言語は感情を正しく表現しません。
他に手段が無いから頼っているだけです。
阿頼耶識から発せられる言語を鵜呑みのままに受け入れては為りません。

快感、又は不快感が有り、内在的に思い付いた言葉の候補の内、一番感情に適合した言葉を真実として人は判断します。
そして、その選択した言葉からの反射的感情の変動も有り、よくループに陥ります。
特に錯誤の権利から発せられる激情は、他人からは理解できません。

人の言語に対する信頼は絶大で、記憶・思考・伝達・記録に因る進化の裏付けは、そうそう切り離すことは出来ません。

でも、実際は他に手段が無いから、言葉に頼っているだけです。
阿頼耶識から末那識へ浮かぶ言語。
それを無自覚に肯定し、人は実行します。
人は善悪定まらない深層心理(阿頼耶識)のまま、行動します。

無心であること、それは末那識におぼろげに浮かぶ言語を制すること。
故に無心に勤めることは、末那識を制し、阿頼耶識の種子を整えることになります。

無心を手に入れたなら、無心であり続けるなら、悟りの道は約束されます。
これが仏教での実践。

阿頼耶識の転識である大円鏡智。
それは無心を得、続けるならば、徐々に阿頼耶識は大円鏡智と変化します。
ただ、阿頼耶識自体を観ることは出来ないので、閃きや詩で確認することとなります。

末那識の転識である平等性智は読んで字のごとく、自他含め平等で在ることを意識すれば不断の努力で手に入ります。
平等性智を以て阿頼耶識から浮かぶ第一の言語を観、制する。これぞ無心。

大円鏡智を得た覚者の思考が早いのは、大円鏡智からのインスピレーションで解を出し、間違わないからです。
大円鏡智の思考は言語を必要としません。
言語で考えるのと、大円鏡智(空)で考えるのとではスピードも確度も違います。
言語の思考は自分自身を騙す元でも有りますから。

色即是空 空即是色