さて、何かを考えるとき、頭のなかでその思考を「言語」に変換してから
物事を考えてはいないだろうか?これも、悟れない要因の一つになっておるぢゃろう

言語とは、一定の決まりに従い、音声や文字、記号を連ねて、意味を表すもの。である
それは、認識による分別の判断で作りあげられたものであって「分け隔て括られたもの」

この、分け、隔て、括られる、というのが、その時点で「すべて」から切り分けられ
個別化されたものであり、文章や一連の言葉などには、幾つもの「切れ目」があるのぢゃ

悟りもまた「悟り」と書き、言い表わしておる時点で、特定の意味を表してしまい
その言語によって、分け隔て括られたものである。だから本質が捉えられなくなっとる

「Don't think Feel 」考えるな、感じろ
「Don't think sleep」考えるな、寝ろ
「Don't work ... joy play hobby fun ...」
働くな。遊んでろ、楽しめ、、、
「Joy to the world 」世界を楽しめ

(●´ω`●) ♪