携挙が近づきました
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携挙が近づきました。
それは人々が予想もしなかった出来事になります。
すべての人々が、好むと好まざるとによらず、
空中に降りて来たキリストを見ます。
始めに死んでいる信仰者たちが蘇り、キリストのもとに引き上げられます。
次に生きている信仰者たちが引き上げられます。
彼らはみな霊的な肉体に変容させられます。
宗教のキリスト教会に通う自称クリスチャンたち、牧師や神父たち、神学者たちの殆どは地に残されます。
キリスト教は本当のキリストを教えていないからです。
さて、携挙の前に地上でひとつの悲劇が起ります。
これには本当の信仰者たちも巻き込まれてしまいます。
この悲劇の起こされる理由は、多くの者が未だ神を知らないためです。
悲劇の後、多くの神を知る者たちが出て、彼らは携挙に間に合います。
携挙は人々が考えるより早く起ります。
地上から本当の信仰者が引き上げられると、直ぐに恐れの七年が始まります。
七年の前半、地上の半分の人が死滅します。
後半、サタンの化身である反キリストが神の座に座ります。
これを機に、地上は地獄と化します。
七年の終わりに、キリストが地上に降り、これらの狂気を終わらせます。
反キリストも完全に終わらされ、人間の支配する世は終わります。 浮かれ騒ぎの「十連休」もあと明日で終わり。浮かれ騒ぎと云うよりも「イカレ騒ぎ」と言った方が良いのかもしれません。さて季節も本日で春終了、明日は「立夏りっか」夏です。携挙の前に一つ二つ波乱あるかもしれません。今週土曜日一応気をつけてください。 クリスチャン(キリスト者):キリストかぶれ、キリストキチガイとの世間からの悪口、あだ名、風評から生まれた名でした。「クリスティアノイ」→「クリスチャン」
当初イエスの弟子たちは「この道」と呼ばれておりました。いつか来た道 北原白秋みたいですね。 クリスチャンとはナザレ人イエスを主(神)とする弟子の集合体「エクレーシア」に属しました。本来は「集会」とかそんな感じです。真のクリスチャンとは主イエスの生き方を模範とする人たちですから、この世の価値や物事に執着しません。 クズは切り裂かれ焼かれ罪の象徴として笑いの対象へ
良きものは泡沫となる >>367
その「人類補完計画」ってはじめて聞きましたが何ですか?少なくとも携挙ではありません。携挙とは大患難前と中(後)に人類の中で「救われたキリスト者」の更に「勝利者」を地上から「引き上げ」災いから逃れさせる神の慈悲です。詳しくは過去ログで リトルYHWHがUFOゲームされてるところをヘッドショットするのが趣味です 便所から出られると思ったらうんこ製造機に戻るだけだったっていう悲劇を汚ねぇ花火で終わらせる善行 最初から順番にお読みください。黙示録の預言と携挙の解き明かしが書いてありますから >>378
携挙されるのは「教会」ではない。神との個々の関係で 新しい契約をした人たちの集まり、其れが「エクレーシア」キリストの花嫁たちだ。だから大艱難に突入してもキリスト教会員と安心している大馬鹿者は地上に「レフト・ビハインド(取り残)」される。 取り残される教会員は99.9パーセント。ラプチャーされるキリストの花嫁たちは僅か144000人足らずだからだ(本当はもっと少ない。既に亡くなっていた人たちも数えるからだ)
残された者は大変な試練に遭遇 殉教するか棄教するか選択される。二人の証人の死とはこのことを意味する。軈て彼らの相応しい者は第二回目のラプチャーで携挙される。
二人の証人の復活だ。かろうじて救われるグループ大群衆だ。 思うんだが、騙されて偽のキリストの教えに従った人がいるとしたら
彼らに罪はないよな? キリストは便利で都合の良いエロボットを花嫁に迎えるから
人間なんてうっとおしいだけの不便な存在いらなくなったそうだ もしかしたらキリストとしか思えない奴が別に復活するかもしれないが
それは偽物で傀儡だ 熱心な研究と考察には敬意を表します。
