【初心者】キリスト教@談話室748【歓迎♪】
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>>151
個人的には、脳みそのバグだと思っています。
しかしそれをどう捉えようと、アリだと思っています。 (追加)
虫の知らせで、鍛えられるなど、望んでない、オレは。 薬でも、脳みそはアッサリと、バグりますからね。
脳みそは、信じたい事を信じる為に、自分を騙すらしいです。
ナショジオで、やってました。 あれほど信じていた、俺の脳みそ。
そんな、俺の脳みそが、俺が19歳の時に、俺を騙したのさ。
こりゃあもう、諸行無常の常ならむとしか、言いようがありません。 将棋というゲームの「負の面」に、気づいてしまった。
(戦艦も、集中砲火されると、ひとたまりも、ないよね。、、、) >>149
話したいことがあるなら、話したほうがいいですよ。
ウンコしたいなら、ウンコするほうがいいからです。
>>151
自分の煩悩(こんなん嫌だ!あんなだったらキット幸せ!)でしょう。 宗教にせよ、お薬にせよ、キマっていたからと言い訳にできないのが人生というものです。
そう考えた私は、もう二度とバグらないように、キメ続けました。
しかし、前人未到の道を歩むことと、引き返せない道を歩む事とは、違っていたのです。
えらいこっちゃの巻ですね。 >>157
先生の虫の知らせの内容を把握してませんね。
何度も言いますが、よく読んでからレスしましょう。 多分、一生えらいこっちゃやってると思いますが、私が神様なら、10億円ぐらいあげて、何に使うか見てみたいと思いますけどね。
まぁ、神様でも宇宙人様でも、依怙贔屓大歓迎なので、よろしくお願いします。(*^_^*) 与作さんはここ最近、どんどんイケズになってきてるな
なぜだろう >>155
「ショギョーはムジョーである(←なぜか変換できない)」てのは、単純な事実であり、
「不変な存在はない」ということです。
目の前のコーヒーカップも瞬間瞬間に変化している。
同じく私というものも瞬間瞬間に変化している。
そういうことですね。
ムジョーは速いのですよ? 土門拳のオッチャンはシャッタースピード優先カメラマンですた。 >>159
虫は中華ですよ。
「虫 天帝」でググれカス様であります。 >>161
真鶴には大阪のアホ物質が足りないからでしょう。
禁断症状が出てるだけですから、大阪に帰れば大丈夫だ。 >>164
!?
神奈川の真鶴によしおさんは住んでるの?
アホなのにアホ物質なくなったらアホの脳で変なこと考え出すので、良さは確かに弱体化してゆくような
大爆笑である ショギョームジョーのほうがスピード感があるよね
地質学的時間スケールから観た生物進化とか
生物進化の時間スケールから観た人の一生とか
人の一生の時間スケールから観たネズミの一生とかだと
ショギョーがムジョーして大変なことになるw
視点を逆に取るとショギョームジョー感が抹消されちゃうけど
もしかするとお釈迦さんは人が人の時間スケールで経験できる変化の方に
惹き付けられて、そこから無常を諸行にまで拡張したのかもね
この視点をあらゆるものにまで拡張して実体を振り切ってしまうところがすごい
変化の中から不変の何かに目を向けるプラトニズムやキリスト教とは
正反対の方向性なんじゃなかろうか ミクロコスモスとマクロコスモスの話すな
日本人は手のひらの皺に宇宙をみる文化だけど、欧米は宇宙船で火星を開拓する 法華経だけが万人の成仏を説いたのでしゅ。👸
それと
法華経だけが仏は久遠の昔から
このしゃば世界に万人の成仏を説いて来たと明かしてるのです🌸
日蓮は阿弥陀はしゃば世界の仏ではないという
異世界仏を信仰するのは地獄行き😃
浄土教も過去の記録に有るように
教主達は自殺しているわけよ。 サティに悲しいお知らせ😢
仏教スレの サティの好きな 天空のシャウエッセンさんが大山にゴチャンネル追い出されました☆🎍
出ていきましたよ。
それと哲学板のサティの好きな自然過程説さんが居なくなりました。自分は高齢なのでそろそろ亡くなることを言うてましたね。
それと加納パスタさんが居なくなりましたね。 法華が説いたのは万人成仏ではなくて、万善成仏。
