>>35
元は人である佛菩薩の「慈しみ悲しむ」というのは、私たちにもある感情ですが、
キリスト教のいう「神の愛」とは、私たちの理解出来ない感情と言えます。
キリスト教の神とは、「万物の創造主」であり、「全知全能」という設定ですが、
このような存在が、人の「妬み」や「愛」などという感情を備えているという設定は、実にいい加減な信者に都合の良い物語と言えます。
これは例えば、ハエの遺伝を研究する人が数万ものハエの一匹々々に親愛の情を抱いている、なんて話よりも酷い話で、あり得ない設定です。(笑)
だからラノベなどでは、「神」は頭のオカシイ異常者か、老人や少女などのか弱い存在にするのが一般的です。
キリスト教の設定では、物語として成立出来ないから。(笑)
よって、キリスト教の神の「愛」と仏教の「慈悲」は、相対的にみて相当してるだけの全く違うもの、と言えます。(笑)

(^。^)因みに、坊さんでも「愛と慈悲は同じ」なんて宣う連中もいますが、こういう人らは信者向けに適当なことを平気で言える商売人だと思います。(笑)