>>418 ろんぎぬすさん、こんばんは。

う〜ん、赦すですか、違いますね。
もう一度、面倒でしょうが、>>354から順番に読んでみてください。

わたしは、悔い改めの話からしはじめました。悔い改めは恩寵であると。
反省でもよいのですが、良心が働いてくれるということは、
クリスチャン以前に、ありがたい事なのです。

それがないと、獣以下の荒れ狂った化け物になりますからね。
でね、そういった健康をクリスチャンであるからということで、
良心の機能麻痺を、逆に起こし続けるのは、キリスト教の犯罪史と関係していると
思っているのです。

わたしは、何度も和解しようと、和解の為に説明もしてきました。
誤解でなく誤解しておきたいといった邪悪がないのなら、
誤解ならとけるはずだとも言いました。

悔い改めは、誤魔化しではありませんよね。清潔にリセットすることですから。
右利きの人が、左利きにするのは、習慣性がありますから簡単ではありません。
わたしもえらそうなことは、そういう意味ではいえないのですが、
クリスチャンの傲慢性をリセットするのに、悔い改めという、自分に真摯に向き合う
よい教えがあるのです。
しかし、先にいいましたように、クリスチャン以前の良心の機能麻痺までしていますと、
悔い改めもわからなくなる。

何度も説明してきたのになにが問題なのかわからなくて、もう一度言えといい、
わからないのに、もう詫びたなどといい・・・・・・
むちゃくちゃでしょ。

詫びると言うのは、実は人にたいしてよりも、自分が理解して自分と向き合い、
新生していくことであり、どんな小さな一歩でも大変貴重で有りがたい恩寵であり、
そこに光が射していています。わたしたちの希望です。

闇の中をぐるぐると落下するような、そして思い込みと嘘で人に対してえらそうに
裁くような、律法主義者目線のようであっては、イエスの教えでない反キリストですからね。

私は、シャロンさんを憎んでいるとか、一切ありません。

気にかけて下さり、ろんぎぬすさん、ありがとうごさいました。 とりあえず<(_ _)>