天使の避難所
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シャロンさんのスレッドが偽キリストに乗っ取られて荒らされ放題なので
避難所作ります。
シャロンさんこっちに来て書き込んでね。 >>226
キリスト教スレなので話しました。👸
振興宗教に比べても
キリスト教だから大丈夫
キリスト教は大丈夫という例は
現在無いのでは無いでしょうか >>227
恋する相手を間違えているのでは?
どんなタイプの人の、どんなところに恋したのよ?
>>228
りんご飴は、恋したことないだろ。
打算ばかりだろ 【こんなに違う二人!】
ミルナ偽天使の結婚相手の条件:年収何千マン以上の大金持ち
可愛いピッピの結婚相手の理想:恋したひとと結ばれるなら、それでしあわせ 実際は、ぴっぴでも
恋した相手と結婚できたとしても
たとえば、黒碁に恋したとする。
毎日、将棋と碁とゲームしかしないけど赦せるのか?
たとえば千葉猫に恋をしたとする。
毎日、近所を野良猫のように彷徨って
やっかいごとを抱えて帰ってきて なんだかんだに巻き込むんだよ
耐えれるか?
たとえばリンゴ君に恋をしたとする。
財布の中に1000円。いつしょに焼き芋屋をできるのか?
恋だけでは人は生きられないぞ >>232
私も年収1000万以上で 優しくて賢くて
ハンサムで背が高くて、世界一の文献が理解出来る人 「若草の髪飾り」
これは「てんとう虫のサンバ」や「白いギター」の後だったと思います
ウエディングドレスに憧れたことが私は一度もありません
この歌詞にあるような飾らない普段着のままの二人きりの結婚に憧れたからです
そこには家族の祝福や神の代理人の祝福も描かれてはいないのです
教会の鐘と二人の間の愛だけが結婚の証です
まあお披露目パーティくらいはあるでしょうけどね
それからたくさん子どもが欲しかったです
養子縁組をして親のいない子どもを引き取って育てたいと思いました >>235
順番では
「若草の髪飾り」が一番古いようです
訂正します
でも私が知ったのは「若草の髪飾り」が一番最後 不思議なもので『キリストの最後の誘惑』って映画で見たイエズスとマグダラのマリアの婚姻の場面が「若草の髪飾り」の歌詞そっくりだったのよね 太田さんの歌は感情移入できていいわ
「最後の一葉」「赤いハイヒール」もいい
👠ハイヒールは私が都会に毒される前にさらって行って欲しいという、聖書的な理想と重なる 太田裕美「最後の一葉」は原案がOヘンリーの短編からです
この手紙着いたらすぐにお見舞いに来てくださいね
もう三日あなたを待って窓際の花も枯れたわ♪
この出だし、
ラザロの病気を知らせたベタニアの知らせと被りました
「あなたの愛する者が病気です」
イエズスは「この病気は死ぬほどのものではない」と仰って行かないのよね
私はイエズスがこの内容を誤読して、マグダラ(ベタニア)のマリアの恋煩いについて書いてあると思って行かなかったんじゃないかと想像したことがあります
だって今は大事な時、私事より公事を優先する時だもの
その後、
「ラザロを起こしに行く」と決意を表明されたんだけど、なぜか直前まで、イエズスは他の町へ行くつもりだったの
なぜ突然、計画を変更してベタニアに行くことにしたのか不思議だと思いませんか
その時ラザロがこと切れたんでしょうか 今日は楽しみにしていた「豊かに生きよう会」の集まりがありましたが
眠くて眠くて知らない間にこっくり寝ていたみたい^^;)
だから良いお話を聞いても断片的で何が語られたのかわかりません^^;) >>230
そうだね。宗教家庭育ちで問題を抱えた子は、キリスト教に限らず、新興宗教、有名な厳格宗教、割とみんな似通った状態になるのがネットで様々な人を見てわかったよ
荒れるか、思考停止で精神を病む、自己肯定感が低く、人間不信、とかw
私は教会って3つくらいしか知らないから他のところについては分からないけど
キリスト教家庭の、ちゃんと自己尊重と愛情を受けた子は、すくすくまっすぐ育ってると思うけど、、
キリスト教の神って、ある種親代わりになるのかなと思う。でも、まだ信仰が育ってないうちは、教会の指導者や信徒に問題があると支配されやすいとも思うし
難しいね 221
