思ったら サティが言うように自然に死ぬ無治療が良いという人は 今は、少ないと思う。 無治療なら余命数ヵ月と医者から言われる からね。今は、 延命する為に新薬がたくさんあります 皆様なら そうなったときどの選択をしますか? 19世紀ヨーロッパでは科学の進歩が凄くて 哲学やキリスト教が押され気味になり 哲学やキリスト教のポジションが科学に変わりました。🙆 聖書や教会が語ることがウソだとどんどん科学によって暴露されていったからです。☆🎍 哲学よりも科学優位 キリスト教や教会よりも科学が優位となりました。🙆 しかし科学の代償は恐ろしいもので 人生の意義や意味を人々は失い 虚しく 人は何処から来たのか何処へ行くのか 虚無感を人々は持ちました。🙆 虚無感から人々は、犯罪やギャンブルやお酒🍺🎶🍺🎶🍺快楽、精神病も増えました。 降霊術も流行りました。🙆 黙示録に出てくる「白い衣」。わたしはこれが復活体であることを知りました。 3:4しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。 彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続ける。彼らは、それにふさわしい。 3:5勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。 わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。 また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわす。 3:18富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、 あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。 4:3その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、 御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。 4:4また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、 頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。 6:9そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。 6:10彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、 また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。 6:11すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、 「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、 もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。 7:9あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、 白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、 7:13「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。 7:14わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。 すると、彼はわたしに言った、 「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、 それを白くしたのである。 さて、為替の動きについてです 私はポンドアメリカドルを買っているところです。 昨夜急落したときに買いました。 急落したので、今日は急騰します。 1.31まで今日は上昇の予定。時刻は18時です。 ポンドもかなり急騰するのではないかと予測します。 ご注意あれ。 おはようございます。 >>549 いま公開中のアベンジャーズ、予告編だけでも凄いね。 >>683 なにがアベンジャーズですか。 悔い改めなさい 終わりの日が近いのです。 /\ /ヽ {/ ̄ ̄ ̄`ヽ! ∠__$__j . //・\ /・\ヽ |  ̄ ̄  ̄ ̄ | {二ニ/(_人_)エ二 |´ ̄)`ヽ <1.31まで今日は上昇の予定でそ \ { {_,ノ ノ / /⌒ヽ L ⊂ ̄ ヽ_>―――‐'’,〈 (__) └ヘ(_ ィ r―‐γ ! _,ノ j | | { { ノ /\ \ス ̄ ̄ ̄lしイ ( ̄ ) j / \_j\  ̄ ̄ ( `ヽ \__) \__ノ 為替マモン >>679 値段によるね 高いと思えば潔く喜んで死ぬよw 死後の生命にも確信持ってるしね 維新の会って右翼なの? 戦争で北方領土を取り戻すとか、アホなの? 果たして死後の生命は あるのか 果たしてそれは救われてるのか 死んで消滅というなら今を生きる必要ないですね。 早く死んだもの勝ちです。 いかに楽に死ぬかが問題になります。 私はある女性伝道者の話を講壇の上から聞いた事があります。 若い青年と知り合って文通を始めました(昔はメールが無かったので) 始めの内こそ神や救いの真面目な話をしていたけれどそのうち気が付くと そこは男女の中、文面はもうめちゃめちゃな事になっていました(笑い)、と。 談話室の賑わいはこういう事ですね^^ 皆さんは若いし健康だからどうしても 関心が・・・そちらに^^) >>691 肉体の死は避けられないにしても如何にスパゲッテイ状態にならなくて済むか を祈らなけでば、です^.^)/ ちなみに>>.692の老婦人伝道者のご夫君は勿論現在のイケメン牧師。 死に方だけど、いろいろ研究してきて、首吊りが高確率で死ねるらしい。 でも汚物が出てしまい、目は飛び出すんですって。 失敗したらやばい。半身不随になるかも。 服毒自殺、飛び降り自殺でも同じだし、やるなら完璧にやらないと。 パウロは死後の世界をかなり詳しく見聞したから、あれほど確信を持って、霊的な証ができたのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる