たとえば弟子が師匠に「解脱とは?」と
尋ねれば師匠は「それはaである」と答える。弟子はすかさず「aとは?」と
訊き返す。すると師匠は「aとはまたbである」と答え返す。そして
しばらくして「bとは如何」と来るから師は「bとはcである」と答える。
以下同じことの繰り返しで、c→d→e→f→g・・・・・・と
繰り返し、最後にまた「それはまたaである」と循環する。
これは意味をなさない。言葉の海に溺れ、砂漠の逃げ水になってしまう。
どうでしょうか?フェルマーの最終定理とは関係がありません。