アブラハムのように、信仰心が篤く神に忠実で、お金持ちが理想。
理想が高いのよ。大きなお世話。 さて、ピッピは救いようがないことがわかりましたので、今後相手をすることはないでしょう。何か悪態をついたとしても放置。
真理の知識を知ったうえで信仰の友とすべき人を故なく罵倒しているのですから
どうしようもないでしょう。聖書を知らない人のほうがましです。 >>236
その頃のドラマ『雑居時代』でも
主演の石立鉄男と大原麗子がこっそり忍び込んだ教会でふたりきりのままごと結婚式する場面があるの
ベールの代わりに白いハンカチのせてたわ >>247
石立鉄男の役名はジュウイチなんだけど
職場でトイチって呼ばれてる >>221
キリストがなされた有名な「タラントのたとえ話」は「投機」による資金作りのお話ですが。 破廉恥姉妹は今夜も仲良し (笑)
今年は円高だって噂だよ
姉さん、気を付けろ >>251 円高よ。書いたじゃない。101円まで下落します。
3月末ですよ。 ポンドは110円まで下落します。3月末。暇人さん、待っててね。もうすぐよ。 キウイは61円まで下落します。今日詳しく調べました。 >>253
姉さんはテクニカルでしかチャートをみてないね (笑)
イベントに注目しなきゃ
アメリカは本気だよ(ペンス副大統領の演説聞いたか)
ブレグジットはハードランディングになる可能性が高まってるし、ドイツ銀行問題も何時火を噴くか分からない。 暇人さんは私を信じて110円まで待つって言ってる。
お金を運用したいらしいのよ。どのくらい持っておられるのか。
でも資金の10分の一だけ運用するのです。これ鉄則なので守ってね。
そうしないとギャンブルになってしまう。 256
ファンダメンタルを真っ先に見てますよ。ご心配なく。 >>253
>>円高よ。書いたじゃない。101円まで下落します。
十年チャートで見て、ドル円の三角持ち合いは上抜ける(つまり円安)になるって言ってたべや ( この嘘吐き >>207
ワンルームと一軒家です。大蔵省(兄)が私にくれました。
一度はすべて捨てて出家したのに、前より多く持つようになってしまった。 261‐262
センスないものを他に押し付けないでね。 ピッピも偽キリストもお金をマンモンと軽蔑する偽善者。
キリストはお金を大切にしています。
お儲けをたとえに使った教えでは、主人から託された資金を短期間で増やせなかった下男は全てを奪われて、追い出され、外の闇に放り出されました。
不正の富のたとえでは、人助けのためならば私文書偽造という犯罪さえ許されるがごとき説明をしています。 >>263
いいねーw
私も一時(15年ぐらい前)ワンルームマンションに住んでいた時期がありました。
お兄さん妹思いなんですね。。。。
ってかおyから受け継いだ不動産は早々容易く手放すのはおしいよね。
ちなみにいまは大蔵省とは言いませんよ。財務省。
まあそうゆう意味じゃないなら別ですが・・・w >>269
私は若い頃にヌード写真集でお金儲けしたことはありません。
大原のおかげでどれだけ大勢の青少年が誘惑に陥ったかしれません。 お金をマンモンと呼んでいた人が知り合いに一人だけいました。
その人は東大を出て一時は教授職をしていましたが
女子大生との乱れた関係で懲戒免職になり
柿の木坂に住むほどのお金持ちだったのに
ホームレスになった。
しかし、頭が天才的に良かったので、ただのホームレスにはなりませんでした。
悪知恵を巡らせて、パチンコ屋で女をひっかけ、洗脳し、女のひもになる生活を選んだ。
それを日本中で行い多くの妻子を持ちました。
しかし妻子全員から見捨てられ、酒と女におぼれて死にました。
お金は正しく管理すべきものであり、使えるべき神ではありませんよ。
投資においてはトレードよりも資金管理が大切なのです。
だから私は資本の十分の一しか運用しません。 ピッピも偽キリストもお金をマンモンと軽蔑する偽善者。
キリストはお金を大切にしています。
「タラントのたとえ」では、主人から託された資金を短期間で増やせなかった下男は全てを奪われて、追い出され、外の闇に放り出されました。
「不正の富のたとえ」では、人助けのためならば帳簿書き換えという文書偽造の罪さえたたえられるがごとき説明をしています。 ポンドが、144で頭を打って、じわじわ下げ142ですね。