善行したら、その善行が砂場遊び程度であっても成仏できるという説。
万人成仏だとみんなが成仏できるわけだが、法華はそんなことを説いていない。
天台が熟すると、みんなは本当はすでに佛やねんでという
天台本覚思想を形成するが、修行不要論と結果し、お山が腐敗した。 >>167
キリスト教はギリシャの霊魂不滅に影響受けてるもんね。
人は鏡像認識で「私というもの」を持っちゃうんだけど、成長するに連れて「私というもの」がどんどん堅くなる。
「私というもの」が堅くなればなるほど、悩みや苦しみが生まれ、争いや揉め事を生んでしまうね。
「私というゴツゴツした堅いもの」を柔らかくして生きる、丸くして生きる、手放して生きると楽チンだけど。
なかなか難しいとは思う。
「私というもの」が傷つけられたり失う危機にあったり、大きな挫折や世界観の崩落にあうと、
たぶん自己保存機能なんだろうが、「特別に素晴らしい私」という誇大妄想が起きるんだな。
血統妄想、神とか高級霊とか宇宙人から選ばれる妄想、天才妄想、まあ優越感で自己保存するんだろう。
スキゾタイピーが多いと言われる陰謀論の人は、自分の素晴らしさをアピールするもんなw 陰謀論ばかり語る「迷惑な人」を一蹴する方法
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56215
by佐藤優
〈人はなぜ陰謀論を信じるのか。これは「因果関係の単純明快すぎる説明」という陰謀論の特徴に負うところが大きい。
陰謀論はしばしば大事件の要因を一つに絞る。そして一つの要因に絞ることで、複数の要因に言及する通説よりも分かりやすくなるのだ〉
われわれが生きている世界は複雑だ。従って、現実を因果関係で単純明快に説明することはできないのである。教養を身につけ、複雑な状況を構造的にとらえることが重要になる。 陰謀論の師匠と言えばジョンカーペンター監督w
人型爬虫類が存在するかどうかは別にしてw メディアというものが大衆を操作するのはあるね。
テレビや新聞や雑誌にはスポンサーがいて広告がデフォだし、
街のショッピングウインドウ、行き交う人の服のロゴ、もう広告まみれ。
高級車を買えば、お洒落な服を買えば、新しい化粧品を買えば、なんか幸せになれる気がする。
銀座で食事して和光で買い物すれば、素晴らしいシャロンになった気がするし優越感を持てる。
資産を増やして広尾に住めば、素晴らしいナルミになった気がするだろう。
「イオンとホームセンターしかない田舎はあんまりじゃないか」という気持ちもわかる。
でもよく考えてみれば、苦を増やしてるだけなんだね。
妄想欲という名の暴走機関車に乗っているんだ。
昆布みたいに「本来無一物。地震で家が倒壊しないホームレス最強」とまでは思わないが、
スマホ買えば幸せになれるというものではないだろう。
いや、悔しくなんかないんだからね! >>177
春菊か小松菜だろうと推測。
仏教では有情の存在と非情の存在に分けたわけだが、植物は非情の存在。
まあでも中国経由の日本仏教では山川草木瓦礫に至るまで有仏性だもんな。
生物学的にも植物は生物だもんね。
虫や魚や動物や人とはカナリ違った生態ではあるけど、遠い親戚みたいなもんだね。
遠い親戚を養殖して切り刻んで食うんだもんな(´;ω;`)なんという野蛮さ。
親戚と言えば・・・鯛とサメよりも、鯛と人のほうが近縁なんだね、硬骨同士だから。
もちろん哺乳類同士はもっと近縁で、豚さんとか牛さんとかは人と兄弟みたいなもん。
鶏さんは恐竜の子孫らしいから気をつけたほうがいいだろう。
そういえば、夜店で買ってもらったカラーヒヨコは大きく育ったんだが、ある日いなくなったんだ。
母ちゃんに訊くと「お肉屋さんに連れて行ったよ、お肉と交換してもらった」と言われた。
悲しかったな(´;ω;`)悲しかったけど、お肉は美味しかった。
それがまた悲しかったな・・・ ファッションなんてのも、考えてみればグロいです。
革靴や革のバッグなんてもんは動物の皮を剥いだもの、つまり動物の死骸。
木綿や麻は植物の死骸。
絹は蚕の繭を奪ったもので、繭の中のサナギは茹でられて死にます。サナギは佃煮にもされますが。
