釈尊の教えに「筏のたとえ」がある。
筏によって此岸から彼岸に渡ることができたら、
その筏はもう不要だ。川岸に捨てて去る。
 
私の筏は、フロイトの精神分析と正反合の唯物弁証法だった。
でも、もうとっくの昔に捨てている。
宗教に関しては笑っていたから、聖書も仏典も興味がなかった。
かえってそれが幸いしたかもしれない。
 
宗教を信仰すると、その信仰を捨てられないからダメだね。
聖書や仏典が自己目的化し、彼岸へ到達できない。