110まで待ってます わくわく >>274
私は金儲けをするなとは言っていない
あなたは、偽善で愛を述べているが、金には忠実だ
その事を言っている ぴっぴさんは、なぜキリストにあっての姉妹である
愛の使いさんとシャロンさんを攻撃されているのだろうか。
コンコンのつきみくんや、寂しい女性と人妻狙いのりんごクンを非難しないのに。 出会いは1963年のドラマでの共演…
石立さんは吉村さんをいっぺんで気に入り、猛アタックし、交際がスタートしました。
まもなく結婚を申し込んだのですが、実現するまで5年を要しました。
結婚後のために2人でお金を出し合って家財道具を少しずつ購入…
それらを石立さんのアパートに置いたのです。
ところがある日、吉村さんが訪れると冷蔵庫をはじめ一切がなくなっていたのです。
石立さんは大のギャンブル好き…
負けてつくった借金を返すために家財道具を売り払ってしまったのです。
怒った吉村さんはアパートを飛び出し、石立さんの前から姿を消しました。
没交渉になって1年…
共通の友人が間に立ち、修復が図られ、交際が再開しました。
1971年に長男、1973年には次男が生まれ、家庭も幸せの絶頂を迎えていました。
その頃、石立さんは仕事面でも充実…
「パパと呼ばないで」、「雑居時代」、「水もれ甲介」、「気まぐれ天使」といった日本テレビのドラマに立て続けに主演し、高視聴率を叩き出しました。
その放映時間から“水曜8時の男”とも呼ばれたのです。
しかし1970年代後半に入ると、家庭に亀裂が見え始めます。
外泊が増え、顔を合わすことも減っていきました。
石立さんが最後に自宅に寄ったのは1978年正月…
これを境に家族との関係は完全に閉ざされました。
石立さんと吉村さんが顔を合わすのは、それから約21年後の1998年11月…
離婚が成立し、弁護士が同席のもとで双方が離婚届に印鑑を押す時だったのです。
ここまで時間がかかったのは、あまりにも一方的で理不尽な別居に吉村さんが納得できなかったからです。
2007年6月、石立さんは急性動脈瘤のため64歳の若さで死去…
吉村が葬儀に姿を現すことはありませんでした。 >>273
ところで中古デスクトップpc買ったかい? 276
お金をマンモンの神と軽蔑する人はみんな貧困を味わっています。
なぜかわかりますか。
1 お金は「マンモン」など、いかなる名称をつけようとも、仕えるべき神ではありません。
2 お金を軽視する人はお金の知識がないのでお金を管理できなくなります。
お金にもルールというものがあるのですよ。ルールを知らなければルールを守ることができません。
ルールを知ってさえ、欲に負けて、ルールを破り、お金を管理できなくなる人が大勢います。
お金が管理できない=お金の奴隷になる。
彼らはいずれ破産して生活保護で暮らすしかなくなります。
よく覚えておきなさい。 ぴっぴさんは、聖書を読み信仰もありますが、破滅型です。
シャロンさんや愛の使いさんに嫉妬されているだけなのではないでしょうか。 暇人さん
ポンドは今日は143まで戻しますが
戻すことによって日足にデッドクロスが示現してしまいますから
以降、トレンドは逆転します。
143
140
141
139
今日でなければ月曜に139まで下落する見込みです。 テレビとか余程の面白いドラマならたまに見るけど
殆ど見ないし芸能人のスキャンダルなんてもうね、汚らわしいの一言。 私のも偽キリストでしたが愛の天使やシャロンさんも偽キリストを崇拝して破門されているの 貧しい人を見ながら自分のために財産を蓄えて
飲んだり食べたりすることを計画していた人は
命を取られました
気取り屋の二人も同じ目にあうでしょう ぴっぴさん、シャロンさんはサタンではありません。
クリスチャンですよ。
ぴっぴさん、嫉妬から開放されて目を覚ましてください。 三か所のスーパーに行ってきました。
渋滞する交差点を通らないで近道を見つけたよ。
でも山道で途中でJRの細い踏切を渡らなくてはならないのよ。
でもホント、そこを通ればスーパーまで誓いの^^ みんな切実な苦難がないんだ。それはいいことだと思う。
でも、本当に苦しい人を排除している。
心あるクリスチャンなら声をあげよう ほんと、嫉妬って醜いわねー
見境がなくなるね
怖いわホント 石立鉄男と大原麗子は早くに死んだ。
石立さんはギャンブル狂い。
大原さんは3億円の豪邸の中で一人死に、死後2週間が経過して、腐敗した遺体で発見された。
聖なる教会を汚した罪でしょう。
変な人たちを紹介しないようにね、ピッピ >>300
こんばんは
ジプスさんの事ですね、
このスレのどこかでロムっているのでは? >>274
>>キリストはお金を大切にしています。
>> 「タラントのたとえ」では、主人から託された資金を短期間で増やせなかった下男は全てを奪われて、追い出され、外の闇に放り出されました。
>>「不正の富のたとえ」では、人助けのためならば帳簿書き換えという文書偽造の罪さえたたえられるがごとき説明をしています。
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こんな基礎的なイエスの例え話を誤読しているようじゃあ落第だな。
何年カトリック信者やってても所詮はこの程度。 馬鹿じゃないか (笑) >>301
こんばんは
今日から明日に掛けて猛烈な寒波に見舞われて居ります。 >>304
教会の入門講座からやり直したら (笑) >>303
ええ、知ってますよ
テレビでしきりに映像を流してる。
それでも住民の皆さんは仕事に行ったり学校に行ったりするのかな?
気を付けてね、おやすみなさい^^)/ ホームドラマ、青春ドラマ、お芝居、小説、漫画、アニメ、映画、ドキュメンタリー
ドロドロからラブラブへの軌跡をこうした喩え話の中から学ぶしかない環境もあるのです
虐待家族、冷淡な環境におかれている人が現実から愛を学ぶことはとても難しいです >>308
今のカトリック教皇フランシスコは、清貧を愛したアッシジのフランシスコから名前を取ったらしいね
昔DVDを見たことがある
もともと裕福な家庭で育ち、戦争へ行き、その後
フランチェスコは大病を得て、そこから快癒して外に出た時、以前のように自然の美しさを楽しめなくなった自分を発見した。友人たちとの放埓な生活にも空しさを覚えるようになり、ときおり洞窟などに籠って祈りや瞑想を行うようになった。
あるとき、それまでは近づくことを恐れていたハンセン氏病患者に思い切って近づき、抱擁して接吻した。すると、それまでの恐れが喜びに変わり、それ以後のフランチェスコは病人への奉仕を行うようになった。
また、ローマに巡礼に出かけて、乞食たちに金銭をばらまき、乞食の一人と衣服を取り換えて、そのまま乞食の群れの中で何日かを過ごしたという伝記もあるが、これは史実かどうか疑わしいとも言われている。
アッシジ郊外のサン・ダミアノの聖堂で祈っていたとき、磔のキリスト像から「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声を聞く。これ以降、彼はサン・ダミアノ教会から始めて、方々の教会を修復していった。
父の不在中、フランチェスコは商品を持ち出して近隣の町で売り払い、その代金をサン・ダミアノの下級司祭に差し出した。
帰宅してそれを知った父親は怒り、家業の商売に背を向けて自分の道を進もうとする息子との間に確執を生むことになる。
最後には、アッシジ司教の前で父子は対決するのだが、フランチェスコは服を脱いで裸となり、「全てをお返しします」として衣服を父に差し出し、フランチェスコにとっての父は「天の父」だけだとして親子の縁を切った。
ご存知かもしれないけど、一応ウィキより。
ピッピさんが恋をするのは、このような人かもしれない。 271
第二のハイデマリーを目指したのです。でも準備万端で臨まなかったので、出戻りしてしまいました。
↓
元教師だったハイデマリー・シュヴァルマーは、14年前から“お金を使わない生活”を実践している。
緊急のためのわずかな資金を残して年金も返上、自分の考えに賛同してくれる仲間や知り合いの家を、転々として暮らしている。
ハイデマリーにとって“豊かさ”とは、必要なものだけを手に入れること。
ある時は食料品店で掃除をする代わりに賞味期限の近い食品を分けてもらい、
またある時は市場で捨てられた野菜や果物を拾って持ち帰る。