蚕は遺伝子操作され、家畜化された昆虫で、もう自然には戻れません。
卵を取るための成虫は、樹にしがみつく脚力もなく、飛ぶ能力もなく、
口がなく食べることも出来ず、交尾して卵を産んだらすぐに死にます。
なんという酷い境遇だろうか。
化学繊維は石油から作られますが、昔は石油を有機物の化石と考えました。やっぱり死骸だ。
石油はマグマ由来の無機物という考えもありますが、無機物にも仏性とか魂が宿るのが日本。やっぱり死骸だ。
つまり、全裸が正しいのだ。
少なくともお尻は出すべきだ。 お尻を出すことは、必ずしも正しいのだろうか。
次回「マダムの尻📷」の巻。 >>176
>>176
他人の価値観て本当に不思議なことあるわ
私なんか雑誌の付録や福袋のお宝品をならべてニヒヒしたり、おしゃれな文房具をながめては満足するし
黙示録読んで一番違和感あったのが新しいエルサレムのきらびやかな描写だったもの
清貧さが美徳なはずなのに、なぜこんなギンギンギラギラなのかとあんまり興味を覚えなかった >>181
宝石の描写が腑に落ちたのは、
私が一つの作品一つの出来事に対して、珠玉ともいえる見事なエッセンスを感じたときだった
ああこれこそ真に宝石といえるのではないかと思った >>183
続き
地方新聞のコラムでやたらボルヘス上げしてる人がいた
ボルヘスはまだ読んだことないけど、構成が見事らしいね
日本の作家でいえば松本清張あたりかな
こんなふうに神のみわざは見事な完成度という表現をするために宝石がたとえられてるのだろう マス・ゲームしたい。、、
先まで、極めたい。、、 日本人の40%は、100年後も、生き残るとワタス、予想する。、、 ワタスは、足引っ張られたせいで、目立った業績、ないな。、、
これから、がんばるか。、、 >>191
頑張ったら早死にしますよ。
頑張ってでも欲しいものがあるなら、頑張らざるをえませんが。
とりあえず長生きしたいだけなら、頑張らない方が良いと思いますよ。
でも、先生はたぶん、栄光とか名声が欲しいんですよね。 私もかつては、そんな野心があったんですけどね。
気がつくと無くなってました。
捨てたつもりもないのですが。 >>192
オレも、今、同じこと思ってた。
業績より長生きに、シフトすると。、、 今日は炭にうまく火をつけれたので、初めて自分で自分を褒めてやりたいと思います。
これまでは途中で嫁に代わってもらってました。
今日は自分で車のエンジンオイルも替えましたし。 1: 【イエス】 これはわたしの愛する子 Part86 【キリスト】 (875)
2: 【仏教】悟りを開いた人のスレ357【天空寺】 (763)
3: ★★『幸福の科学』統合スレッドpart896★★ (914)
4: ダ ニ エ ル 書 (886)
5: 聖 書 は 作 り 話 だ よ (笑 (39) 与作ちゃん。
津川雅彦の戦国自衛隊。おもしろいよ。
オレも、少し見た。、、 炭は火起こし器を使えば、すぐに着火するわけだが・・・
火起こし器を使わない場合は、網の上に炭を煙突状に組むのがコツなのであります。
熱で上昇気流が起こり下から空気をドンドン吸い込む、七輪とか焼却炉とかの構造を炭で組むわけどす。
https://otona-life.com/wp/wp-content/uploads/2018/05/ill01-1.jpg なんか、>>201のカキコとか、死んだサロメに、似てるな。、、 >>168
お釈迦さんの話だからミクロコスモスとマクロコスモスの話とは、ちと違うんだけど
ミクロコスモスとマクロコスモスの話で言うと、マクロコスモスのほうが旨そう、じゃなくて
和鋏(握り鋏)と洋鋏の違いなどは文化論的には近い話かもね
洋鋏は力点-支点-作用点というてこの構造になってて、通常は力点から支点までの距離のほうが
支点から作用点までの距離よりも長いから、小さな力で大きな力(物の切断)を可能にする道具だね
それに対して和鋏は支点-力点-作用点という構造だから、構造上必ず支点から力点までの距離のほうが
支点から作用点までの距離よりも短くなる、つまり大きな力で小さな力を及ぼす道具だね
こんなん、意味ないじゃないかと思われるかもしれないけど、てこ力学的には同じ構造のピンセットを
考えれば分かるように、非常に細かい作業をするときに向いた道具で、日本人はこの和鋏をずっと
愛用してきたね
洋鋏(X字型)よりも和鋏(U字型)のほうが構造が単純なので、歴史的にはU字型の鋏のほうが
発生が古いと言われてるね
でもX字型が普及するようになると、U字型は廃れて、今でもU字型を使ってる国は日本だけらしい
人の力を敢えて弱めて、より微細な世界に接近する和鋏が伝統的に廃れることなく使われてきたのは
手のひらの皺に宇宙を観る日本的な文化の一貫と言えるのかもしれないね >>173
やっかいな「わたしというもの」を固執すべき実体のないものとして
苦を滅する方途を指し示してくれたのがお釈迦さんなんだろうね
キリスト教は核の部分で固執すべき「わたしというもの」を明け渡す宗教ではあると思うけど
でも一方で世界観が壮大だから、逆に自我を肥大させてしまうようなところがあるのかもしれないね
弱者(敗者)が反転して強者(勝者)になれるという妄想に接続しやすい構造があるんだろうと思う
福音書から読み取れるイエスの言動にはそういうこととは別の、もっと生きる現場での共感、
弱者が強者になるのではなく、弱者とともにある生き方が読み取れるのにね まとめを述べると、
『1日1日の手応えが、ワタシには、ない。』、、 >>202
火起こし器もありますが、私は超せっかちなので難しいのだと思います。
しかし炭の組み方は参考になりました。
縦の隙間がいいんですね。
これまで七輪の中で格子状に組んでました。 >>178
山川草木悉有仏性だっけ?草木国土悉皆成仏までいくと
生物に限らず何から何まで仏性有りって感じなのかな
神道的世界観とすごく接合しやすいように感じるね
俺もピーコっていう安易な名前のヒヨコ飼ってた
バカでかい鶏になるまで育てて最期は冷たくなって死んじゃった
でっかい鳥小屋作ってその中で飼ってたんだけど
なにしろピーコそのものがデカすぎて、その小屋はまるで牢獄のようだった
今思うと食べてしまったほうがむしろ慈悲にかなっていたのかなとも思う 「まあ、いいだろう。(今は、これで。)」
(映画でも、見てるわ。) その和鋏作る職人。兵庫県加西市が有名だけど、一人だけになったってね。
まあカンナもノコギリも西洋と東洋?日本は真逆だしね。 >>179
たしかに蚕は牛や豚同様、古くから家畜化されて人間なしでは生きられない生物になっちゃったけど
当の蚕にとってはそんな人間が与える環境も、単なる環境に過ぎないんだよね
ブルドッグが自然分娩できないのと同じで、人間から見ればなんと酷いことを人間は…となるけど
当のブルドッグはもう人間込みの環境を前提に人為選択で進化した犬になっちゃってて
なんというか、生きたまま食われる自然界とどちらが悲惨なのかとか考えるともうよくわからない
あくまでも人間的基準の人間的感情から見ると人間に依存しなければ生きていけない生物にしてしまった
人間の業の深さを感じるだけで、彼らの視点ではどうなのか… >>210
押し引きの違いはどこから来たんだろうね
こういう道具の使い方の文化的違いは
例えば柔道とかの体の使い方にも反映されているんだろうね
レスリングなどの西洋発祥の格闘技では日本人の体の使い方と西洋人の体の使い方に
なにかそんな文化的な差があるんだろうか >>204
仏教は内に宇宙を探すのでそ
和鋏の話し、しりませんでした
非常にニポンぽい話しです
少しズレますが日本の楽器は音が出にくいよう障わりの装置がついてます
音が意図的に出にくいように作られており、でもいい音が出た時に自由になれる 風呂から出た。
さてと。、、
何を語ろう。、、・・・? 日本でU字鋏が廃れなかったのは、職人の技能が無茶苦茶高かったからだろうと思う。
全鋼もあるにはあるけど、刀や和包丁と同じように鋼と軟鉄を張り合わせた構造のほうが粘りがあって欠けにくい。
裏すき、そり、ねじりを入れて刃の一点だけしか接していない、高い技能で造られた鋏は少ない力でスパッと切れる。
裁縫でも釣りの仕掛け作りでも便利だしなー 手のひらに包んだまま作業できるしなー
