宗教とは何か?
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信仰は自由 でも創価や顕正会みたいに 無理やり押しつけてくる宗教はカルト 国はカルト創価を取り締まるべき 平成も、あと少しで終わりか。。。 次の元号の時代には、ペット免許制導入とペット税導入と 非常識なペットユーザーには厳重な罰則がありますように。 創価学会の「仏敵撲滅唱題会」 創価学会は、彼らにとって都合の悪い人間を「仏敵」と呼び、様々な嫌がらせを行って きた。元顧問弁護士で批判者に転じた山崎正友氏、創価学会を破門した日蓮正宗前法主 の阿部日顕氏、元公明党委員長の竹入義勝氏、矢野絢也氏などが「仏敵」とされてきた。 創価学会は「仏敵」に対して、聖教新聞などで悪口雑言の限りを尽くしてきたが、それ だけでなく、学会員を動員して呪いの儀式のようなことまでやっていた。それが「仏敵 撲滅唱題会」である(「唱題」とは南無妙法蓮華経という、題目を唱えることである)。 「仏敵撲滅唱題会」の実態は、創価学会の会館等に多数の学会員を集め、仏敵の名を記 した「撲滅祈念表」を仏壇に貼り、「憎しみをこめて」題目を唱えるというものである。 「仏敵撲滅唱題会」は何回も行われた。多くの学会員が呪いの儀式に熱狂してきたのだ。 ※ 創価学会とは人を救う宗教では断じてない、人を憎悪し呪詛するカルト邪教である。 ◇◆◇ 創価学会の「三大悲法」 ◇◆◇ 日蓮遺文の一つに『三大秘法抄』というものがあり、創価学会では教義上、重視されている。 一方、学会の末端信者の間では、この遺文に倣って「三大悲法」と呼ばれる慣行が存在する。 1、財務・・・毎年恒例の金集め、高額を出すほど福運(現世利益のこと)がつくとされる。 冬のボーナスの頃に実施され、ボーナス全額を出す者、借金してでも納金する者も多い。 2、新聞啓蒙・・・創価学会の機関紙『聖教新聞』の新規契約者を開拓すること。新聞販売 店のみならず一般会員も貢献が求められる。ノルマを達成できず、自分で複数購読する 末端学会員も多い。いわゆる自爆営業だが、創価学会では「マイ聖教」と呼ばれている。 3、F取り・・・公明党の選挙運動。「F」とはフレンドの略、創価学会員以外で公明党に 投票してくれる協力者をいう。一度でもF取りに協力すると、データベースに登録され、 それ以降も協力を求められたり、信者勧誘のターゲットになったりする破目になる。 ※ 創価学会は「入信すると幸せになれる」というが、末端は「三大悲法」で疲弊している。 宗教とは 野心に満ち他人を自分の思い通りに操ろうとするきわめて邪まな人間たちの考えだした虚構 そのための偽りと欺き 神だとか 悟りだとか 天国だとか 救済だとか 苦しみや悩みや不安に満ちた人の心につけこんで”餌”として”灯火”としてチラつかせて民衆をおびき寄せる まるで照明でイカをおびき寄せるイカ釣り漁船のように 明りに集まる虫の習性を利用した誘蛾灯のように そしてやつら宗教家は神の絶対的な権威、権限を独占的にふるい社会の一番上の階級に居座ろうとする や つ ら の目 的 は こ れ どの宗教であろうとどの地域、どの時代であろうと関係なくこれは全ての宗教に共通する 下から目線の宗教家がいただろうか いやいない 一人としていない 本当に救済が使命なら絶対服従を強要する上下関係なんてたいして大事じゃないしそんなものは必要ない にも関わらずどこの宗教も必ず階級が存在し上に服従させようとする ゆえに、やつらの嘘はもうこれだけで明らかなのです 「いかに我々は中途半端な抹香臭い宗教観念と、女々しい宗教感に毒されておったかということですね。・・・宗教程嫌らしいものはないよ。 人間を軟弱にして、女々しくして、根性のない人間ばかり出てくるからね。そんなことで世の中はやっていけるか、というんだな。…中途半端な宗教や、抹香臭い奴はみんな負けているよ。 いかに宗教というのは人間をこずるくして、ちっこくして、魅力のない人間にするかと言うことです。絶対にセミナーで言っちゃあいかんよ(笑い)・・・ 宗教的な神社なんてなければ、宗教法人でもなんでもなければ、ほんとうのことはいつでも話ができる。もっと好きなことが出来るよね。宗教的な像に僕を当てはめ様としやがってね。本当に腹が立つのは会員だ。 ・・当然の事ながら、神様は分ってくれるだろうとか、神様は知っていてくれる、みんな嘘です・・仏様や、守護霊さんや、神社の神様、天界の神様というのは分ってなんかくれないです・・ ス神は知っていますよ。知ってくれても何も動きません。・・宗教というのは、人間を本当に馬鹿にする。神さんなんかほっとけ。・・」 宗教とは神仏と言う概念を媒介にして語られる哲学で、 人間社会を平穏に維持することを目的とする。 別に人に迷惑かけないなら、何を信じてもいい、思想信条の自由があるんだから ただ怖いのは、頭を概念(信念)に乗っ取られて、ゾンビ化することww ゾンビといっても、ハムナプトラ1って映画に出てくるゾンビね あれに悪霊に頭を乗っ取られて「イムホッテップ(悪霊の名前」を連呼しながら 行進するゾンビの大群が出てくるんだけど、あれに似てる 洗脳って言葉があるけれど、誰かの頭を強制的に連行して無理やり思想教育かなんかで 書き換えるわけじゃなくて、どっちかっていうと感染だわねww Tウィルスの感染みたいなもんか、危険な思想が人々ウィルスのように広がって 汚染されていく、そんなイメージ 日本弁護士連合会のサイトの中に 「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html という日弁連が出したPDFファイルがある (1999年3月26日) 内容は、法律家の立場から、今なお問題が多い霊感商法に対して一つの意見を提言するというもの なかなか興味深い資料ですな >>18 まさかワールドメイトさんは その中には載ってないよな 豚コレラの風評被害防止をアピール 神奈川県に東三河産の豚肉使った限定レストラン- 名古屋テレビ【メ〜テレ】 https://www.nagoyatv.com/news/?id=198067 https://www.nagoyatv.com/themes/nagoyatv_pc/news/image/toukai/Apd2837128414035590804.jpg 豚コレラによる風評被害を防ごうと、愛知県豊橋市の精肉店などが、東三河産の豚肉などを使った期間限定のレストランを神奈川県にオープンさせました。 このレストランは、東三河地方の精肉店や農業、畜産業の関係者らによって神奈川県川崎市に4日間限定でオープンしました。 レストランでは、2月末に豚コレラ発生による移動制限が解除された時期に出荷された豚肉を使って、煮込み料理などが振舞われています。 レストランは6日、土曜日まで営業しています。売り上げの一部は義援金として愛知県に寄付されるということです http://wmdata.main.jp/jittai.html ↑ ざっと見てみましたが ワールドメイトさんにかなり都合の悪い記事ばかりですね なぜワールドメイトさんは このサイトの主催者に 「こんなの事実無根です!」 と 記事の削除を要請しないのでしょうか? 早く警告文でも送って削除させた方がよくありませんか? たぶん自己暗示レベルなんだろう。 暗示が外れると破綻するのかな 。 . ,,....─゙゙゙゙゙゙ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙゙゙゙̄\ / ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::"';, / ::::::::::::::::::;/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヾ\;:::::::; / :::::::::::::,;;イ'" \ ) / ::::::::::::::/ ";. | ::::::Лi/ / / / '; \ │ ::::::::| || / │ / │ イ │ '; '; | / |. ||/ | | || / '| | | | \| '| | | ,,..--─廾-/ |-┼-- | | ┌┴/,=| | | | / |/ ∨\ | | \‖ '; :, |, ┏━┳r ┏┳r | |/ '; ‖ | ';, |/┃ ┃ ┃┃ | | \\..,, \\ | "━''". ┗┛ / / ":;/| | \ | ’ / | / <まぁ、茶でも :, | ∧ | ト;,, − ,∧/|/ \;.| ;:┴ゝ,,"''-....,,,,..-'Tフ ∬ / \ "T''''┬┴ゝ ┌───┐ /\ `\|, |.,/ \ /,)^| ( ̄) / ";, ├ ┤ ", | | 湯 ( ̄) . ____ .ni 7 /ノ ヽ\ 壁に向かってしゃべってろゴミ l^l | | l ,/) / /゚ヽ /゚ヾ\ .n ', U ! レ' / / ⌒ ⌒ \ l^l.| | /) / 〈 | (____人__) | | U レ'//) ヽ\ |lr┬-l| / ノ / /´ ̄ ̄ノ ゙=ニ二" \rニ | ( ´・ω・) つ つ\ ,:‐。、_ し―-J \ __/ :r'" ̄` .,:‐。、_ \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ ∈ミ;;;ノ,ノ彡 \ __/ :r'" ̄` ~"""'''''"""~~ "''''"""~~ "''''"""~~"" ∈ミ;;;ノ,ノ彡 バシャバシャ バシャバシャ """~ 神は妄想 宗教は欺瞞 ← ここ 信じるアホは巣喰われる ∧ ∧ ( ´・ω・) 朝ご飯ですよ ( ∪ ∪ ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 と__)__) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) 梅干 高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け 焼たらこ ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) 鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ イクラ 柴漬 塩辛 牛肉しぐれ ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) 鮭 鶏ごぼう 野沢菜 天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 塩のみ __ ジャー ____ /⌒ヽ |;;lヽ::/ ∧_∧ /__ o、 |、 ( ^ω^)∫. .|;;|:: :|~ ( ´・ω・)ノ .ii | ・ \ノ ( つc□ i===i=i c□c□c□ 旦旦旦旦( o 旦| ・ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | コーヒーの方はこちらへ | | お茶の方はこちらへ .| 師、曰く!それそれ! それが 分別じゃ! 僧侶が強制わいせつで逮捕 京都 産經新聞 2019.6.20 11:04 https://www.sankei.com/affairs/news/190620/afr1906200004-n1.html 女性にわいせつな行為をしたとして、京都府警東山署は20日、強制わいせつの疑いで、 京都市左京区大原来迎院町の僧侶、斉藤孝道容疑者(33)を現行犯逮捕した。 斉藤容疑者は酔っていたが、一部容疑を否認しているという。 逮捕容疑は、20日午前0時35分ごろ、京都市東山区の路上で、 徒歩で帰宅途中だった飲食店店員の女性(42)の両胸を後ろからつかみ、前に回って胸元に手を入れて触ろうとしたとしている。 女性の悲鳴を聞いた通行人が110番した。女性にけがはなかった。 ............... ..ヽ . ;: . / .⌒ _,,..__ ヽ ) ;. :ノ......... ......... :::::::::::::::::::::::::::ゞ (. 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他人の言葉を真に受けて仰ぎ見ることをいう。 でも、言葉だけで信じてはダメだよね。 言葉はウソもつくから。(`・ω・´) 遠い昔の、最初の最初の神秘体験者は、宗教書など読んでない。 宗教書が存在しない時代だったからね。 それでも神秘体験ができた。 真理は昔も今も、宗教書がなくても存在し続ける。 宗教書に拘るから、むしろ逆に真理に出会えないのだ。 アーユーアンダースタンド ? 宗教書に無関係でいれば神秘体験ができるのに・・・ 宗教書に拘ると、それだけで神秘体験ができなくなる。 だとすれば、宗教が神秘体験の邪魔していることになる。 生きていることが苦しいから宗教に逃げてしまう。 だから神秘体験ができない。 その死にたくなるような苦しさの中でさらに心が砕かれた時に、 甘露(神秘体験)の法門が開かれる。 本当に死ぬことを恐れなければ甘露が天から落ちて来る。 神と出会うことができる。(^-^) 神が求めるいけにえは打ち砕かれた霊。 打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。 by 詩編51:19 あなたのことを、耳にしてはおりました。 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。 by ヨブ記42:5−6 旧約の中の傑作・ヨブ記 信仰深い日々を送っていた敬虔なヨブにある日突然、 さまざまな不幸が襲いかかり、子供も財産も失い、皮膚病にも犯される。 妻はそんなヨブに、神を呪って死んだらどうかとまで言う。 そんな絶望的なヨブの所に、三人の友人たちが訪れた。 そこから延々と、ヨブと友人たちのわかりにくい押し問答が続く。 いったい何がヨブ記のテーマなのか。御利益信仰、現世利益、 信仰義認、行為義認、他力信仰の否定ではなかろうか。 神に出会えたら、すべての謎が解けるだろう。 そしてヨブは、不幸のどん底で「真実の神」に出会った。 神に出会えれば即座に、どんな不幸も一瞬で癒されてしまう。 自分の欲が少しでも残っていたら神に出会えない。 自分という思いが完全に砕けないとダメ。 どうやったら完全に砕ける? 自己愛があるから、不幸や苦しみを嫌がり逃げようとする。 自己愛があるから、相手を憎み、死にたくもなる。 自己愛がなければ、どんな災難でも受け入れることができる。 残された命を、周囲のために使えばよいではないか。 相手を許すことも愛だし、小さな生き物を慈しむことでもいい。 自分ではなく、毅然として周囲を見渡そう。 ヨブ記の文章構造 ヨブと友人たちとの冗舌な議論と、神の冗舌な自画自賛が、 ヨブ記の大半を占める。その意味は、言葉では「善悪」や「神」を 直接表現できない、これを読者に実感させようとしている。 作者の言わんとすることは、 ヨブのような試練に遭うかもしれないが、 「神が存在し、その神に会うことができる」という点にある。 ヨブ記には、もう一つ大事なメッセージがある。 それは神と悪魔の関係である。 @ 悪魔は霊的な存在である。 A それは巨大な龍であり、レビヤタンとも呼ばれる。 B 神が悪魔を作った。 C 神が悪魔の主人であり、悪魔は神に仕える僕である。 D 悪魔の役割は、神の御そばに、 ⇒⇒真実の愛・アガペーを知らない生き物を近づけないことにある。 ヨブ記の悪魔 = エデンの園のケルビム(創世記3章) こうやって整理してみれば、ヨブ記の悪魔は、 エデンの園で命の木に至る道を守っているケルビムと 同じ役割を果たしているわけだ。ケルビムは天使だから、 悪魔とは神に従う天使ということになる。 アダムとエバは、蛇にそそのかされ、善悪の知識の木からその実を 取って食べてしまう。そのため、人間は死ぬべき運命に置かれてしまう。 これがパウロが言っている「原罪」だが、エデンの話を読めば、 命の実を食べれば永遠に生きる者になれるという。 パウロは命の実を食べることができなかったからか、 命の実については完全に沈黙している。(^-^) 誕生日の朝、きれいにラッピングされたプレゼントの箱を胸に抱えて、その包み紙をほどく。 ドキドキしながら箱を開けるんだ。 でもその時、中に何も入ってなかったとしたら、一体どんな顔をすれば良い? 主なる神は言われた。 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。 今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、 永遠に生きる者となるおそれがある。」 創3:22 神は永遠に生きる霊的な存在であるが、 神には死がないから、 神の正体は「命そのもの」ということになるだろう。 神そのものは「命の木」で表わされ、 人間が神と出会うときは「命の実」として表わされる。 神を「命そのもの」にすれば、 旧約の、出エジプト記20章にある十戒をクリアできるのか。 あれれ、きれいにクリアしてるね。(^^ 1〜4が神と人間の関係になるが、4の安息日はエジプトでの、 休日の無い過酷な日々に対するアンチテーゼかも。 1、あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 → 命が一番大事だからね。 2、あなたは、いかなる像も造ってはならない。 → 命そのものには形がないのだ。 3、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 → 神は、主の名を唱えなくてもあなたのことをよく知っている。 → 主の名を唱え、神を自分の道具にしてはいけない。 神と蛇の子孫と女の子孫 〜 創3:14-15 エデンの園 主なる神は、蛇に向かって言われた・・・ お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。 彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。 神が、人間と蛇(悪魔・ケルビム・龍)との間に「敵意」を置いた。 従って、人間と蛇(悪魔)との戦いは天命なのである。 その戦いの行く末やいかに ・・・ ? 蛇(悪魔)の得意技は、かかとを砕く=相手をだますことである。 ーー 悪魔は人間の自己愛を利用してだまそうとする。 女の子孫は、蛇の悪知恵を見抜いたことで⇒蛇の頭を砕く。 さてインドの聖者、釈尊は「命の実」を食べたのか? もちろん食べている。(^-^) 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。 by悪魔との対話第Y篇第一章第一節一三 ここに出てくる「甘露」が「命の実」である。 釈尊は自分の体験から、何であれ自分の信仰を捨てることが、 神に出会うために欠かせないと主張している。 ユダヤ教徒はユダヤ教を捨て、キリスト教徒はキリスト教を捨て、 イスラム教徒はイスラム教を捨て、 ヒンドゥー教徒はヒンドゥー教を捨て、仏教徒は仏教を捨てないと、 神に出会えない。「命の実」を食べることはできない。 釈尊はバラモン教徒ではなかった! 信仰を捨てたのだから。 釈尊は「仏教」も説かなかった! 信仰を否定する人が、信仰を説くわけがない。 えっ、それじゃあ何を説いたのだろうか? 自分が体験した事実だけを説いた。 苦集滅道のみ > 八正道は後のつけたし(その内容は信仰) 自灯明のみ > 法灯明はつけたし(法も信仰なり) 自分の頭でよく考え、それを導きにしなさい、とだけ教えている。 スッタニパータには、釈尊の言葉が残っていると言われている。 その第一章蛇の章、第八節慈しみに、次のようにある。 149 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、 そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、 無量の(慈しみの)こころを起すべし。 151 立ちつつも、歩みつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、 この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。 この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。 釈尊は、アリも踏まないように気を配って歩いていたという。 これが仏教世界における「慈悲」だが、 キリスト教世界で言われているアガペー(無償の愛)に似ている。 しかし、釈尊は生きとし生けるものすべてを対象にしているわけで、 その点、人間だけを対象にしたキリスト教より徹底している。 こういったことから考えても、 釈尊が神=命そのものと出会ったことは疑問の余地がない。 釈尊はある時、神=命そのものと出会ったのである。 神に出会うことができれば、あっと言う間に「悟る」ことができる。 「悟る」とは、自分が何であるかを知ることだ。 その方法としては、坐禅(ラージャヨーガ)がいいだろう。 わたしは数息観をやったが、シンプルでいい。 神に出会えたら、安心して神にすべてをゆだねることができる。 何の不安もない状態で呼吸を数えることができた。 そのまま坐禅を続ければ、想受滅に入って霊魂体験をする。 霊魂体験ができれば、それが「悟り」である。 自分という存在の究極は霊魂である。 霊魂は丸い透明な球であり、そこに自分の意識がある。 それは、すぐに壊れてしまいそうなシャボン玉のようでもあり、 絶対に壊れそうにない水晶玉のようでもあった。 いきなり坐禅を始めるの相当危険だ! 〜 天台小止観や、ヨーガスートラを参考にしてスタート @ 神(イーシュヴァラ)に出会ってから坐禅を始めるのがベスト A 神を欠けば、心が集中できずに、坐禅が単なるヒマ潰しになる B たまたま「想受滅」に入っても、そのまま死んでしまう C 空海の、室戸岬の神秘体験は、求聞持法による裏口入学だよね それは非常に危険であり、そのうえ神との出会いを不可能にする 小悟と大悟とは区別できる これは禅における境地の話である。 それは心の問題だから、その人自身にしかわからはずなのに、 禅を指導した坊主が悟ったか否かを主観的に判断する。 客観的な基準がないのかと言えば、そんなことはない。 非想非非想処まで行けば → 小悟 想受滅から霊魂体験ができれば → 大悟 本人は自分がどの境地なのかをよく知っている。 だから、周囲から何を言われようがちっとも気にしない。 >>63 釈迦は神となど出合っていません、自分が仏だと悟ったのです。 あたかも神が対象であるというキリスト教の教えみたいやね がんばって進化しよう 66.心理学をやっているバカである。大爆笑である。 67.仏とは何か、の問題となる。 その内容の問題となる。 >>69 確かに、、、 神や仏の定義が人それぞれ違うのには問題があります。 神とは宇宙や真理、愛、慈悲、大いなる心などと同意語です 宗教という言葉も観念で捉えていて、それを真理と錯覚しています、 宗教の仏や神という言葉は人に伝えるための人工的な教義に用いられる手段、それを真理と勘違いしています。神が神がとあたかも神が自分と別の存在かのような教えは人の心を制約させる宗教と言われるものの常套手段です。 >>67 神を知らないと、想受滅を体験しても生きて帰れない。 神と出会ってから、坐禅をスタートする順序は動かせない。 仏教に法というものがあるとすれば、これが「法」です。 >>68 何であれ宗教書は、神を知らない人々にとって有害。 宗教書は、自分で考えることを許さないから洗脳なのです。 それより、心理学(フロイト)、哲学(唯物弁証法)、経済学などを 学んでください。こういった本には強制がないからいい。 自分の頭で考えることができる。 神との出会いは、神と自分との戦いの結果なのです。 宗教とか教団とかまったく関係ない。(`・ω・´) やっぱし、宗教はアヘンかもしれない ・・・・・ TT 宗教とは ・・・・ 宗教者にとっては商売道具なんだろうね v(´・ω・`)v アヘンと詐欺師の 懸け橋は、丁重にお断りします (`・ω・´)ッ http://wmdata.main.jp/jittai.html ↑ この記事が信頼できるとしたら 東京大学宗教学研究室 は迷惑しているらしい >>75 メンタルクリニックだと思えば、宗教の存在意義を完全否定は出来ないね。 世知辛い世の中を、いかに上手い事渡るかの気持ちの持ち方の教本だとは思う。 ただ、そこに神とかいう存在しないものへの忠誠を誓わせて、結局は組織のトップが 甘い汁をズルズル啜ってるのが実情なんで、詐欺扱いされるんだよな。 信仰の元思考停止を義務付けられた信者と書いて儲(け)と呼ばれる連中から 神様へのお布施として金を採取し、教団運営側のトップの酒と風俗と教団潰した 後の貯蓄に回させているのに。 まぁお布施が税金掛からない辺りから本来見直すべきだと思うよ。 いくら採取して懐にガバガバ入れても何処にも報告の義務がないから、やりたい放題だ。 政治家は、宗教団体からの献金と、選挙の時の票をあてにする。 宗教団体は、政治家による法的な保護を期待する。 両者は、ずぶずぶにもたれ合っている。 他方、信者は神仏の御利益がなければ不満に思う。 しかし、投票もお金も信者が支えているのに、 信仰心が不足しているからだと宗教団体から怒られる。 自分でも信仰不足かと思っていっそう信仰にはげむなら、 これはもう魔窟にいるアヘン吸飲者と変わりない。 宗教を信じたら人生の負け犬になる。 信じるのではなく、いろいろな宗教を研究したらどうだろう。 これなら自分を見失わない。 アヘン患者のリハビリにはよさそうだ。 一番いいのは、宗教に近づかないことだろう。 大昔、宗教も宗教書もない時代に、 神に出会った人、霊魂に出会った人がいたから、宗教が生まれた。 その最初の人になればいいではないか。 九次第定(くしだいじょう) 〜 ブッダ最後の旅 第六章 ウソかホントか、釈尊は死ぬ直前に瞑想に入ったという。 尊者アヌルッダは、それは次のような順序で進行したと推理する。 T 瞑想の上昇局面 初禅 → 第二禅 → 第三禅 → 第四禅 → 空無辺処定 → 識無辺処定 → 無所有処定 →非想非非想定 → 滅想受定 U 瞑想の下降局面 滅想受定 → 非想非非想定 → 無所有処定 → 識無辺処定 → 空無辺処定 → 第四禅 → 第三禅 → 第二禅 → 初禅 V 再び瞑想の上昇局面 初禅 → 第二禅 →第三禅 → 第四禅 → ニルヴァーナに入る わたしの体験から言えば、 滅想受定に入ってから順番に下降することは不可能である。 禅定が緩むと一挙に振り出しに戻ってしまう。 中村元博士によれば、九次第定は後の教学(倶舎論)が 持ち込まれているという。ブッダ最後の旅 訳注169 わたしの体験から言えば、禅境は次のように深化していく。 数息観開始 → 日常の雑念が消える → 体の痛み痒みが消える 心が落ち着き静かになる → 睡魔との戦い → 睡魔に勝てば 非想非非想定に入る → その状態を維持すると魔境に入る → そこにも意識があるので正しい選択をすれば → 想受滅定に入る わたしは、坐禅をする前に神(命そのもの)と出会っている。 だから、神を絶対的に信頼し、何も恐れずに坐禅をスタートしている。 そのときは何も知らないから想受滅定を何も恐れなかった。 そんなわけで ・・・・・ 神体験をしてから → 坐禅を開始する順番は動かせない。 神に出会ってから坐禅をするメリットは、 @ 神を信頼し、安心して坐禅ができること。 A 神体験と霊魂体験を比較、想受滅から無事生還できる。 坐禅は、止(サマタ)だけしかやらない。 観(ヴィパッサナー)を混ぜないから、禅定が緩まない。 その結果、集中力が持続し、短期間で想受滅からの霊魂体験ができる。 短期間の成道には、止(サマタ)だけというところにも秘密がある。 悟れないバカどもは修行を継続する。 悟れば坐禅=バカ坐り、はしない。 バカには理解できない。大爆笑である。 坐禅では止(サマタ)だけを行う。 ヨーガ・スートラ 1・2 心の作用を「止滅する」ことが、ヨーガである。 * 天台小止観は読まなくてOK。読んでるヒマがあればどーぞ。 * ヨーガ・スートラは読んだ方がいい。短いし、ネットで探せるよ。 * 姿勢・坐り方・数息観などは、ネット検索で十分。 * ちなみに私は、天台小止観の流布本、枕を利用して半跏趺坐。 * 平均1時間程度。目覚まし時計は使っていない。 釈尊は、従来の非想非非想処定を超えて、想受滅を体験する。 これが釈尊の悟りだと言われている。 釈尊は一人、森の中で坐禅をしていた。 想受滅に入れば自力で地上に戻って来なくてはならない。 もちろん、目覚まし時計などない時代である。 それなのに釈尊は、想受滅に入っても地上に生還できたのだ。 どうしてこんなことができたのか。 想受滅の前に、神に出会っていれば可能である。 だから逆に、釈尊は想受滅の前に甘露体験をしていたことになる。 それはたぶん、スジャータに乳粥を供養された時だろう。 信教の自由にGHQの洗脳も入ってるんだろうな。 戦後、現れた思想洗脳団体は検証する必要がある。 仏教っても、信仰にしちゃったら洗脳であり、宗教ちゃう。 >>89 >信教の自由にGHQの洗脳も入ってるんだろうな。 標的は国家神道、その狙いはキリスト教の普及。 >戦後、現れた思想洗脳団体は検証する必要がある。 そう思いますね。同意。 >仏教っても、信仰にしちゃったら洗脳であり、宗教ちゃう。 その通りです。釈尊は他力を否定しているのに。TT >>91 >検証不可能あるいは検証が難しい命題の集合 心の問題だから当然そうなります。 だから、他力信仰ではなく、自力になります。 釈尊は他力信仰を否定します。 自分で十分納得できれば、それでいいのです。 苦が滅すればそれでいいのです。 名無しは荒らし 糞だな。 ただのバカだな。糞凡愚プ〜ンただバカなだけ イヌヤマァ 妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、ワンコインで茶菓、バカイヌは見栄張る、品性劣悪漢オトコ イヌは 華厳宗だろ、禅はカラッキシで、くちパクパクだけの尋牛(じんぎゅう)未満 南伝仏教華厳宗奈良東大寺官長じっちゃんのお抱え運転者だった。 それが唯一自慢タラタラでツカイッパ全くの無内容、年金暮らしで一日中ブラブラ誰からもウトマレル禿げ爺だね。 禅では無い。印度教外道。 5ちゃんねるの会話の形式はバトル形式、馴れ合いを禁じます。 但し、その事を踏まえた会話かどうかが 問われています。 ググるシッタカの糞雀鬼はアンタはエライ!と褒めて欲しいのです。 それは糞雀鬼がリアル社会で疎外無視され続けてきた現実があります。 一見、相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞雀鬼の抱え込むリアル社会の絶対評価です。 と言う事で、糞雀鬼は「暴れさせて、ゴミがたまったら透明あぼ〜んが適切ですね。 決してレスポンスしない事が、大切。 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| || ○荒らし粘着糞雀鬼は無視放置スルーされるのが一番キライ、耐えられません。 || 荒らし糞雀鬼は常に誰かの反応レスを待ち焦がれジレます。 || ○荒らし糞雀鬼は門から入るものが宝と誤謬し、自己の内側、佛心が観えず。 || 荒らし糞雀鬼は常に無視されている自己存在の確認要求に拘泥します。 || ○荒らし糞雀鬼は問いに問いで返す破廉恥無脳が故の脊髄反射のパープリンです。 || 荒らし糞雀鬼は理解力が皆無、とにかくしつこい、金魚ドジョウと救い難い。 || ○荒らし粘着糞雀鬼の重複スレには誘導リンクを貼って放置が一番カステラ2番。 || ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。 || ○放置された荒らし糞雀鬼は煽りや自作自演でアナタのレスを巧みに汚く誘います。 || 荒らし糞雀鬼にノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。 || ○反撃は荒らし糞雀鬼の滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。 || 荒らし糞雀鬼につけ入るエサを与えないで下さい || ○荒らし糞雀鬼が枯死するまで孤独に暴れさせておいてゴミが溜まったら削除です。 || 荒らし糞雀鬼は外道{野狐}です。 GHQは「インディアンや日本やベトナムやイラクやらが悪者で アメリカが正義だから大量殺戮してもいい」というフェイク洗脳を止めれない。 あいつら自分で自分を洗脳して世界が狂ったワケだが誰か治してやらんのか。 釈尊は、坐禅に熱中して骨と皮になっていたが、 スジャータの乳粥に救われる。 この時、釈尊が何を感じ、何を思ったかを想像してみよう。 苦行だけでは悟れない。苦行だけでは死んでしまうではないか。 そうではなくて、「愛」が大事なのではないかと。 釈尊はすぐに、自分の中に「愛」が欠けていたことに気づく。 そして自分の人生を心底悔いた。 その瞬間、甘露(不死)が釈尊の頭の中に落ちて来る。 甘露とは、キリスト教で言えば神霊とか聖霊のことだよね。 釈尊が「乞食」を修行の中心に据えたのは、 この時の体験があまりにも衝撃的だったからではないだろうか。 今の日本では「乞食」は軽犯罪違反で処罰の対象になる。 飢えた犬猫ならエサをやるのに、生活保護からも排除された 憐れな「乞食」は犯罪者として扱われる。 余裕のない、息苦しい社会になったもんだ。 消毒し過ぎると、人間社会自体が成り立たなくなるだろう。 中道とは何か? −− 釈尊は成道後、 相変わらず苦行を続けていたかっての修行仲間に中道を説く。 王子時代の快楽主義も、修行時代の苦行主義も誤りであり、 二つの極端を離れた中道を歩むべきだと。 これが対機説法にすぐれた釈尊の初法転輪ではなかったろうか。 では中道を生きて何をやるのか。それが苦集滅道である。 これは乞食をし、日常的に自分自身について考えることであり、 止観の観(ヴィッパサナー)に相当する。 だから坐禅では観をやらない。 中道の背後にある釈尊の思想 ・・・ 二元論 @ 甘露体験 → 神(命そのもの)と出会った A 霊魂体験 → 真の自己=霊魂(アートマン)と出会っている。 B 人間(生き物)は → 霊魂(命)と物質が合体した存在。 従って、快楽主義で物質に執着するのは誤り。 かといって苦行主義で霊的世界に執着するのも誤り。 人間は霊魂と物質が合体した存在なのだから どちらか一方に片寄らない、中道という立場が正しいあり方である。 これは、霊魂(命) と 物質の二元論である。 竜樹の『中論』は完全に誤り! ・・・ 第24章18詩 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。 それは仮に設けられたものであって、 それはすなわち「中道」である。 竜樹は、時間も霊魂(アートマン)も神(命)も否定する。 であれば、残された世界は物質だけになり、そこには実体がない。 これが「空」らしいが、これでは中道ではなく、 一元論の唯物論と何ら変わりない。 仏教が快楽主義(後期密教)に堕落して行く遠因がここにある。 釈尊の二元論・中道とは無関係である。 無とか無我とか空とかは、 絶対に体験できない空想上の言葉でしかない。 なぜならこの宇宙は、ビッグバンによって「無の世界」から、 「有の世界」に変わったのだから。 わたしたち生き物は、「有の世界」を生きている。 生きていても死んだ後も。 無や無我や空を探しても、どこにも見つからない >>106 宗教と信者はその通りだと思うが、 神についてはどうなのか? 既成宗教の神仏は怪しい限りだが、 わたしの出会った神は「命の雫」であり、命そのものだった。 そのとき、わたしは魂が震撼するような衝撃を受けた。 信じるも信じないも、あなたの自由です。(^-^) 想受滅は意識自体は存在するが、意識の対象がなくなるから生じる。 しかし逆に、意識がなくなったから想受滅が生じたとも考えられる。 そう考えれば、無や無我を体験したのだと錯覚する。 この錯覚を排除するには、神に出会ってから坐禅をスタート。 集団禅や目覚まし禅をやめ、想受滅から霊魂体験をしてしまえばよい。 漫然と坐禅を始めてはいけない。(`・ω・´)ッ >>107 >既成宗教の神仏は怪しい限りだが、 >わたしの出会った神は「命の雫」であり、命そのものだった。 >そのとき、わたしは魂が震撼するような衝撃を受けた。 そう言っちゃあ宗派分裂を繰り返し殺し合ってきた宗教の歴史 >>108 手術の時全身麻酔かけてな、気がついてたら終わってた。 落ち込むように急に意識が消失する感覚は、眠りよりもむしろくっきりしてるが、夢も見ないし、 スコンと何時間か吹っ飛ぶわけだ。 意識の対象がどうのって話じゃないな。 >>107 おめでとう あなたは開祖になる資格を得た >>109 107の体験は、無信仰の状態で真理を探求していた時のこと。 >>110 わたしも全身麻酔の経験がある。麻酔は、意識←神経←外界 という系路の神経だけをマヒさせる。この間、医師が患者の体を管理し、 手術が終われば麻酔から覚めるように麻酔量を調整している。 これに対して想受滅は、自分で自分の体をコントロールして徐々に 神経の働きを弱めて行く。神経の働きが完全になくなれば想受滅だが、 この場合は医師にあたる役割を自分自身がしなければならない。 想受滅に入ると、自分の体の状態がわからなくなるから、そのまま 死んでしまうことになる。だから、集団禅や目覚ましの話が出てくる。 もうひとつは、坐禅を始める前に神(命そのもの)に出会っておけば、 不思議なことに想受滅から無事に生還することができる。 実は、想受滅の後に霊魂(アートマン)体験をする。 この霊魂は外界(記憶・体・物質)から切り離されている。 しかし非常に明晰な自己意識がある。 霊魂は猛スピードで白い霧の中を飛行するが、 周囲の状況変化に応じ、視覚も触覚も聴覚も瞬時に生じる。 このとき、霊魂の状態と、神に出会ったときの至福感が まるっきり違うことに気づいてしまう。 この気づきによって意識が戻り、地上に生還できた。 この体験から推測するに、 釈尊が想受滅を体験して無事生還できたのは、 想受滅の前に神(命そのもの=甘露)に出会っていたからであり。 想受滅の先の霊魂(アートマン)体験をしたからだろうと。 人類教やベーコン教なんてのもあるんだし 必ずしも宗教を作る上で 神は必要ないんじゃないかな 真理を探求してきただけで、 新しい宗教を作る気などまったくない。 苦労してわたしがさとり得たことを、 今説く必要があろうか。 貪りと憎しみにとりつかれた人々が、 この真理を悟ることは容易ではない。 これは世の流れに逆らい、微妙であり、 深遠で見がたく、微細であるから、 欲を貪り闇黒に覆われた人々は 見ることができないのだ。 by 悪魔との対話・梵天勧請より 同行二人 = 犀の角のようにただ独り歩め by Sn.35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、 あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、 また子を欲することなかれ。いわんや朋友をや。 犀の角のようにただ独り歩め。 人間の精神は弱いもので、誰かに依存しないと落ち着かない。 お互いに依存し合っているだけなのに、 誰かがそばにいるだけで不思議に安心して強気にもなれる。 人間はそんなふうに造られているようなのだ。 そして神に出会い、自分が霊魂であることを知った時、 その誰かとは神のことだったと気がつく。 他人から見れば孤独ではあるが、 本人にしてみれば「神と共にいる」のだから孤独ではない。 >>114 信仰を持てば、多分もう真理には近づけない。 脳から全ての感覚を遮断すれば、ブラックアウトするが意識は残る。 ただし、その状態で長時間意識を保持することは困難のようだ。 一方、感覚、自律神経などは動作させたまま、中枢神経の一部を伝達阻害すれば意識は消える。 >>119 信仰すれば、神を探さなくなる。 神を探さなければ、神に出会うこともない。 神を知らなければ、坐禅で想受滅に到達してもそのまま死ぬ。 悟れる資質があったのに、非常に残念なパターンですね。 麻酔についての話は勉強になりました。サンキューです。(^-^) 釈尊に「神風」が吹いた! 成道後は、とんとん拍子に教勢が拡大する。 @ 事火外道のカーシャパ三兄弟が弟子2千人を連れて帰依。 A マガダ国王ビンビサーラが帰依。竹林精舎を寄進する。 B マハーカーシャパ(二祖)が参加。懐疑論者サンジャヤの弟子 シャーリプトラ、マラドガルヤーヤナが5百人の弟子を連れて帰依。 C カピラ城に里帰り。父王が帰依。多くの釈迦族青年を出家させる。 ラーフラ、アーナンダ、ナンダ、ウパーリ、デーヴァダッタなど 義母のマハープラジャパテ、妻のヤショーダラーなど → 尼僧集団へ D コーサラ国王が帰依。スダッタ長者が祇園精舎を寄進する。 ヨブにも神風が吹いた! ヨブが神に出会った後、神はヨブを以前にもまして祝福した。 家畜は以前の2倍、 ただし子供は以前通り7人の息子と3人の娘をもうけた。 → 亡くなった子供たちの生まれ変わりかも。 ムハンマド、ジンギスカン、ナポレオンなどの場合は、 神風というより、軍事的天才だったのではないかと思われる。 モンゴル軍を二度も撃退した北条時宗の場合は、 神国日本に神風が吹いたと考えるのが自然だろう。(`・ω・´) 神風か携挙か キリスト教には「携挙」という教えがある。 「終わりの日」にイエスが雲に乗って現れ、 キリスト教徒は空中を上昇、イエスと共に雲に乗って救われる。 しかし、それ以外の人々は破滅的な災いの中で死ぬ。 キリスト教徒はこの日を待ち望んでいるらしい。 でも、携挙の根拠が聖書以外に何もないのだから、 これはウソ、作り話としか考えられない。 信じなさいと何度繰り返されても、信じるわけにはいかない。 オウム真理教のような自作自演をマネしてはいけない。 神がいるから人間がいるんだから、神と人間の橋渡しにも神の存在が前提。 >>125 その通りですね。釈尊もヨブも、 神(命そのもの)を相手にすることで神風を吹かせる。 この神風は自分を砕けるかどうかにかかっている。 キリスト教徒がダメなのは、 自分をそのままにしておいて救われることを願う点にある。 いくら信じても罪人のままだから救われない。 キリスト教徒は、十戒に反し、人間イエスを神にしてしまう。 ユダヤ教徒はたぶん、内心で大笑いしている。 ユダヤ教にとってメシアとは 異教徒をバンバン殺しまくるレイシストだから そりゃ笑うよな ちなみにユダヤ教の時点で 信者に大量の貢物させてたらしいし 宗教は洗脳と搾取ってのは一理あるな? スパモンみたいなのはむしろ少数派なんかな 十一献金は暴利過ぎて話にもならない 信者が10人いれば、信者は9/10の暮らしになるが、 牧師や神父は10/10の暮らしになる。 信者が20人なら、信者はやはり9/10の暮しだが、 牧師や神父は20/20の暮しになる。 信者たちの2倍以上の暮しではないか。 信者が50人いれば、 牧師や神父は50/50の暮しになる。 信者たちの5倍以上の暮しではないか。(# ゚Д゚) >>129 私が底辺時代、ほとんど騙されて教会に行き洗礼を受けてしまいました。 私が洗礼を受けた後「あなたはクリスチャンになったのだから」と後出しじゃんけんのごとく細かい制約を言い出してその中に什一献金もありました。 それだけの制約があるのなら何故最初からきちんと教えてくれないのか。 先にも書きましたが、当時の私は底辺生活。 家賃・食費・光熱費支払ったら自分の 楽しみもままならない状態。 だから什一献金で五千円納めたんです。 そしたら次の週の礼拝後、牧師が私を呼び出してこういいました。 「神様に泥棒してませんか?」 牧師は純粋培養で世間知らずの乞食だと思いましたよ。 >>130 教会は自分たちの都合のいい箇所しか引用しない。 詐欺師はよく、マラキ書3:8にある十分の一の献げ物を語る。 しかし、ニテサ3:10「働きたくない者は、食べてはならない」 とパウロ自身が教えているではないですか。 私も少し教会に行ったが、初心者教育の段階で疑問を感じ急ブレーキ。 みんなの前で「洗礼」を受けないで本当によかったと思う。 洗礼を受けたら、精神的にやめづらくなりますものね。 でも、そのお蔭で教会がどんなところなのかはよくわかりました。 経験しないとわかりません。やめてラッキーでした。(^-^) 洗礼という洗脳 信者は、信仰は「神と自分の関係」だと思っている。 ところが、牧師や神父や信者たちの前で誓わせる洗礼によって、 この関係が「教会と自分の関係」にすり替えられる。 これが心理的な負い目になり教会から離れがたくしている。 洗礼は単なる儀式ではなく、 信者を教会に心理的に従属させる洗脳だと言ってよい。 それは見え透いているが、狡猾なワナである。 132.洗礼は詐欺である、か。 答え。詐欺である。 バカには理解できない。大爆笑である。 新約聖書は、ウソと真実の混ぜ物だと言われている。 要するに、クソミソを一緒にして混ぜたものだ。 糞味噌をどうやって分けようか。分けられはしない。 分けたところで使い物にならない。 そんなものはまとめてゴミ捨て場にポイする以外にない。 新約聖書は、もともとローマの政治支配のために採用された。 真理なんかどうでもよく、民衆をだます道具だった。 民衆は昔、聖書に近づけなかったから権力者の言いなりにされた。 でも今は違う。読もうと思えば読めるからね。 それでも騙されるとしたら、自業自得になるのかもしれない。 まぁヨシュアDQN伝説と パウロの妄言と 身内の抗争だしあれ >>135 初めて新約聖書を読んだ時、山上の垂訓には感銘を受けた。 でも、パウロの手紙以下は余りにつまらなくて読むこともできなかった。 霊的なものが何もない。→ そこで旧約聖書に興味が移行した。 旧約聖書は、いろいろなレベルの物語があるからいい。 一読して「ああ、これだ」と思ったのは、エデンの園、ヨブ記、 ヤコブとエサウの話、イザヤ書(前半)、詩編(ダビデ)あたりですかね。 十戒以外の律法とか、ユダヤ民族の歴史とかは退屈だった。 でも、読むべき個所がいくつもあるし、霊的にも高いものがあるし、 キリスト教を理解するためにも、旧約聖書は欠かせないですね。 新約は旧約をネタにしたファンタジー 山上の垂訓も創作 処女受胎はウソ 新約聖書を開くと最初にイエス・キリストの系図がある。 アブラハムから始まり、途中ダビデが出て来て、 最後はマリヤの夫ヨセフになる。ところがマリアは、 ヨセフとは無関係に、神の聖霊によって身ごもる。 ということは、イエスはアブラハムともダビデとも無関係であり、 救世主(メシア)の資格を欠いていることになる。 それに、処女受胎などあるはずがないではないか。 正常な理性があれば、この時点で福音書を閉じなければならない。 マタイ1:1−15で、キリスト教は終了。(`・ω・´) そもそも処女受胎自体 乙女を処女と勘違いしたやつだし まぁスパモンやベーコンみたいなのもあるし 宗教全部ダメっつーのもだめよ ユダヤ人が考えたメシアは、宗教的指導者であると同時に、 政治的指導者でもあったダビデのような人物である。 だからこそ、ダビデの家系からメシアが生まれると信じていたのだ。 神殿で暴れて即刻十字架で処刑されたイエスなど論外である。 では誰なのか。ローマ軍と戦ったバル・コクバだ。 ラビ・アキバも彼をメシアと認めた。 135年、バル・コクバは戦死、多くの人が死に、 ラビ・アキバは処刑されたが、 ユダヤ人が考えていたのは「メシアは人間だ」ということである。 毎日飲み食いし、糞小便を垂れ流していた イエスという「神」ではない。 洗脳のレベルは、 仏教よりキリスト教の方が上で重症かもしれない。TT それからあれだ、自分の罪を温存しながら救われたいなどと 考えたり思わないでほしい。身勝手過ぎる。 身勝手なのが原罪なのに ・・・ バカだね ((´∀`))ケラケラ イエスの「人間宣言」はないのか イエスは死んじゃって無理だから、代わりに 教団や教会のトップが大至急やってほしいが、これも無理か。 じゃあ、どうしよう ・・・ ⚡⚡⚡ 閃いたぞ! 信者の方から、「人間宣言」を投げつけてやればいい。 パウロが作ったキリスト教はいったい何だったのか。 これを考える場合、現在のユダヤ人やユダヤ教が参考になるだろう。 かりにパウロがいなければ、 イスラエルもユダヤ教も聖書も存在しなかった可能性が濃厚なのだ。 パウロの旅は、東洋ではなく、ローマ帝国のある西洋に向かう。 そして、人間イエスを神にし、従順をしきりに説く。牛馬を放牧し、 肉食の、北方の蛮族アーリア人を洗脳しようとしたかも? 「ローマ人への手紙」に「秘密の計画」が語られているが、パウロは 祖国イスラエルのために大芝居を打ったのかもしれない。(^-^) 新約聖書の世界的権威、ジェイムズ・D,G.ダン(英)の 『使徒パウロの神学』浅野淳訳、教文館 2019・3・26発売、6300円(6804円) A5、976頁 パウロはテント職人として働きながら、エルサレムで高名なラビ、 パリサイ派のガブリエルのもとで旧約聖書を研究している。 であるから、エデンの園にある「善悪を知る木」からその実を食べた ことが、アダムとエバの原罪であることは当然学んでいる。これは、 言葉の中に原罪(善悪判断)が隠れ潜んでいることのたとえ話である。 それと同時に、命の木から命の実を食べたら、永遠の命を得ることも 当然知っていたはずである。ところがパウロはこの話を完全無視。 なぜなら、パウロは命の実を食べたことがなかったからだ。 それゆえパウロの言っている「信仰」は、 善悪の実(原罪) → イエスへの信仰 ということになり、 命の実(神霊体験・神との出会い)を欠いている。 ← ここがポイント! これで「ヨハネの黙示録」の位置づけができた。 エデンの園の「善悪の実」から、「命の実」に至る 心象風景が「ヨハネの黙示録」になっている。 新約聖書の全体は、エデンの園をイメージして構想された、 と言っていいだろう。 ヨハネの黙示録は、単なる心象風景であって、 そういった現実が実際に起こることを預言したものではない。 それは「命の実」を食べることの難しさの比喩だ。 個人の救いは、個人ごとに異なる時にやって来る。 だから、ヨハネの黙示録のように同時にやって来るわけではない。 同時に、十人死のうが、百人死のうが、千人死のうが、 万人死のうが関係ない。 この世における生死は個人的なものであって、 その救いも個人的なものである。同時に死んだとしても、 神の救い(神との出会い)は個人的なものであり、 神に救われる人は常に救われる。 神の救いは、生きている間に決定している。 ということは、生きている間に「携挙」されたということである。 生きている間に「携挙」を体験したか否かだ。 自分が救われるか否かは、本人だけが知っている。 新約聖書を信じて、「携挙」を待っている人は 残念だけど救われないのですね。 v(^-^)v 残念だが、パウロは生前のイエスに全く興味がなかった。 パウロ神学にとっては、十字架につけられたイエスだけが 必要だったようである。 Tコリ2:2参照 わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架に つけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた。 キリスト教は「パウロ教」と呼ぶべきである AD30年 イエス・キリスト刑死 → 【49〜61年 パウロの手紙】 【マルコ 50年代 → ルカ 59〜60年頃 → マタイ 60年代 ヨハネ 85〜90年頃】 → ヨハネの手紙 80年代後半〜90年代前半 【ヨハネの黙示録 95年頃】 キリスト教の成立は、パウロの手紙 → 四福音書 → ヨハネの黙示録 になっている。この順序から言えば、まさしく「パウロ教」である。 それにパウロは、生前のイエスには全く関心がない。イエスの十字架が 人類の贖罪になるのであれば ・・・ それで福音書はO.Kだったろう。 パウロは詐欺師だったのか否か パウロは人生を賭け、大真面目に布教していた。 そんな姿を知れば、詐欺師だったとは到底思えないのだ。 そうではなく、自分のアイデアが絶対に正しいと思い込んで 布教に熱中したのではないだろうか。 フェストゥスは大声で言った。「お前は頭がおかしい。 学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」 使徒26:24 ーー これこれ、たぶんこれだ! ーー キ×▼○・キ★※□・キ△☆∞ ・・・ (´・ω・`) >>138 旧約創世記の時点でツッコミどころ満載なんだよなぁ ルカの福音書16:19〜28 金持ちの描写は今現在金持ちという描写だけでそれ以前にどれだけの生活をしていたかの 言及がない。 もしかしたら、あの金持ちは葡萄園で仕事を分け合与えた主人かもしれない。 なんか、そんことを考えながら聖書を読むと苦しい。 旧約は、自力で神を探し求めることを説く。 神に出会えば救われる。 新約は、イエスを御本尊にして、イエス信仰で救われることを説く。 信仰しても救われないのは、信仰が足りないからである。 イエス信仰が正しいという証拠はどこにもないのに、 イエス信仰がまちがっているとは考えない。 そんなことを認めたら、キリスト教が崩壊してしまうから。 キリスト教信仰の二大欠陥 @ イエス信仰で、神(命)に出会う道が封じられる。 A 聖書には坐禅がなく、自分(霊魂)に出会う道もない。 えええーー まるでダメじゃん www アーリア人を封じ込めるにはピッタリだが 日本人はこんなアホ宗教を信じちゃあダメだぞー 悪魔との対話・梵天勧請より 苦労してわたしがさとり得たことを、 今説く必要があろうか。 貪りと憎しみにとりつかれた人々が、 この真理を悟ることは容易ではない。 これは世の流れに逆らい、微妙であり、 深遠で見がたく、微細であるから、 欲を貪り闇黒に覆われた人々は 見ることができないのだ。 キリスト教信者は、自分の欲や貪りや憎しみや闇黒につけこまれる。 そのため、ひどく混乱し、やがて頭がおかしくなってしまう。 十戒違反の、イエスを神にし、十字架という刑具をうっとり拝み、 偶像崇拝を何の抵抗もなく平気でやってのける。 こうして精神が転倒し、洗脳が完成する。 こんなキリスト教がある限り、聖書はバカ売れ、イスラエルは安泰だ。 これこそが、キ○△※ パウロの秘密の計画だったのであろう。 ただ、イスラエルを同じ民族であるスファラデーではなく、アーリア人の アシュケナジーに乗っ取られたのは計算外だったかもしれない。 イエスやパウロなど、本来のユダヤ人であるスファラデーは、 偽ユダヤ人のアシュケナジーに差別され、頭に放射線を浴びせるとか、 陰湿な嫌がらせを受けているという。そういう意味では、 キ※×△ パウロの秘密の計画は失敗したのかもしれない。 ☆☆☆ 天使の存在証明 @宇宙が始まる前は、時間もなく空間もなかった。→ 無であった。 Aその無が突然、大爆発する。→ これがビッグバンである。 Bこれによって無ではなく有の宇宙が誕生した。→ 無から有へ C有の宇宙は、神(命そのもの)と物質から成立する。→ 二元論 D神と物質とは、その性質が正反対だから直接には出会えない。 E直接出会えば、瞬時に爆発し → 無に返る。 Fそこで神は、神と物質との間に天使を置いた。→ 天使の誕生 G天使によって、物質世界に生き物(命+物質)が登場する。 H天使は番人であり、(神→天使→生き物)の流れを作り出している。 Iゆえに、生き物の世界があれば、天使が必ず存在することになる。 唯一神教だと直接神にふれる人間が複数同時にいると都合が悪いから あえて間に天使をおいたというだけでは >>161 教祖の都合で天使が創作されたと? どう考えようが個人の自由なので、好きなようにしてください。 ただ、そう他人に主張したいなら、それを論証してください。 宇宙が始まる前は、時間もなく空間もなかった。→ 無であった。 そもそもこの前提が不明なことなのに 無であったと決めつける誤認 163.物理学をやっているバカである。大爆笑である。 有の宇宙は、神(命そのもの)と物質から成立する。→ 二元論 これも不明なこと それどころか「完全不可知」でさえあるかもしれないのに 神(命そのもの)があると決めつけるのはいけない >>160 は天使の存在証明ではなく 天使の「定義」である 宗教の三位一体 @ 商売道具 → 聖書、仏典 A 詐欺師 → 神父、牧師、僧侶 B 魔窟に潜むアヘン常習者 → 信者 宗教の三位一体 @ 聖書・仏典 → 商売道具 A 神父、牧師、僧侶 → 詐欺師 B 信者 → 魔窟に潜むアヘン常習者 人間は 自殺しないですむために神を考えだすことばかりに熱中してきた。 これが 今日にいたるまでの世界史の要約だね。 宗教の意義が明らかされ、 待ちに待った「終わりの始まり」が姿を見せた。 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「神を知れ」と言って 教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者も わたしを知るからである、と神(命)は言われる。エレ31:34 >>172 じゃあ自殺しないですむために 神を考え出す必要がないと示した オーギュストコントの人類教は 「人類最後の宗教」 と言うに相応しいな 以前通ってた教会でのこと。 礼拝後とある教会での集まりのチラシ配りに駆り出された。 牧師はチラシはポストに入れればいいというので、その通りに適当に配って集合場所に戻った。 でも集合時間を過ぎても女の子が戻ってこない。 俺は「ふざけんなよ。早く帰りたいんだよ。」とか思ってた。 ようやく女の子登場。 しかもなんか興奮してる。 話を聞いてたら、その子はポストに投函するんじゃなくチャイムを鳴らして出てきた人 に教会名と集まりのアナウンスをしてチラシを渡してたらしい。 で、ある家から出てきたのがオヤジ。 それも夕方早い時間から酔っぱらってたそう。 そのオヤジは女の子のアナウンスを聞いて、チラシを一瞥してこう言ったらしい。 「なんでこんなことやってんの?」 一気にここまでまくしたてて最後は笑いながらこう言いました。 「地獄に落ちろ。」 その場にいた全員(牧師含む)も笑ってました。 俺は(ざけんなカス!テメェが何様じゃ!)と思ったのは間違いではないと思う。 日本には古くから神道がある。 そこで神道を説こう。 まず神道には「終末思想」がない。 これが欧米流の一神教との決定的な違いである。 初期のユダヤ教のように「終末思想」がないことから、 神道は、人類草創期、発展期の宗教であることがわかる。 っつーか神道ってアニミズムそのままの 宗教で言えば化石じゃん 神道を要約すれば、三種の神器に至る。 天皇家の三種の神器が有名だが、 日本各地の支配者もそれぞれの三種の神器を奉持していた。 そこに権力の源泉が象徴されていた。 すなわち、神道は権力者の宗教であったということだ。 鏡(八咫鏡)→ 知力(自分自身を知ること) 玉(八尺瓊勾玉)→ 財力 大蛇の尻尾から出てきた剣(天叢雲剣)→ 武力 この三種の神器に支配者の秘密がある。 「鏡」によって自分を知り、自分の分を守る。→ 傲慢にならない。 仁政を行う→民を豊かにする→「玉」を増やす→ 兵士を揃える。 戦いは「剣」=武力だけではない。→ 龍神を味方にできれば勝つ。 神道は、天皇支配を合理的に説明しようとして、 天地開闢神話を接ぎ木したものである。 しかし、その神話には注目すべきものがある。 @ 神の一元論なのか、神と物質の二元論なのかはっきりしない。 高天原(霊界?)に登場した最初の神は独り神の天御中主神。 A その後、高天原に何柱かの独り神が出現し、 さらに何柱かの男女神が出現する。 ← 高天原(霊界?)に。 B その中の男女神、イザナギ、イザナミが地上に降りて来る。 この二人が日本という国を産み、その子孫が天皇家につながるらしい。 100%作り話だろうけど。^^ 支配の正当化のために宗教を統合したという点は ユダヤ教や新興宗教と似たようなもんだな 日本の最初の人間 イザナギ・イザナミは、アダムとエバのようなものか。 高天原を霊界とすれば、それが地上にやってきたわけである。 ところで高天原には、イザナギ・イザナミの男女神(2柱)の前に、 4代の男女神(8柱)がいる。その前は独り神ばかりだが、 独り神は天之御中主神のほかに6柱がいる。 ということは、天之御中主神 → 6柱の独り神 → 4代の男女神 → イザナギ・イザナミの男女神であるから、 男女の区別は、独り神〜霊界で生じ、地上の男女になるわけである。 わたしが体験的に想定している流れ 神(命)→霊界の霊魂(男女の別なし)・・・ 独り神 →霊界の霊体(男女の別あり)→地上の肉体(男女の別あり) この流れから言えば、古事記の冒頭部分は正しそうである。 人間の究極は霊魂であるから、究極的には男女の別は存在しない。 しかし、地上に生を受けて誕生する時と、 死んで霊界に帰るが輪廻する宿命である時は、男女の別がある。 霊魂だけ →(男女の別なし) 霊魂 + 遺伝子 →(男女の別が生じる) 神道の神は、神(命)と物質の二元論だと推定しよう。(^-^) その根拠は、神が徐々に徐々に地上に降りて来るところにある。 一元論の全能神であれば、物質を作って、物質に命令すれば済む。 キリスト教やイスラム教の神のように。 ところが、神道の神は人間の霊魂に細々とつながっている。 その霊魂が人間を作りだし、その末裔が皇室である。 しかし、皇室が神につながっているなら、 国民もつながっていなくてはならない。いや日本人だけでなく、 全人類が神につながっていなければならない。(`・ω・´) 全能の逆説に影響されないというメリットもあるけどね多神教 >>186 そのメリットは、二元論の根拠にもなりますね 唯物論や、唯識や唯心論、全能神などの一元論は、 両極端でもはや過去の遺物です。 神(命)と物質の二元論は、 古くて新しい真理だと言っていいでしょう。(^-^) 神(命)と物質のどちらかの極端、一元論を排除し、 両者の中道である二元論を歩む。 これが神道であり、これこそが釈尊の教えでもある。 神道と仏教は親和的ですね。 釈迦がやりたかったことって科学そのものじゃねーの? 釈尊は真理を体験した。 神(命)に出会い、自分(霊魂)にも出会っている。 それは真実の体験だから、いつの時代の、誰でもが体験できる。 それは霊の世界の真実だから、 それは永遠の真実であり、それは科学だと言っていいでしょう。 たぶん、真理を語っても理解されないで、 言い争いになるばかりだから無記なんでしょう。 でも、そんなことを言ってると、 人類が滅亡してしまいそうな気がします。 自分にできることをしなければ、 といった思いです。 仏陀って後世の人々に曲解されまくってた 被害者だと思ってたんだが 生きることが苦だからこそ愛(神)を探すのです。 でも、愛(神)に出会ったら至福です。 至福を体験したら、周囲に認められるか否かは関係なくなります。 人ではなく、神(愛)と共に歩もうと決心するからです。 釈尊は生涯、幸せだったと思いますね。 三種の神器を再考する ・・・ 鏡・玉・剣 卑弥呼はAD235年、隣国の魏から銅鏡100枚を下賜された。 このあたりから、日本における三種の神器信仰が確立したのであろう。 鏡信仰のもともとは、BC1600年の殷・周時代に遡るという。 古代中国から渡来した日本人ならば、三種の神器の意味を知っていた はずである。それらは支配者にとって重要な奥義であった。 鏡の意味は ・・・ ソクラテスの「汝自身を知れ」ということだ。 「孫氏の兵法」で言えば、彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず。 自分を知ることと、相手を知ることと、どちらが難しいかと言えば、 【自分を知ることの方が圧倒的に難しい】 媚びたり諂ったりする人は、状況次第で裏切る可能性が大。 注意したり、いさめたりする人は大事にすべきだね。 これを逆にすると破滅に向かう。 次は都合で「剣」にしよう。 古代中国から渡来した鏡には、彫り物があり、そこに龍がいる。 つまり日本人は、古くから龍を知っていたわけだ。 日本人は龍は知っていたが、神に逆らうような「悪魔」は知らない。 日本人の通常の感覚では「悪魔」を認めないと思う。 剣=武力でなぜ龍なのかと言えば、草なぎの剣が大蛇の尻尾から 出て来たからですね。そして戦いにおいては武力だけでなく、 なにかもっと不思議な力が支配している。それが「龍」 龍を味方にした者が常に勝つ。 これが奥義中の奥義であり、そんなことがあるのですね。 神に出会い、自分(霊魂)に出会い、龍神に出会う。 そこまでやらないと運命を変えられない。 東洋人は「龍神」を敬う。 自分の欲望を完全に捨てることができれば「龍神」が動く。 だから、自分の欲望をコントロールしようとする。 西洋人は「悪魔」を恐れている。 自分の思い通りに行かないのは「悪魔」のせいだと考える。 だから、神に祈って「悪魔」から逃げようとする。 そして自分の欲望こそが「悪魔」だとは気づかない。 西洋人の欲望は放置されている。 これが西洋人の恐さだ。 古来から成人儀礼というものがある。これは子供時代から決別し、 大人たちの一員になるための「けじめ」である。 子供時代は、成長のために欲望に導かれる必要があった。 しかし成人すれば、逆の立場、家族や集団のために 自分の欲望を抑えなければならない。意識の逆転が必要になる。 東洋人の場合はその極北に、神との出会い、自分との出会い、 龍神との出会いがある。これに対して西洋人の場合は、 「信仰という自己欺瞞」によって欲望をそのまま放置してしまう。 その結果として、子供から大人に脱皮できない、 危険な大人になってしまう。東洋人より西洋人の方が危険である。 龍神は存在するが、悪魔は存在しない。 愛なる神(命)が造った生き物の中には悪魔なんかいない。 神(命)に対立する存在は、善でもなく悪でもない物質だろうね。 ただし、言葉を操る人間は悪魔的になれる。 キリスト教の歴史には悪魔のような人間がゴロゴロしている。 こういった人間が地獄に落ちるのだろう。 地獄は彼らの行き場所である。 玉(八尺の勾玉) ・・・ 支配者の財力 支配者の財力を豊かにする方法は二つある。 A 民を豊かにして、その結果として、支配者の懐を豊かにする。 B 民から絞り取り、その結果として、支配者の懐を豊かにする。 A方式は、歴代天皇、幕藩体制などの考え方であった。 B方式は、消費税を採用して貧富拡大政策を推進する自民党政治。 国民の貧富を拡大すると、豊かな者と貧しい者の対立が激しくなり、 治安が乱れ、国の安全も脅かされるようになる。 貧しい者は結婚もできないから人口も減り、そのために外国人労働者を 入れたら治安はさらに悪化する。こんなことをやっている政治家は、 国の存立を危うくするバカじゃないかと。 グロバーリゼーションの大うそ 人・カネ・モノを国家の枠組みを超えて自由に流通させる? そんなことをしたら技術の流出が必ず起こる。 人の中に技術があるのだから。 日本は資源がないから技術立国しかないのに、 こんなペテンを信じたら必ず衰退する。 それを見抜く政治家が少なくなったことは大問題だ www 日本を陥れようとする勢力が、日本の国会にもマスコミにも居るという 危機的状況なのに ・・・ TT 孫氏の兵法 計篇第一 孫氏曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、 察せざるべからざるなり。 日本人はこんなこともわからなくなったのか。 情けない時代になったものだ。TT 文在寅の顔をよく見ると卑しいね。顔にウソつきと書いてある。 金正恩の顔は殺人鬼のそれだ。 南北が統一すれば、文はすぐに失脚、殺されるだろう。 既存宗教の歴史とは即ち殺戮の歴史 異教徒や異端を殺すことを厭わない宗教に依存する国は 異国民や少数派を殺すことを厭わない 「お金いっぱい欲しいんだったらさ、年金あてにしちゃだめじゃない」 「自己防衛、投資、あと海外移住、日本脱出だよね」 「だから国なんかあてにしちゃだめよ」 「あてにするから文句が出るわけでしょ」 >人・カネ・モノを国家の枠組みを超えて自由に流通させる? >そんなことをしたら技術の流出が必ず起こる。 >人の中に技術があるのだから。 自民族だけが技術使えればいいという傲慢さの方が「大うそ」 だよ >>208-211 キミは日本人じゃないな はい論破 www 国家神道原理主義者のヒットマークか 日本を伝統宗教共同体にしてたまるかよ まぁ9条はなくなるべきとは考えてるが 宗教はわきに置いといて、もっとシンプルに考えよう。 子供は成長して大人になる。 愛される側から、愛する側に変わらなければならない。 親や周囲から働くことを強いられ、結婚して子供ができれば、 妻子のために奴隷のように働かなければならない。 おいおい、ちょっと待ってくれ。愛っていったい何だ? たまたま不幸な育ち方をしたせいか、愛が何だかわからなかった。 そこで愛を探し始めた。信仰心がないから宗教など関係ない。 いま振り返れば、そんな風にまとめることができる。 そして愛を探し当ててしまった。神は「命の雫」であった。 神がいたなんて、それはもう青天の霹靂、ビックリしたなもう。 神を笑い、宗教の勉強を全くしなかったのがむしろ幸いであった。(^-^) 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰をやめよ。 by 梵天勧請 この次の釈尊の言葉は何だと思う? 神を探しなさい、だね。 イエスは釈尊より後の「人間」だから、もちろんイエスではない。 ではどうやったら神(命=甘露)に出会えるのか。 これにとことん苦しまないと出会えない。 神(命)に出会えたら、後は簡単、すぐに想受滅して大悟できる。 この板にいる人たちは何かカン違いしている。 神(命)に出会い、自分(霊魂)に出会い、龍神と出会うためには、 聖書も仏典もまったくいらない。 しかし、そういったものに出会った後、自分の体験が何だったのかを 確認するためには、過去の書物が大いに参考になる。 ないよりあったほうがいいし、そこから学ぶものも意外に大きい。 神とは命ではないし 自分とは霊魂ではないし 竜神?緋色の竜? 龍神上げ ヨブ記はよくできている話であり、 神の傑作、龍神レビヤタンは二つの顔を持っている。 その役割は、神に近づこうする、物質への執着心に汚れた人間を 地上へと追い返すことである。これは悪魔の顔である。 もうひとつは、神への愛から、物質への執着心を放棄した人間に 物質的な恩恵をもたらすことである。これは天使の顔である。 龍神が起こした幸運は「神風が吹く」と言われる。 神への愛とは低知能のことである。 それが証拠に、神への愛を唱える者は、物質とは何か知らない。 神風が吹く 常に真我(霊魂)を生きるのではない。 そんなことできるわけがない。 そうではなくて、ここぞという天王山で、一瞬、飛躍する。 自我(欲望)から真我(霊魂)へ。すると神風が吹く。 物質への執着←自己愛(欲望)┃┃他者愛(霊魂)→命への愛 物質に執着すること、あるいは物質への執着は、心がすること、妄想。 霊魂はそもそもが妄想。 自己愛(欲望)║║他者愛(霊魂) 〜 これだと両者の間にまるでバカの壁がそびえてるようだ。 自己愛(欲望)╏╏他者愛(霊魂) 〜 これにすれば、両者のつながりが見えて来る。 〜 それは「良心」。神が用意した最後の砦。 〜 真の悪魔とは良心を踏みつけた人間のことを言う。 良心とは正義のことであり 環境によって変化しうる相対的なものである 現に殺人罪がある国にも軍隊があるのである 悪魔の正体は、良心を捨てた人間であった TT そのことに気づいた人は幸いだ ^^ >>227 両親を捨てるとスーパーパワーになるのか? 神道と仏教の習合は簡単に生じたものではない。 もともとの天皇家は神道そのものを体現していた。 しかし538年、仏教が伝えられ、天皇家が仏教に興味を持ち、 仏教側と神道側の間に勢力争いが起こった。 これは587年、仏教側の曽我氏が物部氏を滅ぼすことで終わる。 天皇家は神道を捨てるわけにいかないから、その結果、 神道と仏教の両方を奉じる「神仏習合」の道を歩むことになる。 平安時代初期には、空海の真言宗の影響が強まった。 その後、紆余曲折はあるが、神仏習合は明治維新まで続く。 神道における天皇の役割は、神と人間の間を媒介する祭司である。 他の宗教家が代理をするわけにはいかない。 ところが、人間でしかない天皇は「神」を知らない。 ここに天皇制の大いなるジレンマがある。 古事記や日本書紀には、神との出会い方は書かれていない。 だから神道では天皇の願いは叶えられない。 そのため、仏教や、今ではキリスト教にも関心を持たざるを得ない。 でもその願望は100%叶えられない。 なぜなら、神に出会うためには、死ぬような苦労が必要だから。 苦労を知らない天皇は、苦労を知らないがゆえに、 残念だが神を知ることはできない。 それでは神道をどうしようか。当然、残すべきだと思う。 古事記や日本書紀は、日本人の由来であり、 キリスト教やイスラム教に対する強固な防波堤になっている。 ただし女性天皇には反対。女性は祭司職には向かない。 神道とてフィクションであらなければならない 二次創作やイベントするのは勝手 だが本気で神の実在性を信じたり 人間を神だと思ったりしてはいけない 天照は神であって祭司ではない、とか 伊勢神宮の斎王は祭司やね フィクションをフェイクするからいかんとよ フィクションはフィクションと弁えた上で楽しまんと >>230 「人間である天皇は神を知らない云々」「神との出会は云々」 これはキリスト教の神と日本の神々を取り違えてるから、こんなバカな結論になる。(笑) 普通の日本人なら、ご先祖様を知らない子供でも墓で拝むわ。(笑) 天皇家は、天津神たる天照大神の直系であり、日本人全てをその氏子として 、先祖たる天津神々を祭祀しておられる。 日本人としての常識すら知らない、こうした連中が、 デタラメな聞きかじりで身の程知らずなふざけた与太を垂れ流してるのを見ると、恥を知れと言いたいね。 (^。^)恩知らずの嘘つきとか、朝○人と同じだよ。(笑) >普通の日本人なら、ご先祖様を知らない子供でも墓で拝むわ。(笑) 神道ではなく仏式の墓で? そもそも仏陀本人は死後の世界を肯定も否定もしてないしな >>236 >>229-231 は、神仏習合を説明しようとした試論ですね。 承狂さん、そんなに暑くならないでください。 それでなくても暑いんだから ^^ 癲狂院の狂者の方が宗教よりはるかに上だぞ。プププ。 >>240 試論じゃなくて単なる妄想でしょ。(笑) (^。^)で、アンタら、どこのカルト信者さん?(笑) 息子にカルト呼ばわりされてるチンドン屋さん?それとも連続テロリストさんですか?(笑) 妄想でもチンドン屋でも構わないけど、 天皇がただの人間であることは譲れないなw 昭和天皇は「人間宣言」をしている。 神は妄想・・・・・・・・・・基地外が作り 宗教は欺瞞・・・・・・・・・詐欺師が売り 信じるアホは巣喰われる・・・買った馬鹿がトチ狂う みんな pctwspDzのことは無視してね 怒り狂って同じことしか書かない 一人で繰り返して相手にされない奴ッているだろ そんな感じだから 「買った馬鹿」とかの言葉を 必ず書くからわかりやすいよ 精神病 病気扱いすると怒る宗教患者はいるが 反社会的人格とみなされるのと、病人とみなされるのはどっちがいい? 例えば あの「オウム真理教」がさ 「光の輪」でも「アレフ」でも「山田らの集団」でも何でもいいんだけど 教団名を変えてから一度も刑事事件やら民事トラブルやらを起こしたことが無い、と仮定して 《日本弁護士連合会消費者問題対策委員会は、「宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準」(13細目)を作成し、違法行為になりかねないような、宗教的活動について警鐘を鳴らしています。 