ハイデマリーはこうした生活を実践するかたわら、若者たちと物々交換のワークショップを開いて
一緒にお金の価値について考えたり、自身の体験談を語る講演活動を行ったりしている。
国内外のテレビやラジオに出演し、司会者にいじわるな質問を投げかけられることも多い。
ハイデマリーのことを、他人に寄生する“パラサイト”ではないかという人もいる。
しかし、父親の事業で貧しさと豊かさの両方を体験したハイデマリーは、
カネによって価値が左右されるこの大量消費時代に、違う生き方があることを示したいと話す。
https://www.epochtimes.jp/jp/2015/07/html/d54848.html
今は第二の横溝千鶴子さん目指してるの。 ハイデマリー・シュヴェルマーは、私とほぼ同年齢のドイツ人女性です。
彼女の実験とは「お金なしの生活の実験」です。
彼女は1996年に、ほとんどすべての所有物を手放し、アパートを引き払い、健康保険さえも解約し、仕事も辞めて、「お金なしの生活の実験」を開始したのです。
そしてそれから4年間、公衆トイレさえお金をとるドイツ社会で、お金をまったく使わないで生活し、その後も、お金をほとんど使わないで暮らしているのだそうです。
「経済学の船出」での紹介を読む限り、その考えは私と同じです。
もしそれが本当であれば、私が理想として実現できていない暮らし方をすでにやっている人がいるわけです。
理屈だけの私と違って、素晴らしい。
そこで、彼女の生活報告「食費はただ、家賃も0円!お金なしで生きるなんてホントは簡単」(角川書店)を早速取り寄せて読んでみました。
基本的にはとても共感できましたが、同時に私の考えとは違うこともわかりました。
というよりも、私よりは金銭に依存しているように思いました。
しかし「お金への執着」から解放されると実に生きやすく楽しくなるということにおいては、彼女の実践には魅力があります。
以前読んだ、韓国の法頂師の「無所有」にも通じてるところもあります。
コモンズを生きているハイデマリーの「強かさ」には共感しながらもどこかに違和感を持ちました。
少なくともそれは私には大きく欠落しているところです。
私は「金の切れ目が縁の始まり」という考えを大事にしています。
お金を基準にして生きている限り、心をつなぐ縁も、心からの歓びも得られないと思っているからです。
お金がない生き方を目指している方に、とりあえずお薦めの1冊です。 彼女の人生に大きな変化が訪れる。
1989年、2人の子どもを連れてドルトムント市に引っ越したときのこと、彼女は多くのホームレスの姿を目の当たりにし、衝撃を受けた。彼らのために何かできないかと思案した末に、1994年「譲り合いセンター(Give and take central)」を設立する。
これは、お金を使わずに価値を交換する施設である。たとえば、古着を台所用品と交換できたり、車に関するサービスを提供する見返りに、配管サービスを受けられたりなど、価値と価値を交換することができるのだ。
この施設は、数多くの失業者の助けとなり、彼女のアイディアを真似した施設が、ドイツに多数誕生した。
お金にはならなくても、知恵や技術を持ち合わせた人が集まることにより、お互いを助け合うコミュニティが形成されたのだ。
この成果から、彼女は暮らしていくのに、「お金」は本当に必要なのだろうか? と疑問を抱くこととなった。自分が欲しいもののために、相手に貢献することこそ、本当の仕事だと理解したのだ。
そして、お金のためだけに働くことが、精神的・肉体的に苦痛を伴うとはっきりわかり、施設設立から2年後に仕事を辞めることなる。さらに、子どもが大きくなり家を出て行くと、不要なものはすべて廃棄、アパートさえも引き払ったのだ。
お金を手放し、仕事を手放し、家さえも手放した彼女。しかし暮らしていくのにはまったく困ることのない、自由な生き方を手に入れたのである。当初は1年間だけの実験であったはずが、すでに15年間も続けている。 彼女が暮らしていけるのは、「譲り合いセンター」があるおかげだった。ここに物々交換所であるだけでなく、宿泊施設も備えていた。さまざまな雑用をこなせば、寝泊りすることができる。また、彼女を迎えてくれる家庭も少なくない。
