>>610
そこら辺の問題については、既に唯識仏教で見解が呈されてますね。

自体分が見分(見るもの)と相分(見られるも)に分析されるのだ、と。

心外無法(心の外に法はない)ですから、心のうちに法が生じるという事ですかね。自他を隔てる認識が縁生すると。
その自他を隔てる認識は、阿頼耶識を常・一・主・宰の我と錯誤する末那識に由来すると。