あれも色んな型番があるんだよね、網の修理には鋏を逆に持って使う。 >>208
もうねw 全宇宙が仏性であるみたいなw
山川草木瓦礫までみんな、仏さんに生かされてるんよ。
でっかい宇宙に、ちっぽけな自分が溶け込むんじゃなくて、
自分の内に、全宇宙を観じるからね。
わけわからんだろうけど、だいたいでいいんだよw >>219
信仰義認と同じで、本当は難しいんですがね すべての理屈が、明らかに、なるかも、しれない。
かと言って、・・・。 >>220
「お釈迦さん、あなたの教えはなんですか?」と人々は訊ねました。
お釈迦さん「悪いことをしてはいけません、という教えです」
人々「そんなことは子供でも知っとるがなwwwwww」
お釈迦さん「では、あなたは出来ていますか?」
頭ではわかっていても、出来ない。
難しいもんだよね、やっぱり。 >>223
それは正確ではないな。
教えではなくて、理解が。 >>205
膨大なインド思想の延長線上に、お釈迦さんの思想があるのと同じように、
アブラハムの民が移民だった延長線上に、イエスの思想もあるんだろうしね。
移民には移民する事情があるわけで、環境変化にしても、人口過密にしても、争いにしても、
つまりは楽園を喪失したわけだし、様々なネガティブな感情と、楽園への願望は強いだろう。
聖書の神はアブラハムの民を選んで味方し、アブラハムの民に仇なす異教徒の敵になるわけだもんね。
栄華を極めたソロモンの時代も過ぎて、弱小国家のユダヤは大国に翻弄され続けたわけだし。
ルサンチマン的なのも仕方ないとは思う。
まあそもそもだ・・・移民が押しかけて来て、
「この熊本は、我らの神が、我らに与えた土地だ!」なんて支配宣言されたら、そりゃハゲでも怒るね。
元々は異教徒の土地なんだから、異教徒とも仲良く暮らすように努力すれば良かっんだろうけど、
民族性にしかアイデンティティを持てなかったんだろうし、頑なでノイローゼみたいなもんだよね。
存在性のヒエラルキーもあるしね。ユダヤ人にとっての異教徒は家畜とか野生動物らしい。
キリスト教徒にも、異教徒の家畜視、野生動物視はあったんだよね。 黒人は人では無いというバチカンの決定で奴隷貿易は合法化された 日本人奴隷の売買もされたようだし、南北アメリカの先住民も奴隷化されたし、
アボリジニは野生動物として狩られたし。
キリスト教宣教=文明化でもあって・・・つまり異教徒は未開で野蛮な動物視されたんだね。
ヨーロッパでの黒人はペットにもされた。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-90/
日本にももちろん奴隷はあったけど、あくまでも人間としての扱いだったし、
高度な技能を持つ人は尊敬されたりもした、陶工とか鍛冶職人とかさ。
まあ日本では牛馬の家畜も家族同様の扱いだったからね、民俗資料にもよく見られる。 そこら辺の世間の人の判断能力よりも劣ってるサティの証拠も実証も無い一つ覚えの知識読まされて
一体
誰得なんだよ?😃 >>214
科学の正しさを帰納に求めるエイシストさん
実験や観察という事実から理論を導き出してるから正しいとするエイシストさん。👸
これには七面鳥の例えで反します。👸
七面鳥は毎朝餌さを貰える→そのように結論をだす。
しかし翌日
クリスマスイブで七面鳥の頚は折られ
食べられました。👸
演澤は強力で正当ですが
論理の前提が正しいかどうかについて保証は
しませんね。👸 >>211
では実験や理論の両方ならどうですか
実験結果から理論を打ち出す帰納
理論から事実を導く演澤ならどうですか
仮に実験や結果の妥当性を判断する為の理論に訴えるとして
その同じ実験や結果が理論の証拠として
考えられるとするなら
それは循環論法に陥ってしまっているわけよ😃
まさに鶏が先か 卵が先か✨🎵 >>215
尺八の節のようなものかな?
これは一本一本に特有の個性を持たせるためだと思ってた
まあでも音を出しにくいもののほうが、ちゃんと出せたときに喜びは大きくなるよね
>>218
読んでるだけですごそう
千葉猫さんはもしかして刀職人の修行もしてたとか?
>>219
仏さんに生かされているって考えは大乗仏教の考えだよね?
上座部系とか原始仏教とかは、ひとりひとりが頑張って仏(覚者)になりましょう、って
方向性だと思ってた
いや別に頑張らないのかもしれないけどw
お釈迦さんのときから慈悲の行いはあっただろうけど
自利行だけじゃなく利他行が教えに有機的に組み込まれるのは
大乗の頃からで、慈悲が生きとし生けるものへと、さらには
あらゆるものへと広がっていき、そんな宇宙規模の仏性は
これもう神レベルじゃね?みたいな感覚になっていったんだろうか
だいたいで言うとw >>225
ヘブライ語聖書の歴史物語を重視するキリスト教の教派あるいはそういった思考をするクリスチャンでは
歴史的な「神の正義」を自分たちの歴史や現状にも適用して正当化するところがあるのかもしれないね
実際問題としてかつてのキリスト教はそのようにして植民地支配や奴隷制を正当化してきたんだろうしね
もちろん今ではあからさまに植民地支配や奴隷制を正当化するクリスチャンはいないはずだけど
聖書を文字通り神の言葉とし、無謬説を堅持する保守的クリスチャンの場合は
信仰上、そんなヘブライ語聖書の話を昔の話として相対化することはできないから
たとえジェノサイドの記述であっても、あくまでも護教的になんとか理屈をつけるしかない
俺はこの辺の記述と、愛の宗教としてのキリスト教信仰を
実際のクリスチャンがどのように折り合いをつけているのか聞いてみたいんだけどね
非難とかではなく そう言えば、ピシャーさんはもう5chに来てないんだろうか
俺が知る限り、ピシャーさんはこの辺のことをまともに語ってくれた数少ないクリスチャンだから
ぜひ今後も話を聞きたかったんだけど >>233
>>俺はこの辺の記述と、愛の宗教としてのキリスト教信仰を
>>実際のクリスチャンがどのように折り合いをつけているのか聞いてみたいんだけどね
イスラエル民族の姿に自分自身を映し出してるのですよ。
旧約時代のイスラエルの姿はイエスキリストが現れる前にそうであったろう自分。
新約時代のイエスによりて救済されたイスラエルの姿は今から後に生きるであろう自分なのですよ。 >>235
イスラエル民族の苦難の歴史を自分に投影し、救われたイスラエルを自分に重ねてるってこと?
俺が知りたいのは、ヘブライ語聖書のジェノサイド等、どう護教的に解釈しようが
極めて護教が困難な記述を、これも神の正義として受け入れられるのか、ってことです >>236
>>ジェノサイド等
イエスの救済がなければ地上に生きる場(エデンの国)を求めてそうしただろうが、
キリストの救済によって苦難の果てに神の国(天国)を見るようになったわけです。
しかし弱さをそのまま受け入れているわけではありませんよ。
神の国への道のりにある障害(敵)とは敢然と戦いを挑むことに変わりありません。 >>237
であれば状況が状況であればヘブライ語聖書に記されたようなジェノサイドも
神の国実現のためなら厭わない、ということですか? >>236
そう解釈するクリスチャンもいるでしょうね。
東京大空襲では日本人が皆殺しにされたように。 (手段を択ばない殺戮)
でも現代のキリスト教(特にカトリック)では、それらの殺戮はイエスキリストによって克服された古い人間の在り方と考える。
なのでジェノサイドが正当化されることはありません。
むしろ敵に神の国を示して悔い改める道が用意されて然るべき、と考えるのが普通でしょうね。
ややこしい部分として、
現代は汎キリスト教の時代ではなくなっていて、フリーメーソン的な(自由・平等・友愛的な)価値観が知識人全般に浸透している。
フランス革命やアメリカの独立など、西欧先進国の知識人は歴史に学んでいる。
価値観が多様化している中でキリスト教原理主義的な人は少ないでしょうね。 >>239
> でも現代のキリスト教(特にカトリック)では、それらの殺戮はイエスキリストによって克服された古い人間の在り方と考える。
> なのでジェノサイドが正当化されることはありません。
なるほど、人間のあり方としてはこの説明に納得しました
現代のキリスト教(少なくともカトリック)が明確に聖書に描かれたジェノサイドを
すでに克服された古い人間のあり方として否定し切っているのであれば安心です
あとはそのジェノサイドを神自身が命じていることですね
この神の命令は誤っていたのか?
それとも誤りはなかったが、それはキリストによって克服される前の古い人間に対する命令としてのみ
正当化されるのか、ってことですね
もちろん、クリスチャン視点に立たなければ
如何様に捉えようが、この神の命令は許されるものではない
でも歴史的宗教としてのキリスト教の理解に立てば
たしかにキリスト以前の人間に対する神の導きの一環という理解になるのでしょう >>240
「インディアスの破壊についての簡潔な報告」で検索するなら一冊の書籍に出会うでしょう。
直接に本を読まずとも内容のあらすじは調べられます。
この大虐殺を疫病の蔓延にすり替えて説明しようとする向きもあるが、事実は大虐殺だったと思いますよ。
こういう理解が二十世紀まであったのも事実だろうと思います。
しかしキリスト教は修正されながら現在の姿になっています。
>>あとはそのジェノサイドを神自身が命じていることですね
>>この神の命令は誤っていたのか?
>>それとも誤りはなかったが、それはキリストによって克服される前の古い人間に対する命令としてのみ
>>正当化されるのか、ってことですね
これは難しい問題でしてね。
多分、キリスト以前の「正当な神の命令だった」と信仰しているクリスチャンは少なくないと思う。 (恐ろしいことですが)
旧約の神(ヤハウェ=父)は、「罪」に対して苛烈は罰(ジェノサイドもその一つ)を与える。
そしてヤハウェは絶対に正しい。
もしイエスキリストの執成し(愛=救済)がなければ、そうなって当たり前と考えていると思う。
これに対する議論はキリスト教内部(信者間)でも混乱があって、必ずしも全てが一致している訳でないように見えます。
旧約のジェノサイドを否定するクリスチャンは日本的なクリスチャンなのであって、
世界宗教としてのキリスト教会は、「神に誤りはなかった」としている。 >>219
おおい 千葉猫✨😃お前まだそんなの信じてるのか
半世紀前に流行ったけど現在は廃れて
小学生🎒に笑われるぞぉ
仏教は釈迦の教えから遠く離れてしまって
哲学にしか過ぎないのわからないのかよ✨🐗 >>230
帰納が不完全なのは小学生🎒でも予測つくからなぁ✨😃 >>241
おそらくすっきりと答えの出せる問題ではないのでしょうね
たしかにキリスト以前においては、もし神の命ずるジェノサイドが行われていなければ
キリストにつながるユダヤ民族は異教の民に吸収されて滅んでいたのかもしれない、
そうすれば神による救済の歴史はそこで頓挫してしまうことになる、
人間は神の被造物であるから近代的な人権などあるわけもなく、神の導く歴史の摂理に沿って
行動するものだ、生殺与奪の権限は神の手中に有り、神は如何様にもその権限を行使できる、
人間ごときが全能なる神に異論を挟むなどもってのほか、とは言えるかもしれません
実際ヘブライ語聖書では人間は土塊から作られたもので神の絶対的な威光に意見できるような
存在などではなく、人間はただ信仰を貫き、神のなさることを是とすべし、といった世界観が見られます
それでもおそらく、キリスト以前と以後で、本当に人間はそこまで変わったのか
如何に土塊であれ、キリスト以前の異教徒が神の命により赤子に至るまで殺され尽くしてよいものか
キリスト以後に突然異教徒は殺戮の対象から伝道の対象となるものなのか
そこには本当に神の一貫した正義が現れているのか
キリスト以前も以後も人間は一つの実存として生きていたのではないか
こういった問いはおそらくクリスチャンであっても脳裏をよぎるのだと思います
自分が読んだ海外のクリスチャンのブログでも、やはりこのジェノサイドにはどうしても
納得できない人たちがいました >>245
俺は元キリスト教信者だから基礎的なことや内部事情もある程度知っています。
そしてキリスト教信者になってみたから分かったことがあるのです。
旧約の神と信者(選民)とは、とにかく徹底した「自我」の存在者なのです。
キリスト教の「愛」はまず徹底した自我が前提されて成立している愛だと思う。
自我は執着そのものです。
死後にまで自我を持ち越して執着するのがキリスト教です。
自分はそもそも仏教国日本で育った日本人なので、そこに違和感が生じて、その違和感はやがて巨木になった。
現在はキリスト教を含めてアブラハムの宗教の神そのものを否定しているし、嫌ってさえいるものの、何も決して信じてはいませんよ。
(そういう意味では無神論者ですね)
人類はアブラハムの宗教を克服する知性を開花させなければ明るい未来はないとさえ思っています。
キリスト教の神(ヤハウェ神)なんて、そんな妄想の産物にいつまでも支配されている人間は無知無明で霊性に決定的に欠損欠陥があるとさえ思ってますね。 臓器移植で性格が変わる、記憶の転移
腸は「第二の脳」は本当だった。腸内のニューロンが結腸を動かし排便活動につながることが判明(オーストラリア研究)
胃腸障害は腸の”精神疾患”とも言えるかもしれない。抗鬱剤として身体の調子を整える素晴らしい気分物質セロトニンだが、およそ95パーセントが腸の中で見ることができる。
十中八九と言ってもいいほど、自閉症の患者には、腸管壁浸漏症候群、過敏性腸症候群、有益な細菌株の不足といった、腸のバランス不全が見られる。
健康な人の便に含まれるバクテリアを移植することで認知機能が改善される(バージニア州立大学)
※下書きに残ってたから一応投下 ※長文投下します 1.
生まれた時からの元プロとして、まあ当時の私が解釈した内容としては、聖書に誤りはない、神は全能ということで。
旧約
神が愛したのはユダヤ人のみ
ユダヤ人は律法を与えられ、神聖であれとした。神が考える神聖である状態、を維持して初めて、神に近づくことが出来る、永遠の命が持てる
新約
神が愛したのは全人類
キリストの贖いを信じることによって、全ての人が神聖となるとした
神聖とは何か?罪を犯さない状態のこと
律法の完成
なぜ旧約ではユダヤ人のみを愛したのか?
神は元々神聖な人間しか受け入れることは出来ない性質だが、エデンの園で罪を犯したことによって人間は追放された
その時点で死を与え、本来滅びゆくべき種族だった
だが、その一部のユダヤ人にのみ救いを与え、律法を守ることで神の元へ帰れるとした
その後、神のひとり子と言われるキリストを世に送り、全人類を救うとした
堕落した天使であるサタン達の影響で罪を犯すようになった人間達、なぜサタンが堕天したのか。
神は全能と言われるが、被造物である天使は堕天する
自由意志を与えたから?
神は自由意志を持って、神に呼応する被造物を創りたいと願った
人間は、神から見ると虫けららしいし。喋れてそばにいてくれる虫けらか。犬猫よりも劣ってる※旧約には、人間は虫けらと書かれてる。人間と虫けら、くらい知能や存在に差があるよ、みたいな。 2.
人間はそんな立場に甘んじるのか、と言われたら、元々存在しなかった、造られた存在に過ぎないのだから、生かすも殺すも神次第でしょ、と。
人間だって、殺して食べる動物、飼う動物、人間の領土を広げるために住処を奪い絶滅させた動物もいる、ゴキブリなんて見ただけで殺されてる
マングースは沖縄に連れて来られて繁殖したら不要として狩られ絶滅させられた
動物を自分達で創造したわけでもないのに、自由に振舞ってる
動物を管理していいよ、と権限を与えたのは神だとされる
神は、無から有へと自分で創造したものを取り扱ってるわけだから、更に自由にする権限はあるはず
ゴキブリからすると、人間は大量殺戮者であるが、人間はゴキブリのためにひとり息子を、ゴキブリに殺させたりしない。
新約においては、本来愛がメインとなり、頬を打たれてももう片方を叩かせろ、みたいになってる
それは、神のひとり子と言われるキリストですら、殺されるままに殺されたのだから。愛し合うことによって救われる、この世では迫害され殉教したとしても、死後の救いが約束されている、とした
奴隷については、パウロは奴隷は奴隷のままで主人につかえよ、と言ってる
女は男の上に立つな、とも
えー釈然としませんよ?
という気持ちはなくもなかったが
すでに死という烙印を押された滅びゆく被造物に過ぎないのだから、造った人の決めた通りに動くのは自然なことか
天の国では、男も女も奴隷もなく、そちらが人生の本番?なわけだしwみたいな。
むしろ、そんな虫けらみたいな存在なのに、人間はまるで自分達で自分を創造し生まれたみたいに、創造主を忘れて堂々と自分を高めてる
という感じで思ってたかな〜。 3.
まあ、そんな感じで育って自己肯定感が上がるのか?と言われると、上がりませんw
神が求めるのは、自己肯定感でなく、創造主への感謝だと思う。自分より上位のものに、生かしてもらった場合、愛の表現は感謝しかないので。
これで死後、天の国に行くことがなければ、今までの苦行はなんだったの?となる
しかし、本当にキリストに救われた者は、本来、自然とキリストに似た者と変わっていくわけで、苦行ですら苦行でない、愛し合うことは喜びしかない、になるというのが、キリスト教のはず
あー生きるの幸せだったわぁ、となるはず。
残念ながら、私の知るクリスチャン達がそのようだとは言い難いが。。どちらかというと選民思想、旧約のように自身を特別な存在として、他者を見下している感がある。
いやいや、オマエは死にゆく虫けらだろう、何高ぶってんねん、と神は言いたいはず。
※今の私は、求道者なので上記について信仰しているか微妙なところ。納得できる部分とできない部分があるし。
ただ今思うのは、実際、愛し合う喜びを覚えた人間は幸せだと思う。
また、たとえ苦境にあっても自然と感謝できる状態というのは、状況に左右されずに常に心が明るく幸せであるというわけだから。
だが現実的には、教会や教え、信徒同士のアレコレに抑圧されてるクリスチャンが多い。と思う。
愛されている実感がなく、苦しいよーという叫びがそこかしこで聞こえてくるようだ。過去の私含め。 私のパートナーは昔ゲンゴロウを飼ってたらしい。見た目はちょっとゴキブリっぽい
神は、虫けらを神の子まで格上げすることに決めた、というのは
ゲンゴロウを子供として育てるみたいな
そんな話。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています