>>現実世界(現象)は透明な実相ではなく「すでに」構成されたものとして立ち現れるもの


非常に単純なことです

ヒトの知覚はその他の生物の知覚とは異なります
例えば昆虫類はヒトに見えない電磁波の紫方向(短波方向)は見えますが
逆にヒトに見える赤方向(長波方向)は見えません
我々が目にしている現実はヒトという種に固有の見え方になるわけです
あるいはコウモリのように超音波を聞くこともできませんし
犬のように微細な臭いを嗅ぎ取ることもできません
すでに種によって、種に固有の形で知覚は限定(構成)されているということです

またヒトに限らず生物の目は原子核レベルの実相を捉えることはできません
石は中身の充実した物体に見えますが
もし原子核レベルで見えたなら、原子核はボール程度、原子は東京ドームほどもあるわけですから
まったくもってスカスカの存在なのに、我々にはどうやってもそう映りません
そんな超高精細の解像度をもった目は莫大な生理的コストがかかるのに
生きるためになんの役にも立たないばかりか必要な資源を見分ける際のノイズにしかならないからです
現実はそれぞれの生物にとって必要な限りでの解像度で知覚が構成されるわけです

文化的にもそれぞれの言語文化に固有の現実の分節があります
日本人には虹は7色に見えますが、アフリカのある部族では2色にしか見えません
そもそも連続した光のスペクトルが複数の色に見えること自体、知覚はすでに構造化されたものに
なっているわけです
客観的に見える自然ですらそうなのですから、文化への依存度が高い社会的人間的現象の
透明な実相など、見えるわけもないということです

科学はこういった素朴な形で我々に映ずる現実のからくりを解き、文化によらない、場合によっては
種によらない普遍性を解き明かす知的実践ですが、その科学ですら帰納論理に従っているため
永遠に真理に至ることはありません
あるいはもっと単純に、宇宙は我々の宇宙ひとつだけという保証はどこにもないのですから
我々の宇宙で成立する物理法則や物理定数が絶対である保証もどこにもありません
前に科学に関して「普遍性の断片」と言ったのはこういうことです