ただ、私達は枝葉末節に目を向けるあまり、
本質を見失わないようにしたいものです。
天の通貨(通用する価値)は、実はシンプルです。
それは「愛」です。
へりくだって人を愛する者だけがその通貨を持っているのです。
キリストが命を捨てて教えたのはそのことではありませんか。
悔い改めて本質に立ち返らなければ、
大して力のないことに拘っているあいだに、
その日には、惨めに取り残されてしまうでしょう。 復讐と呪いの神YHWH
ttps://plaza.rakuten.co.jp/atheistsho/diary/201308030008/ 地上世界はまもなく前代未聞なマタイの24章で予告された「大艱難(大患難)」時代に突然移行いたします。様々な「しるし」を見る限り私たちが生きている 1914年以後 更に1974年以後(中間折り返しポイント)→ランディングタイムは明確(2034年前後)
それ以前に起こることを列挙します(続く) 約二千年前に天地を創造された神ご自身が人間となり地上世界に降臨した大事件が起こりました、私たちが「クリスマス」と呼んでいる出来事です。勿論 その方は12月25日に生まれた訳ではありません。すべては後付けです。真実は (仮庵祭の最中の)夏も終り初秋の頃でした。 二人のユダヤ人カップルがローマ帝国のカエサル勅令の人口調査の為 旅路の途中でしたが既に身重になっていた十五のマリヤが突然産気づき、仮庵祭の最中のベツレヘム郊外のとある洞窟での出来事でした。
幼子が生まれました!ちっぽけな地上世界ですが サタンは注目していました、天使たちが剣を持ち 周囲を守っていたからです。 黙示録12章を参照。
「天には神に栄光、地には善き人々に平和あれかし」御使いたちは歌います、ベツレヘムは昼間のような不思議な光が輝きます。その星に導かれ 羊飼いと東方の国の三人のマギが遠征してきました。
黄金と香料(高価な品々の価値は数千万はあるそうです)
後にヘロデの虐殺から逃れてエジプトに避難した数年分の 若いカップルと幼子の旅行費用に使われました。 旅路の空で 生まれた場所が馬小屋を兼ねた洞窟から始まり、殺されかかって暫しエジプトに隠れ、帰ってきた故郷はナザレの寒村、早速ヨセフは本業の大工として働き マリヤはイエスに続き何人かの弟妹を産み、敬虔な家庭ではあったが主が十二になるまではヨセフは健在だった 天地を創造された神ご自身が人間となり、一労働者として早逝の父の後をうけて母を助け、弟妹を養い、ただならぬ労苦を重ねた。深き聖書と祈りと愛との生活。いよいよ三十となり公生涯の時となり天与の大使命に立ち上がり ヨルダン川にて バプテスマのヨハネより洗礼を受ける。 聖霊に導かれ荒野にて四十日の断食とサタンからの大試練にあい これに完全勝利をしても、当時の職業宗教家などから 訳もなく憎まれ攻撃され責められました。 しかもその間、人間の最低下にある病人 罪人 身心障害者らの友となり
山に祈り浜に説き、寝食を忘れ疲れては井戸端に休み、舟に乗ってしとねを枕とし、親友の死に立ち会い涙を流し 滅びゆくエルサレムを眺め号泣し ゲッセマネの園に「わが心いたく憂いて死ぬばかりなり」と血の汗を流し苦しみ悩んだのだ。 さらに、愛弟子にそむかれて捕えられ あらゆる心なき者どもの鞭・つば・鉄拳・嘲笑の限りをうけ、軈て悲しみの道を歩き、死の極刑十字架につけられ、ついに父なる神からも捨てられ「わが神わが神何ぞ我を見棄て給いし」と叫んで最期を遂げねばならなかったキリストであった。 産み育てた我が子イエスの死を看取った母マリヤの涙とともに ピエタの姿を思い出します。その惨めさ、その不幸、これこそが人類最下の姿、これ以下の人間をば他に見られぬと思われるほどの、人間苦を真になめつくした真の人間そのものであられたのであった。
そのキリストが三日目に蘇った(復活した)大事件が起きた!大地震が起こり 神殿の幕が引き裂かれたのだ! 十字架だけを見上げるのも良い されど蘇った主の栄光の姿を見なさい、彼は復活したことは イエスがまさに救世主であることを証したのだ、そしてオリブ山から昇天された主は約束された「再び地上に戻ってくる」再臨されると……
それが此れから起こるのです。戦争の噂 飢饉 疫病 獣のような犯罪者が横行し 人びとの不安だらけな世の中に イエスは再び地上においでくださる しかも今度は「子羊」ではなく「裁き主」ユダ族の獅子として…… ミケランジェロの「最後の審判」。死んでいた霊たちに再び肉体が与えられ審判を待つ聖書の世界観を表している。審判自体は「地上再臨」とは時空間が異なるのだが、当に此れから起こる「携挙(けいきょ)」を予知していることに気づいただろうか。では次回詳しく説明する。 第一回目の携挙は極めて近未来に起こる、今か或いは 推定されている2020年代のある年かも知れない。とにかく 既に第6のラッパは鳴らされ(第一次第二次大戦1914-1945) 七つの雷のトリガー(1973-)が引き起こされたなら 第七のラッパ 即 ラプチャーが起こるだろう。
だから、その日が突然罠のように襲いかかる前に 常に支度を整えておきなさい。 再臨の予定時は1999年だったのだが、呼ばなかったから来れなかった。
地球復帰には失敗したが、義人がいたなら引き取ってあげよう、と思ったが、それも僅かしかいなかった。
自力で探し出した者だけを連れて帰ればいい。
あとはサインが示されるのを待つのみ。 艱難前携挙が正しい。
地獄の王サタンによってあまりにも多くの悪が成されるので、ほとんど全世界が破壊されて荒れ果てるでしょう。
その前に、異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫びますが、しばらくすると消えてしまいます。 >>401
ノストラダムスの人ですか?
アレは出鱈目ですよ、だいたい宇宙人とか全部嘘ですから、
それとラプチャーは少なくとも二回以上起こります。大艱難前と中 (そして後)です。 ラプチャーが実際に起こると世間は驚嘆の余り、自らの愚弄さを嘆きます。
そして突然失踪した「人体消滅」事件をいろいろ理由を附けて時事解説することでしょう。つまり「あの人たちは悪い人たちで神の裁きを受けて消滅したのだ」
と… そして、3ヶ月後に獣が登場し第三次世界大戦(イスラエル対アラブの戦争)が起こります。大艱難突入です。 二回目のラプチャーは壮観です。第一回目に比べ(144000人)世界中が見守る中大群衆が目に見える形で空中に引き上げられるからです。疑いようがありません、一回目はひっそりと盗人のように 二回目は大胆不敵に、此れが刈り入れ 収穫ハーベストです。 聖歌623
「何時かは〜知らねど主イェスの再びこの世に来たもう日ぞ待たるる、その時 聖徒は死よりよみがえり 我等も栄えの姿とならん。
携え挙げられ〜主イェスに抱かかる その日の歓びいかばかりぞ、備えは終われり イザ来たり給まえ 花婿なる主よ救い主よ
アーメン >いまだ いまだ
ナショナルキッドに現れた?卵型の宇宙船から宇宙人の少年が現れて 「世界の終わり」を宣べ伝えるのですが 若き日の太地気和子さんしか理解できません。宇宙少年は卵型宇宙船で帰還する前に地球の少年たちと心通わせ 羽生の宿ホームスィートホームを歌います。 どんなボロクソな家でも生まれ故郷は善きものだ、
母ちゃん父ちゃん姉ちゃん 家族っていいものだね 一度離れ離れになってもまた家族として再会したいものだね、
ま、そんな詩歌ですね。復活の希望が信じられない人は気の毒です。生まれ変わりではなく 私まことはまこととして復活します、間違っても由美ちゃんとして生まれ変わりません。おやすみなさい。 高度プロフェッショナル労働者とは聖書神学研究者のことだよ、
一番金を稼がないように見えて、一番天に宝物を積み重ねている世の生き方から逆転した生き方を推奨している連中さ
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=leo085 肉の救いを重要視して肝心要な霊の救いを疎かにしてはなりません、
ローマ8章 肉は何の役にもたちません、と書いてあるでしょう?よく読みましょう!
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=leo085&articleId=12462987142&frm_src=article_articleList 従って、今やキリスト・イエスに結ばれている者は 罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が 罪と死との法則からあなたを解放したからです。…。肉の思いは死 です。霊の思いは命と平和です。 っていうことは携挙の時期は極めて近い?もしかしたら?2022か2023年?
つまり大患難の開始時期とほぼ一緒(3ヶ月前?)か? >>399
その計算が仮に正しいならまだ大丈夫…ってことにはならない。携え挙げられる(ラプチャー)時は今日か明日かも知れないと思い生きるのが本当のクリスチャンだからだ、微妙なツートラック バランス感覚が要求される。 部屋に入り込んだ害虫のように不快物は潰されねばならない 携挙というのは死と同じで人間の努力で招き寄せるとかはできないんだよな… >>415
携挙は死とは異なりますよ、そもそも
キリスト教生命論を輪廻転生と同じように考えるのは異端ですから 携挙は今起きても不思議ではない、キリストの花嫁なら 今か今か 花婿がいつ訪れても善き様に 結婚の支度をしておくもの
霊的な結婚 携挙を待ち望むキリスト者もそのようで在りたいものだ!
http://osusowake.hatenablog.com/
http://m.ameba.jp/m/blogTop.do?unm=leo085 誤解される懸念があるので、敢えて発表を控えていたのだが、
たとえば今回の登戸の痛ましい事件 あるだろ、コレッて普通はサタンの働きって考えるのが「まとも」「常識」だよね。ところが、さ…
実は…って考え方もあるんじゃない?って話。 たとえばさ…使徒行伝に書いてあるアナニヤとサッピラの話 知ってるかな?寄付の額を誤魔化していた教会役員のアナニヤと妻のサッピラが 神の怒りをかい、ぺテロを通して その場で神罰により 文字通り即死する不祥事な話。
普通、こんな処罰受けたんだから、このアナニヤ夫妻は 「救い」の契約から除外され 天国には行かないよね、って考えるのが常識でしょ?ところが、此れもどうやら違っているんですよ、って話。 第一コリント5章5節「このような(淫らな)者を その肉(体)が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の(裁きの)日に彼の霊が救われるためなのです。」
とあるだろ、つまり神罰で命を失ったクリスチャンの場合 肉の裁きで死んでも最終的に 「救われ」天国に行く と断言しているのですよ! すなわち、先のアナニヤとサッピラ夫妻も 肉の裁きで死んでしまった だからもう救いもない 天国もない ではなく、「にもかかわらず」神さまは 彼らを霊によって生きる為に 処罰した と断言しているのですよ!
ノアの洪水で死んだ人や ソドムとゴモラ 地面が割れて地中に生きながら埋められたコラの人たちとかも原則は同じ つまり 肉の裁きを受けても霊によって生きる為なんだってこと ウウム難しい神学の領域 つまり神の恩寵(おんちょう) 同じ第一コリントの前の部分 3章にも10節以降に 各々の肉の働きはかの日に明らかにされる、…火の中をくぐり抜けるようにかろうじて救われる と同じように書いてある。
たとえば今私が誰かを何らかの理由で殺害したとする 正当防衛であれ 個人的復讐の為にであれ カエサルの法により肉体は死刑にされてしまったとする あくまでも仮の話。 じゃあ質問だが、神の命令に従ってカナンの残った女を多数めとった人間は天に上げられるか? ローマ8章に何と書いてあるか?
