たとえば、本音を言えば、
キ教イ教等一神教系の考え方・世界観を肯定することは永遠に無い
(謝った世界観(・・・顛倒妄想)だと見做している)わけだが、
相対しているとき、或いは、共に祈りを捧げねばならないとき等もあるし、
「アプローチの相違であって、【(個々の)心の安心】に関しては、等価だ」と思う。
ただ、その「アプローチの相違」、「安心」するための方途(方便、手法)には、
明確な相違があるという点は押さえるべきだと思うし、そこを無視したら、
道を踏み外す(反社会的新興宗教系・スピ系と混濁する)危険性を増やすことになるわけで・・。
実際、オウム関連はまさにソコだし。


で、やっぱり、思い起こされるのは片山さんの台詞で
「仏典を読んでください」
に尽きてしまうわけでね・・・。  ノシ