>>397

裁くは、まずもってユダヤ教社会の中で理解しなければならない言葉です。
預言者が出て来なくなってから、かなりの年月が経ち、
またローマの属州となり、律法だけを、精神支柱とする傾き方をしていくのです。

覚えられないほどの細かなことまで、律法として作りだし自分と他者をがんじがらめ=砂漠のような
荒涼とした心で、裁く社会になります。
人を見る目線が、強迫神経症的にずれているのにもかかわらず、
事細かな律法をふりまわし、一番肝要なことが忘れ去られ、
自分たちの都合でつくった権威をかさに着る
プログラミングされたような人たちが増加したのです。