ただし、この基準に従うと既存の仏教等でも、「人権侵害」と見なされる可能性が出てくるため、宗教界からは、基準の妥当性について批判が噴出しています。 しかし、それほど宗教全般に厳しいこの基準に照らしても、我々「山田らの集団」は、一項目も抵触しておりません。》 と自画自賛宣伝して その「山田らの集団」教団が 自分らが「最近は」その13細目に抵触してないことをもって健全な宗教団体であるからという理由で 『「オウム真理教」時代の話をインターネットで語ることは「山田らの集団」教団への名誉権の侵害に該当する』 要は 『我々のような、今現在は健全な宗教団体の過去をあれこれ詮索したりネットで論評する事はけしからんから止めろ』 「名誉毀損で訴えるぞ!」 って主張した場合、こんな主張は法律的に通るものなの? 館長さん - ほか - 50件の動画 https://www.youtube.com/watch?v=Z6-gKl1c6Yg& ;list=RDZ6-gKl1c6Yg&start_radio=1&t=3 神道の「三種の神器」は、鏡・玉・剣。 ユダヤ教の「掟の箱」は、十戒の石板・マナ・モーセの杖。 この両者には共通したものを感じる。 「鏡」は「汝自身を知れ」を意味している。 十戒の石板は、その汝が守るべき戒めを直接教えている。 「玉」は財力の重要性を教えている。 マナはユダヤ民族が砂漠で四十年放浪した時の食料である。 「剣」は戦いに欠かせず、戦いは「龍」によって勝利する。 モーセの杖は、地面に投げると蛇になり、尾をつかむと杖に戻る。 「掟の箱」はBC1千年頃、神輿にしてダビデも担いでいる。 ダビデは、軍事的指導者でもあり、宗教的指導者でもあった。 イスラエルの英雄であり、ここから救世主はダビデの家系からやって来る ということをイスラエル人は固く信じていた。 そのためイスラエル人は、イエスはダビデの家系ではないと猛反発する。 今から二千年前だからもっともな反発だね。 三種の神器にしてもダビデの「掟の箱」にしても、 すぐれた支配者の考えることは同じなのかもしれない。 自分を退け、神と共に行動しようとする。 トランプとか、プーチンとか、中国の×××とか 金正恩とか文在寅とか、どこかの国の安××××とか チープ過ぎて恥を知れとしか言いようがない www ダビデの担いだ「掟の箱」が、 日本の神輿のルーツである可能性は非常に高い。 何らかの関係があることは間違いない。 ダビデはBC1000年ごろ、神輿を担いでいる。 日本人は今でも神輿を担いでいる。 世界広しと言えど、神輿を担いでいたり、担いでいる民族は 日本人と古代イスラエル人しかいない。 その謎を解くカギは日本の歴史にある。AD283年に弓月君が 朝鮮(新羅?)から120県の民を率いて日本に帰化した。 この民がイスラエル人であれば辻褄があう。 712年に「古事記」編纂、720年に「日本書紀」編纂。 ここで神道が成立するわけだが、この時すでにユダヤ教が神道に 取り込まれていて、それが「掟の箱」という神輿になる。 日本人の神輿のルーツは、古代イスラエル人に由来するかも。^^ 239年、卑弥呼は、帯方郡にあった三国時代の魏に遣使、 魏都で金印を賜受する。 243年、卑弥呼、魏王に物を送る。 266年、倭女王壱与、晋に遣使〜以後147年間、中国と国交断絶 283年、弓月君が民を率いて日本に帰化 卑弥呼は「日の御子」であり、天照大神に該当すると思われる。 弓月君来日との時間的隔たりが小さいので、 「掟の箱」と、「三種の神器」との強い関係が推測される。 聖徳太子はよくわからない。 聖徳太子が架空の人物という説は無いだろうと思う。 バックに蘇我氏、秦氏がいるようだが ・・・ 日本でなぜ「神仏習合」が生じたのか? もともと神(命)と、悟り(想受滅→霊魂体験)とは、 扱うテーマが違うから相互に矛盾しないということなのだろう。 すなわち神道と仏教は同時に成立する。 孔子の儒教(仁)は神も悟りも説かない。 この社会における人間関係、道徳を説いたものである。 神道・儒教・仏教は同時に成立する。 なぜなら、それぞれの守備範囲が異なるからだ。 二宮尊徳は「神儒仏」教を説いたが、正解なのかもしれない。 >>264 の訂正 弓月君は新羅経由ではなく、 百済 → 伽羅(任那)を経由して日本に帰化したらしい。 >>263 ,>>265 の訂正 掟の箱 → 契約の箱 どちらも間違いではないが、後者が一般的のようだ。 三種の神器のうち、八尺勾玉(やさかのまがたま)について、 八尺とは何のことだろうと思っていたが、 八尺の糸で勾玉をつないだものだと考えたら合点がいった。 森有礼によれば、八咫鏡(やたのかがみ)の裏側に、 ヘブライ語で「私は在って在る者」という文字が彫ってあるという。 ネットには、天皇家の男子は割礼をやっているという話もあった。 そういえば平成天皇は鷲鼻だった ・・・ 秦氏は平安京の造営に多大な貢献をした。 この秦氏が、全国に1万社以上の「八幡神社」を建て、 神道信仰の土台を構築している。 八幡神社の総本社は「宇佐八幡宮」である。 八幡とはヘブライ語でユダヤのことらしいから、 八幡神社とは「ユダヤ神社」のことかも。^^ 坂本龍馬が薩長同盟を成立させた背景に、 ユダヤの巨額資金が動いた可能性がささやかれている。 日露戦争の時にもユダヤの巨額資金が動いている。 なぜか、日本とユダヤの関係に並々ならぬものがある としか言いようがない。天皇家がユダヤの直系ならありえる話だ。 かりにそういうことなら、 日本は実は、再建されたイスラエル国家だったということになる。 フッ フッ フッ (`・ω・´)ッ ユダヤ人が日本にやって来た契機は三つある。 @ BC772、北の王国が滅亡。10部族が流浪の旅へ。 A BC587、ユダヤ王国が滅亡。残り2部族も流浪の旅へ。 B AD73、ユダヤ滅亡。離散。 この内のどれかというより、この三つの重層的な積み重ねかも。 景教に関しては旅の途中で学ぶことができる。 秦氏は秦の始皇帝の子孫だと自称するからAの可能性が高い。 秦の始皇帝、BC 259〜210、49歳没 在位期間、BC246〜221、25年間 なお、始皇帝は不老不死の仙薬を求めて日本に使者を送る。 → 弓月君、2万人の民を率いて日本に帰化 ・・・ AD 283年 → Aにすれば話が合う。 しかし、皇室に伝わる皇紀元年はBC660年である。 これによれば、@もありえることになる。 いずれにしろ、@ABの民が波状的にやって来たのだろう。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 近年では地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。 そこで宇宙の法を理解して、今生で輪廻転生を卒業しませんか?♪ 〜世界と人間と輪廻転生のシステム〜 ◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。 ◆この世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、 ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。 どんなに高次の存在がいたとしてもそれも人間同様にプログラムで動いている。 ◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに 自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。 ◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、法律上も倫理上も仕方のないこと。 ◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。 ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。 ◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強烈な力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける) ケースが稀にあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業するといわれる。 ◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ) ◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブな現象は それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たにネガティブデータが保存されやすい。 ◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、 おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越されると思われる。 ◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、 厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)のようなものは存在しないと思われる。 ◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。 ◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて 解脱する(真我に目覚める)のはごく稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。 ◆しかしこれが仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないことを確信してそのことをよく考え抜き、 自我に根ざした行為を控えてハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、 真我は不生不滅でありこの仮想世界そのものとそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、 死んだときに輪廻を卒業してニルヴァーナにずっといた真の自己に目覚めると思われる。 ただ現時点で多くの人間は我欲を主体としており宇宙の法に従った生き方をしないために、 延々と輪廻の海を漂ってる可能性が高い。 ◆このような世界観を直感的に確信して受け入れれば、例え死後に輪廻したとしても、 深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。 ◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、 死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性が高い。 ◆自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく強い欲望・執着を捨てて、 あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。 ◆人生を例えるなら、人間は既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもの。 我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。 その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる。 つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。 自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、 実際には真我の霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が 動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。 ◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、 仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さい(ほとんど私は人間だとは感じられない)ものとなり、 自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。 あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。 メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、 常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、非常に慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。 精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。 自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。 肉体的(物理的)な痛みは、肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じるが、 同時に真我の位置からの観照も起こる。 AD643、蘇我入鹿、山背大兄王及びその一族を滅ぼす。 AD645、中臣鎌足らの「大化の改新」によって蘇我入鹿滅ぶ。 ーー この時、天皇記・国記を焼失。 AD712、古事記 成立 AD713、風土記 撰上の詔 AD720、日本書紀 成立 ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) ああ、我が神(´・ω・`) 聖徳太子の背後に「秦河勝」がいる。 この二人はほとんど同じ時代を生きていた。 587、物部守屋を滅ぼしたのは秦氏と蘇我氏 592、蘇我馬子、崇峻天皇を謀殺 593、推古天皇即位、聖徳太子摂政になる 622、聖徳太子逝去(49歳) ← 蘇我氏による毒殺? 642、蘇我入鹿摂政になり、勢をふるう 643、蘇我入鹿、山背大兄王およびその一族を滅ぼす 645、大化の改新 → 蘇我氏滅ぶ ーー 中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の藤原鎌足) おやすみ ,-彡⌒ ミ-- 、 / ( ・ω・`) / r-くっ⌒cソ、 / ノ '、 , 、 _, ' / / .(_,. ././ ,(.,_ `'ー-、_,,..ノ/ ~`''ー--‐' ハゲの話しが終わったら 起こしてね 585、物部守屋等、仏寺・仏像を焼き払う 594、聖徳太子、仏教興隆の詔 588、法隆寺着工 → 607年に完成 603、秦氏、広隆寺を創建・弥勒菩薩半跏思惟像が本尊 607、小野妹子を隋に遣わす 645、大化の改新 → 仏教興隆の詔 647、秦河勝没 → 大避神社に大避大神として祭られる 広隆寺の隣に大避(大酒)神社がある。 そこには三本鳥居があって三位一体を象徴しているらしい。 いさらい井戸というものもあって、それはイスラエルの転訛という。 秦河勝はたぶん「景教」を信じていたのだろうが、 秦氏が構築した神道の「赤い鳥居」は、 出エジプト記12:21−27にある過越の犠牲を意味している。 参道の入口に「赤い鳥居」がある。ということは、 参拝者は自分を犠牲にすることで神に参拝することができる。 それが「赤い鳥居」の意味だ。 人間は精神的に死なないと神に出会えない。 宗教を信仰する目的は、 一人一人の、人間の生命の 救済 つまり、生老病死の四苦や経済的な苦しみや、 対人関係の悩みなどを含む、 人のいかなる苦悩にも、 打ち勝つ 活力を与え 、すべての人々に、 真実の幸福を築かせ 。 尊い人生を、 全うするための 、生き方を教えるところにあります。 従って、 正しい宗教の持つ働きは、単なる精神修養や、 気休めではないのです。 正しい信仰は何よりも、 人間の 全生命の 問題と、 その生き方、人の幸、不幸に関わる、 実に重大な、意義と働きと、 大きな価値を持っているのだということを知ってください。 最初から「信仰」を持ち出すところが間違っています。 おのが信仰を捨てよ、というのが釈尊の教えです。 秦一族は、聖徳太子が亡くなり、その一族が全滅した後、 政治の表舞台から姿を消してしまった。 710年の平安遷都に際しては莫大な貢献をしている。 にも関わらず、影の役割に徹するようになった。 権力闘争を避けるかのように。 この理由として有力な説がある。 「応神天皇」がすでに「ユダヤ系」であったというものである。 倭の女王卑弥呼、次の女王壱与、その次の女王X、この辺りで ユダヤの血が入った可能性がある。 仁徳天皇陵がそうだが、前方後円墳は不思議な形をしている。 あれは何なのか、三種の神器のひとつ「マナの壺」という説もある。 日本が大東亜戦争でアメリカに降伏した直後、米軍が 仁徳天皇陵を発掘、その中にあったものを持ち去ったらしい。 それが本当なら、日本に返還してほしいものだ。(`・ω・´) >>288 どうにもならないから、なんかカッコ良さそうなこと垂れて諦めるってことだろ? 前方後円墳に関しては、マナの壺の入口にあたる部分で 宗教儀式が行われていた、という説もある。 女王Xとは誰なのか 〜 当時の天皇系譜 (13)景行天皇ー日本武尊ー(14)仲哀天皇・神功皇后 →(15)応神天皇ー(16)仁徳天皇 神功皇后の時に朝鮮出兵 → これが女王Xだろう。 好太王の碑文には391年に倭が高句麗まで攻め込んだとある。 倭を大和朝廷とするのが日本の通説らしい。 宗教ってインチキ心霊番組と同等か それ以下だよね。 空だとか無我だとか、 体験できもしないことを盲信している人々は、 頭の中が相当混乱している可能性がある。 その混乱は、人間の意識構造に関係している。 仏教の唯識では、意識 → マナ識 → アラヤ識 の順に 深層意識になるものだと仮定して説かれる。 かりにこれが誤りなら ・・・ 唯識が誤りとなる。 宇宙創造の原初、意識 → マナ識 → 霊魂 であり、 後天的に、意識 → マナ識 → アラヤ識 → 霊魂 であったら、 根本識はマナ識になり、 アラヤ識の脱落が可能になるではないか。 中論の詭弁が論破され、唯識の誤りが発見された以上、 大乗仏教の寿命は尽きたといってよいだろう。 (`・ω・´) 大乗の客塵煩悩 〜 『究境一乗宝性論』に 「一切煩悩は客塵にして、自性清浄心は根本なり。」とあり、 これは如来蔵教理の骨格をなすものらしい。 明星体験をした空海は、『一切経開題』で、 妄念(煩悩)と本心(自性清浄心)とを区別しているらしい。 煩悩があるから輪廻するわけで、 輪廻から解脱したいなら、この煩悩を脱落させる必要がある。 ところで、この煩悩の正体がアラヤ識だから、 アラヤ識を脱落させなければならない。 A 意識→マナ識→アラヤ識(煩悩)→霊魂(自性清浄心) この状態からアラヤ識を脱落させて B 意識→マナ識→霊魂(自性清浄心・実体) にすることで大悟し成道する。 アラヤ識の中身は、自分の死を嫌い、周囲を自分の犠牲にしてでも、 自分だけは生き残りたい、という身勝手で盲目的な自己愛である。 自己愛は子供が成長して行くためには絶対に必要だろう。 しかし、自己愛性格の大人は周囲にとって危険人物でしかない。 核の時代においては、人類の存亡に関わる重大事である。 自己愛によって人類は滅び去るのか、 それともアラヤ識を脱落させ、自己愛から他者愛に変われるのか。 けっこう微妙な段階になってきたような気がする。 "(-""-)" hage ここで一つの疑問が湧いて来る。 神(命)が創造した識の構造は、意識→マナ識→霊魂である。 それがどうして、意識→マナ識→アラヤ識→霊魂に変化できるのか。 神には自己愛がまったくないのに、 生き物の子供時代は自己愛の塊りのようになっている。 神はこの矛盾をどうやって解決しているのか。 被造物である生き物は、神の秩序を変えられる存在なのか。 いな、それでは被造物が神を超えることになる。 それならどうやってアラヤ識が誕生するのか。これこそは永遠の謎。 → そこで答えを教えます。神の僕、「龍神」の仕事なのです。 龍神と言うと???かもしれないのですが、 わかりやすく言えばサタンとか悪魔とかですね。 しかし、れっきとした神の手下です ほほう、中二病の妄想ですか。(笑) これはヒドイ。(笑) うわー、恥ずかしい。(笑) (^。^)昔買ってたオカルト雑誌のムーにこんなの買いてあったなぁ。(笑) ムーなんか買ったことも読んだこともないが、 承狂さんが昔ムーの愛読者であったことは理解できた。 どっちが恥ずかしいことやら。^^ 坐禅中の龍神体験 1、命の雫 = 不死の法門、甘露に出会ったときは、 それが神であることは即座にわかった。 2、その半年後に坐禅中、想受滅から霊魂体験をしたが、 その満月が何なのかはわからなかった。不思議な体験をしたという 思いがあって、それは何だったのかと調べ始めた。 3、他方で、まだ何かありそうなを感じがして坐禅を続けていると、 さらに半年後に「龍神体験」をした。 坐禅はここまでやるべきだと思うが、これで終わりにしてよし。 4、この後もう半年やったが、さすがに何も出てこなかった。 今日はスレの動きがやけに少ないと思ったら、 ラグビーのW杯があったからか。 安部政権の政治は「パンとサーカス」の愚民化政策だね。 たかが子供の遊びのスポーツ選手に何億の大金が動き、 引退後も生活に困らない役職が待っている。 恥知らずな狂った社会になったもんだ。ヽ(`Д´)ノプンプン >>315 某カルト信者と全く同じ反応でワロタ。(笑) (^。^)え?それで人格的に成長出来たつもりなの?(笑) >>818 朝早くから何を言ってるのですか。意味不明。 もしかして軽い認知症とか。^^ >>312 あなたは、龍神のお仕事ができるのでは? 914 返信:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/09/28(土) 23:44:18.06 ID:MjplcLtC [14/14] >>912 その通りです。さらに神秘体験をしてください。 体験しないとわかりません。 私は、神霊体験をし霊魂体験をし龍神体験をしています。 まだその先もあるのです。 レス番号160まで読みました。 今日は風呂に入って寝ます おやすみなさい >>199 >>自分の欲望を完全に捨てることができれば 私には、絶対、できません。 ☆ 想受滅を体験しないと意識構造はわからない @ 自己愛のない神が創造した意識構造 意識 → マナ識(根本識)← 霊魂 A 神の僕、龍神が干渉した意識構造〜転倒妄想の発生 意識→マナ識(根本識)←アラヤ識(霊魂の潜在化) B 想受滅における意識構造 意識の潜在化ーマナ識(根本識)ーアラヤ識(霊魂)の脱落 C 三途の川を経て、想受滅から霊魂体験へ 意識の潜在化ーマナ識(根本識)ーアラヤ識が消滅→霊魂だけ浮上 D 霊魂体験から坐禅終了へ、@の意識構造に戻る 意識 → マナ識(根本識)←(消滅)← 霊魂 >>325 私の本音は、>>163 と同じです。 コピペでなく、生きた言葉でレスされることをお奨めします。 非常に、不愉快です。 163 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2019/07/22(月) 12:15:12.45 ID:ABk18qlN [2/4] 宇宙が始まる前は、時間もなく空間もなかった。→ 無であった。 そもそもこの前提が不明なことなのに 無であったと決めつける誤認 >>325 >>196 は、あなたのレスですね 注意したり、いさめたりする人は大事にすべきだね。 注意したり、いさめたりする気も無くなりました。 あなたに対して書くlことは、以上です。 さようなら 196 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/08/05(月) 18:39:25.70 ID:fd9+Aeu8 [2/3] 媚びたり諂ったりする人は、状況次第で裏切る可能性が大。 注意したり、いさめたりする人は大事にすべきだね。 これを逆にすると破滅に向かう。 社会や他人に認めらてれない、というのは、人格的に問題が有るからで、 人格的に問題が有ると、思想が偏る。 この偏った思想、思考とは、幼稚で自己中心的な物語を盲信すること。 カルトの自称「宗教」や疑似科学信者の自称「科学的事実」もそう。 全く「宗教」でもないし、「科学的事実」でもない物語を信じてるので、 現実や社会から解離していくだけの行為。 で、現実からの解離とは、差別的であり、虚言癖がつき、自己正当化が常態化して社会への適応性が低下することになる。 この虚言にも能力差があるから、上手ければカルト教祖等になるが、誰かさんは嘘も下手そうだしね。(笑) こうした人は、総じて自身の業で地獄に落ちることになる。(笑) (^。^)まぁ、せいぜい頑張って穴堀りを続けたまえ。(笑) >>325 は、浄土真宗さんへのレスではなく、 他スレでの投稿を保管するためですので、悪しからず。 >>324 昔、特攻隊員はすべての欲望を捨てて死んで行った。 戦争という時代に翻弄され、 国のため、家族のために死のうと決意した。 私は自分に絶望して死のうと決意した。 でも、同じ死ぬなら、その命を善いことのために使おうと 思い返した。そして神(命)と出会った。 ゆえに、私にとって神(命)の存在は前提です。 その神の由来はビッグバンだと今のところ想像してますが、 それよりも神(命)がいたことの方が決定的なのです。 >>328 どっか他所で遊んでください。 自スレがあるんだから、自スレで穴掘りしたまえ。^^ 10月6日、幸福の科学・東京正心館前で再び抗議活動 https://twitter.com/JusticeTruth8/status/1178651026766696448?s=20 10月6日、幸福の科学・東京正心館前で再び抗議活動を行います。 インチキな霊言で香港民主化運動の足を引っ張る幸福の科学・大川隆法に インチキな霊言の撤回を求めます。 皆様、奮ってご参加ください。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>321 は椎名林檎のギブス 初めて聞いたけど、意外に名曲だったので保管した。 わたしのテーマ曲にしようかな。 椎名林檎は、本能とか東京事変とかレトロな独特の世界を 歌いあげるが、少し暗いかな。 >>321 は巡音ルカのギブス、透明感があっていいね。 >>599 おはー 今日は、このコテを使いたい気分なのじゃ。 でおー様は、不思議ちゃnじゃのう? ワシは、彼が何故、文末に「笑」の文字を書くかが疑問で、 先日、隔離スレで質問したのじゃ。 ☆☆☆ どうしたら神(命)に出会い、さらには大悟できるのか @ 大前提 → どん底の苦労を体験する。忍耐する。 A フロイトの精神分析を読む → 世親の「唯識」に相当する。 B 正反合の唯物弁証法を学ぶ → 竜樹の「中論」に相当する C 詩、小説、絵画、音楽など、作者の略歴を参考に鑑賞する。 D これだけで十分であり、後は自分の力でよく考える。 * 聖書も仏教書もまったく不要 → むしろ知らない方がいい。 * 神(命)に出会い、悟った後 → 宗教書に手を出せばいい。 * 自分の体験が正しいかどうかを確認するために。 >>337 この「唯識に相当する」とか「中論に相当する」なんてのは全くデタラメで、(笑) 唯識は心理学ではないし、中論は論理学ではない。(笑) 当然ながら、この人の言う「大悟」は仏教の概念に掠りもしてないし、(笑) 「悟り」も全く違うものを妄想してる。(笑) バカカルト同様、仏教用語を使って全く別の概念を語ってるだけの人だね。(笑) (^。^)この「別の概念」については>>328 に詳しく書いてますので省略しますが、 一言で言うと、ゴミですね。(笑) >>338 フロイトを読んだこともなく、 唯物弁証法を学んだこともない人に、 デタラメと言われてもね。^^ 人生は長いようで短い。 今ある時間をムダにしないようにしよう。(`・ω・´) 人間を含め、生き物と物質の違いは一体何か? 命があるかないかだろう。 この問題をスルーしている宗教は全部ニセモノだ。 ところで、命とは何か? ところで、神とは何か? この問題に答えられるキリスト教徒は一人もいないし、 イスラム教徒にもいないし、 ましてや仏教徒の中にいるわけがない。 情けない話だが、これが世界の実情だ。TT 宗教とか 悪魔とか は人生を不幸にするものです 気を付けましょう 宗教を信じると不幸になる、 人々を不幸にする宗教しかなかった、とは言えるかもしれない。 これから先、人を幸せにする宗教ができるかと言えば、 相当に難しいかもしれない。 人々がお互いに、神を知れ、と言わなくなるのは、 終わりの時なのかもしれない。 この問題に関しては、悲観的です。TT 神の本質は無だ。だから実在して、存在しなくなる。有罪者になれば悪魔として 暮らし向きがな。 新約のキリスト教にはまったく救いがないが、 旧約のユダヤ教には学ぶべきものがあるかもしれない。 私が参考にしたフロイトもマルクスもユダヤ出身であり、 ユダヤは多数の天才を次々に輩出している。 きっと、苦難の僕・イスラエルの結果であり、宿命なのだろう。 キリスト教徒なら「神」を知っているはず、 神父や牧師なら当然だと思うのはカン違いなんだね。 彼らは、神と言った後、すぐに主とか、イエス様とか 言い換えをしてごまかそうとする。 神の代用品である、主やイエスを信者にイメージさせ、 その後で聖書のコトバを語り、信者に献金を促すのである。 信者からの献金は、神への献金だと語りながら、 実際には神父や牧師の生活費にそっくりそのまま使われる。 その上、税金無し。 彼らは神のものを横領した罪で、いづれ裁かれるべきである。 偽善者たちの、因果な商売である。哀れ。 神父や牧師は、神を信じましょうと言い、その直後に 主を信じましょうと言い、さらにはイエス様を信じましょうと追加する。 それを聞いてる者は、いったい誰を信じたらいいかわからなくなる。 神は主であり、主はイエスだから、 要するにイエスを信じましょうということになるのだろう。 しかし、神が十字架で処刑されたイエスだという話には抵抗がある。 そう言うと、神父や牧師は三位一体だと反論するだろう。 神=イエス=聖霊だと聖書を根拠にして決して譲らない。 聖書は人間が書いたものだと言っても理解できない。 神父や牧師はそれが真実であるかどうかはどうでもいいのであり、 信じたいから → 信じているだけなのだろう。 信じたいから → 信じている という構図は、 仏教徒もイスラム教徒も同じ。 いつまでも古文書にしがみついているからそうなる。 それをやめないと真理には到達できない。TT 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。 by 釈尊 ここのスレの、判ったつもりになってる痛い子らは、 実際に神仏とはどんなものか知らないので、(笑) 多分漫画やアニメで見た「神様」や「宗教」でイメージしてるんでしょう。(笑) 或いはキリスト教や似非宗教のカルトで教わったのかも知れないが。(笑) 「神とは何か」とか、実際に向き合ってたら、そんなバカな問いは出ないでしょ。(笑) 「目の前に座ってる、この父親とは何か」とか「目の前に居る、この先生とは何か」とか、考える子供は、まぁ居ないわな。(笑) 居たら、精神科に連れていくべきだろ?(笑) (^。^)つまり、このスレの一連の書き込みは、よく知らない部外者の勝手な妄想なんだよね。(笑) 植木等の父親は住職で 等が少年時代、父親が等を寺の「仏様」の前に連れて行き、物差しでその頭を叩きながら「この音を聞いてみろ。金ピカだけれども中は木だ。こんなものを拝んでもどうにかなると思ったら大間違いだぞ」と諭したとか 結局のところ、宗教なんて信じるも信じないも個人の考え一つで変わるんだよね。 フォイエルバッハとヘーゲルを読めば悟れる。 大爆笑である。 >>362 時間もお金もありません。簡潔に教えてください。 洗脳の一種ですから、言語化して突き詰めると破綻します。 仏教の問題は、仏典と言われる本が多過ぎることにある。 こんなものを真面目に読んでいたら、それだけで人生が終わる。 本を読めば悟れるならまだしも、いくら本を読んでも悟れない。 仏典を数多く読んで知識を増やしても悟れない。 おのれの貪瞋痴を退治することによって悟りに到達する。 聖書や仏典という古文書を捨てて、町に行こう。 フロイトや、正反合の唯物弁証法を見つけて学ぼうじゃないか。 この二つが貪瞋痴退治に絶大な効果がある。 それに大学在学中で学び終わる。 宗教に嵌ってムダな時間を費やすより、 いっそのこと、すべての宗教書をいったん捨ててしまおう。 その方が早く悟れると思う。 本代などいくらでもないのだから、 必要になったら、また買えばいいじゃないか。 要するに、貪瞋痴を退治すれば、それでいいのだ。 私はねえ、宗教書ゼロでたまたま神と出会い、 想受滅を体験している。みんなもガンバリ。^^ 会話する時、私はいったい誰と向き合っているのか? 私 〜 無意識←(抑圧)←自分→言葉 誰 〜 無意識←(抑圧)←相手→言葉 この図から、両者が言葉で向き合っていることがわかる。 そして言葉のやり取りで相手を理解しようとする。 ところが、実際には両者の無意識を調べないと理解し会えない。 それが違えば、同じ言葉がまったく別の意味を持つからだ。 相手の存在を了解するには 言葉の世界を超えなければダメなのだ。 それを超えることが悟りである。 自分が善と言う時、自分にとっての悪が抑圧されている。 相手が善と言う時、相手にとっての悪が抑圧されている。 この二人は意見が一致したわけではない。 そうではなく否定し合っている。 条件が調えば殺し合う。 371 自分も相手も無意識なのに、 どうしてその無意識がわかるのだろうか。 お互い手がかりは言葉しかない。 この問題を突き詰めれば、すべての人間は自分中心であり、 自己愛を生きているだけになる。 自己愛を卒業することができれば悟りということになる。 宗教の古文書を苦労して読まなくても悟れるのだ。 ポッタンには病的なものを感じるがなぜだろう。 しなくてもよい短レスを繰り返すことで 相手ではなく、自分を罰しているのかもしれない。 パラノイアとか強迫神経症なのかも。^^ "(-""-)" hage 竜樹の「空」はごまかし 世親の「唯識」もごまかし こんなものに関わると一生悟れないで終わる >>369 フリーメイソンが崇めているのはサタン=ルシファーであり、人間の敵です 上位の階級で初めて明かされます "(-""-)" みんなも「モーセと一神教」を読んだらどうか ショックを受けるから >>377 この人は「ごまかし」としてしか理解出来なかった訳だが、(笑) ある物理学者は空に物理学を見出だし、 ある論理学者は空に論理学を見出だした。 また、バカなオカルティストだと空に自らの愚かな妄想を投影し、(笑) とある虚無主義者は空に虚無を見出だした。(笑) このパターンだと、空に「ごまかし」を見出だした人は普段から 「ごまかし」ばかりのクズ だと言えるよな?(笑) (^。^)あと、大乗仏教教学を否定しといて、なんで「悟りがー」とか仏教に阿るんだろうね?(笑) 語彙力が無いのかな?(笑) こういう一貫性の無いところも、ごまかしクズ野郎なんだよなぁ。(笑) 自他の分離 自己の維持 複製的増殖 さて、ウイルスやプリオンは生命と言えるのか? ♪ ♪ \\ ♪ 宗教〜なんて ララ〜ラ〜ラララララ〜 ♪.// ♪ ♪ ♪ \\ ♪ ♪// ♪ ♪ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ ♪ ♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*) ♪ (゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧ ♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)♪ ─♪──(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U | U.| | | U | || U. | || U. | || U. | || U. | |〜♪ ♪ | | U U. | | U U | | U U | | U U | | U U | | U U ♪ U U U U U U U U U U U U >>381 スッタニパータ >>382 物質でなければ生命になるだろうね。 神は命だが、生き物は命そのものではない。 命そのものは、直に物質と接触することはできない。 物質との間に何らかの緩衝材が必要になる。 その数は別にして、緩衝材はウィルスのような単純な生き物から、 人間のような複雑な生き物までに共通する仕組みである。 それゆえ、神そのものが生き物であるわけではない。 神(命)≠ 生き物 神(命)によって生き物は誕生するが、 命は物質ではなく、見ることも触ることもできない。 生き物を神(命)にした宗教はすべて誤り。 キリスト教は、この世で飲み食いした人間イエスを神にした。 従って、完全に間違えた邪教ということになる。 イエスを神にしたら「偶像崇拝」、十戒のAに違反する! あなたは、自分のために。偶像を造ってはならない。 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。 神 = 命そのもの 生き物 = 物質 + 心 + 霊魂(命) ーー モーセもイエスもマホメットもここに分類される 心 = 意識 + マナ識 + アラヤ識 ♪ ♪ \\ ♪ エリエリ、レマ、サバクタニ、ラララ〜 ♪.// ♪ ♪ ♪ \\ ♪ ♪// ♪ ♪ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ ♪ ♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*) ♪ (゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧ ♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)♪ ─♪──(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U(゚0 ゚*)| U | U.| | | U | || U. | || U. | || U. | || U. | |〜♪ ♪ | | U U. | | U U | | U U | | U U | | U U | | U U ♪ U U U U U U U U U U U U キリスト教は偶像崇拝を禁止する十戒Aに違反し、 人間イエスを拝んでいる「 邪 教 」である。 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、 また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたり してはならない。 わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。 わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、 幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 by 出エジ20:4-6 大原因(神)との合一 あるいは大原因(神)への強烈な信仰 これが宗教 永遠を求めてその答えを自身のうちあるいは世界の全てに見出して宗教は終わる シェマの祈り 聞け、イスラエルよ。 我らの神、主は唯一の主である。 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、 あなたの神、主を愛しなさい。 by 申6:4-5 * 心と魂とは、別の意味があり、区別されている。 神=命に出会えれば「宗教」は終わる。 なぜなら、実際に神(命)を知れば、信仰は不要だから。 >>393 > 神=命に出会えれば「宗教」は終わる。 なぜなら、実際に神(命)を知れば、信仰は不要だから。 』 ご飯には お信仰、いや お新香が必要不可欠だな。お新香が不要って パン食 なのかぁ!? >>394-395 同じことを繰り返し書くのは面倒臭いから、 このスレの前の方から読んでね。 ちなみにパン食が多いので、お新香は基本的に買わないし、 食べない。酒とつまみがあればいい。 "(-""-)" hage 聞け、イスラエルよ。 我らの神、主は唯一の主である。 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、 あなたの神、主を愛しなさい。 by 申6:4-5 神に会いたければ、自力で欲望、煩悩を完全に捨てればいい。 そんなことをしたら死んじゃうじゃないかと思うことなかれ。 実際、「一瞬」死んでしまう。意識が消えてしまう。 しかし神(命)に出会う。神をアラヤ識ではなく、マナ識で見る。 こんなことは宗教本をいくら読んでもわからない。 言葉の世界を超えたところに、神がいる。 読書の質量ではなく、苦悩の質量が神との出会いを可能にする。 要するに、欲望・煩悩を捨てることができれば、 神(命)に出会うことができる。 これが究極の、釈尊の教えだ www 残念だが、命に出会ってなければ、ここまでは書けない。 このスレの私の発言を吟味してみなさい。 要するに、欲望・煩悩を捨てることができれば、5ちゃんねるにカキコするようなことはない。 今は5ちゃんねるがあってだね、 そこで語れば教団なんかいらないのだー 本を書く必要もない。 金儲けをしたいとは思わないからそれでいい。 いい時代がやって来たー 🙏 5ちゃんするだけで、世の中的には犯罪者か出来損ない確定とみなされる。 釈尊の教えに「筏のたとえ」がある。 筏によって此岸から彼岸に渡ることができたら、 その筏はもう不要だ。川岸に捨てて去る。 私の筏は、フロイトの精神分析と正反合の唯物弁証法だった。 でも、もうとっくの昔に捨てている。 宗教に関しては笑っていたから、聖書も仏典も興味がなかった。 かえってそれが幸いしたかもしれない。 宗教を信仰すると、その信仰を捨てられないからダメだね。 聖書や仏典が自己目的化し、彼岸へ到達できない。 >>408 5チャンのような、吹き溜まりみたいな場所に、 大悟する者が現われると思うけどね。 「モーセと一神教」を再読したが、やっぱしフロイトはすごい。 80歳近いのに、その内容は「神」に迫ろうという鬼気迫る情念だね。 そして無神論の唯物論者フロイトが動揺している。 その文章に動揺が見える。 たぶん、モーセのように、「神」を見つけたのかもしれない。 鬼気迫る情念と真偽は関係ないし、動揺とも無関係だ。 宗教は駄目だねえ。 >>414 たぶん、フロイトの「モーセと一神教」を読んでませんね ^^ かなり長い論文なので読み通す努力が必要です。 >>415 モーセは「見神」してますね。 釈尊もイエスも。ただフロイトは微妙かもしれない。 でも、無神論から有神論へと宗旨替えをしたのは間違いない。 一神教よりギリシャ日本北欧などの多神教の方が、信仰の強さ、裏切られた時の落ち方 のような悩みと無縁。一人の主婦と一人の種神じゃ世界のモデルが短絡的。 イスラムが危険といわれてみてられないのもその点。しかしイスラムスレッド伸びない。 >>411 >釈尊の教えに「筏のたとえ」がある。 >筏によって此岸から彼岸に渡ることができたら、 >その筏はもう不要だ。川岸に捨てて去る。 釈尊のこのたとえ話は信仰の否定ではないだろうか。 なぜなら、欲望や煩悩を否定することこそが肝心なのに、信仰は 欲望や煩悩をそのままにして救われたとカン違いさせる。 そのため苦からの救済を逆に遠ざけてしまう。 信仰を筏にすることはできない。信仰することによって、 すでに救われているとカン違いしているのだから。 つまり、信仰を捨てない限り、彼岸には行き着けないのである。 宗教を信仰すると、信仰の心的な構造からして 神(命)に出会うことも、悟ることもができなくなる。 そこで釈尊が次のように説いたのでは ・・・ 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。 by梵天勧請 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。 by梵天勧請 無駄だ。 全てはホモサピエンスが統合失調の猿であることを示しているに過ぎない。 鬼気迫る情念と真偽は関係ないし、動揺とも無関係だ。 宗教は欺瞞 。 「見神」は基地外。 今まで三億円以上財務上納しました 今はあばら家住まいです 宗教は = ずる賢いサギだ www ・信者が幸運で順調だと ← 信仰のお蔭・・・(もっと献金を) ・信者が不運で逆境だと ← 信仰が足りない・・・(もっと献金を) ⇒ 信者はどちらにしても献金や布施を迫られる ⇒ サギ師はどちらにしても金儲けの材料に使える ⇒ サギ師にとっては、聖書や仏典が使いやすくできている (TT ⇒ どんな宗教にも近づかないのが吉 既成宗教や新興宗教から、 できるだけ早く抜け出した者が勝利者になるだろう。 宗教を信じていいことは全くない。 自分の人生なんだから、自分の頭でよくよく考えよう。 十年でも二十年でも三十年でも考えようじゃないか。 私は二十年考えたのだね。v "(-""-)" v >>429 神を引き合いに出して教祖が災害の予言はしない 世の中や世界を動かす特別な使命を持った信者の祈りと献金次第でその未曾有の大災害は回避されるのだ という口実で毎月多額のカネ集めもしない 信者が何十時間も何日も何日も必死に祈ってなおかつ多額の献金をしないと 日本に原爆が投下されるだの 北朝鮮が攻めてくるだの 未曾有の地震や災害が日本が襲うだの 洗脳された信者を脅して毎回多額の献金させるような事はしない だから、反社会性を帯びたインチキ〇〇ト宗教と言われて司法のご厄介になったり世間に断罪されるような事はない 本物の神様が強力に護っているので俗世のトラブル裁判沙汰も皆無 反社会的な宗教的活動の典型的サンプルとして日弁連のサイトに掲載されることも無い 労力や金銭、時間の一方的な搾取に不満を抱えて脱会した信者がひとりも存在しない だから元信者のブログやサイト、某巨大掲示板の書き込みに対し 「これ以上教団に都合の悪い書き込みをやるな」というスラップ訴訟を仕掛ける必要が無い 災害が起きなければ教祖と信者の祈りのおかげ 災害が起きても 「必死の祈りと神(教団や教祖)に捧げられた献金で本来起きるはずの災害よりはだいぶ縮小された」 などと言ってやっぱり教祖と信者のおかげ あるいは 「信者の祈りと献金額が全く足りていないせい」 と教祖が信者を叱りつけ次のイベントで更にカネを吐き出させる口実にすることは一切やっていない こんな模範的で清々しい宗教団体があるならば是非紹介してください! 私にとっては 私が産まれて生きることに満足して どんな死に方でも その瞬間に喜んで死ぬために 役立てばいいなと思っている >>431 宗教のパラダイスは、 釈尊たちが乞食をした時代で終わったのかもしれない。 イエスも浮浪者たちと一緒に放浪した。 今の時代は、犀の角のように独りで歩むしかなさそうだ。 >>432 気負いがなくて、静かな文章でいいね。 何があっても、自分が幸せならそれでいいのだろう。 凡夫だとそんな心境にはなかなかなれないが。 ^^ 創価学会は 戦後戸田会長の指揮のもと、 広宣流布を目指して躍進を続けてきた。 折伏に次ぐ折伏で会員数を増やして、 もう十分、自分たちで会を運営維持できると自信を持った時。 宗門離れに 拍車をかけてきた。 その方法とは、宗門にあらぬ限りの不満をぶつけ、 宗門から破門を言い渡されるのを待っていたのだ。 それを学会では『 これほどまでに宗門に尽くしてきたのになぜ?』と会員に 吹聴して行った。 お蔭で 会員もろとも宗門から脱出できたのはそのためだ。 学会が独立後も、会員を宗門に戻さないために、あらぬ限りの宗門攻撃したために、最小限の会員を流出しただけで、 安泰状態を保っている。宗門からの脱退作戦は大成功裏に終わったが、 その事とは、つゆ知らず 会員は哀れな限りで、まるで ロボット的に飼育された羊の群れに等しい存在だ。 人間には三つの選択肢がある @ 間違った霊の道 → 世俗 (地上の財宝を求める) A 完徳の狭い小道 → 無・無・無・無・・・(山には何もない)? B 不完全な霊の道 → 信仰 (天上の至宝を求める) >>435 > 創価学会は > 戦後戸田会長の指揮のもと、 広宣流布を目指して躍進を続けてきた。 > 折伏に次ぐ折伏で会員数を増やして、 > もう十分、自分たちで会を運営維持できると自信を持った時。 > 宗門離れに 拍車をかけてきた。 > その方法とは、宗門にあらぬ限りの不満をぶつけ、 宗門から破門を言い渡されるのを待っていたのだ。 > それを学会では『 これほどまでに宗門に尽くしてきたのになぜ?』と会員に 吹聴して行った。 > お蔭で 会員もろとも宗門から脱出できたのはそのためだ。 > > 学会が独立後も、会員を宗門に戻さないために、あらぬ限りの宗門攻撃したために、最小限の会員を流出しただけで、 > 安泰状態を保っている。宗門からの脱退作戦は大成功裏に終わったが、 その事とは、つゆ知らず 会員は哀れな限りで、まるで ロボット的に飼育された羊の群れに等しい存在だ。 それが宗教の何なのですか、 私にはさっぱり、 何が何だわかりませんが。 それが宗教の音何なのですか、 私にはさっぱり、何が何だかわかりません。 人間には三つの選択肢がある @ 間違った霊の道 → 世俗(地上の財宝を求める) ・ 間違った道に従ったから、山へ登ることが出来なかった。 ・ 要求されればされるほど少なく持って行った。 人間には三つの選択肢がある B 不完全な霊の道 → 信仰(天上の至宝を求める) ・ 至宝を求めたから、小道を登った場合より少なく儲けた。 ・ 小道を進まなかったから、時間がかかり少なく登った。 人間には三つの選択肢がある A 完徳の狭い小道 → 無・無 ・・・ 山には何もなかった。 ・ 何もなかった所に自分自身を置いた時、何も不足していない。 ・ 自我愛で愛さなかった時、求めないで全部を与えられた。 義人らのためには掟がないから ここにはもう道がない ・・・ 完徳の狭い小道 休息 これもなし -- 無 -- 知識 それもなし 学識 これもなし -- 無 -- 慰め それもなし 名誉 これもなし -- 無 -- 愉悦 それもなし 自由 これもなし -- 無 -- 安全 それもなし 喜悦 これもなし -- 無 -- 光栄 それもなし より欲することが -- 無 -- 益々何かあるだろう 少ない ------------ 山には何もない ------------ 完徳の狭い小道 やっとここまで来たのに、またしても目の前に断崖絶壁が 聳え立っている。いまさらもう死ぬ以外にない ・・・ 待て そこに何か書いてある。希望・安心・信仰 ・・・ 愛・喜悦・平安・堪忍・忍耐・善良・慈恵・温良・真実・謹慎・節制・真操 叡智・聡明・賢慮・剛毅・知識・孝慈 ーー 自分に足りなかったものは何だろう。 ーー ああそうか、そういうことか。💡 完徳の狭い小道 そして、神的沈黙と神的叡智の、愛の饗宴が始まる。 我は汝らを導きてカルメルの地に入れ、その実と良き物を 食せしめたり。エレミヤ2:7 この山こそ嘉(よみ)し給う。 この山の上には神の光栄と御栄とのみが住む。 生命に至る門は狭くして、 これを見出す人少なきかな。 マタイ7:13−14 断崖絶壁に行く手を阻まれ、眼下の海を見つめるだけなら、 ヨーガはただ道をしめして、命ずるのみである。 ーー古き衣を脱ぎ捨てて、眼下の海に身を投げよ しかし、「完徳の山」を登っていくと断崖絶壁が逆に聳え立っている。 これ以上は進めない。死ぬこともできない。どうしたらいいのか。 ーー自分の命を、他者のために使えばいいのではないか。 ーー肉体的ではなく、精神的に死のう・・・ そう考え直したら、断崖絶壁のはるか彼方から、 「命の雫」が一滴、頭の中、額の中央あたりに静かに落ちてきた。 人間が神の御座へと登るのではなく、 最後の最後は、神のほうから人間のところへやって来る。 ーーこれが「十字架の聖ヨハネ」の教えである。 十字架の聖ヨハネ 1542年〜1591年12月14日 49歳没 アビラのテレサと共にカルメル会の改革に取り組む。 孤児院育ち。25歳で洗足カルメル会の司祭。 周囲から批判され35歳の時、トレドの修道院に幽閉される。 翌年脱出したが、病のためにウべダの修道院に送られて49歳没。 カトリック・聖公会の聖人。12月14日は聖ヨハネの日。 聖ヨハネは、「完徳の山」の図で「信仰」を 不完全な霊の道として否定している。それに聖書の言葉はあるが、 イエス・キリストの名は書かれていない。 聖ヨハネはスペイン人だから、異端尋問の厳しかったスペインで、 周囲からの批判は受けたが、よくぞ無事だったと感心する。 しかし、「完徳の山」の図を見れば、 王様の顔のようなものが一番上にあり、聖書の言葉も書かれていて、 言い逃れができるように工夫したのではなかろうか。 王様はイエスであり、イエスの言葉も書かれているではないかと。 信仰を否定しているのに、カトリック・聖公会の聖人になるとは! 聖ヨハネの作戦勝ちだね "(-""-)" 聖ヨハネは36歳ごろ、「暗夜」と「カルメル山登攀」を書いている。 前者の解説書が→後者「カルメル山登攀」である。 ここでは「暗夜」の詩を少し引用しよう。 1 暗き夜に、炎と燃える、愛の心のたえがたく、 ーおお恵まれし、その時よ 気づかるることもなく、出づ ーすでに、わが家は、静まりたれば 2 闇にまぎれて 恐れなく それとは見えぬ姿にて、 ー隠れし梯子をのぼりゆき おお恵まれし その時よ ー暗闇に身をば かくして すでにわが家は 静まりたれば 3 恵まれし その夜に 気づかるるなく しのびゆく ー目にふるる ものとてもなく 導く光は ただひとつ ー心に燃ゆる そが光 聖ヨハネは霊的な喜びを詠っている 1 おお恵まれし、その時よ・・・すでに、わが家は、静まりたれば 2 ・・・おお恵まれし、その時よ・・・すでにわが家は、静まれたれば 3 恵まれし その夜に・・・ 教皇ベネディクト十六世が聖ヨハネについて語っている。 信仰や三位一体やイエスキリストは余分だが。 https://www.cbcj.catholic.jp/2011/02/16/8127/ 455は失敗したので 「教皇ベネディクト 十字架のヨハネ」で検索してください。 信仰を否定する聖ヨハネが、 「十字架のヨハネ」という洗礼名を選んだのはなぜなのだろう。 幼児洗礼での洗礼名は「ヨハネ」だったようである。 しかし、修道院では「聖マチアスのヨハネ」に変わった。 このマチアスは、12弟子のユダの代わりに選ばれた人物である。 ユダは主としてエチオピアで宣教、64年ごろ十字架で殉教。 その後さらに聖ヨハネは、修道院上長の許可を得てから 「十字架のヨハネ」と改名した。この経過を見れば、 聖ヨハネは最初、信仰の道を熱心に歩んでいたことになるだろう。 >>460 の訂正 × ユダは主としてエチオピアで宣教 ・・・ 〇 マチアスは主として ・・・ 聖マチアスは、大工・仕立屋・アルコール依存症の後援者である。 孤児院育ち、修道院生活の聖ヨハネには強い違和感があったのだろう。 聖ヨハネは、親兄弟との縁が薄かったがゆえに、 神との出会いを切実な思いで求め続けていたのではなかろうか。 「十字架のヨハネ」という名前にはその思いがこめられている。 それはイエスに従おうという決意表明である。マタ11:38 十字架の聖ヨハネ 1542〜1591 49歳没 本名 ファン・デ・イエべス 洗礼名(幼児洗礼) ヨハネ 〜 ヤコブの兄弟のヨハネ 原罪ゆえに人が生まれるので守護聖人を決めて守ってもらう 修道院名 聖マチアスのヨハネ 〜 本人の希望 その変更 十字架のヨハネ 修道院名は本人の希望によって決まる。 ただし、いったん決めたら簡単には変更できないようである。 聖ヨハネが「不完全な霊の道」として「信仰」を否定した理由 これについては、アビラのテレサ(1515〜1582、67歳没)との カルメラ会修道院改革が関係している。ヨハネとテレサの年齢差は27。 テレサは女子修道会の改革に成功したが、ヨハネの場合は難航し、 ついには修道院に9か月幽閉される事態になる。ヨハネは、 聖書に精通した修道士たちと議論し対立し、激しく争ったことであろう。 たぶんこの争いによって、ヨハネは「信仰」の限界を知ったのだ。 そして、信仰は不完全な霊の道だと ・・・ 悟った。 なぜ女性のテレサが改革に成功し、男性のヨハネは挫折するのか。 それはたぶん、キリスト教信仰における男と女の違いにある。 三位一体の教理から、男性のイエスが信仰対象にされているからだ。 女性の場合、イエスキリストへの信仰が恋愛感情と重なっている。 テレサの神秘的な恍惚感にはイエスとの合一が読み取れる。 テレサに憧れたマザーテレサにも同じような神秘体験がある。 他方、男性の場合は事情が異なっている。 イエスが男性であることが邪魔し、簡単には信仰に集中できない。 男性は基本、理論的にしかイエスを受け入れない。 十字架のヨハネは修道会改革を進める中で、 キリスト教「信仰」に絶望したのだ。 そして、自分に絶望すると同時に、神との出会いを果たし、 自分が「完徳の狭い道」を歩んで来たことを自覚する。 それが自覚できたからこそ、信仰という「不完全な霊の道」を 区別し、切り捨てることが可能になった。 ローマ教皇フランシスコが11月23日から26日の四日間来日。 世界平和の大きな翼 〜 カトリックを歓迎しよう。 人が神を探す時、まず神が人を探されており、 あなたがたが神を見出そうとする時、 神が最初に私たちを見出されます。by フランシスコ 教皇フランシスコ 〜 この名はアッシジのフランチェスコにちなむ 自伝より 〜 17歳(!)の時に体験した神との出会い 私に奇妙なことが起きた。何が起きたか解らなかったが、私を変えた。 不意打ちだったと言えよう。半世紀後の私はこう解釈する。 それは一つの驚き、(神との)出会いという驚きであった。私は自分が 求められていることを理解した。それは、一つの宗教的経験であり、 待っておられる方がいるという不思議な体験であった。 私にとってその瞬間から、神は人間に「初めに」語る存在である。 人が神を探す時、まず神が人を探されており、 あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出される。 469.おごるポッタンは久しからず。 大爆笑である。 何本もトラック録音して一人大爆笑するポッタン きめぇなw キリスト教の場合、イエスが男であるがゆえに、 女性信者の思いはイエスに向かっていく。 あるいは赤子を抱くマリアである。 これに対して男性信者の思いはマリアに向かう。 つまりキリスト教は、女性優位の宗教なのだろう。 もともと、神を男とか女とかにすること自体に無理がある。 キリスト教の根本的な誤りは、人間イエスを神にしたことにある。 イエス自身は「自分は神だ」と言ったことがないのに ・・・ 神は男なのか女なのか。この問題を「四句分別」で整理すれば @ 神は、男である → 十戒第二に違反 A 神は、女である → 同上 B 神は、男であり、かつ女である(半陰陽) → 同上 C 神は、男でもなく、女でもない → 十戒に合格 十戒第二・・・あなたはいかなる像も造ってはならない。(出エジ.20:4) イエスを神にしたのはどこのどいつだよ。パウロか。 カトリックの十戒は、第二戒の偶像崇拝禁止を削除している。 この戒を削除したら旧約聖書の世界が崩壊する。 ユダヤ教(モーセ教)の「かなめ」は偶像崇拝禁止だからである。 神は命であり、命は物質ではない。 だからこそ、偶像崇拝禁止なのである。 その結果として、神を探そう、命を探そうという話になる。 イエスや金の子牛を偶像崇拝したら、神や命を探さなくなる。 キリスト教の最大の誤りは「人間イエス」を神にしたことにある。 では、仏教はどうなのか。 阿弥陀とか大日如来とかを空想し、 空だとか無我だとか体験できもしない虚しい屁理屈をこねる。 こんな話を信仰すれば人生を浪費するばかりである。 キチガイとしか言いようがないキリスト教徒よりはましだろうが、 仏教徒の思い込みも相当ひどい。 かれらには身動きが取れそうにない窮屈な思い込みがある。 いまさら後に引けない事情もあるのかもれない。 ーー 洗脳度的には、キリスト教徒>仏教徒だろうか。 474.神は命、命は物質でない、か。 バカ丸出し、である。 要するに、仏教もキリスト教もダメなのだ。 信仰が邪魔をして、真理に到達することができない。 ではどうしたらよいのか。自分の信仰を捨てる必要がある。 信仰を捨て、自分の頭で考えなければならない。 その代わり、日常生活を重視し、 哲学や心理学や文学を参考にしながら、真理を探求すべきである。 私は宗教を笑っていたから、最初から信仰とは無縁だった。 たぶんそれが幸いし、30歳ごろ神と出会っている。 神(命)と出会うまで、宗教本を全く読まなかった。 熱中したのは、フロイトの著作、正反合の唯物弁証法である。 疲れたら、詩・小説・絵画・音楽などを楽しんでいた。 今思えば、宗教上の制約がなく、けっこう気ままだった。 アルバイト生活で貧しかったから、貧しさが生活を律していた。 つまり何も知らずに、カルメル山の小道を登っていた。 宗教本を読み始めたのは、神(命)に出会ってからである。 最初に読んだのは聖書(新約・旧約)だったが、 パウロ以下の手紙と黙示録は興味が全然わかずに読めず、 福音書→旧約→手紙・黙示録の順になった。 旧約は三か月かけて、最初から最後まで一気に読んだ。以上 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。 by 釈尊 藤村操 1887.7.20〜1903.5.22、15歳と10か月没 巌頭之感悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て此大をはからむとす。 ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。 ヨーガはただ、道をしめして命ずるのみーー 古き衣を脱ぎすてて、眼下の海に身を投げよ 俗なるものの否定に聖なるものは顕現し、 聖なるものの力によって 俗なるものは聖化されるーー 藤村操の「厳頭之感」は、若干16歳の文章とはとても思えない。 ウィキで調べたら、北海道の名家の生まれであり、父は屯田銀行頭取、 弟は建築家で三菱地所社長、妹の夫は安部能成である。 操自身は幼いころから優秀で飛び級もし、単身で上京、 第一高等学校に入学している。操が上京してまもなく父がなくなり、 母と弟妹も上京して同居する。 学校では、英国帰りの「夏目漱石」が英語教師をしていた。 操は英語に興味が持てなかったのか、授業で英文の日本語訳を指示 された時、それができなかった。夏目は予習を言い渡したが、 それを無視したため怒られる。そんなことがあった二日後に操は 自殺してしまう。夏目も責任を感じ焦ったことだろう。 藤村操については残念でならない @ 子供のうちから哲学的になるのはよくない。 ーー名家だったから家に相当な蔵書があり、たぶんそれをこっそり ーー読んでいたのだろう。哲学的な話は子供には毒だ。 A 「不可解」は人生の終わりではない。 ーー不可解だから探求が始まる。それは探求の始まりである。 B この問題は、ある程度の人生経験が必要である。 ーー釈尊もイエスも孔子もマホメットも30歳を超えてからだ。 C 操という名前はどうだったのか。その意味は、 ーー自分の立てた目標や考えを固く守り通すこと ーー貞操(もとは神々しい青の美しさをいう) ・・・ 女性の名前? 藤村操も秀才である。 だが万能ではない。 自分の得意分野だけをやれば良かった。 そうすれば天才となれる。 今では放送大学が良い。 神に出会うのは至難の業である。 なぜなら、神は、人間ごときに騙される御方ではないからだ。 ヨブ記のように、神は神を探す人間を試みる。 過酷な試練によって、その人間の心の底の底を確かめる。 神を相手にして勝てる人間はいない。絶望だけだ。 しかし、絶望して死んだら負けだ。 神は、まだ命が残っているではないかと迫っている。 その命をどうするのかと ・・・ 生か死か、それが問題だ。 人間は心と体でできている。 心は非物質であり、体は物質でできている。 ゆえに、心は物質的には解明できない。 しかし、心は非物質であるから、心を用いて、 非物質である神や自己に近づき、それらを体験し、 神や自己を知ることができる。 心が、神や自己との出会いを可能にする。 つぎの問題を考え抜けば答えが出てくる @ 自分はなぜ生きているのか A 愛とは何か 私は10歳頃に問題を設定し、「大人になったら」思う存分、 時間を費やそうと心に誓った。← これが賢い そして30歳頃に神(命)に出会い、それから半年後には、 坐禅で想受滅をして自己(霊魂)に出会った。 宗教を笑っていたから、宗教書を1冊も読んでないのに、 神(命)に出会い、自己(霊魂)に出会ってしまった。 自分が何を体験したのかもわからない状態だったので、 あわてて聖書から読み始めた。私の場合は信仰ではなく、 体験した事実として神や霊魂を受け入れている。 ただし物事には順序がある。 まず最初に、考え抜くことによって神(命)との出会いをする。 その次に、坐禅によって自己(霊魂)との出会いをする。 いきなり坐禅を始めるのは順序を間違っている。 神(命)に出会えないだけでなく、自己(霊魂)にも出会えない。 たいがいの場合、時間のムダでしかない。 かりに想受滅ができたとしても、生きて帰れず そのまま死んでしまうだろう。 【神(命) → 自己(霊魂) の順序】を厳守すること これが安全であり、近道でもある。 神はいったい、どんな人間を天国に招待するのか? 神の視点で考えてみよう 金持ちが天の国に入るのは難しい by マタ19:16-26 一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、 どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 イエスは言われた。 「・・・ もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。 「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また隣人を自分 のように愛しなさい。」 そこで、この青年は言った。 「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 イエスは言われた。もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、 貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。 それから、わたしに従いなさい。」 青年はこの言葉を聞き、 悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、 あなたがたはもう慰めを受けている。 by ルカ6:20,24 始めに言葉ありき。 言葉は真理であった。 真理は神であった。 イエスは言われた。 殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、 また隣人を自分のように愛しなさい。 これらは十戒の第五から第十に該当するが、 自己愛から他者愛に突き抜ければ全部クリアできるではないか。 ということは、自己愛を卒業すれば 神(命)に出会えそうである。 宗教とは自分の保護者(天使、御使い)などと交わる機会かと。 500.宗教とは世界から、排除、疎外される、ことである。 ハゲ豚は女を盾に利用して使い捨てするのが楽しいんだろ? 利用できるモノは利用する 俺はお前よりかっこいいから女には不自由しない 俺に危害を与えるのはハゲ豚なら証拠をみせろ。 日本製○の本スレで「ハゲ豚キモイ能無しの役立たず」ってレスして 確認出来たら信じる アルベルト・アインシュタイン 人の価値とは、その人が得たものではなく、 その人が与えたもので測られる。 >C 神は、男でもなく、女でもない → 十戒に合格 グレイ 藤村操もそうなんだが、 苦痛だから、生きていることがつらいから自殺してしまう。 つまり、自殺は自己愛の一種ではないだろうか。 これが「自殺は罪だ」と言われる理由か。 他人のために自殺する人はいないなあ ・・・ ヨハネ福音書 15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 これに気づくかどうかが分かれ道。 自己愛を否定し他者愛を選べば、神(命)に出会うことができる。 新約聖書はミソクソ混ぜこぜになっていて油断ならないが、 この箇所は信用してもいいだろう。 他人のために自殺する人がいない、ということは、 この地上には愛が存在しない、ということを意味しないか。 人間は砂漠のような場所に住んでいるのか。 自殺を考えるなら、その命を友のために使えばいいだろう。 そう気づくかどうかが運命の分かれ道になる。 夏目漱石は何を考えていたのだろうか? 47歳の時に、「私の個人主義」を学習院の学生に講演している。 ーー 青空文庫にあるのでお勧めしたい。 ーー それほど長くないし、おもしろくてわかりやすい。 >>490 それにはまず物質である体を捨てなさい。 漱石は49歳の時、「則天去私」を説いてから亡くなった。 則天去私とは、小さな私を去って自然の導きに従うことをいう。 彼の作品「それから」には、「賽を投げる以上は、天の法則 通りになるより外に仕方なかった」とある。 「私の個人主義」を講演したころに何があったのか? 43歳、胃潰瘍で吐血 45歳、胃潰瘍以外に痔、神経衰弱、糖尿病などを患う 49歳、胃潰瘍再発、内出血にて死没 ーー 生い立ちも病いも死も従容と受け入れる = 則天去私か ? 漱石の時代においては、死を覚悟するような病気だったかも。 結核もかっては死病であった。^^ 宗教というものは頭でわかるものではありません。 キリスト教の神は、聖書の最初の段階【創世記】の部分から間違いを起こしています。 「 神はこの世に全てのものを作られました」 というところです。 そのところ詳しく話しますと、 まず第一目に神は天と地を創造された。 二日目に、大空を作ってその大空の上下に満々とたたえる、 水で覆つています。 3日目に地上に繁茂するあらゆる草木を作られました。 そしてやっと太陽とか地球に輝く星々を作られたそうです。 五日目には鳥類、爬虫類、海に群がる魚類、などを作っています 。 最後は6日目に入って地上の動物と、人間を作られたいうことです 。 ここまでの話で、なんだかおかしいと思いませんか? 今から、2000年も昔でしたら、天文の知識もないし地球もごく平らなものだと思っていましたから、 神の言うことは何でも、真実だと信用していたでしょう。 しかし現代の、 文明が発達し 宇宙の始まりまで、解ってきては、聖書がただの神話、物語となってしまい、 そこには、真実を説いた神の姿など は、微塵も感じられません。 ずばり一生分稼ぐ株でね でもまだ働いてるわ 株チューバーていいのいない 共栄タンカーあてるとは 毎日興奮してるからデパス必須 ベンチャーオーナーから教えて貰ったサイトほんまもんに使える。 https://twitter.com/kabuzyouhou イチバン手っ取り早く稼げるのって結局投資でそれも株だと思い知らされた 株ならコノ人がいい、とりあえず感謝してる。自分的には神株さま https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ヨブ記の構成について ・・・ 試論 32章 〜 37章 エリフの言葉 38章 〜 41章 主なる神の言葉 @ これらはヨブの自問自答・独白であること A ヨブが神と出会うのは、42章4節の一瞬 B 1〜2章、42章 結びは枠文学であることを示している 内村鑑三の「ヨブ記講演」を青空文庫で見つけ 少し読んでみたが、やたら長過ぎるし、 旧約なのにキリスト教視点で読み解いている。 キリスト教徒だから仕方ないのだろうが、 それはないだろうと思った。TT ユングは「ヨブへの手紙」を書いているが、 書評などを検索して読むと、ヨブは旧約の神より優秀であり、 それを知った神はキリストになって地上で修行する、 という話をそこで説いているらしい。あほくさ。 証拠も根拠もない、狂ったユングの妄想としか思えない。^^ ヨブはなぜ自殺しなかったのだろう? 自分は正しい、自分には罪がないと思っている人たちは、 簡単には自殺しないだろう。自殺する理由がないし、 罪を認めることになるからだ。 しかし、そういった自己愛自体が罪であるなら、ヨブは罪人である。 神やエリフとの自問自答によってそのことにようやく気づく。 その瞬間、ヨブは深く絶望し、自分の死を完全に受け入れたが、 これで終わりなら、ヨブは罪人として死ぬばかりである。 ここでヨブは、常に善行を心掛けていた日頃の習慣から自然に、 どうせ死ぬなら自分の命を善いことに使おうと考えた。 ーー すると、神の雫がヨブの心に落ちてきた ーー ヨブ記が難解なのは、 自己愛を捨てることが問われているからだろう。 あなたは他者のために自殺できるか。 これは実行しがたいからこそ、理解できないのだ。 他者愛に生き、自己愛が消えてしまえば、 ヨブの苦難も一瞬で消えてしまう。雲散霧消する。 神(命)との出会いがそれを可能にする。 神は存在する。そして偉大である。 @ 自分はなぜ生きているのか なんとなく A 愛とは何か オキシトシン >神は存在する。そして偉大である。 根拠不明証明なし。 >>531 あれれ????? ヨブ記を手掛かりに、神との出会い方を書いたのですが 聖書読んでも自分の知りたいこと書かれてない やっぱり禅だな 自己愛 → 他者愛 ・・・ 神(命)との出会いが生じる。 この出会いによって神の至福を体験する。 すると不思議なことに、自然と坐禅がしたくなる。。。 すでに自己愛から離れることができるから、 数息感によって短期間で想受滅に入ることができる。 想受滅に入れば自動的に霊魂体験をする。 霊魂状態は痛いほど清浄だが、 神との出会いで味わった至福感とはまるっきり違う。 その違いに気づいて地上の身体に戻ることができる。 無事、坐禅終了。五感が驚くほど鋭敏 ・・・ 世界人口が70憶人として、 悟った人は世界で7人ぐらいだろうか。 それとも70人。いてもおかしくない数字だけどね。 それとも7百人。こんなにいるかなあ。 それとも7千人。これだけいれば世界が変わるだろう。 それとも7万人。こんなには絶対いない。 宗教が誕生した時代は王が強く好き勝手やってる時代 差別、奴隷は当たり前 そんな王に対抗するために生まれたのが神の名を使った宗教 最初に宗教を考えた人は純粋に理不尽に苦しむ人々を救いたかったのかもしれない だが、いつしかその宗教さえも人間は権力や金儲けの道具に変え現在に至る 神がいるならそんな信者達に真っ先に罰を与えそうだが歴史上そういう事実は一度もない 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 敦盛(幸若舞) 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ 人間百二十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか これで後半の寝たきりだと、口惜しかりき次第ぞ キリスト教徒の罪と罰は、 人間イエスを神にして偶像崇拝するところにある。 仏教徒の罪と罰は、 神を探すことなしにイキナリ坐禅を始めたり、 呪文を唱え始めたりするところにある。 求道者が最初にやるべきことは、 真実の「神」を探すことでなければならない。 真理に到る道はこれ以外にない。 凡夫問う。 煩悩は108つもあるが、 これを全部捨ててしまうにはどうしたらよいか。 無学道答える。 煩悩の根っこは自己愛だから、 自己愛を捨てよ。 煩悩は108つもあったのか? それは何と何と・・・何ですか? 6っ個あり。眼耳鼻舌身意 3っつあり。好き嫌い、平 2つあり。浄(きれい)、染(きたない) 3っつあり。前世、今世、来世 すなわち、6×3×2×3=108 回の除夜の鐘 キリスト仏教批判なんて掲示板では好評スレッドが続かないと終わらないな。 今年は水害の多い年でしたが、被災された方々には 心からお見舞い申し上げます。m(__)m さて、11月中に粗大ごみを処分、大掃除もだいたい終わり、 12月1日にはお屠蘇に雑煮を食べました。 別にキリスト教徒じゃないし、 今年はクリスマスを完全に無視することにしました。 それでなくても忙しいのにクリスマス・ソングで 余計せわしなくなってしまうからです。 (-"-) hage 今日も無事終了。眠いのでもうじき寝まつ。 538神も仏も名無しさん2019/11/29(金) 23:03:11.19ID:nCgDd5MD 世界人口が70憶人として、 悟った人は世界で7人ぐらいだろうか。 それとも70人。いてもおかしくない数字だけどね。 それとも7百人。こんなにいるかなあ。 それとも7千人。これだけいれば世界が変わるだろう。 それとも7万人。こんなには絶対いない。 この世には大別して二種類の人間がいる。 金や銀や銅のスプーンをくわえて生まれた、幸運な人たち。 もう一つは泥のスプーンをくわえて生まれた、不運な人たち。 神はどちらを選ぶのか? 泥のスプーンをくわえた人たちを選んでいる。 貧しい人々は、幸いである。・・・ 悲しむ人々は、幸いである。・・・ すなわち神は、貧しさや悲しみを選び、祝福している。 なぜなのか? ・・・ 神が幸運な人々を見捨てるのは、 生まれつき幸運な人々は神を探さないからである。 ーー かれらは外交的であり、スポーツに興じて体を鍛え、 ーー 海外に興味を抱いて外国語に興じ、やがては海外に出張する。 ーー それが人生なのだと頭から思い込んでいる。 これに対して不運な人々は、なぜ不運なのかと人生を考え始める。 神はこういった内向的な人間を待ち望んでいるのだ。 かれらこそ、神を探し当てるからである。 TV、芸能界、宗教、ヤクザ、政界となって特定の一般人追い込みかけるのやめろ! 夏目漱石は「外交的」な性格なのかもしれない。 文豪と言われて別格扱いされてるが、 その作品は趣味人・文人的な臭みが濃厚で感動とは無縁。 これに対して宮沢賢治とか中原中也とか荻原朔太郎とかは、 たぶん「内向的」な人間だったのだろう。 藤村操も、外国語嫌いのスポーツ嫌いだったのかもしれない。 人生の探求に外国語もスポーツも無意味だからね。 求めなさい(マタイ7:7-10) 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。 そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、 門をたたく者には開かれる。 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、 石を与えるだろうか。 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。 おのが信仰を捨てよ。 by 梵天勧請 「人に魚を一匹与えれば一日の食事になるだろう。人に釣り方を教えれば一生の食事になるだろう。人に宗教を与えれば一匹の魚を願いながら死ぬであろう」 >>564 まあ、宗教はそんなものかもね。 宗教とは、不完全な霊の道でしかない。 キリスト教もイスラム教もユダヤ教も仏教も神道も ・・・ 統一とか×××とかは論外なり キリスト教徒は神を知らないで神に祈っている。 かれらに「神とは何ですか」と聞けば、「神は主であり、 イエスが主であり、イエスが神だ」と答える。 かれらは、この地上で飲んだり食べたりした、十字架で殺された イエスが全能なる神だとすっかり信じ込んでいる。 しかしイエスは、この地上で生きていた普通の人間でしかない。 すっかり洗脳され、普通の人間が神のごとくに思えるらしい。 神を知らない人たちのタワゴトとしか思えない。^^ 同じことは仏教にも言える。 空だとか無我だとか勝ち誇ったように宣言するが、 そういった言葉の意味するところを体験したのだろうか。 空や無我を体験できるとは思えないのだが。 アフガニスタンで活躍していた 中村哲医師(1946/9/15-2019/12/4.73歳)が12月4日亡くなった。 氏の住所地の「福岡県警」は遺体が日本に到着したら 解剖する予定だという。これはどうなんだろう? 死体損壊であり、死者を冒涜するものではないだろうか。 銃撃が死因であることは客観的に100%わかっている。 解剖などという、杓子定規の法律適用はやめてほしいものである。 死者を鞭打つ、冒涜以外のなにものでもない。怒怒怒 569.国外犯人を処罰する規定がある。日本人が国外で犯罪した場合である。 役人は仕事優先である。 福岡県警は、中村哲氏が毒殺されたとでも思っているのだろうか。 だれも信用しないなら、いくらでも疑うことができる。 警察だって鑑定医だって疑えば疑えるのだ。 それに、法律や規則を杓子定規に適用するのではなく、 遺族の気持ちをまず真っ先に配慮すべきだろう。 11日に葬儀をすると言っている。 最近、役人絡みの犯罪がやけに目につくね。 安××××の🌸見物とか、森×健×の🌀襲来時の別荘避難とか、 神奈川県庁の個人情報大量流失とか、 警察官不祥事の連続とか ・・・ 日本人が「お金」に目がくらみ、かっての「誠実さ」を失ったということか。 いまや韓国人や朝鮮人のようになりつつある。TT 現世利益的な甘い言葉で勧誘されて宗教に入って 入った途端にやれ献金だの布教活動だの変なセミナーだの先祖供養だの よくわからない儀式への強制参加だのタダ働き奉仕活動だのこの世で何の得にもならない事ばかり それで就労収入、家族関係人間関係など実生活がめちゃくちゃ不幸になっても それは試練だの練磨だのいい来世があるだの 教団に都合のいい意味付けされてこの世でますます追い込まれる つまり 宗教団体に入ったら嫌な事不幸なことだらけ >>573 私は宗教団体に入ったことは一度もないが、 おっしゃる通りなんでしょう。^^ 現世的なものを完全に捨てないと、神は姿を現さない。 物質的なものを完全に捨てないと、神は姿を現さない。 心が完全に死なないと神に出会えない。 だから、神は謎に包まれている。^^^^^^^♪ 神に会うとなんかいいことあるの? あったが最後、天国行きか地獄行きか言い渡されるんでしょ 中村哲氏はアフガニスタンの名誉市民として表彰され、 アフガニスタンのガニ大統領は空港で中村哲氏の追悼式を行い、 兵士たちに交じって棺を一緒に担いだという。 スポーツ選手なんかどうでもいいから、 中村哲氏のような人に国民栄誉賞を与えないとダメじゃん。 中村哲氏の棺は アフガニスタンの国旗で包まれていた。(TT) 中村哲氏が夕方五時17分に成田に帰ってきた。 ご苦労様でした。 安部そして福岡県警に言っておくが、 絶対に、中村哲氏の遺体をこれ以上損壊するな。 これ以上、中村哲氏を傷つけないでください。m(__)m かりにこれ以上、傷つけた者がいたら神が呪われますように。 同じようなことが西南戦争にもあった。 西郷隆盛の切腹を介添えした人は西郷の頭を隠してしまった。 西郷を「さらし者」にしたくなかったからだね。 それと同じだね。中村哲氏を愛する人は、 中村哲氏を「さらし者」にすることを断固拒否する。 かれが何を考え何をやったかがすべてだから。 月を見に家の外に出た。 外は寒いが、満月が12月12日なので今週一杯、 月が楽しめる。 中村哲さんのご冥福をお祈りします。 月を見に家の外に出た。 外は寒いが、満月が12月12日なので今週一杯、 月が楽しめる。 中村哲さんのご冥福をお祈りします。 生活基盤を改善されると、影響力が弱まってしまう組織は、狙うだろうな。 宗教って何なの? 何の意味があるの? 何の意義があるの? 何の役に立つの? てか、何でやってるの? 宗教も、やってる人も、上にも下にも思わないけど、さっぱり分からんのから、やってる人、分かる人が居たら教えて あと、やってる人で、これに応えられない人って何でやってんの? そんなんで、何で人を勧誘できんの? 人として酷くない? これだけ長らくやってきて、まだ言語化できてないって何なの? 中村哲氏は子供の頃、赤面症に悩み、その影響もあってか、 九大医学部では精神医学を専攻している。 アフガニスタンとのつながりは、その地方に行く予定の山岳会の 医師募集に、その地方の虫や蝶に興味をもっていた 中村氏が応募したことにあるという。 その後、ペシャワール会の専属医師の募集があり、 その地方に縁を感じていたところなので、再び応募したようである。 中村氏は当初、バプテスト派で洗礼を受けているが、 ペシャワール会はカトリック。 アフガニスタンはイスラム教シーア派である。 氏は、宗教の違いを超えたところで活動していたように感じる。 中村哲氏は、宗教ではなく、人間の悲しみや貧しさに 寄り添おうとしたのだろうね。 >>585 あなたには何を言ってもムダだと思う。 人間は結局、自分自身で体験しないと納得できないからです。 ヒントならこのスレのあちこちに十分書いてある。 過去レスをお読みください。 神を見つけるには、忍耐と努力が必要です。 >>588 こんな風に、確認もせず何の根拠も無く思い込みで決めつけて、結局、何にも答えず、否定するだけで、全く価値も意味もなく、相手を不快にさせるだけで、相手の話を理解しようともせず、ずーっと同じ話を繰り返すだけの迷惑な人って何なんだろう? まぁ、あなたはそうなのかも知れませんが、役に立たない話しかできないのでしたら、書く必要はありませんよ 私は一応あなたの話に答えますね 宗教やってる人や勧誘してる人は、皆、理由もなく、いきなり神を見つけるための忍耐と努力をやり始めるんですか? そんな話が通ると思います? おかしいと思いません? 納得できると思います? 何で切欠位答えられないんですか? 自分自身で体験云々については、賢者は歴史に、愚者は経験にってことで、皆さんが愚者ってことをあなたが勝手に決めちゃうんですか? あなたが言語化できてないだけじゃないんですか? そんなんで良く人に、ヒントになったりするならまだしも、ただただ否定するだけの無駄話をできますね? 意味のある話をしたくないんですか? もしくは、できないんですか? 人の役に立とうとする発想がないんですか? 何を根拠に人を悪い方に決めつけらるんですか? 何で、全く役に立たず、不快にするだけの言わない方がマシな話をするのか、本当に不思議で仕方がありません。 あと、あなたの認識だと、とても他人を勧誘はできないと思いますが、勧誘してる人達に対してどう思いますか? >>586 アフガニスタンはイスラム教スンナ派でした ^^ お隣のイランがシーア派 五根(眼耳鼻舌身)は何のためにあるのか。 物質世界を感受し、どう行動するかを判断するためである。 つまり、わたしたちは 五根プラス意識によってこの物質世界を生きている。 ところで、五根は物質世界だけを対象にしているから、 霊的世界を感受することが不可能である。 したがって、五根だけでは霊的世界のことが何もわからない。 わたしたちが神や霊魂を知ることができないのは、 物質世界だけに対応した五根に頼っているからに他ならない。 アーユーアンダースタンド ^^ 人間は意識ー末那識ー阿頼耶識ー霊魂という四重構造であり、 そのそれぞれに五根プラス意識がある。 人間は重層的であり、入れ子構造であり、マトリューシカ人形なんだね。 ここまでわからないと完全に悟ったことにならない。 神に出会い、自分の霊魂に出会い、龍神に出会い、守護霊に出会う。 神(甘露)に出会うことで、人生の秘密がすべて明らかになる。 >>590 あなたはもしかして千葉県の魔痴子さんですか? そうだったら、そろそろ死んでください www 六根清浄〜 ♪ お山は晴天〜 ♪ どっこいしょ〜 ♪ 今日、中村哲さんの告別式がありました。 死は覚悟していたのでしょう。 家族やアフガンの人々に愛され幸せな一生でした。 あの世でも幸せになることでしょう。(TT) 孟子に、至誠天に通ず、という言葉があるが、 中村医師はここを生きようとしたのかも。^^ このごろは「誠実」という言葉が消えてしまったが、 なぜ、詐欺やインチキやごまかしという姑息な犯罪が頻発するのか。 安××××の、政治の私物化を国民がまねているからか? 命や心や感情や人格などといったものは、 本当に存在するのだろうか。 そういったものは自分には存在すると思う。 しかし、他人にも存在しているとは信じられない。 なぜかと言えば、命や心や感情や人格などを 出して見せてみろと言っても誰一人できないからである。 レレレ ??? 死んだ人間を解剖すると、 死んだ人間には、命も心も感情も人格は見当たらない。 では、そういったものはどこに消えたのか? 最初から死んでいた、ということはない。 だれでも、生きた人間と死んだ人間の違いぐらいはわかる。 では、命や心や感情や人格はどこに消えたのか? 他人の命や心や感情や人格などはどうでもいい。 しかし、自分のそういったものが消滅するのでは許せない。 そうすると、すべてに死後の世界を認める以外にない。 カトリックの神学校で学んだ仏人ゴーギャン(1897-1898)は、 @ 我々はどこから来たのか A 我々は何者か B 我々はどこへ行くのか という暗示的な絵を描いてこれを問いかけている。 この問題は、人間だけでなく、小鳥も猫も犬も抱えている。 言葉の問題ではなく、生き物すべてが直面している現実なのだ。 ゴーギャンはこの暗示的な絵を描いた後に、 自殺を決意するが自殺未遂に終わる。 いろいろなタイプの英雄がいるが、 自分を捨て、死を受け入れるところは万国共通だね。 それに言葉ではなく行動を強調することも。 外は風が強くて寒いですが、すばらしい満月でした。 見に行ってラッキー ♪ ゴーギャンの生没年、1848/6/7〜1903/5/8、55歳。 タヒチで没。波乱万丈の一生でした。 もともとは印象派の画風だったが、日本の浮世絵に強く影響され、 ゴーギャン独特の、平板な絵画を描くようになった。 印象派がいいとか悪いではなく、 ゴーギャンのオリジナリティが何億円の価値を生み出している。 ☆ 謎を解くカギは、 ☆ 人間が入れ子構造になっているところにある。 ☆ 人間はマトリューシカ人形なのである。 生きている間は、主として五根(眼耳鼻舌身)+意識が働いている。 しかし死ねば、肉体的物質的な五根が消滅する。 これですべてが失われるかと言えば、そんなことはない。 霊的な身体が現れ、霊的な五根(眼耳鼻舌身)+意識が働きだす。 人間の最奥部に「霊魂」があり、この霊魂に人間の「命」がある。 命は永遠であり、命が永遠であるように霊魂も永遠である。 ただし、霊魂は命に依存している。 命=神 によって造られたものが霊魂だからである。 ☆ 人間の死とは何か 人間から霊魂が抜け、再び戻ってこない状態を死という。 霊魂(本来の自分)は死ぬことがないから霊界へと居場所を変える。 地上に残された、霊魂が抜けた身体は死んだ人間、死体と呼ばれる。 坐禅中の「想受滅」は一時的に霊魂が抜けた状態を言うが、 霊魂が身体に戻ってこなければ死んでしまう。 坐禅の危険性はここにある。 必ず、神(命)に出会ってから、坐禅をスタートすべきである。 集団禅は安全だが、今度は想受滅を体験できない。 ☆ 霊界(死者)から見たら、この世はどう見えるのか? 死者には身体的・物質的な五根(眼耳鼻舌身)がないから、 この世の物質的なものは何も見えない。 生きている者の顔も体も見えない。 しかし、何をどう思っているかということはおぼろげにわかる。 逆に言えば、生きている者はすでに亡くなった身内の思いを 何となく感じ、さらには霊界にいる姿を夢で見ることも可能である。 生前、特別の関係にあった死者と生者は、 「意識」という領域において関りを持つことができる。 口寄せなどは、特別な利害関係がなくてもできるようである。 しかし、それが真実かどうかという証拠を欠くから、 常に否定されてきたという経緯も考慮しなければならない。 少なくともこのスレや板で意味不明な妄想を語るための存在ではない 608.宗教は妄想に決まっている。 バカには理解できない。 大爆笑である。 妄想である宗教に使命があるとしたら それは優れた二次創作を生み出すことかな 610.妄想がないと、苦である世界で生きていけない。 単純である。 昨日も寒いのに外に出て満月を見た。 いつみてもショックを受ける。 満月は「霊魂」のように見えるのかもね ^^ なんてこったい www みんな適当なことばっかし言いおって www ま痴子も邪論も反省汁 w 探しても探しても神は見つからないし、霊魂も見つからない。 そんなことだから、宗教板の全体が劣化しつつある。 もうボロボロだw TT 日本弁護士連合会のサイトの中に 「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/1999/1999_13.html という日弁連が出したPDFファイルがある (1999年3月26日) 内容は、法律家の立場から、今なお問題が多い霊感商法に対して一つの意見を提言する、というもの なかなか興味深い資料ですな (-"-) >>617 そうか。そう思って納得しようか。 ありがとう。 >いくら無神論を称えても 心がこもっていなければ無駄だ 有神患者が信用されないのってまさに 「そういうとこやぞ」 >>615 まぁ無いからな そんなもの 宗教で本当に考えなきゃいけないのは、神とか霊魂とかの存在みたいな そんな オカルト の話じゃないだろ 本来は、より良く生きる道標として宗教は存在する物なんじゃないのかと 神とかいう化け物を設定してまで、こうすべき、ああしてはいけないと指示したのは 宗教を立ち上げた連中の理念がそこにあるからだろ まぁ童話なんだよ、教訓含めた 時代が変わって価値観も変われば、当然変わっていかなきゃならない部分もあるし、 変わってはいけない部分もあるだろう それを、思考停止で「神がーこう言ったからー」と馬鹿丸出しの宗教患者は、無い物を自分達の 想像だけで言い合ってるから話がかみ合わなくなって、どっちが正しいかで殺し合ってる テロでも戦争でも勝手にやって死に絶えればいいんだが、巻き込まれる人たちが可哀想。 特に子供 頭のイカレタ連中の伝言ゲームの成れの果てにしがみついてるのは、馬鹿だと思うよ 宗教を考えるのなら、そこじゃないからな (-"-) hage そうかなあ ・・・ 神(命)もいたし、霊魂(自分自身)もあったし ・・・ 龍もいた ・・・ パウロの歴史的大罪は、 善悪の知識の木から取って食べたアダムとエバを、 決して救われない罪人として決めつけ、 その救済者としてイエス・キリストを設定したことだろう。 その結果、数えきれない人々が死に、 数えきれない人々が不幸になった。 それが今も続いている。 命の木から取って食べれば救われるのに ・・・ 南北アメリカに住んでいた原住民は、 キリスト教徒によってほとんどが虐殺されている。 キリスト教徒によってアフリカから拉致された黒人は、 奴隷にされ、いまだに差別され続けている。 それを知ってキリスト教徒を名乗るのは、こういった黒歴史を 相続することを意味している。呪・呪・呪 ・・・ エデンの東とはどこなんだろう? 北緯30度あたりを見ていくと、 インドだとか中国だとか日本が出てくるじゃないか。 古代ユダヤ人はシルクロードをひたすら東へ東へと進んだんだね。 西へ西へと進んだキリスト教徒とは真逆の道 ^^ >>588 統合失調症は、本人にとっての体験からできている。 >>626 東西どちらに進んでもいずれ一周するわけだが? >>627 人間以外に、統合失調の生き物がいない謎をどうしようか? >>628 旧約の成立した時代の交通手段は、陸路しかないからね。 エデンからの西周りは大西洋があって不可能です。^^ なぜ人間は統合失調になるのだろうか? もともと人間は、命と物質とが合体した二元的な存在である。 であるから、物質と欲望だけで動くような、 利己的な一元的社会の在り様に対しては自然に抵抗を感じる。 社会を実際に経験していない子供たちは、自分を十分に 説明することができない。その結果として、自らを責めるだけ、 自分自身を徐々に追い込んでしまう。 しかし、忍耐の限度を超えると頭が混乱し、周囲に対して 自己正当化ができなくなる。そうなると一方的に主張し始める。 周囲は一歩引くから、これが案外楽なのに無意識に気づいてしまう。 そして無意識に、ここに安住しようと思い始める ・・・ その結果として「統合失調」という病名がつく。 精神病院には、自分は神だとか天皇だとか名乗る人が必ずいる。 欧米の精神病院だとキリストを名乗るのかもしれない。 そう言えば、自分を大事にしてくれるだろうと思うのかもしれない。 もちろんそんなことはない。 死ぬまで精神病院に閉じ込められるだけである。 本格的な統合失調になれば、悲しい現実が待ち構えている。TT 人間は、物質や欲望だけの一元的生き物ではない。 その聖書的根拠は創2:7にある。 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、 その鼻に命の息を吹き入れられた。 人はこうして生きる者になった。 この箇所は人間が、泥人形(物質)+ 命の息(霊魂)という、 二元的生き物であることを明瞭に示している。 ということは、統失傾向の方がむしろ正常なのであり、 社会や世の中の方が転倒妄想しているということになる。 宗教とは ・・・ 単なる思い込みと言ってもいいかもしれない。 ただし、ユダヤ教には真実が残されている可能性が高い。 旧約のどこをどう残すかは微妙だが、 十戒はともかく、煩瑣な律法はとりあえず捨ててもいいだろう。 クリスマスなどというものは、 少しでも売り上げを増やそうという商売人の商売道具でしかない。 こんなものに踊らされたら忙しい年末がなおさら忙しくなる。 キリスト教徒でもないのに浮かれ騒ぐことはない。 そう思ってそう実行すれば落ち着いた年末が過ごせるにゃん。 十二月なのに正月気分でのんびりできる 〜 v(^^)v ナバレロの救世主ルポカスを知ってるか? アンダムテルに全てがある 人間はいつ、人生を真剣に考え始めるのか? 順境のときは、順境ゆえに何も考えない。 物事がうまく行ってるのに、なんで順境なのかなどとは考えない。 しかし、逆境のときは真剣に考えることだろう。 生死がかかっているのだから、何が悪いのかと必死に考える。 こういうわけで、神を探し当てるのは逆境に置かれた人間だけになる。 だが、自分から逆境を望む人間など一人もいない。 そんな人間は一人もいない。それゆえに ・・・ 貧しい人々、悲しんでいる人々、あなたがたは幸いなのである。 釈尊も孔子もイエスもマホメットも、 不遇な子供時代を送っている。 世間に認められ始めたのは、三十代、四十代ではないか。 それでも人間の教師として尊敬されている。 ユダヤ教・キリスト教。イスラム教は ゾロアスター教のコピーです。 啓示を受けた、善悪二元論、最終戦争、救世主、 唯一神(アフラマツダ)の勝利、死後裁判などは アーリア人ゾロアスターが初めて主張した。 ゾロアスター教のこの主張は仏教にも影響を与え 弥勒菩薩(救世主)などに現れている。 善悪二元論というものはない。 善悪は相互依存しており、立場によって左右されるからだ。 自分の善は、相手の悪かもしれない。 善悪二元論の本質は、「自分教」という一元論である。 西洋人にとってはキリスト教が善 → 中国人は悪 中国人にとってはキリスト教が悪 → 西洋人は悪 >>640 のっぺらぼうな状態だと 善も悪もなく、正義も不義もない。 その平坦なところに善悪の凸凹付けるからこそ、 善悪になるって事wその理由は自分教w 自分さえ良ければよいw もし、そういう主張ならば賛成だよ。 つまり善悪二元論は焼肉定食の社会で、 自然界の食物連鎖の事だろ。 食う方が善で正義、食われる方が悪で不義。 善・正義は食う方・殺す方の別名で 悪・不義は食われる方・殺される方の別名だ。 善も悪も絶対的なものではなく相対的なものだからね。 この世にいる以上皆が画一的な価値観で生きられるとは到底思えないし 主義主張や信条の違いによる対立や誤解は避けられないものだと思ってる。 ただし「困っている誰かの為に」「恵まれない人の為に」という一点において物事に向かうとき 主義や信条など、ありとあらゆる垣根を越えて手と手を取り合えるようになると信じてるよ。 >>639-642 一元論、二元論の区別は意外と面倒ですね。 善悪や美醜や好き嫌いなどは、個々人の判断基準でしかなく、 それらには実体がないということです。 これにたいして、神(命)と物質には実体があるから、 神(命)と物質の二元論が成立する。 人間を含めた生き物は、神(命)に起因する霊魂と物質が合体したもの。 ただし、神(命)そのものを知らない人にはわかりにくいでしょう。 >>646 そうです。物質とは真逆の存在です。 神とはエデンの園にある命の木になりますが、 人間はその実(命)を食べることが可能です。 ただし相当困難です。 その経緯は「ヨブ記」に書かれています。 >>647 >神とはエデンの園にある命の木になりますが、 これは偶像崇拝? >>648 たとえであって、偶像崇拝ではありません。 誰も命そのものを知らないし、 知ったところで命そのものは物質ではないので、 命の偶像を造ることはできません。 >>649 どの宗教書もウソと真理がごちゃ混ぜになっている。 だから、まったくの役立たずではないのだ。 十字架のヨハネが語っているように、 「信仰」というものは「不完全な霊の道」なんだね。 しかし、神や霊魂や龍などを体験しなければならない。 これがやたら大変なんだが、 それができれば、ウソと真理が徐々に区別できるようになる。 「ヨブ記」をじっくり読んでみるのもいいだろう。^^ >>650 人間は太陽を造れないけど、偶像は造れる。 「例えばこれを太陽と思いなさい」 というのも偶像だよ。 命も同じだと思うな。 「例えばこれを命と思いなさい」って。 命=神だったら、幾らでも偶像があるぞ。 そもそも偶像じゃなく ips細胞で命そのものを造れるよ。 ips細胞などと言わなくても、男と女がセックスすれば子供ができる。 しかし、子供ができても命そのものができたとは言わない。 命そのものは、見えないし、触れないし、何も知覚できないのです。 命の謎はそこにある。誰も命そのものを知らないのですね。 ただし唯一、命の実を食べたときだけに知る。 宗教って必要なもの? 人が他人に対して親切で優しくいられれば平和になる そうなったら無くても良いものでは無いの? そう出来ないから有るだけなのでは? >>655 おっしゃるとおりですね。 しかし、人間は究極のところ利己主義者です。 欲のない人はいません。TT エデンの園とキリスト教の共通点 A エデンの園から地上へ追放される 神(命)→ 人間誕生 → 蛇の誘惑 → 善悪の実を食べる → その罪で地上へ → 蛇が番人 → 命の実に近づけない B キリスト教(パウロの妄想?) イエスキリストが → 番人の蛇(サタン)に勝利 その話を信じた人間だけが → 天国に行き命の実にありつける → 信じない人間は罪を赦されず全員地獄へと落ちる ☆ これではイエスキリストが裁き主であり、 ☆ 番人の蛇(サタン)になり替わったかのようである。 ☆ まるで踏み絵だ。踏んだ者は地獄行き。 結局、パウロがやったことは、 旧約聖書の「エデンの園」を換骨奪胎し、 番人の蛇(サタン)を排除、 イエスキリストへの「信仰」の問題へと話をすり替え、 旧約聖書の真理を矮小化してしまった。 ヨブ記はキリスト教視点では理解できないはずである。 >>654 >誰も命そのものを知らないのですね。 >ただし唯一、命の実を食べたときだけに知る。 誰も命を知らないのに 命の実を食べた時にだけわかるんだ? おかしいよ。 命を知らないのに なんで命の実だけはわかるの? 食べられるとなんでわかるの? >>659 神との出会いというものが実際にある。 命の雫がほんの一滴、頭の中、額の真ん中あたりに落ちてきた。 一瞬の出来事だったが至福そのもの。 不思議なことに、それが神であることは即座にわかった。 それまで神を笑っていたのに、思わず膝を屈した。 窓の外を見ると大地がオーラを放ち、 それから2〜3週間の間、戦慄が背筋に繰り返し走り抜けた。 こんな体験は一度限りで十二分です。 神はいたんですねえ。 ユダヤ教は決してキリスト教を認めません。 エデンの園を読めば、パウロのウソが明らかだからです。 キリスト教はパウロの作り話ですね。 残念でした。(TT) ☆ 神への祈りは一人でやらなければならない 神との出会いは、きわめてまれな個人的な出来事だ。 ヨブ記のヨブもそうだった。 であれば、神への祈りも個人的なもの以外にはありえない。 モーセもシナイ山で、一人で神に祈ったではないか。 マタイ福音書には、二通りの祈り方を教えている。 @ 偽善者たちは会堂(教会)や街角で祈りたがる。マタ6:5 A あなたがたは自分の部屋で、戸を閉めて一人祈れ。マタ6:6-7 ここですでに、会堂(教会)でやっている集団の祈りが否定されている。 キリスト教徒の頭、イエス自身がはっきり否定している。 ところが、新約聖書は「集団の祈り」を肯定している。 それは、兄弟の忠告(マタ18:15-20)→ 自分で読んでください。 後だしジャンケンで、グーもパーもチョキも出してくる。 新約聖書がダメなのは、ミソクソ一緒に混ぜ込んでるところ。 ミソクソ一緒にしたら全部使い物にならない。( ˘•ω•˘ ) 詐欺師たちには好都合だよね ・・・ キリスト教会より、神社の方が祈りやすい。 先祖の墓のある菩提寺も祈りやすい。 それよりも何よりも、自分の所の祭壇が一番いいね。 カネもかからないし、周囲の目も気にせず、 心を込めて祈ることができる。 そんなことなら祈らないのと同じ?ということにはならない。 祈らないより祈った方がいい。祈ると心が引き締まる。 日本は呪われてる 真敵・職人気質が格差の根元である。 ヤンキー、過激思想、サイコパス等の成れの果てが職人・職人気質です その職人・職人気質が新たなヤンキー、過激思想、サイコパス等の悪種を生み出すのです。 職人、職人気質が格差をつくり、イジメを生み、犯罪を生み、自殺を生み、戦争を生み、地域振興を阻害し、治安が悪化し国力が低下する。 職人・職人気質はブラック企業擁護論である。 職人気質を廃してこそ日本は平和かつ生産的かつクリエイティブな国家になれるのだ 職人気質は存在自体がパワハラです。緊急事態です。 職人気質は悪しき文化 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1573270987/755 eaq >>660 個人的な体験を 普遍的事象として書かれても 共感できないよ。 >>666 神を体験した人間が一人でもいるということは、 他の人間も神を体験できるということを意味しています。 一人も体験できないなら、神は存在しないのです。 神のことは言葉で聞いただけではわかりません。 言葉はウソをつけるからです。 自分自身で個人的に体験する必要があるのです。 人間の脳は想像するようにできている だからこそ人間は神的体験を作り出すことができるのです。 その想像のおかげで人間は神を体験したと勘違いすることができる。 それによって幸せを感じることができるのです。 アーメン >>668 あなたは想像したことを 頭の中で具体的に体験したのですか? その体験を詳しくどーぞ ☆ 十一献金についての疑問 プロテスタントは旧約のマラキ書(3:8)を持ち出し、 十一献金を正当化する牧師や教会がある。 しかし、キリスト教はユダヤ教とは違う教えじゃないか。 パウロはこの件でどう述べているのか。 働きたくない者は、食べてはならない。 ニテサ3:10 自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。 同3:12 十一献金ではなく、牧師自身が働け、と主張していた。 パウロはテント職人として働きながら布教していたのである。 今の牧師たちには耳の痛いことだろう。 プロテスタントの牧師たちは、パウロを無視、 マラキの十一献金を持ち出し、十一献金を信者に迫る。 そのくせ、パウロの手紙をさかんに援用し、初心者に信仰を迫る。 プロテスタント牧師は詐欺師としか思えない。 プロテスタント + 女牧師 = 金儲け詐欺師なり www 献金とは何か もともとはユダヤ教における祭司に対するもの、 イスラエルの12部族のうち、レビ族には嗣業地がなかったので、 その代わりとして祭司職につき、エルサレム神殿に奉納される 十一献金を自分たちのものにすることができた。 そうすると「万人祭司」を唱えるプロテスタント教会に対しては @ ユダヤ教のレビ人ではないから → 献金不要 A 万人祭司だから → 献金不要 B 聖書を読めば説教不要 → 献金不要 古代イスラエルは十一献金だけで国家を運営したのか。 もちろん十分ではなかったろうがすごい。 それに引き換え、今の日本は消費税8〜10% 所得税は所得金額にもよるが、5、10、20〜45% さらに固定資産税や相続税などもある。 借家なら家賃もあるし、 こういうのを全部合算すると20〜30%になるかも。 そのうえに十一献金だとw 冗談にもほどがあるwww ヴアンパイアに感染した神々が 偶像崇拝状態となり、 本来の本尊の部分を自分たちに置き換え、本源的な世界の法則を正反対にして互いに争わせるようにし、 そのことによって人々の本来の力を削ぎ落し 何時までも自分たちの踏み台となって 利用できるようにしたもの。 神々の自己正当化の優れた方法。 人間を 自分たちを凌駕しないように 永遠に押さえつけておこうとする 大いなる不正。(いわゆる既得権益化) だから 神は愛である。絶対的な善である。全知全能であるとする。 絶対者であるとし、その権利の独占をうたう。 神々は 自分たちのエロスへの耽溺(たんでき)、自己愛が重要であり、 人間はゴミクズだと思っている。 良くて高級な奴隷。 共感性の無い彼らは 多分統合失調症なのではないかと思う。 神々は 白か黒かの単純思考が好きで、世界没落妄想を持っている。 人間たちが どれほど悲惨でも あまり気にしない。 この惑星地球は 全宇宙文明ネットワークから 感染を防ぐために完全に隔離しなければならない。 宗教は ヴァンパイア感染症の主な症状。 >>674-677 サーヴァントさんは普通に話してください。 ヴァンパイア感染症などとあれば、読む方はそれだけで引きます。 もっと穏やかな表現をお願いします。m(__)m (-"-) hage ここは宗教それ自体を研究するスレなので、 キチガイは固くお断りします。 今年も後一日ですね。 もう大晦日のような気持ちで今日を過ごす。 これが余裕ですね。 今年もいろいろありましたが、 早め早めにやって何とかセーフ、 よき一年でした。 (-"-) 宗教とは不完全な霊の道である by 十字架の聖ヨハネ >>683 既成宗教を信じて神(命)を体験することはできないと思う。 でも逆に、神(命)を最初に偶然体験したら、 その体験が何であったのかを知るために宗教本を読み始める。 宗教本を読んで体験の意味を知ろうとする。 本屋とか図書館とかに宗教本があれば済むかもしれない。 ただし、宗教自体がお金にならないと、 宗教を研究する学者が減り、宗教本のレベルが低下するかも 〜 ^^ (-"-) hage もう書きたいことが何もない ・・・・・・ (-"-) hage 何も浮かんでこない ・・・・・・ 1000 既成宗教を信じて神(命)を体験することはできないと思う。 ・ ・ ・ 宗教法人格を得て既製宗教となる。go to 1000 ☆ 祈り、献金(>>670-673 )についての補足 同じテーマなのに二通りの記述がある謎が解けたかも。 @ 聖書作者たちの誤りとか混乱とか 〜 この可能性は低い A 読者や信者を誤らせ混乱させるため 〜 この可能性が高い 修道院では、修道士が労働を行い、修道院として自活している。 さらには、集団礼拝ではなく、個人礼拝が重視されている。 聖書は、教会で説教を聞いても、一人で聖書を読んでいても、 わからないように最初から計算して作られている。修道院の修道士が 何をやっているのかを考えたらそんな気がしてきた。(-"-) 688 を書いた後に、また新しい考えが閃いたが、 雑事を片付けている間に失念してしまった。 残念です www (-"-) 宗教は奥が深過ぎる。 底が抜けているかも〜。怖い〜〜〜 👻 今年もおめでたくないかもしれないね。 何でこんな時に、日本でオリンピックを開くのかなあ。TT キチガイどもめ、怒怒怒 w スポーツで億万長者になれるような世の中は何か狂ってる。 どうしてそんなことに気が付かないのだろう。 精神的なことが等閑にされ、ブタ人間が急増中ということか。 やだやだ 〜〜 たかが子供の遊びに何億円のカネが動くとしたら、 そんな世の中は気が狂ってると思うよ。 おかしな世の中になった。TT キチガイの妄想を伝染させて金を稼ぐ宗教は狂ってるお ☆ 創世記1:1-2:4 と 2:5-3:24 との間にある違和感は何? @ 前の1:1-2:4は 「物質的」側面に注目している A 後の2:5-3:24は「精神的」側面に注目している B 物質と精神は、基本的に正反対の展開をする C @とAとの背後に、相当高度な文明の影を感じる ---エジプトのピラミッド文明か、あるいはメソポタミアのウル王朝か ---あるいはそれらの両方か 経済的・物質的に恵まれた人々は、体格がいいが、 頭は徐々に退化していく。 その逆に苦難の道を歩んでいる人々は、 頭を使わざるをえないので頭が自然によくなっていく。 レムナント久保有政氏は2019年2月20日、 「古代日本に天皇制と神道をもたらした渡来人」を出版。 ーー 天皇家の系図はエフライムの系図と一致 ーー エフライムは、イスラエル(ヤコブ)に祝福されたヨセフの子供 ーー ほんとかな〜? クリミヤ半島にあったユダヤ人墓地は、ルベンとガドとマナセらしい。 日本の皇室はミカドだから、ガド族かと思っていたが ・・・ エフライムならユダヤ民族の中核部隊なんだけど ??? 日本がイスラエル人を全員受け入れた方がいいのかな〜 四国ぐらいの広さに5〜6百万人がいたと思う。 日本の選択肢のひとつではあるが ・・・ わたしが山本五十六なら、奥の手として考えるかも。 もちろん、災いの安××××は首にしてやる w 宗教とは諦めだな 自分で苦悩し生きることを諦め神に託すこと 楽になりたいという弱い心 年取るとよりどころにしたくなる気持ちはわかる しかし神に託す運命など面白くもない おれは俺の苦悩を生きる 神は俺だ 中東情勢、北朝鮮問題を一挙に解決する妙案は、 ユダヤ人全員を日本に受け入れることかも ・・・ 日本も核保有国になる ^^ 満月は11日だが、外に出るともう満月のように見える。 坐禅中、想受滅を体験した時、霊魂は「満月」のように見えた。 つまり、人間の究極である霊魂には限界がある。 満月の外には永遠に出られないのですね。男も女も ・・・ それゆえ人間は永遠に「神」になれない。 人間だった「イエス」も同じです。 ところが、万事窮して満月から脱出しようとする時、 サタンがそうはさせじと動き出す。 その仕組みはよくわからないが、これが「神風」ですね。 >>704 ヽ(・∀・)ノ こんばんは ギプスさんのホームのようなので「お気に入りに追加」しました。 このスレまでは、アイツ(キリスト教板のクズ = ●●ィ)も居って来ないと思う。 >>1 神と向き合い探求を重ねることで、神こそが真実在であるとの認識を得て、 自分自身の生きる意味を悟り、自らを律して人生を全うせしむるもの也。 今、失われた10氏族に興味を持って調べ考えてます。 日本の天皇がどの氏族に属するのかですね。 イスラエル(ヤコブ)の祝福は、両手を交錯させて 兄のマナセではなく弟のエフライムであった。 その日、父は彼らを祝福して言った。 「あなたによって イスラエルは人を祝福して言うであろう。 どうか、神があなたを エフライムとマナセのように してくださるように。彼はこのように、 エフライムをマナセの上に立てたのである。by 創48-20 イスラエル(ヤコブ)は言った。 弟(エフライム)の方が彼(マナセ)よりも大きくなり、 その子孫は国々に満ちるものとなる。創48-19 このイスラエル(ヤコブ)の話、両手の交錯は、 創世記にあるヤコブとエサウの話に根拠があるのかも。 イサク(笑う者)の子ヤコブ(出し抜く者)は兄を出し抜き、 その結果、家から出て行かざるを得なくなる。 しかし、行った先の母の実家で塗炭の苦労・・・これこれ! 私はヤコブと似たような苦労を体験したのかもしれない。 >>707 >>日本の天皇がどの氏族に属するのかですね。 語呂合わせで日本語とユダヤ語(ヘブライ語)が似ているから、とか。 神道の様式がユダヤ教の様式と似ているから、とか。 でも、そんなことは何の根拠にもならないと思う。(そうゆう類似性はしばしば偶然に起こりうる範囲) ユダヤ人の血脈とは、 @アシュケナジー Aスファラディ ・・・に大別される。 ユダヤ戦争(66-70)及びバル・コクバの乱(132-135)以前の時代まで遡ったユダヤ人とはイスラエルの二部族、 つまりユダ族とベニヤミン族。 彼らが離散(ディアスポラ)して少数派(全体の十パーセント程度といわれる)スファラディとなった。 失われた十支族とは、更に時代を遡た紀元前722年、 当時の強国アッシリアに滅ぼされた北イスラエルの十部族を指す。 北イスラエル滅亡後、アッシリアに捕囚ととされた者は十部族のうちの1/20程度の人口とされる(サルゴン王の碑文)。 彼らは民族としてのアイデンティティを喪失して消滅した。 捕囚とならなかった十部族の住民は独自のアイデンティティを確立して後にサマリア人となった。 南ユダ王国の二部族も、紀元前586年にバビロニアに滅ぼされ捕囚(バビロン捕囚)となったが、純血主義によって、 部族のアイデンティティは維持され、後にバビロニアを滅ぼしたペルシャ(アケメネス朝)によって解放され、 帰還して王国を再建した。 再建された王国は純血主義を貫いて雑婚されていたサマリア人を差別した。 この王国が先に述べたユダヤ戦争とバル・コクバの乱の後、離散して少数派スファラディとなり現在に至る。 以上、おさらいを兼ねて歴史を整理しました。 大和朝廷(天皇)の起源がイスラエルの失われた十支族くの末裔の可能性は絶望視されると思う。 >>710 十氏族ではなくて十支族でしたね。失礼しました。 それから日本とユダヤの共通点を簡単に語るのは難しいです。 言葉だけでなく、神輿、神社建築、神官衣服にもあるようです。 祇園祭の山車にある異郷の風景、諏訪大社の御頭祭と御柱祭も奇妙です。 日本書紀に応神天皇の時代283年、弓月君が120県の人民を率いて 百済から帰化したという記述も残っています。D遺伝子の問題もあるし、 さらには、ジャポニカ米ルートからの渡来もあったようです。 そんなことからユダヤ側から研究したブログがあったので紹介します。 https://ameblo.jp/one-wonderland/entry-12443109342.html >>710 シオニズム運動の背後には、 中東の石油資源を狙っている「ロスチャイルド」がいた ・・・ ? 白人系アシュケナジーのパレスチナ占領によって、 あの地域の50万人以上(スファラデー?)が土地を失っている。 アミシャブは日本なども詳しく調べているが、 どうも怪しげな陰謀が渦巻いていそうな気がしてきた。 日本がパレスチナ難民の受け入れ先に利用されかねない。 これでは核保有国にもなれない。( ˘•ω•˘ ) 国際政治は結局、生き残りをかけた殺し合いなんだろう。 アミシャブはイスラエルの諜報機関の一つなのかもしれない。 夕方、月を見に外に出た。満月は明日だけど、ほぼ満月。 何回見ても感動する。 こんな凄いものを見ることのできる地球はいい所だね。 ギプスさん、こんばんは (^ω^)ノ 今日はとても寒い一日でした。 今季は雪が少なくて個人的には助かっていますが、農家の人達はどうなのかな。 夏の天候に異常がなければよいのですが・・・ 外を見て来ました。 屋外の寒暖計は氷点下15.5度でした。 無風の冬空には月が輝き、静かな夜の街が青い光の中で眠りに就こうとしている。 深呼吸しながらそんな世界に身を置いてみて自分に感想される神とは冬の女神です。 グノさん、おはよう 氷点下15.5度ですか。さすが北海道は寒いですね。 よく生きてますね。冬眠中とか? ^^ ギプスさん、こんばんは。 こちらは厳冬期にあってとても寒いですが、毎年のことなので家の暖房はかなり厳重なので室内はポカポカです。 今年は令和二年(2020年)ですが、戦時中の昭和十八年(1943年)に中部太平洋ギルバート諸島タラワ環礁の激戦で 戦死した伯父の遺骨DNA鑑定が厚生労働省社会援護局によって現在進行中です。 既に七十七年が経過して遺族の世代交代も進んでいるのですが、私の場合テキサス在住の従妹と協働して 検体を提供する段取りを厚生労働省に申請してあります。(父系のY染色体と母系のミトコンドリアDNAが必要なため) もしかしたら今年若しくは来年くらいに遺骨が特定されて、私の元へ返還されるかも知れません。 私の場合、長い歳月を経て世代を超えて、まだ戦争の最終的な決着と向き合っているのです。 日本国の自存自衛と家族の為に志願して命を散らした伯父の名誉を守り供養することが、現代に生きる私の使命なのです。 宗教とは信者ではない一般人にとっては法律だよね 聖書は最古の法律書と言われている https://ja.wikipedia.org/wiki/ カタリ派 カタリ派思想の根本は、神により創造された精神が、 悪により創造された肉体・物質に囚われているという思想である。 この思考法はグノーシス主義などに類似するものであり、 歴史の中で繰り返しあらわれている。 カタリ派はボゴミル派からこの思想を受容したとする可能性がある。 グノーシス主義が世界はデミウルゴスによって創造されたと考えていたのと異なり、 カタリ派は世界を創造したのはサタンであると考えていた。 カタリ派はグノーシス主義と同じように、物質世界に捉えられた魂は この世を逃れることで非物質世界である天国に到達できると考えた。 そしてこの世から逃れるための唯一の方法が、 汚れた世俗と関係を断ち切って禁欲生活を送ることであった。 このような完全な禁欲生活を送る聖職者のごとき特別な信徒が 「完徳者」(ペルフェクティ(Perfecti))とよばれていた。 完徳者には世の人々の罪を取り除き、物質世界とのつながりを断ち切る力があると信じられ、 死後はすみやかに天国に行くと考えられていた。 完徳者たちが送る完全な禁欲生活は、 当時の教会の聖職者たちの堕落した生活とは対照的なものであった。 今回のコロナウィルス騒動について一言述べると 不動明王とイルミナティー(フリーメイソン)が 実はグルでどっちへつくかと裏で量販ばくちを 企んでいます。不動明王が中国からコロナを企み 差別され泥棒したり引きずり落としあいをさせたり イルミナティがそれをずるやウソで差別をさせたり しています。地球人の皆さん、どちらにもついてっちゃ いけません。初もうでなども成田不動尊などの 不動明王神社には一切おまいりしないように! 上でせっかく正しい神仏が戦い奴らを消滅させていても 下で人類が奴らをだまされたまんまおまいりすると それを種に奴らは、ねらってきてふっかつしてしまいます。 奴らこそ、本当のサタンです。 宗教にはまるやつも、宗教を研究するやつも、きちがいみたいなのしか、いない。 きもちわるー。 カルトとか関係ない。 根本的に宗教とかかわるのは、あたまがわるいし、、、古い。 さらに、あたまおかしい基地外みたいな言動のやつが多い。 右翼、左翼なみに、変態アウトサイダー・・・ 宗教学の学者なんて、キモオタみたいのしかいないし。 宗教とは何か。 やらずぶったくり・犯罪の巣窟・詐欺・キチガイの妄想や幻覚や幻聴・感応精神病・悪霊憑依・手品・うそ・デタラメ・まぎらわしい・ごまかし・のろい・交霊術 自己正当化・寄らば大樹の陰。 正統な正しい教育訓練を受けて、確かに正しい知識を持っていると認められ資格を得たラビ以外の話は聞かないほうがよい。 >>1 《答え》 猿から進化し大脳が発達した事による副産物として 老いと死の恐怖に取り付かれてしまった人類が その現実から逃避するために産み出されたもの E夫妻は、子供の病気等の悩みを解決するためこの教団で運勢を見てもらった。スタッフから除霊をしないといけないと言われて、 教祖や教団内の資格を持った幹部の儀式、鑑定などを度々受 け、各種イベントにも参加したため、5000万円余を支払う結果になった。 >>728 >日本人の宗教 反日の筆頭格である武田邦彦ふぜいが何を一丁前なことをほざいてやがる? 適当なスレがここしか見当たらなかったので書きますが、 ヒンドゥー教って特にひどくないですか? 4番目のカーストの人たちへの殺人やレイプのニュースを見る度に、 いっそのこと外部から廃止させた方がいいんじゃないかと思ってしまいます。 11億人信者がいて実際にはできないことはわかるもののです。 >>736 もちろんヒンドゥーも阿片です。 キリスト教以下の、どうしようもない宗教です。 これでいいと思っているのに違うと言われる理由を知るところ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる