>涅槃は無我(空)なわけ。
>すべてが空(無我)になるから涅槃になるのよ。

最初から、今このままで「空」ですよ。
「空」とは、現象界の事象のすべてに実体的な本質はないということを意味しています。
だから無常であり、無常だから苦を生じるのであり、輪廻しているのです。
涅槃はその状態から解脱することです。
従って、解脱した先がまた「空」の筈がありません。それでは解脱してないじゃないですか。
いわば無我の状態(自己の本質を見失っている状態)から解脱するのです。
だから、その解脱した先の涅槃が無我のわけがない。

>はぁ?  無常が業報輪廻??
>無常は「今」を現してるんだよ。
>前後裁断なわけ。
>無常は 「あらゆるものは(実体として)続かない」 ってことなの。

恒常ではなく、流転変滅を続けるということが「無常」です。
人間においては、これは輪廻転生となる。

>だからね、空=無我=無常=中道=縁起 なのよ。
>=苦 って何だよ?w
>空=苦 って、「苦」は「空」を表わすのか・・?
>苦しみもがいてる人は「空」を表わしてるのか?

「中道」は意味が違うから。「空=無我=無常=縁起」これだったならば図式としてはまったく問題ない。
「空」だから「無常」なのであり、無常だから「無自性」なのであり、それは実体的本質の無い状態が「空」だということになるのです。
従って、実体的な本質(価値)のないものを求めているから苦悩が生じているであり、その「空」の状態にあるところにおいて「苦」はあるのです。
だから、「無自性/空/無我」なのです。これが「苦」の生ずる世界です。

>無為法が「在る」って言ってるのは本物の仏教じゃないから。

確かに、「有為法/無為法」というそれ自体はアビダンマ哲学ですからね。
そのアビダンマ教学の間違いを指摘するために、敢えてこれを採り上げつつ説明してるのです。

ところで、あなたはそもそも自分で経典(原始経典)を読んでますか?