というのも、施設を作ったおかげで失業者たちは自らの技能を活用できるようになり、また出版したおかげで、豊かな生活を送れる人が増えたのだ。彼女に感謝している人の数は計り知れない。
そして何より、彼女自身働き者だった。家事はもちろんのこと、雑用でも何でもしっかりとこなしてくれる。一晩泊めるだけで家中のことがはかどるのは、主婦にとって有難いことであった。
自分が働けば働くほど、喜ぶ人が増え、欲しいものが手に入る。そうして彼女は、お金を稼ぐことでは味わえなかった豊かさを得たのだ。
そんな彼女は普段、スーツケース1個で生活している。必要なものはそれだけ。緊急時のために200ポンド(約2万2000円)を蓄えている以外は、すべてのお金を寄付している。著書やドキュメンタリー映画の売り上げもすべて寄付しているそうだ。 私は一年実験してみたけど、お金なくても、生活できました(笑 記事読みましたが、誰もやったことがないようなことに挑戦する姿勢、譲り合いセンターを設立したという行動力はすごいなと思います。
日々の生活を得るために、周囲の人に積極的に関わり、スキルを提供し、結果として衣食住を満たす。とても人との繋がりの深い生き方ですね。
今ならば、例えば在宅ワークで稼ぎ、ネットスーパーで買い物し、と全く人と顔を合わせないでも1日の生活が事足りますからね。孤独死しても誰も気づかなかったり。
それはそれで一つの人生ですが、人とのあたたかい繋がりによって人生を豊かにする、お互いに喜びを分かち合う。お金を持たないことがそれを後押ししているようにも感じました。
一日中パソコンに向き合うような仕事よりも、接客業の方が仕事の満足度が高いと聞きますが、それはやはり自分が行なった仕事に対して、相手の喜ぶ顔を間近で見られるからでしょうね。
保育士さんなんかは、給与が安くても、子供の笑顔を見て頑張れるから続けられるのかなと思います。 >>315
一年も可能だったんですね。
日本だと、譲り合いセンターのようなものはないわけですが、どのように生活を成り立たせていたのですか? これ
「1つだけ問題があるとすれば、それは健康保険を支払っていないため、病院に行けないことだ。病気やけがの心配があるのだが、彼女は自然治癒力で、治すと豪語している。
夢のような暮らしぶりなのだが、慣れるまでは随分苦労したに違いない。いずれにしても、いろいろな欲求をコントロールできない限り、彼女のように生きて行くのは難しいのではないだろうか。」
参照元:ODDITY CENTRAL, LIVING without MONEY(英文)
自然治癒力で直すというのも共感したの。
ヨーガと自然食で鍛えて、薬を一切飲まない生活してきたので私には可能でした >>318
私の場合は教会で過ごしました。理論的にはいつでも再開できますが
今はしなければならないことがあってできなくなってしまったけど。 左翼も政治運動に敗北し考えたのは
資本主義から開放されるには、物々交換がええな
ということだったよ
物々交換だと税金も発生しないし、搾取もない。
貧富の差も生まれにくい。 >>321
そうなのですか。寝泊まりさせてくれる教会ってあるんですね。
日本の教会は、旅人が来ても泊まらせてくれないイメージがありました。
一年でも貴重な経験だと思いますし、食事や生活について、また充実感はどうだったのか興味があります。
今は、資金を増やして多額寄付した女性へと目標が移ったんですね。 実家の一つが無人状態になってしまい、管理してくれと頼まれたので、戻らざるを得なくなりました。人が住まないと家って駄目になるとか >>315
へえ、実験、神を試す生活だったんだな。 324
教会を転々としている人も一人来ましたよ。笑
彼は思いリュックを背負って重いバッグを両手に持って、
日本中の教会を泊まり歩いているみたいでした。
若いのでできるのでしょうけれど
大変だなーと思いました。 友達とふたり学生の頃、四国一周旅をした時、お金が尽きたら
寺に泊めてもらおうと考えていたが
ご当地ごとのパチンコ屋で稼げたのでホテルに泊まれたわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています