>>763
私が学ぶようにいってるギーターの教えの部分とは、こういうことですよ。
文章が長くなるので下記リンクに譲りますが、これが以前にした投稿の詳細です(必読必見!!)。
尚、ここでいう「(行為の)遠離の道」及び「哲学サーンキャ」とは、
「一元論アドヴァイタ哲学」や「ジニャーナ・マールガ(知恵の道)」のことです。

 『(行為の)遠離と行為の実修とは、ともに至福(解脱)をもたらす。しかし両者のうちでは、行為の実
修が行為の遠離よりすぐれている。哲学サーンキャが得る境地は、実修者ヨーギンによっても達せられる。
哲学と実修とを(同じ結果を生ずる点で)同一であると見る人は、真に見る者である。しかし、力の強い
者よ、行為の遠離は行為の実修なくしては容易には達せられない。』
(『バラモン経典/原始仏典』ギーター第五章より/中央公論社刊)
 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1466328423/751-756

まっ、仏教徒がギーターを学んだリ、奨めることもないだろうとは思いますが、
しかし、これをしっかりと理解するならば、勝義一辺倒のアホ(私たちは今のこのままですでに悟りの状態にある。
ただそのことに気付いていないだけだといい、だから、特に何も修行すらも要らないとまで言い出す始末)になることはない。
それから、この私が『中論』を認めないのは、ブッダの説かれた有難い二元論の教えを自分勝手に一元論へと組換えようとしているからです。
仏典があれば、『中論』は要らない(私個人の趣向ですが...)。