「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は 罪に定められることはない キリスト・イエスによって命をもたらす霊の(救いの)法則が 罪と死との(地上の)法則からあなたを解放したからです。」
つまり、私の肉体は日本国の法律により裁かれ 死刑にされたとしてめ 霊は既に「救われている」ので 確実に第一の天には必ず行ける って保証なんです。 アナニヤも デマスも(第2テモテ4:10)最終的に救われているなら 肉の裁きという懲らしめを受けても大丈夫なんです。 >>419
で 以上の思索を前提に登戸の事件などを考えてみると 確かに、こうした事件の背後にも 神の許しによるサタンの働きがあるのが理解できる。(ヨブ記1章参照)
イザヤ45:7「我はヤハウェなり、我は光をつくり又くらきを創造す、われは平和をつくり、また災いを創造す…」
つまり、あらゆる事象には神の許しなければサタンは働かない 今回の痛ましい事件も 神無しで生きていけるとのほほん生きている者への 神からの喝!なんではないか って思った。以上 反論ある方はどうぞよろしく。 >>424
クリスチャンだけの話なら 救われているなら 天国にいく、旧約の話だとノアの洪水やソドム それにカナンの人たちの話はまた次元が違うのだが… 少なくとも パウロは「イスラエルは皆救われる」と断言している。何処だったか後で記載するが…
つまり 燃える地獄に行く輩とは 本当にどうしようもない連中であり 大抵クリスチャンは天国 イスラエルも 少なくとも新しい地上に復活することになる 異邦人に関してはまた難しいのだが… ローマ11章26節「こうして全てのイスラエルが救われるということです。」これを霊的イスラエルと捉えるのは野暮、文脈からして文字通りのイスラエルの救いを扱っている。
万民救済ではないが 最終的には それにかなり近い救済だ。あぁ万物は御子の為に創造され存在している。万物は御子により 御子にあって維持管理されている。光をつくり又くらきを創造す…神 幸いも災いをも創造される神 つまり私たち一人一人は お釈迦様ならぬ神さまの手のひらに転がされている孫悟空のようなもの
駄々こねて 懲らしめを受けて 肉の裁きで死んだにせよ 生きたにせよ 「救われているなら」安心して憩えば良いのだ。
今回の登戸の事件で被害者と家族の皆さんが 神さまの恩寵で天国の至福に入っている希望があることを
もちろん 加害者はクリスチャンでない限り 最終的審判で裁きを免れ得ないでしょうが、
そうした意味で「復活」の希望が死者にはあることをお伝えいたします。アーメン。 貴方が 神を一度も求めない人であるなら、危険な断崖絶壁に立たされていることを認識なさい。今の世の中に満足しているなら 近い内に神からの災いがくだされます、それは事件や事故 病や身内の不幸かもしれない 危険に立ち会い悔い改める機会を招いてしまうのです。 つまり来るべき大艱難とは 真剣に神に救いを求める最後の機会を提供する 神さまからのラブコールなのです、なぜ神はこのような事件事故にわたしを遭遇させたのか?と立ち止まり考え これまでの生き方を思い直す機会になるなら 災いから脱出する近道だと考えて良いと思います。 コロサイ1章
万物は御子により 御子のため存在し 御子にあって存続しています、
イザヤ書 ヤハウェは光をつくり暗黒を創造する神 平和をつくり、災いをつくり 人々に罪と死を悟るようによびかけておられる神なのです。 サインが示される前に仲介者を通じて居場所を知らせておかないと迎えに来てくれないだろうに。 アナニヤとサッピラは即裁かれたと訊いたが?復活するのか… 今、男女は簡単に(挨拶程度の気持ちで)セックスすると云う。しかし、セックスは本来神からの賜物 大事に扱わないなら様々な弊害が及ぶ 身体的には性病や腫瘍等々。精神的なものとしてはうつ病、依存症 等々。一番恐ろしいのは「霊的な」呪いと絆が生じることだ(続く)… 男女が結婚の絆を持ち家庭を生じることが 神の祝福となる。ところが不法な関係を持つなら 霊的な契りが生じてしまう。聖書には「娼婦と関係を持つなら娼婦と一つ体となる」とある…つまり、男女は霊的にも 絆が生じる、不正な関係だと悪霊まで 砦を築き侵入することもある。 具体的な例
たとえば私「まこと」が「ミキ」なる女と婚外セックスをしたとする。文字通り「性交」した時に霊的絆が生じるが 時には「前戯」だけでも生じることもある。
さて「まこと」と「ミキ」だけに収まらないから怖い、過去に「ミキ」嬢が性交で関わった様々な男女ともネットのように絆が生じる、「ひろし」だったり「ユカ」だったり 友達の輪に入る、また不正な性関係は神からの「呪い」も生じるから始末が悪い 長年連れ添った夫婦は同じ顔になる。霊的絆が生じるからだ、風俗遊びした旦那を持つ奥様 若い頃は美しい女性だったとしても 旦那を通じて様々な性のネットのような絆と結びつき 物の怪のような顔になる。では不法な性関係の縁を切るにはどうしたらよいか? 慎んで神の御前に立ち 正直な気持ちで祈ることが大事
先ずは 思い出す限りの女性との罪関わりを告白 主イエスの御名により 一切の絆を断ち切ると宣言する。同時に悪霊に隙を与え霊的領域に基盤を与えてしまっているなら 邪悪な霊を追放する必要もある。詳しいやり方は「自由への解放の道」を参照されたし
おやすみなさい。 追伸、
参照書籍紹介
ニール・アンダーソン著 淳子・ブロックソム訳
ICM出版 発行
「鎖を解き放つ主」
「キリストにある解放へのステップ」
「本当の愛は待つ」
特に性的自由への解放への指南書としてオススメは「脱出の道」定価1500円+税
です。 アセンションならチベット仏教のお坊さんの
ようにまじめに修行すれば誰でもできるよ。
悟を開いたら最期、身体が虹のように光輝いて
小さく縮んで消えてしまう。
条件は完全な愛に目覚めていること。
世界と自分は愛で出来ていて、自分は愛のため
に存在してると完全に悟れたとき。
別の次元に移行する。 性欲って子どもを産みだすパワー、広い意味では、何かを生み出す力、創造性とも言える。
チベット仏教は独身制だから性欲の問題は切実
だろうけど、彼らは性欲を自分のためじゃなく、世の為人の為に何かを生み出すパワーに瞑想で昇華させるんだね。 助け合いの精神も無く、自分のためだけに
性パワーを使うのが現代人の病理 。
子どもを産みだす、子ども以外の何かを
生み出すために使わないと、性欲の無駄遣いだ。 聖書に書かれてますよ。エノク エリヤ ナザレのイエス
チベットならなんちゃらリンポチェみたいな
名前の人たち ラプチャー
アセンション
身体発光
こういう現象に興味があるなら虹の身体でググルとよし。目撃者多数 間もなく、聖書が予告した「大いなる患難」「主の日」「恐るべき裁き」が始まります。
その前兆が「7つの雷」
そして、最後の「第7のラッパ」が吹かれ 「携挙」が突然起こります。
すると、「3ヶ月後」に其れは始まるのです。期間は思っていたよりは長い 然れど、聖書的には短縮されます。
いわゆる「暗黒時代」「大患難時代」に突入したなら(携挙されず地上に取り残されたなら)、次の「携挙」迄あなたは留まるか 迫害で死ぬかしかありません。とにかく過酷な時代 出来れば最初の「携挙」で地上から引き上げられ 災いを逃れられた者は幸いです。 考えて見てください。間もなく「大艱難」が訪れて 地上は災いの時代に突入するなど いったい何人が考えていることか?ノアの時と同じように ほとんど99.99%の人々は 「キリストの審判」など全く関係ない生活をしています。生活の思い煩いや将来の不安 の話題に上りますが 駅前広場等で偽キリスト教エホバの証人たちが 目ざめよと雑誌を掲げています、彼らは救われていない正真正銘 偽クリスチャンです。しかし、神は彼らをも用いて 人々に気づいて貰いたいと願っているのです。「あなた方の生き方は果たして正しいのか」と
ネットを通して 携挙の真実を伝えている者は僅かです。多くのクリスチャンは クズのような話題で 「その日暮らし」のような有り様です。孤高に立ち 主の愛を伝えてください!皆さん 裁きは突然起こるのですから 2019年6月2日、この時迄 真に神を求める者(クリスチャンに限りません)は果たして少なくとも日本に於いて いったい何人いるでしょうか?御朱印集めや 開運スポットに群がる人たち…美味い物を求め全国巡りしている人たち…今にも死のうとしている病人や老人がいる
真の生き方とは何か 神の慈悲 裁きは如何に 求める者は余りに微弱です。 >>453
先ず第一回目の携挙が起こります。其れから(3ヶ月後)大患難となり 独裁者が出現します、イスラム教に戦争を仕掛け 勝利。アラブ世界は壊滅 第三神殿を建てます。「彼」は自ら「ヤハウェの神」が人となった存在と自称 キリスト教 仏教その他の宗教を弾圧します。… 第11章[編集]
11:1[編集]
それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。
11:2[編集]
聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。
この時にはエゼキエル神殿は誕生していなければいけない >>455
ヨハネは聖所を測ったとありますか?
いいえ、測った形跡がありません、測らなかったのです。なぜなら、… 西暦70年にエルサレムの神殿は壊滅し地上から存在しなくなりました、ヨハネが黙示録の幻を見たのが西暦90数年とハンドブックにありますから 「ない物」を測る訳ないですよね 11章1節 それから、わたし(ヨハネ)は杖のような測りざおを与えられて、こう命じらた、「さあ立って、神の聖所と祭壇とそこで礼拝している人々とを測りなさい。」
聖所を測る、というと旧約のエゼキエル書を思い出します。40章以降に詳しくあります。ここの聖所は未来のエゼキエル神殿ではありません。西暦90数年の存在しない神殿のことを意味します。 エゼキエル神殿の幻は事細かに記されていて、そのまま設計図に起こせるレベルのものだそうで 3Dイメージも見ることができます。しかしヨハネは黙示録11章で設計図については何も語っていません。彼は測らなかったのです。聖所も祭壇もなかったからです。 「測る」という行為は 守るべきものに目印をつける、意味合いがあります。守りと恵みを注ぐために目印をつけるべく「測ろうとした」しかしもはや其れはなかった。キリストを拒絶し十字架にかけた裁きとしてエルサレム神殿は70年に破壊されてしまったからです。 「測れ」と言われてヨハネは、測りざおを手に持ったまま、目をテンにしていたのでしょうか。しかし神さまはそのまま、話を異邦人の方に向けます、それが2節です。
「聖所の外庭はそのままにしておきなさい。そこを測ってはならな。そこは異邦人に与えられた所だから、彼らは四十二ヶ月の間 聖なる都を踏みにじる。 「四十二ヶ月」「三年半」この期間は
「キリスト降誕からキリスト地上再臨迄の新約時代」を意味します。
預言通りだと西暦70年破壊以来 エルサレムが完全に神の民のものになることはない ことになります。キリスト地上再臨まで 今でも4つに分割 ムスリム キリスト教 アルメニア ユダヤ人地区と分かれています。 「そしてわたしは二人の証人に 荒布を着て 千二百六十日 預言することを許そう。」
この千二百六十日も新約時代を意味する四十二ヶ月 三年半のことです。2000年以上長生きできる預言者はいません。ですから第一列王18章のエリヤのような火を吐く預言者が二人現れるのではなく、二つの教会 カトリックとプロテスタントの意味です。 ゼカリヤ書4章2〜4節 10〜14節と見比べください。二本のオリーブの木 二人の子らと ダブルミーニングしています。今夜は此所までとします。 新しいエルサレムは、オリオン座のトラペジウム星団の中にあるんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています