>>699
筆者も理解してなかろう。

>即ち二禅三禅四禅には、眼識・耳識・身識の三識がないという。しかし残りの鼻識と舌識もない(食物をとらないから)のであり、この二識は初禅にもない。このように五識がないとは、眼等の五感が起らないという意味である。

無理筋な話で、こんな解釈があるから苦行に走る。

>しかし二禅以上では、禅定においてもっぱら法を観ずるのみであるから、外界の認識は起らないのである。しかし禅定から出て、日常心に戻れば、もちろん外界の認識は回復する。」

実体験が伴ってない証拠じゃ。

尋伺は諸欲を離れ、諸の不善の法を離る。
まあ現代は難しいけど正業に就くのが一番。

四禅を読むきないけど、四禅の序章としての面が有りそうだからややこしいんじゃないかな?

尋伺だけなら、諸欲を離れ、諸の不善の法を離る、だと思う。