>>252
>事の始まりは、この私から仏教界に対して、それまでの無我についての常識を疑うという意味でのアンチテーゼを示したこと。
>及び、邪見(断滅論/唯物論及び三世業論の否定)の蔓延る様に対する危惧に端を発しているのです。

断滅論について詳しく説かれている梵網経では、(主に瞑想によって)アートマンがあると思い込み、
身体の破壊によってそのアートマンは断滅し消滅することを断滅論としているのであって、アートマンの有無には言及していないことに注意は必要です。
加えて言えば色界、無色界の瞑想で捉えたアートマンについてはおそらく否定しています。

梵網経
https://buddha.pink/buddhism/49/

つまり梵網経は我があるという根拠にはなりません。

相応部でブッダがカッチャーヤナに説いたように我があるとかないとかへの断定は極端であるというのがやはりブッタの思想なのではないかと思います。
多分、我のあるなしへの執着は煩悩となって再生の素因となるのですよ。
だから諸々のブッタは「我(アートマン)が有る」と仮説し、「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた(中論18-6)のではないかと
まあ来世を望むならば我のあるなしを大いに議論すべきとも思いますがw