>>781
>ていうか、意味合い的にはそれは全然、異なるものだと思いますよ!

価値判断が停止する、という例を示したかったわけです。
わかりやすく。
価値判断が停止するという点については、全く同じ原理なんです。
他と比べることが起こらない。

坂道としては同じですよ。 まったく。
地球でも、その惑星でも、全く同じ坂道を登っていると仮定します。

地球の場合は、「この坂道キツイな」「ここに坂道が無ければ良かったのにな」、と、
価値判断が起こって「両極」が生起します。
その惑星ではもちろん、両極が生起しませんから、「上り坂」についての一切の価値判断が起こりません。
これが両極に対する中道と同じなんです。

つまり、「上り坂」というものは全く同じで消えていないが、「上り坂」に対する「両極」の
価値判断が消えるんです。
(比較して)キツイとか、楽だとか。

この両極が消えることが「空」ということで、その両極が消える道のことを、
「中道」というんです。
中道 = 「両極に捉われない道」 という風に訳すことが出来ます。

このときの両極は相依しているんですよね。
「下り」があるということは、「上り」が意識されているんです。
「(坂などの)起伏のある道」、ということがあれば、「平坦な道」、というものがあるわけです。
「起伏のある道」、ということがなければ、「平坦な道」、というものがありません。
そのような価値判断は起きない。
惑星の例では、ちょうどこのような相依性による生起が、意図的に
起きないようにしたわけです。
中道の状況を意図的に作り上げたということ。

また、「起伏のある道」と「平坦な道」という価値判断の両極は、相依しているから
単独では存在出来ないんだ、(実体がないんだ)、という状態が
「縁起」というんです。

惑星の例では、「起伏のある道」、という価値判断の一辺は、
単独で存在出来ません。
単独で存在出来ないので、「上り坂」という価値判断の概念が
消滅するわけです。