阿含宗という宗教299
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このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
■阿含宗関連サイト■
考察資料の総合案内「agama考察室」
http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
http://agama.zouri.jp/kakoindex.html (1〜100まで)
http://agama.zouri.jp/kakoindex2.html (101〜200まで)
http://agama.zashiki...m/kakoindexmenu.html (201〜239まで)
※ 以降は5ch(旧称 2ch)が転載防止策を講じたのもあり、転載できなくなっているのもあり、
※ 239で処理を中断しています。
※ なので、まとめサイトとしての agama考察室での過去ログ閲覧は239までとし、
※ 以降はネットで見たい掲示板のタイトルを検索して探して見ることをお奨めします。
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.j...kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC
http://agama.jounin.jp/
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1542466069/ >>848
具体的なトラブルの相談は専門機関に相談した方がよいですね。
こちらは素人なものですから。
こちらでは、この宗教の特異な教義実践の現実を伝えることしかお役に立てないかな? なるほど、ありがとうございます。
母は毎週末決まった日に道場へ通っているようです。たぶん派閥、グループのようなものがあるのではないかと。
阿含宗の信者の中でネットワークビジネスの商品を売ることも流行っているのですか?
新興宗教の信者はだましやすいからと、餌食になっているような気がしているのですが。
また、質問状のような紙はなんなのでしょうか?
私と妹と家の件について、誰か僧侶のような方に質問しているような内容でしたが。
あと、あの金の置物はいったいなんなのでしょう?
本人の同意はいらないのでしょうか?
建物の壁にもお札のようなものがたくさんはられています。
あれはなんなのでしょう?
もしなにかご存じなことがありましたら教えていただければ幸いです。 >>853
その様な質問や疑問は、最寄りの道場にて職員がお答えしてくれます。
阿含宗の職員、信徒は、退会希望者を引き留める、質問者に無礼や暴力を振るうなどは
決してありませんので遠慮なく受付で御聞きになって疑念疑問を解消、安堵されることを
望みます。受付そばには広いロビーに安楽椅子などがあり開放的な相談室であります。
もしも不安でしたら携帯録音機持参で行かれるのが宜しい。
このスレッドでお答えできる範囲は此処まででしょう。
もやもやを抱えている人生よりもあっさりと解決されることをお勧めします。合掌 そうだね、
阿含宗は基本折伏はやらないから
一度最寄りの道場に出向いて
相談コーナーとかで
いろいろ聞いてみたらいいと思いますね
○○学会とは違うから
行ったら最後、みんなに囲まれて無理矢理強引折伏ってことはないから、
あるいは
オウム真理教の尊師の教祖が
阿含宗の教祖だったんだけど
阿含宗は基本ポアとかしないから
その点も安心してOK >>848789母の相談者2019/01/05(土) 18:30:05.60ID:FR7oxu11
>また、ネットワークビジネスにもだまされているようで、高額の水の浄化器具、水素水、化粧品ジェル、密教食も大量に購入し、
>>853789母の相談者2019/01/05(土) 19:59:57.58ID:FR7oxu11
>阿含宗の信者の中でネットワークビジネスの商品を売ることも流行っているのですか?
>新興宗教の信者はだましやすいからと、餌食になっているような気がしているのですが。
そのとおりで、餌食です。
浄水器や化粧品、密教食もすべて阿含宗です。
阿含宗は関連会社を作り、健康食品など関連ビジネスで商売をしており、
上記すべて光和食品という会社を経由した商品でしょう。
教祖の桐山さんはこういう点で商売がとてもうまく、
信仰と高額な健康食品、健康器具など組み合わせて販売しています。
どうやら、お母さんは阿含宗から見て上得意様のようで、かなりの出費をしています。
20年という信仰歴から考えると、総額では最低でも1000万円は下らないでしょう。
「私はそこまで熱心な信者ではない」とおっしゃったそうですが、
十分を越えて、十二分に熱心な信者です。 >>848789母の相談者2019/01/05(土) 18:30:05.60ID:FR7oxu11
>私から母に脱会を強くお願いしましたが、
>大喧嘩になり、聞く耳もたず、『それは無理それは無理』と断られました。
脱会を説得するのは、お母さんについてはやめたほうが得策です。
全員がそうではありませんが、話を聞く限り、お母さんの
洗脳度と依存度はかなりなものですから、辞めるように言われれば、
逆上するだけで、逆効果です。
前にも書いたように、まずお母さんが何を信じているのかを
あなたが理解し、その上でその信仰のおかしさを阿含宗の
教義の面から指摘するのが近道です。
今回の説明で、お母さんが何が理由で入信したかがわかりました。
それこそが彼女の弱みであり、付け込まれ、釣られた原因です。
あなたは息子として、まずそこを良く理解してあげることです。
二十年前に離婚して、二人の子供を育てなければならなかったという
彼女の辛さを理解してあげるのには、あなたは十分な年齢なはずです。 >>847789母の相談者2019/01/05(土) 18:28:50.41ID:FR7oxu11
>→20年前に離婚し、その際に知り合いの紹介で入信しています。
離婚こそがお母さんが二十年前に付け込まれた弱みです。
阿含宗ではこれを「夫婦縁障害の因縁」といって、
お母さんは離婚するような運命を持ち、離婚するような
相手を無意識に選び、結婚してしまった、だから、その運命を変えない限り、
子孫に、同じような運命の人が現れ、反復する、というものです。
そして、お母さんから見て、なんとそれは証明されてしまった。
自分だけではなく、子供が離婚してしまった。
あなたの離婚を見て、お母さんの頭には阿含宗の「運命の反復」という
言葉を確信し、強く強く阿含宗を信じるようになったはずです。
また、妹さんが未婚なのも、「夫婦縁障害の因縁」の強い例とみなされます。
つまり、あなたの○○家は強い家運衰退の因縁があり、それが
お母さんは離婚、あなたも離婚、妹さんは結婚できないという
形で表れており、お母さんは必死にこの悪しき運命を変えようとしているのです。
と、ここまで読んで、根拠のないオカルト話のあまりのバカバカしさに
あきれかえったでしょう。
でも、これを運命学や心理学や、まるでお釈迦様が説いたかのように
桐山さんが説明したから、猛烈な説得力を持ってくるのです。
今説明した教義はとても重要で、お母さんの異様な言動を
理解する上での必要な情報です。
また、○○の因縁、家運衰退、運命の反復などが
前回申し上げた、阿含宗のオバケ屋敷のオバケたちです。
次回以降でもう少し丁寧に説明します。
あなたがこれらのオバケ教義に嫌悪を持つのはわかるが、
とにかく、お母さんが何を信じているのかを理解する努力をしてください。 >>847789母の相談者2019/01/05(土) 18:28:50.41ID:FR7oxu11
>ご指摘の金の棒のような置物も3体あります。
金属の筒が三体あるということは、間違いなく、
あなたと妹さんは信者にされています。
つまり、お母さん、あなた、妹さんの三人分の仏舎利尊(金属の筒)です。
亡くなった祖母の分は道場に返納されてはずです。
大人である本人の同意も取らずに入信させるのは、親と言えどもルール違反だが、
前に書いたように、自分の仏舎利尊(金属の筒)なのかと質問するところまでは良いが、
追及したり、怒ったりはしないでください。
859のように、お母さんは本気で子供たちを助けているつもりなのです。
お母さんに目を覚ましてほしければ、なおさら、激しく追及したりしないことです。 >>853789母の相談者2019/01/05(土) 19:59:57.58ID:FR7oxu11
>母は毎週末決まった日に道場へ通っているようです。
定期的に道場に行っているのは道場の運営班に参加しているからです。
阿含宗では徳を積む修行の一つとしてボン行と呼ばれる奉仕行があります。
お母さんが運営班に参加しているのはそれが理由です。
内容は、道場の維持運営のタダ働きです。
あなたから見たらお金を出しているほうが何で奉仕までするのかと
奇妙に思うだろうが、お母さんは運営を「してあげている」のではなく、
「させていただいている」と信じています。
現実を正反対に教え込まれても気が付かないから狂信なのです。
毎週行けば、ただ奉仕するだけではなく、当然、人と金を差し出すように
様々なノルマを掛けられます。
阿含宗ではノルマとは言わずに、誓願といいます。
導き、積徳行、供養、ボン行、誓願などときれいな言葉に変えて、
実態が見えないようにするのは世間でも良く使う手です。
前に書いたように、阿含宗の信仰は「金と人を出せ」であると理解すれば、
どんな表現をされようが、ほぼすべての内容がこれだけだとわかります。
前述の「○○の因縁」「運命の反復」も例外ではなく、「金と人」です。 >>853789母の相談者2019/01/05(土) 19:59:57.58ID:FR7oxu11
>>また、質問状のような紙はなんなのでしょうか?
>私と妹と家の件について、誰か僧侶のような方に質問しているような内容でしたが。
阿含宗では占いを使って相談を受け付けます。
あなたと妹さんの問題についてお母さんが「お伺い」を立てているのです。
お母さんは、高度な霊能力と運命学の力で指導してもらえると信じているが、
ただの稚拙な占いで答えるのだから、無責任きわまる話です。
教祖の桐山さんでさえもそんな能力はなかった。
鉛筆を転がして決めるのと変わりません。
私の知っている範囲でも、無責任な答が多く、問題をこじらせた例があります。
もちろん、阿含宗側は何の責任も負いません。
また、返事の内容は決まっていて、阿含宗関係にお金を出すことに関係づけます。
例えば、十万円の解脱供養を出せ、冥徳供養を増やせ、十万円の
護摩木を祈願しろ、などです。
つまり、この制度も「金と人を出せ」という阿含宗の法則からは外れていません。
ここのオバケは「金と人を出せ」しか言わないのです。
私はあなたが阿含宗の道場に行くことは勧めません。
なぜなら、あなたの目的にとって無意味だからです。
あなたも夏でもないのにオバケ屋敷のオバケなど見たくありませんよね。 わかりやすく論理的なご説明ありがとうございます。
認めたくありませんが、
まさしく母が使う専門用語(因縁、ぼん行etc)や主義主張と同じようで驚いています。
あーなるほど、そういうことだったのかと。。
まあ、普通の仏教の一派のようなものだろうと考えて我慢していましたが、
ちょっとその範囲ではなさそうですね。
なんというか、開いた口がふさがりません。
悲しくなってきました。
私の家系は実は祖父母も若い頃に離婚しています。
つまり三世代で離婚です。
阿含宗でいうと、○○家はそういう因縁なんでしょうね。
母は結婚後、私と妹の間の子を流産もしています。
離婚後すぐに大手メガバンクへ契約社員ですが再就職できたり、
実家を4000万かけ共同住宅へ建て替え、祖母とも一緒に同居し、家賃収入も入り、借金も完済し、祖母逝去後、懸念していた母の姉との相続争いも完了したため、
宗教のおかげでよくなったよくなっていると思っているようです。
私には普段の言動や行動から正気とは思えないことが多々ありましたし、
母がもっとまともならば(宗教に入らなかったら)、妹ももっとまともだったと思いますし、結婚もしていたと思います。
私の結婚時もわけのわかない文句ばかり言い出したので、距離をおいていましたが、
相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
子どもがうまれたあと、『この子はおばあちゃんの生まれ変わりだわ』としつこすぎるくらいしつこい主張(要するに○○家の跡取りという主張をしたい)をし、夫婦間や義両親ともトラブルとなり、離婚の原因にもなりました。
母がおかしくなったのはやはりこの阿含宗の影響だと思います。 >>862 深山さんも同意されるでしょうが、自分の頭で考える実人生。
是が人としてあらまほしき姿ですよ。
薦められた浄水器で人生が助かる人も居るでしょう、密教食、サプリもしかり。
好いなと思ったら試してみられる、何と裕福な人徳が有る人でしょう。
試して駄目なら止める、これも大事な選択ですからね。
深山さん、貴方には今後ともよろしくご指導願う辜なき人が多いと思いますよ。
兎に角一貫とした態度は見上げたもの、私の様なおっさんには真似がよう出来仕舞せん。
昔の流行歌の歌詞で『天○○下も便所に入ったら紙に頼ってる』などという不届きな放送禁止歌
が在りました、貴殿が頼るご本尊は何か?という疑いを一部の人が持っていると思われませんか?
それはもしかして、阿含の本尊様よりも劣るやも?と思われていますよ、公表されては如何か? 母の相談者さん、深山さんのおっしゃられていることは、事実に基づいていますよ。
私も元信者ですが、熱心なほうではありませんでしたので、内容を結構忘れていま
したが、深山さんの書き込みをみて思い出しました。
あと現役の信者さんらしき書き込みもありましたが、その方のおっしゃられている
ことも、事実ではあります。
阿含宗は、基本無理矢理にお金を出させることはしないと思います。
ただ、お金を出さざるを得ない状況(考え方を洗脳)にもっていくのは、すごく
上手だと思います。
そこが、一番怖いところですよね。
私も、現役信者の友人が数名阿含宗に残っていまして、(男女数名)チャンスを
うかがっては、説得したりしてますが、難しいですよね。
とくに、年下から言われると頭にくるみたいで、全然うまくいきません。
私の友人達は、500万円〜1000万円の範囲で貢いじゃってます。
でも、みんな運勢よくなってませんよ。
私の場合は、説得の相手が友人ですから、気楽に長期戦で考えてますが、
母の相談者さんの場合はお母様ですから、慎重に作戦を練ったほうがいいかも
しれませんね。
脱会できることを祈ってます。 今日ビートたけしの教祖誕生って映画みて思ったんだけど、
芸名桐山靖雄
本名堤マスオ
って人もこんなふうに
勘違いと思い込みで教祖になっていったのかな〜なんてふと思った。 金ピカの置物は 阿含宗の本尊ですが、 同意も許可もなしに 自分以外のものを購入することを身代わり祈願と言います。
それより前はプレゼント行とも言ってました 。
いずれ本人が納得すれば本人に渡し、それだけではなくお経を読むなどの 信者となって もらえるように勧めます。
これを本人行への移行といいます。
ですから相談者さんのお母さんも 虎視眈々とそこのところを狙っています。
要するに布教勧誘なわけですが、阿含宗の信者は悪因縁という運命の星、実はこれが根拠なく 当たらないのですが、
この悪因縁とか先祖の霊の障りとか に脅かされています。
悪因縁を切るようにと 指導されているのです。
悪因縁を切るためにはナモナモとお経ばかり読んでいても駄目で、
このような布教勧誘 にも励まねばならず、それは徳となって因縁切りに役に立つという教えです。
ですから自分の成績稼ぎのためにという考えも多くあるのですが、こと肉親関係となると話は別で、
やはり自分のお子さんになり親御さんのことが心配で 、先に置物を購入してしまうのです。
恥ずかしながら自分も信者時代はそうで両親の分を購入しましたが、これは最後まで渡せずじまいでした。
阿含宗の信者というものは教祖の説いた悪因縁というものを本気で信じているのだからどうしようもありません。 だから可愛い我が子には辛い思いをさせたくないと思って親心を発揮するわけです 。
しかし世の中なんてものは常に 身の回りは危険だらけです。
いつ交通事故にあうかも分からないし、去年のように災害の多い年であればそういう被害者も多くいるわけです。
それは信者をやめた私でも 全く同じ条件と言えます。
しかし普通の人間というものはそんな条件であっても皆たくましく前向きに生きているのですが 、
阿含宗の信者は特別こういう脅しに遭います。
脅すだけでなく、鞭と飴のように、実はこの悪い不幸な運命は逃れる道があるのだとと 妄想を示すわけです。
人間というものはどうしても心が弱いものですからそういったものにも靡いていってしまうのです。
ここを克服するにはどうしたらよいか 考えねばなりませんが、私の場合は自分が長年信仰していた阿含宗が全くの嘘っぱちであったと知った時に
自ずと自立の考えも 確立されて行きました 。
だからやはり阿含宗のインチキであることを自覚できるように情報を与えることが大切なんですが、 それをまともに示しても反発を得るばかりです。
ですからお母さんの信仰に関してはやめてくれ というのではなく 、それはお母さんの自由ですよと言う 相手を認める態度を示しながらも
自分だけは入信いたしません、その理由はこれこれですというような会話ができれば 、 あるいは転機になることも 絶無とは言えないので、
阿含宗のことを勉強してみるのもいいかもしれません。
このスレでも 教えてあげますが、 むしろお母さんに 教祖の桐山さんの書いた 本を読ませてくれないか
とでも言ってみれば、 お母さんは そこを秘密にするということは まずないと思いますよ 。
読んだ著書の内容の反論点はこちらで全部示すことができます。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経 桐山解説批判
新著最後の経典解説 取り上げ批判になります。
七道品経・果報経・七種果経 の三つの短い雑阿含経を 示して 七覚支を解説しています。
七覚支の 解説は 真新しいものはありません 。
輪廻する葦で 解説した時と変わらないと言うかそのまま引用がほとんどです。
それではその桐山七覚支解説の前に、私の方で 見本と言ったらおこがましいが、正しい七覚支について示してみたいと思います。
七覚支の7つとは念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支の7つです。
これは順番が大切で、この順番によって修されていきます。
今回示した経典にもそれ(順番に沿うこと)がはっきりと書かれています。
桐山さんが昔この七覚支を示した時は、一番最初の解説はこの順番でしたが、
後に自分の考えで順番を変えてしまいます 。
どうして変えたか それについては後述しますが 、今回 示した経典に 順番に沿うことが明記されていることにより 、
また仕方なく本来の順番に戻したわけです 。
ただその内容は 昔から説いていることと何ら変わりありません 。
なぜこの順番であるか についても桐山解説を読む限りではわかりません 。
輪廻する葦の 桐山七覚支解説を読んだとき私が得た感想は、これって教えじゃんと思ったものです。
桐山さんは阿含経に説かれたシチカ三十七道品に成仏法があると説いたわけですが、その中のこの七覚支解説って
桐山さんが昔から軽視している教えそのものじゃんと思いました。
と言うか桐山さんの解説の仕方が単なる 教え、説教、教訓に過ぎないわけなんですよね 。
一杯の天そばを師匠が一人で食っていってしまうエピソードとかも含めて 単に教訓としか示されていない。
事実桐山さんは後に三十七道品の中で 四神足法以外は教えだとしています。
しかし本当の私とは桐山さんが解説した話よりも、もっとシステマティックなものなんです。
ですから桐山七覚支を離れて、まずはその本当の七覚支のシステム体系を 書いてみたいと思います。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品・果報経・七種果経桐山解説批判
最初の念覚支とは、念とは思うこと、意識することのことで、念力のような意味はありません。
気付きと表現されることもありますが、 常に 対象に対して 意識を明確に持ち気づくことです 。
この場合の意識とは潜在意識とか深層意識なんて話ではなくあくまでも表面意識です。
日常生活の場において四六時中この自分の表面意識に注意を注ぐわけです 。
何に対して意識をするかと言うと自分の身体や自分の心です 。
それを常にありのままに観察することです 。
そしてそれが正しいものであるかどうかということを常に意識するわけです。
これを四念処と言います。三十七道品の中にある四念処ですね 。
桐山さんは四念処間などと言ってこれを瞑想法としているが、それは無知な話で、確かに瞑想もするけれども、
実は日常生活四六時中行っているのが四念処です。
だから七覚支の念覚支 とは四念処と重複すると言って過言はないわけです。
つまり自分の意識に注意を注ぐということです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
これは相手の家系の先祖が「霊障のホトケ」だらけで、
相手を霊的に不浄な人たちだと言うためです。
「先祖が成仏していない。苦しんでいるから、助けてあげないといけない。
助けてあげないと彼らの苦しみ(霊障)が、家系の運気を損ねて、
子供たちに不幸をもたらす」とインネンを付けて、
入信を勧めるのが阿含宗の手法の一つです。
お母さんは相手にこれに近い事を言っているはずで、
相手の人たちは怒ったでしょう。
阿含宗の教義を理解する上で、
「霊障」「霊障のホトケ」「霊障のカルマ」「不成仏霊」
は重要なキーワードですから、記憶してください。
霊障と悪因縁は阿含宗の収益の二大柱です。
この二つで信者たちを脅かして、金と人を差し出させる。
だから、お母さんの口からもしばしばこれらの言葉が出るはずです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
死んだ人があの世に行けず、この世にさまようのを阿含宗では
「不成仏霊」と言います。
簡単に言えば、幽霊です。
さらに死後、激しく苦しんでいる幽霊を阿含宗では「霊障のホトケ」と言います。
霊障のホトケは自分が苦しんでいるだけではなく、霊障という
毒ガスを出して、生きている人たちの運を悪くして、
霊障によって作られた霊障のカルマが人災や天災まで引き起こす。
つまり簡単に言えば、彼らは悪霊です。
霊障のホトケの元ネタは、日本の物語に昔から出てくる「崇り」です。
こういう古くからある話を、霊障などと言い変えられると、
何か新しいことであるかのように錯覚する。
後でも述べますが、仏教とは全然関係ない。
古くからある幽霊の崇り話にすぎない。
だから、阿含宗はお化け屋敷なのです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
お母さんは阿含宗の作ったお化け屋敷の、不成仏霊という幽霊や、
霊障のホトケという祟りを信じて恐れているのです。
お母さんにとって、先祖たちはすべて不成仏霊か霊障のホトケで、
同様に、あなたの元妻の実家も霊障の不成仏霊だらけだった。
お母さんの霊障のホトケたちへの気持ちは恐怖だけではありません。
阿含宗では霊障のホトケを「霊的不浄」、つまり穢れた者として侮蔑している。
あなたの家系はお母さんがきれいにしたが、
義両親の家系は霊的不浄であり、汚物の積もったゴミ屋敷に見えたのです。
他人の家に口を出したのは、布教をしたいという欲望の他に、
彼女の孫は両家の先祖の影響を受けるから、
孫はたいへんな不運を背負うことになるからです。
孫だけでなく、子供であるあなたも影響を受ける。
これは「夫の運気を剋する因縁」と言って、妻が霊的な毒ガスを出して、
夫の運気をそいで、運を悪くするという因縁です。
霊障のホトケが山積みの家系から来た「不浄なお嫁さん」ですから、
お母さんにしてみれば、息子の運気を削ぐ鬼嫁です。
こうやってお母さんの頭の中を説明されると、
あなたが考えていた以上のひどい状態だとわかりますよね。
こういう考えですから、あなたから見たら正気を失った
かのように見えるのも当然です。
また、狂信という意味では正気を失っている。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
念覚支に続いて次に択法覚支となります 。
択法覚支は何かと言うと、 これは正しいものを選び取るということです。
先に念覚支において自分の意識を 内省することを 説きました。
ならばその場面場面において自分が取るべき態度、行いはどういうことをすればよいかということを
正しいものを選び取るということです。間違ったものは選びとらない 。
例えば車を運転していたら割り込みをされた。 カチンと頭にきた。
カチンと頭にきたということは正直な感情ですから、それはそれとして カチンと頭にきた自分をありのままに承けもめる。
しかしそこからが大切ですよね 。
だからカチンときたから車間を詰めて煽り運転をするなんてことは正しいことではありませんね。
それは誤ったことです。 だからカチンと頭にきたのなら、それはその時だけとし、それ以上取り合わない、これが正しい選択です。
こういう選択をしていくのが択法覚支択です。
そして実はそれは四念処の中に既に入っていると言っても過言はないわけです 。法念処、法念住ですね。
だから択法覚支というのは四念処のそこの部分を特に強調アピールしたものとも言えるのではないでしょうか 。
択法と言いますけれども、法というのは真理ですからね。
正しい真理に基づくものを選び取る、選択するということです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
お母さんは自分では死者たちを救い、家系と親族の運を良くしていると信じている。
そして、それが死者への冒涜であることに気が付いていません。
死者に対して、おまえは成仏できていない、霊障を出して、家運や子孫の
運気を悪くしている、人災天災を引き起こしているなどというのは
死者への冒涜そのものです。
なぜならお母さんには死者を霊視する力がなく、見てもいないし、
証拠もないのに、死者たちを悪霊であるかのように侮辱しているからです。
お母さんは死者たちを助けているものだろうが、逆で、死者たちに
ありもしない罪をなすりつけているのです。
死者たちを冒涜しているだけでなく、死者たちを自分が救ってあげたのだと
主張しているのだから、死者たちを踏み台にして、ありもしない力を自惚れている。
これはお母さんだけでなく、ほぼすべての信者がそうで、自分では何も
確認していないのに、死者たちを霊障のホトケなど罵り、
また死者たちを救っていると自惚れている。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
阿含宗の霊障教学の卑怯な点は、
・死者たちを根拠もなく恐れさせ、
・成仏していないなどと決めつけ、
・反論できないのをいいこに、ありもしない罪をなすりつけ、
・自分たちが助けやったと自惚れている、
ことです。
ひどい話です。
死んだ人が不成仏霊かどうかなんて誰もわからない。
霊障のホトケになっているなんて何の根拠もない。
霊障があるのかさえもわからない。
霊障が生きている人たちに影響があるという証拠もない。
死んだ相手で反論できないのをいいことに、
問題の原因のすべてを彼らになすりつけるだけでも卑怯なのに、
それを自分たちが救ってやったのだと自惚れる。
私が阿含宗を霊的なヤクザと批判する理由の一つがこれです。
死者に因縁を付けて、好き放題に小突き、それをネタに人々から
お金に巻き上げるのだから、これがヤクザでないなら、チンピラです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
お母さんに、霊能力がないのだから死者のことなどわからないだろう、
と指摘をすると、次のような反論がきます。
「自分には霊能力はないが、シャカの成仏ホウを体得した桐山ゲイカは
お釈迦様から習った正しい霊視能力によって見たのであり、
お釈迦様もそのように経典で説いている。」
こういう反論は無知から来る間違いであり、嘘です。
まず、釈尊が死後の存在や、死後も苦しんでいる霊的な存在を
認めていることは事実です。
だが、その死後の存在が生きている人間に悪影響を与えるとは説いていません。
もちろん、釈尊は桐山さんのいう死者の成仏など説いていない。
死者の行先は変えられないと説いているのだから、
桐山さんの死者成仏を否定しています。
次の桐山さんの霊能力を根拠にするのは意味がない。
なぜなら、桐山さんの霊能力が正しいという証拠は一つもないが、
インチキだという証拠は山のようにあるからです。
お母さんはそれらを検証したこともない。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
お母さんに次のように質問してみることです。
「桐山さんの霊能力が正しいと言うが、それをお母さん自身はいつ確認したのだ?
あるいはそれを確認した人に会ったことがあるのか」
お母さんはいずれも否と返事するしかありません。
なぜなら、お母さんに限らず、桐山さんの霊能力を確認した人などいないからです。
桐山さんが霊能力があると宣言したから、信者たちはただ信じているだけです。
するとお母さんは次のように言うでしょう。
「桐山ゲイカにお会いしたことはないが、仏様のお力を体験している。
そのスゴサは体験してみないとわからない」
この返事は新興宗教では広くみられるもので、体験主義という名前がついているほどです。
体験そのものがまるっきり嘘だとは言いません。
だが、そういう人たちはたいてい冷静客観に検証したことがない。
だから、お母さんの体験談を聞いてここに書いてくれれば、
桐山さんの霊能力でなくても、現実的に説明できることを示します。
桐山さんが自分に霊能力や超能力があるかのように見せるために
やったインチキがここでいくつも暴露されています。
彼は仕掛けを作って人を騙した。
これを見ても、桐山さんが道徳心の非常に低い人だとわかります。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
念覚支、択法覚支と続いて次に精進覚支と なります。
精進覚支とは 文字通り 精進することですが、何に精進するかと言うと、これはやはり三十七道品の中の四正勤、四正断に相当します。
四正勤、四正断とはなにかと言うと、これまで行なっていた間違ったことはこの後やらないようにする、
これまでやっていなかった正しいことはこれからやるようにするという話です。ズバリこのことです 。
だからこれは択法覚支とも重複すると言えるわけです。
正しいものを選び取り正しくないものは選び取らない。
これを 続けて行なっていく。精進していくということですね。
つまり念覚支、択法覚支、精進覚支は実は1セットにしてもいいくらいの同じことを説いているわけで、
そこをよりわかりやすく三つに示したとも言えるわけです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
お母さんに、彼女のしていることは死者の供養や救済ではなく、
まるっきり逆で、死者への冒涜なのだと教えてあげることは意味があります。
彼女は家系の人々を救うために孤軍奮闘して善行を為したつもりで、
それをしている自分に自惚れを持っています。
だから、死者を冒涜する悪業だと指摘したら、プライドを傷つけられて、
かなり反発を招くだろうが、荒療治も必要です。
息子からここまで言われるか、と泣き出すかもしれない。
だが、教えてあげるべきです。 >>863789母の相談者2019/01/05(土) 23:00:06.99ID:ZEz2bRPk
>相手の義両親に『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』というような電話をしたり、
お母さんに配慮するべきは道場での人間関係です。
それがお母さんにはとても心地よく、楽しいのです。
仕事をしているようだから、他にも人間関係があるのだろうが、
道場での人間関係はかなり親密なもので、オバチャン同士の
おしゃべりが、お母さんにとっては安らぎになっている。
口先だけだが、阿含宗では社会的な地位や差別は持ち込まないことに
なっていますから、年齢を問わず、対等な人間関係を作ることができます。
年齢的にも世間との関わりが減っているだろうから、
阿含宗での付き合いはお母さんにとっては大切なものです。
信者の友人もいるはずです。
真冬の寒風のような世間に比べれば、お金を差し出せば、
彼女にとっては阿含宗は居心地の良い場所です。
難しさはそこにあります。
いくら居心地が良くても、詐欺宗教の上に成り立った関係ですから、
あなたや周囲にとっては迷惑な話です。
お母さんにとってかなり大切な部分を批判することになると
覚悟をして進むしかありません。
痛みを伴わない手術などないからです。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
そしてこのように精進を続けていくことにより、心に喜びが生まれます。純粋な喜びです。
さらに心は軽くなります。
これを喜覚支、軽安覚支といいます。
そしてこのように心が安定した状態の中で 、禅定に励むわけです。
禅定により心を集中させるわけです。
これが定覚支です。
そしてそのように心がより明澄に集中された状態においては、人は囚われの心 、執着と言った煩悩を捨てていくことが可能になります 。
そういう状態で煩悩を捨てていくのです 。
心の煩悩を捨てたらそれは修行の完成であり 解脱涅槃です 。
ここに修行が完成されるわけです 。
これが煩悩を捨てる捨覚支です。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
いかがでしたでしょうか?私の七覚支解説は?
念→択法→精進→喜→軽安→定→捨、この順番の連鎖関係が分かったのではないでしょうか。
もちろん摩訶不思議な法術でもないし、神秘的な話ではなく、地道な教えの実践ではありますが 、
この連鎖関係の システマティックな体系であることは理解できたのではないでしょうか 。
桐山さんにこういう連鎖システムの解説がありますでしょうか 。
今回順番を元に戻していますけれども、それってただいま単一に別々に解説しているだけだと思いませんか。
このシステムの流れが分かっていなかったからです。
つまり桐山さんは七覚支を単に字面だけで判断し、自分の解説をしただけと分かります。
では桐山字面解説がいかにお粗末なものであるか見ていきましょう。 コードバン 二つ折り財布 日本製 高級 馬革
http://blog.livedoor.jp/s5937b9-shitoafirieito/archives/14428876.html
東京は元浅草の創業1935年の老舗革工房が作るメンズ札入れです。
札入れ(さついれ)とは一般に「二つ折り財布」と呼ばれるものの正式名称です。
素材にコードバンという、馬のお尻の革を使った気品ある札入れです。
コードバンは大変希少な革のため、革の宝石とも革のダイヤモンドとも言われる高級素材です。
縁の部分をコバと呼びますが、ここは切り落としの「切れ目仕上げ」になっており耐久性が高い仕上がりにしてあります。
外周はシャープなダブルステッチで仕上げております。
また、内側のカード入れ等の縁はステッチのほかに「念引き」という熱したコテで付けるラインが引かれております。
コードバン 二つ折り財布 日本製 高級 馬革
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「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
桐山七覚支の解説のお笑いは念覚支を念力を強くするなどと解釈したことです 。
それから択法覚支を、数ある宗教の中から阿含宗のような正しい宗教を選びとるなどとしたことです。
法を仏法などのような宗教と見てしまったのですね。
しかし法はあくまでも真理ですから、これは宗教に限ったことではなく、真理真実というものは日常生活のあらゆる場面の中で 直面して行かねばならない問題です。
そこが分からないから、 正しい宗教を選び取るなどとしてしまった 。
そうしたからには順番も変えないといけない。
一番最初に択法覚支が来ないといけないとした。そうでないと修行が成り立たないから。
念力を強くするというのは 高度な話でもあるわけだから、もっと後に来なければならない 。
そして捨覚支は一番最後に持って行くことをやめた。
桐山さんは捨てるなんて話が嫌いです。捨てるよりも得る話の方が面白い。
せいぜい念彼観音力サラリサラリなどと 、余計なものは 心から捨てていくなんていう単なるそんな教訓の話程度にした。
ところが仏教というのは煩悩を捨てることであり、 それが究極なんだからやはりこれが一番最後に来るわけです 。
やはり仏教の根本が分かっていないから桐山さんは捨覚支を一番最後に持って来なかったわけです 。
そのように順番を変えたわけだが、今回取り上げた経典に順番に沿うことの重要性がはっきり書かれてあるのだから、
仕方なく元に戻したけれども、それの解説ってグダグダなわけです。
これでは七覚支の何たるかも分かりません 。
私の七覚支解説を読めばわかるように、七覚支とは それこそ単一で仏教の目的と修行方法が説かれているのです。
これは四念処もそうであるし 四正断もそうであるし、戒定慧の三学もそうで、表現は異なるが、皆同じことを説いている。
いかに桐山さんが仏教を理解しておらず七覚支の解説も全くでたらめになっていることが分かるのではないでしょうか 。
こんな著書の桐山解説に何の価値がありましょうか 。
こんな本こそ捨てねばなりません。 私の新著の桐山解説批判はとりあえずこれにてすべて終了いたしますが、前から述べているように、
他に付け足すこととかあれば 書いていただきたいと思います。
また私の批判内容に反論があれば、それは歓迎しますので 反論してみてください。
で今回書きながら平行して深山さんが 相談者さんに対して先祖に対する侮辱の話を出したところを読んで、
私もこれはやはり親子関係が破壊したかのようになっても荒療治は必要かなと感じ 、深山さんもそのような結論を出されています。
この問題について指摘することはそれこそお母さんはヒステリックな声を上げるかもしれません。
しかしやはりそういうことも必要なのではないかと思われます。
そんなことを言ってもらえる人って他にいないわけですからね。
だからといって親子関係が全部潰れるかと言うとそんなことは決してないからです 。
お母さんはこんなことを言った息子に対して道場に行って相談するでしょう。
しかしそれに対して回答できる人なんていないのです。
この5ちゃんねるの阿含宗批判スレを読んだことのない人にとっては、 先祖侮辱の話なんて今まで全く考えたこともない話でしょう 。
それを指摘するというのは実はすごく意義のあることなんです。 お宅の仏壇拝見させてくださいってのは奇妙ですね。これって粗捜しや
争いの種を探す口実ですからねぇちょっと信じ難いお話しです。
随分以前ですが、猊下が信徒に向けた法話で、曰<他宗の坊さんや信者と正邪の争いを
個人的に起こしては絶体にいけない、
仏法とお経についての法論はわたくしが一切責任を持って立宗している。
お坊さんはお坊さんで生活が立派に立場ある人達なのだから判りなさい。
貴方たち信者は、穏やかに行を絶やさず日々を送りなさい>と言う趣旨を法話されました。
生活とお金の許す範囲で施すのも修行、争わぬ常識を弁える人に先ずなるのも修行の成果。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
追加があります。
桐山さんはこの七覚支の修行法を二つのものから成り立っていると 書いています 。(326頁以降)
一つは純然たる修行法、一つは梵行としている。
修行法では念覚支、定覚支、捨覚支、この三つは特殊な修行方だとしています 。
梵行に当たるのが精進覚支、喜覚支、軽安覚支とし、択法覚支か修行法と梵行の両方の立場があるとしています。
わけのわからない説明ですね。
七覚支法だけでなく成仏法全て二種、修行法と梵行とが半々の割合あるいは7対3、6対4の割合になっていると示しています 。
しかし 実は桐山梵行なんて話はどこにも説かれていないのです。
桐山梵行というのは 何かと言うと、徳を積むことであるのだが、その徳を積むというのは
結局教団に奉仕をしながら 人々を救うという話です。
実はこんな話が阿含経典には説かれていません 。
だから小精進覚支や喜覚支や軽安覚支のどこに教団に奉仕して救うなんて 梵行があるのか?
ここでも全く唐突に 桐山梵行なんて話を持ち出して、それが経典で説かれてあり正当であるかのように示していますが、
実は全く説明にもなっていません。
説明ではなく単にだから梵行に励めという結論だけです。
経典から導かれない結論です。 >>893
昔は創価学会なども他人の家に上がり込んで神棚を壊したりとかしていたと聞きますね。
もちろん今ではそんなことをしたら大問題です 。
しかし神棚を壊すまではいきませんが、阿含宗の信者がそれに近いようなことをしているという現実が報告されたわけです。
もちろん全員が全員それをしているというわけではありませんが、そういう無茶をする信者もいる背景が
阿含宗の教義の中にあるということです。 >>893 神も仏も名無しさん 2019/01/06(日) 14:39:12.43 ID:QWrxBj9i
>随分以前ですが、猊下が信徒に向けた法話で、曰<他宗の坊さんや信者と正邪の争いを
>個人的に起こしては絶体にいけない、
仏法とお経についての法論はわたくしが一切責任を持って立宗している。
しかしこうも言っていたことを私は聴きましたよ 。
アビダルマって知ってますか? お宅はアビダルマも知らないんですか?と 他の教団との議論の際に出してみなさい。
と、つまり議論を奨励したことになります。
ただ都合が悪くなると、議論するなと話が変わるわけですが。 相談者さんのお母さんが、相談者さんが持ち出した批判について 教団に相談に行ったとします 。
もし宗務局職員などの人たちが、ここ5ちゃんねるの阿含宗批判スレの批判側から、言葉は悪いですが入れ知恵をされている、吹き込まれているなと察したら
きっとその先達たちはお母さんに息子さんには関わるなという話になるでしょう。
つまり その人たちは我々批判側に 勝てるはずがないと知っているからです。
だからここにも絶対に出てこない。
無視黙殺せよとの指示です。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
もう一つ批判点を追加しましょう。 定覚支のところです。
322ページで定覚支について以下のように概説します。
これは心を一つのものに集中して見られない瞑想の修行ですその中心は事前場事前方でそれを深めて滅尽定まで入っていきます。
さらに324ページで以下のように解説します。
とりあえずこのようなテーマで瞑想を深めていくのだということだけ記憶をしておいてください。
滅尽定というのはこの四禅定よりもっと深く潜在意識を滅尽してしまう瞑想です。
表面意識は完全に消え、潜在意識も消えてしまいます。深層意識のごく一部だけがほんの少しだけともっているような感じになり、
その他の感覚は全くなくなります。
滅尽定は最高位の瞑想ですが、実はこれよりもさらに深い定が一つあります。
しかし言葉ではとても説明できませんのでここではあえて説明しません 。
滅尽定にはなかなか入れるものではありませんが、やはり定覚支の最終目標は滅尽定と、その上の秘密の定です。
滅尽定に入りさらにその修行を積んで行きますと自分の前世も他人の前世もわかるようになります。
人が亡くなってからどういう所へ行くかも手に取るようにわかるようになります 。
しかしまずは四禅定を修めなければなりません。
そのためには私が教えている基本的な瞑想をきちんと身につけることが大切なのです。 「仏陀の真実の教えを説く 下」七道品経・果報経・七種果経桐山解説批判
>>898の引用は桐山さんの嘘です。
桐山さんはこんなことを説いているが 滅尽定までやる必要はないのです。
だとしたら沙門果経はどうなるのか?
沙門果経では禅定の下りは四禅までしか説いていません 。
その後のさらに深い滅尽定なんてものは全く説かれていないわけです。
それでいながらどこで解脱するかという話はさておいて、最終の解脱まで説かれているのです。
もちろん釈尊は一番最初に滅尽定も修したわけですが、それでは煩悩はなくならない。
定から解けたらまた元の木阿弥だと悟り、師のもとを離れたのです。
沙門果経において仏教の果報を最終の解脱に至るまで 阿闍世王にとこ説こう思ったら、四禅までなんて中途半端なことは 説明せずに
ちゃんと滅尽定まで 説明すべきではないですか 。しかしそんなものは説明されていません。
つまり桐山さんはここでも勝手に自分の考えで経典にも説かれていないことまで示してしまったわけです。 >>898
事前場事前方→四禅定(四禅法)
すみません、また音声変換の 未訂正文がありました。 仏陀の真実の教えを説く・上巻のp311に、須陀温、斯陀含、阿那含、阿羅漢、は阿含教学の基本だから、あなたがたは暗記せい。と書かれています。四向四果は阿含教学の基本なのです。四向が基本とかは書いていない、と挙げ足を取るようじゃいけない。四向四果は基本だ。 同じ仏陀の真実の教えを説く上巻のp181には、預流は新米の聖者、末席の聖者だと書かれています。末席だからこれ以下の聖者はないのです。分かりましたか?これをマスターしてから仏陀の真実の教えを説く下巻を読むことです。 桐山師が四双八輩を聖者だと新書で解脱していても、その原語は漢訳の「四双八輩是聖賢之衆」とかですね。何度もレスしたが、衆はsamghaサンガの訳です。だから正確な訳は聖賢のサンガです。世俗のサンガと言うわけがない。
四双八輩を聖者とひとまとめに説明しただけ。 だから上巻で四向四果を正しく理解している阿含宗信徒は下巻を読んでも迷わない。理解していないユビくんみたいな者は、上巻で預流を末席の聖者だと言いながら下巻では預流向を聖者とした。末席の下にも聖者があるのか?となる 690 神も仏も名無しさん 2019/01/01(火) 12:56:16.71 ID:QSRfXEEm
仏法僧の三宝が福田である限り、阿含宗の三供養品が変わることはないだろう。供養と果報あっての福田であるからね。但し、そこには節度が肝要ですね。深山ユビくんなどは節度なしに、盲信したのだろう。その反動として、供養と果報の関係を否定していると思われる。
上記は妖怪ヨル公さんの元旦の書き込みです。
今年の
阿含の初護摩は元旦の正午からの修法で、全国の各道場生中継が行われた。
ちなみに今年の初護摩はこれ1回のみ。
東北本部管轄の道場では、仙台の東北本部の他、青森道場、秋田道場、山形道場、福島道場、岩手道場、水沢連絡所、いわき連絡所
が生中継受信。
ちなみにこれは東北本部管轄の全道場です。
つまりこの初護摩の時間帯、ヨル公さんはどこにも参拝せずにこちらに書き込みをしていた。
まあ新著なんか買うチャンスもない。
実際にはヨル公さんは初護摩にも阿含宗にも興味ないんでしょ? 686 神も仏も名無しさん 2019/01/01(火) 11:46:02.78 ID:Jvcx6LvH
“仏説を歪め続けて十余年外道深ユビ来世はいずこ″
深ユビは十年以上も読者を騙し続け、仏説を歪め続けていたのを今更間違いでしたと言ったら、もうこのスレにはいられなくなる。
彼等はこのスレ無しでは生きて行けないから自分等の正当性を証明しようと必死になって嘘を作り出し、益々外道の道を突き進んで行く。
少し可哀相な気もするがこれも自業自得というものだろう。
もう誰にも止められない。
まあ一人じゃないからいいか。
道連れがいて本当に良かった。
来世も仲良く旅してね。
ちなみに上記はペテン大作さんの元旦の3つ目の書き込み。
初護摩の直前ですね。
この人は幽霊会員みたいなものだと思われるが、とにかく阿含宗なんかへの信仰はもはや無いのでしょうね。 念覚は念を強めること。気づきの瞑想法は沢山ある瞑想法の一つに過ぎない。例えば、空・無相・無願の三三昧は何にも気づかない瞑想法だ。ただボーと瞑想してたらチコちゃんに叱られる。念を強めるとは集中力を強めること。集中力は鍵だよ。難しいけどね。 >>908
さも自分が瞑想の専門家のように書いているが
実は瞑想なんか真剣にとりくんだことのないアホが書いていることが
わかってしまうのよwww少しでも実践している者にはね
なにが集中力がカギなんだよ全然わかってないじゃんwww >>908
その通りです桐山さんは念覚支は念を強くすることと言っています。
そして新著の327ページには、「 念覚支」「定覚支」というような純然たる技術としての修行法云々の 文章があり、
念覚支とは成仏法の純然たる技術であるとしているわけです。
しかし今回取り上げた経典は七覚支はその順番が大切だ、順番に沿ってやらねばならないと書いてあるわけです。
その順番は念覚支が一番最初で次に択法覚支になるわけです。
桐山さんによると択法覚支とは数ある宗教の中から阿含宗のような正しい宗教を選ぶとあります。
だとするとこれは順番的におかしいのではないか?
阿含宗という正しい宗教を 見つける、選び取る前に、成仏法の純粋なる技術を修行するということになってしまう。
とにかくどんな方法でもいいから念力を強くして、それから新しい宗教を選び取るなんてことは説いていないわけです。
今回の著書は そういった順番に対する矛盾点があり、またどうしてこの順番であるかなどということについても全く言及もされていません。
この経典の桐山解説は2016年の アゴンマガジンに発表されたものであり、 おそらくは桐山さんの子分どもが
桐山さんの 著書などからいろいろ引用しながら考え出して、桐山さんはそれについてこれでよしと認めたものでしょう 。
桐山さんの子分どももこういう矛盾点には気がついていなかったのです 。もちろん桐山さんもそうです。 >>901
ふ〜ん、で、不還は聖者だけど阿羅漢向は聖者ではない?
何なんスカねー >>893神も仏も名無しさん2019/01/06(日) 14:39:12.43ID:QWrxBj9i
>貴方たち信者は、穏やかに行を絶やさず日々を送りなさい>と言う趣旨を法話されました。
桐山さんは経典批判はするが、他宗は批判しないなんてきれい事を並べていた。
あれだけ他宗を、成仏ホウがないと罵りながら、ぬけぬけと
綺麗ごとを並べた桐山さんは、さすがは宝生創価さんの師匠だけのことはある。
それって「お前の来ているスーツは安物だ・・いや、君を批判したのではなく、
単にスーツを批判したのだ」と言っているのと変わりない。
桐山さんがするなと言っているのに、信者である宝生創価さんは
どうして毎度毎度スレ違いの創価や法華系をここで罵るのだ?
あなただけは創価などを罵る。
それも卑怯者だから、ストレートに批判するのではなく、
負け犬の遠吠えよろしく、遠まわしに罵る。
そんなところまで内弁慶の桐山さんの真似をしなくても良い。 >>893神も仏も名無しさん2019/01/06(日) 14:39:12.43ID:QWrxBj9i
>お宅の仏壇拝見させてくださいってのは奇妙ですね。これって粗捜しや
>争いの種を探す口実ですからねぇちょっと信じ難いお話しです。
粗探し??
なんで『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』(>>863)
が粗探しなのですか?
そう言っている宝生創価さんこそ、何とか批判側の粗探しをしたくて、
ここに出てきては、深山が創価だとインネンを付けている。
ありもしないことにインネンを付けまくり、
粗探しと争いのネタをばらまいているあなたが、
偉そうに他人に向かって、よくまあ粗探しなんて言えるものだ。
その面の皮の厚さには毎度感服する。
『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』
という言葉をいきなり粗探しや争いだと決めつけたのは
宝生創価さんの心に粗探ししようとするさもしい根性と、
争いをして、相手よりも自分が上位だと威張りたい慢心があるからです。
他人を批判したつもりで、宝生創価さんの汚い心を吐きだした。
正月なんだから、ゲロは遠慮してください。 >>893神も仏も名無しさん2019/01/06(日) 14:39:12.43ID:QWrxBj9i
>お宅の仏壇拝見させてくださいってのは奇妙ですね。これって粗捜しや
>争いの種を探す口実ですからねぇちょっと信じ難いお話しです。
宝生創価さんて、相談者さんのお母さんのように積極的に
周囲に自分の信仰を説くことをしたことがありませんね。
あなたは何もしていないから、粗探しなんて言えるのです。
本当に信じているからこそ、彼女は熱心に他の人に布教しようとした。
霊障に苦しんでいる人たちに救いの手をのばそうとしたのです。
それに比べて、宝生創価さんのしたことと言ったら、
阿含宗の軒先で客を横取りして、意味不明のお説教を垂れて、
虎屋の羊羹を手に入れたのだから、タダの盗人です。
信者なら、こんな所で油を売っていないので、W田中僧正の指導に従い、
護摩木一本でも托鉢して第二の応供の如来様に供養しなさい。
それともあなたも1.5来補さんと同じで、初護摩にさえも出なかったのですか?
桐山ゲイカの本も買わないし、初護摩にも出ない。
それでいて二人ともここに来てはエラっソウなお説教だけ垂れる。
1.5来補さんも宝生創価さんも信仰心が皆無なんですね。 >>912 桐山師が他宗の坊さんと口論はするなと
信徒に指導をしていたのは事実であります。
その道で食うプロの顔を潰して良いわけが無いですからね。
その場の法論による勝ち負けってのは一時の満足でありまして、今後に
恨まれるような敵を作る因縁は積むものでは無い、そうじゃないですかね。
困った人を助ける手立てを考えるのが菩薩の方便と言う基本は忘れちゃいけません。一時の
争論の対象である人物が、困窮する時に敵味方と差別する程、仏様の度量は狭くありません。
大悲根本、方便究竟は諸仏通用の真理であります。 >>915
それが事実でないなんてことは一言も言ってませんよ。
桐山さんがそのように言ったことが事実であったとしたならば、じゃあ桐山さんは自分は著書で他宗を批判をさんざん書いて
相手のメンツを丸潰しにしてるじゃないかと指摘したわけです。
また私はそのように 議論を禁止する指導もあるが、 逆に奨励しているとしか思えない 指導もしている事実を示しました。
またこんな事実もあります。
創価学会員と阿含宗の信者が 議論をした。
阿含宗の信者は桐山さんが著書に書いたように、法華経の方便品は斯くの如き人来世に仏道を成ぜんとこの部分を示して
お前達は来世成仏じゃないかと言ったら、創価学会員はそちらが説いているシュダオンやシダゴンだって
あれは来世にしか成仏しないではないかと言い返されて 答えに窮したわけです 。
それについての指導を桐山さんに乞うたら、桐山さんはそれに対する回答はひとつもなく、ただ単に議論するなの一言です。
つまり言い返す言葉がなかったわけです 。
桐山さんも議論に負けたも同然です。 >>893神も仏も名無しさん2019/01/06(日) 14:39:12.43ID:QWrxBj9i
>お宅の仏壇拝見させてくださいってのは奇妙ですね。これって粗捜しや
>争いの種を探す口実ですからねぇちょっと信じ難いお話しです。
アナタは阿含宗信徒を全く知りませんね?
おそらく戒名をみて、お母様が解脱供養を申し込もうと考えてです。 四双八輩=samghaサンガ、であることを意識しながら、深山ユビに尋ねる。四双八輩の全てが聖者だとしたら、愚鈍で有名なチューダバンダカの入門直後も聖者なのかい?入門直後だってサンガの一員だろ。その他の愚鈍な弟子も居たはずだ。全て聖者なのかい? 煩悩を無くす努力をしている者は聖者だというユビ説に問う。ならさ、1年間に1日だけ努力する者も聖者なのかい?あとの364日は怠けて遊んでいる者がさ。俺は1年間に5日は努力する、とかさ。それも聖者か?バカげた定義だろ。 >>919
1.5来補に聞く。
何度もレスしているけど、五下分結を切った不還は聖者で、
不還から更に五上分結を切る修行に入った阿羅漢向は聖者ではない?
そんなバカなことはないだろ。 釈迦は出家して間もなく、アーラーラ仙人に識無辺処〜無所有処、ウッダカ仙人に非想非非想処の定を学んだ。これは四禅より高度の定である。が、これは涅槃ではないと釈迦は師の元を去った。と、いうことは四禅は悟りへの通過点であって、悟りではないのだね。 阿羅漢向は阿羅漢という聖者ではないが、不還という聖者ではあるのです。深山ユビ説は、阿羅漢向は阿羅漢という聖者だと主張するから間違いだというのです。 >>915神も仏も名無しさん2019/01/07(月) 00:11:13.93ID:7NvToVjz
>桐山師が他宗の坊さんと口論はするなと
>信徒に指導をしていたのは事実であります。
これは宝生創価さんが桐山さんから聞いたのではなく、
ここでの話を読んで、そのように記憶したのではありませんか?
私は法話は一通り聞いているが、あなたのような話は聞いたことがない。
坊さんにも生活があるというような話をしたことはあるが、
だからといって、話をするななんて聞いたことがない。
宝生創価さんの元ネタは次の二つで、これらをマゼコゼにしたのでしょう。
一つが、ユビキタスさんが引用している事件で、先達が
他宗の教団で議論したが、ビタ負けして、桐山さんに指導を仰いだ。
桐山さんは教義の説明は何もなく、議論するな、としか言えなかった。
なぜなら、桐山さん自身が反論できなかったからです。
二つ目が、ネットでの書き込みについての指導です。
二十年ほど前、ネットで議論した信者がいて、これが桐山さんに報告された。
桐山さんは冥徳祭の法話で、ネットでの議論の禁止を言い渡し、
その上で、真言宗の坊さんから質問状が来ているが、
自分は管長だから、下っ端の坊さんからの質問には答えないと述べた。
二つの話は何度かこのスレで取り上げられたから、
宝生創価さんはこれを記憶して、後はあなたの頭の中で適当に作り変えた。
その証拠に、あなたの915の「その道で食うプロの顔・・」以降の
主張は桐山さんの論調ではなく、典型的な宝生創価節です。 >>915神も仏も名無しさん2019/01/07(月) 00:11:13.93ID:7NvToVjz
>桐山師が他宗の坊さんと口論はするなと
>信徒に指導をしていたのは事実であります。
口論ですか?
口論なんて、桐山さんに指摘されなくてもするべきではない。
つまり、宝生創価さんは、相談者さんのお母さんが他宗の僧侶と口論するために
『一度、線香をあげさせてほしい。仏壇をみせてほしい。』と述べたと
言いたいのですね。
さすがはインネン付けの阿含宗の信者だけのことはあって、
信者仲間にさえも偉そうにインネンを付ける。
彼女の目的は他宗の坊さんと口論することではないし、
当時も今も、彼女の頭の隅にさえもそんな考えはありません。
嫁の実家の人たちを導けないか、解脱供養か、護摩木だけでも
書いてもらえないかと、「布教」しようとしたのです。
そのきっかけとしてお参りさせてくれと申し出たのです。
これは桐山さんの指導にしたがった行動です。
嘘だと思ったら、宗務局に、「嫁の実家の仏壇をお参りして、
阿含宗の話をして、星まつりの護摩木を勧めることは悪い事か」
と質問してごらんない。
阿含宗は人と金が欲しいだけだから、だめだなんて言わないばかりか、
積極的に勧めるはずです。 >>915神も仏も名無しさん2019/01/07(月) 00:11:13.93ID:7NvToVjz
>桐山師が他宗の坊さんと口論はするなと
>信徒に指導をしていたのは事実であります。
私だけでなく、信者や元信者なら、彼女が何をしようとしたのか意図がわかる。
家系全般に関わる霊障のホトケの恐ろしさを信じ込み、
導きが自分の成績をあげたいという欲望にすぎないことに気が付いておらず、
他人を救う重大なボン行だと信じている。
信者、元信者なら簡単に彼女の意図がわかるのに、宝生創価さんだけは
わからないから、他宗の坊さんと口論しようとしたなどと解釈した。
なぜなら、宝生創価さんは他人に阿含宗の教法を説いたことがないし、
導きはもちろん、信者のお世話をしたこともないからです。
十年間、あなたや1.5来補さんの話を聞いているとそれが良くわかる。
桐山さんに言われた布教やお世話をしたことがない。
しようとしたこともないし、経験もないから、彼女の意図が理解できない。
知らないなら黙っていればいいものを、何か偉そうな訓示を
垂れないではいられない愚か者だから、知ったかぶりで
阿含宗のやり方を否定するような事を書いた。 >>915神も仏も名無しさん2019/01/07(月) 00:11:13.93ID:7NvToVjz
>桐山師が他宗の坊さんと口論はするなと
>信徒に指導をしていたのは事実であります。
桐山さんから宝生創価さんは指導を受けながら、どうしてあなたは
ここで創価の話を出すのだ?
深山は創価の回し者で、会館でパソコンを打っている専従員というのが
あなたの説です。
創価も他宗ですよ。
「恨まれるような敵を作る因縁は積むものでは無い」
「争論の対象である人物が、困窮する時に敵味方と差別する」
というのが桐山さんから学んだことらしい。
だが、あなたは私を十数年にわたり創価だと決めつけ、
「因縁を積む」ことをし続け、今でもスレ違いな書き込みをして、
「争論」を引き起こしている。
偉そうにこんなお説教じみたことを書きながら、
自分自分はまさにそのお説教に反することをしている。
しかも、気が付いていない。
桐山さんとそっくりです。
桐山さんは、双方の意見を聞きなさいなどと信者にはお説教したが、
気に入らないとヒステリックに職員や信者を一方的に怒鳴りつけていた。
さすがは口先ばかりの教祖の信者だけあって、
宝生創価さんも口先ばかりですね。 >>915神も仏も名無しさん2019/01/07(月) 00:11:13.93ID:7NvToVjz
>大悲根本、方便究竟は諸仏通用の真理であります。
いつものように小難しい仏教用語を使って、
すっかり自己陶酔に陥っているようだが、915のあなたの文章の後半は
桐山さんの話ではなく、宝生創価さんの作文ですよね?
男が自己陶酔している様子を見るのは本当に気色悪い。
宝生創価さんは議論と争論の区別もつかない。
批判と悪口の区別もつかない。
あなただけでなく、信者さんたちの多くがそうだが、
釈尊とは、議論など言葉は使わず、黙って座禅を組み、黙って神通力を示して、
自分の力を示したのだと信じている。
そんなオシャカはいません。
実際の釈尊はまったく逆です。 「比丘たちよ、初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、内容もあり、言葉もそなわっている法を説け。
純一無雑にして円満、完全清浄なる行(梵行)を実際に示せ。」
(『阿含密教いま』162頁)
釈尊は自分でも言葉を使って教法を説明し、言葉で布教し、
弟子たちにも言葉で議論し、言葉で周囲に説明するように説いた人です。
神通や奇蹟などではありません。
・釈尊は神通や奇蹟ではなく、言葉を用いて布教した、
・釈尊は弟子たちに教法についての議論を奨励した(アビダルマへ発展)。
阿含経には釈尊自ら外道の宗教家の所に出かけて議論する場面さえもあります。
信者さんたちの信じているイメージとまるっきり違うでしょう?
そういう言葉で説く場面を信者さんたちは桐山さんの本で見ているはずなのに、
桐山さんの解説ばかり読んで、引用された阿含経を読んでいないから、
正反対のイメージを植え付けられてしまったのです。 >>919 神も仏も名無しさん 2019/01/07(月) 08:53:48.02 ID:uzJWEf6+
>煩悩を無くす努力をしている者は聖者だというユビ説に問う。
>ならさ、1年間に1日だけ努力する者も聖者なのかい?あとの364日は怠けて遊んでいる者がさ。
>俺は1年間に5日は努力する、とかさ。それも聖者か?バカげた定義だろ。
そりゃおめーだよwwww
ったく初笑いだよ。
そもそもそんな奴いねーんだよ。おめーぐらいだwwww
マシレスすると、もちろんそんな奴は預流向ではない。向かう意志が無いのだから。
ちなみに出家だったらとっくに破門だ。
私も書いたろう?
まだ寒いからもう少し暖かくなったら始めよう。
こんな奴は預流向ではない。
預流向ではないから聖者ではない。
しかし釈尊は不放逸を口酸っぱく説くが、人間というものはそもそも怠けやすいものだ。
そんな極端過ぎる話でなくても、時に怠けることもあろう。とりわけ在家ならば。
しかしその時は反省してまた改めて奮起して怠けないように続けていくことが肝要だ。
それをしていく限り時間ふ人よりかかっても預流向の聖者だ。
ただおめーじゃ無理だwwww 釈尊が解脱した後、最初に話しかけたてきたのがウパカで、
釈尊は彼の質問に、自分は如来だと宣言した。
質問に言葉で説明したのです。
神通を示したのでも、瞑想のポーズを取ったのでもなく、言葉で説明した。
最初に帰依した五比丘も同様です。
釈尊は五比丘に、神通でも瞑想のポーズでも、王者の相承などという
デンパ通信でもなく、言葉で説得したのです。
交代で托鉢に出たというのだから、時間がかかった。
そして一人がようやく教法を理解したから、釈尊が発した言葉が、
「アンニャ・コンダンニャ」で、「コンダンニャは理解した!!」という意味です。
知性的に釈尊の主張を理解したという意味です。
釈尊は彼に言葉で説明し、彼が言葉を理解したことを釈尊は喜んだ。
この二つの話は桐山さんも引用しています。
だが、信者さんたちは両方とも、釈尊が言葉で、つまり議論によって
教法を説明していることに気が付かなったでしょう。
桐山さんから錯覚させられているからです。
錯覚のもっとひどい事例、悪質な事例が次です。 「布教のさいごのキメ手は、その持つ奇蹟の力であった」
「つまり、幻術としか思えないような超自然的な現象―――
奇蹟を起こして、布教を成功させていたわけである。」
(『阿含仏教超奇蹟の秘密』18−19頁)
桐山さんは釈尊が神通力で布教したのだと述べて、その証拠として
「ウルヴェーラの神変」として18〜44ページと長文にわたり引用している。
だが、信者さんたちによおくこの経典そのものを読んでほしい。
桐山さんの神通力による布教という結論とはまるっきり逆で、
カッサパは釈尊が神通を示しても帰依はしていない。
「この大修行者は大神通力をもち、 大霊力をそなえている。
水にもさらわれないほどだ。
しかしかれはわたしのように〈真人〉ではないのだ」
(『阿含仏教 超奇蹟の秘密』38頁)
このように、何度釈尊が神通を示してもカッサパは一切折れていない。
しかし、釈尊が神通を使うのをやめて、言葉で説得すると、カッサパは、
「尊い方よ。わたしは尊師のもとで出家し、受戒したいのです」と。
(『阿含仏教 超奇蹟の秘密』38頁)
このように帰依することを申し出た。
神通は何度示されてもカッサパは従わず、言葉によって説得されたのです。
これのどこが神通力による布教なのだ?
桐山さんは自説を否定するような逆の証拠を出しているのです。 >>921 神も仏も名無しさん 2019/01/07(月) 09:05:08.56 ID:uzJWEf6+
>釈迦は出家して間もなく、アーラーラ仙人に識無辺処〜無所有処、ウッダカ仙人に非想非非想処の定を学んだ。
>これは四禅より高度の定である。が、これは涅槃ではないと釈迦は師の元を去った。
>と、いうことは四禅は悟りへの通過点であって、悟りではないのだね。
そのとおりです。
そして桐山さんは今回七覚支の念覚支にその四禅以上の滅尽定、さらにもっと深い秘密定が
念覚支の最終
目標と明記しています。(>>898)
しかしそんなことは説かれていないとしたのです。
結局桐山さんも慧の正体が分からず、定しか意識がないのですね。
釈尊の仏道修行、七覚支には四禅までは必要でも、それより深い瞑想は必要ありません。 「布教のさいごのキメ手は、その持つ奇蹟の力であった」
(『阿含仏教超奇蹟の秘密』18−19頁)
経典をきちんと引用しながら、上記のように、書いてあることとは
正反対の結論を堂々と出してみせるのが桐山さんです。
このインチキぶりに驚きませんか。
信者さんたちに見てほしいのは、桐山さんはこういうインチキ、嘘を
堂々とやる人だという点です。
言葉で説いた釈尊が、弟子たちには、黙って神通で奇跡を示せ、なんていうはずがありません。
この姿勢は、最初に会ったウパカ、最初に帰依した五比丘から一貫している。
ケーヴァッダからの神通を使って布教してはどうか、という提案に
釈尊は次のように答えています。
「それゆえ、ケーヴァッダよ。わたくしは、神通力による奇跡に欠点があるのを知り、神通力による奇跡に不安を感じ、
恥じ、避けるのである。」
(『原始仏典1』春秋社、477頁)
釈尊は、手品と間違われるから、自分は使わないと述べています。
はっきりと布教に神通は使わないと述べている。
桐山さんの「奇蹟の力」なんて大嘘だとわかりましたか? >>919 神も仏も名無しさん 2019/01/07(月) 08:53:48.02 ID:uzJWEf6+
>ならさ、1年間に1日だけ努力する者も聖者なのかい?あとの364日は怠けて遊んでいる者がさ。
>俺は1年間に5日は努力する、とかさ。それも聖者か?バカげた定義だろ。
桐山さんの指導をあなたにも教えましょう。
桐山さんは今日は気分が優れないから勤行(梵行でもよい)はやめよう。
今日は気分が良いから勤行(梵行でもよい)をいっぱいやろう。
こんなのは修行とは言わない。
単なるレジャーだと。 ここまで示されても、信者さんたちはまだ桐山さんのいう
神通力による布教を信じている。
それが新刊の摩訶迦経です。
摩訶迦が雨を降らし、念力で火をつけたという件です。
信者さんたちは、釈尊の直弟子が念力で火をつけたという経典を見て、
いよいよ桐山さんを信用するようになった。
だが、摩訶迦の神通がどうしてモンゴルのアメフラシや
桐山さんの念力の護摩の証明になるのだ?
これ自体が、桐山さんのすり替え、手品のようなものです。
また、摩訶迦経を見て、釈尊時代に神通力で布教していたという
結論を出したのなら、とんでもない読み違いです。
この経典の結論は、先の「ウルヴェーラの神変」と同じで、逆です。
それを経典からきちんと読んではどうかと、私は二年半前に、
摩訶迦経を取り上げた時、信者さんたちに提案し、説明しなかった。
もちろん、私の提案を受け入れた信者がいたとは期待していない。
だが、それではいつまでたっても桐山さんのインチキがわかりません。
つまり、1.5来補さん、ペテン大作さん、宝生創価さんと同列になってしまう。 怠け修行は、単なるレジャーなわけでしょ?
実際、預流向の中にはレジャー修行している者もいるわけで、あとは弟子をやめる者もいる。
サンガの全ての弟子が聖者なら、そのようなデタラメ者も聖者ということになる。そんなバカな話しはないだろうということです。 テーラワーダ気づきの瞑想法の七覚支は、己の行為を注意深く観察し(念)、善行を選んで悪を捨てる(択)、務めていれば(精進)、喜が生じ、軽安となり、定が進み、偏りのない安定した心が達成される(捨)、というよ しかし、気づきの瞑想法の七覚支の説明は、阿含経にはその根拠がない。自分たちで勝手に作りあげた瞑想法だと考えられる。桐山師の解説が最も適格ですね。 仏陀の真実の教えを説く上巻のP373には、「わたくしたちは、すでに聖者に向かって修行しています。これを須陀温向といいます」と、あります。須陀温向は聖者に到着していないことが分かります。これをガッツリ頭に叩き込んで新書を読めば、迷わないのです。 それにしてもだ、隔月発行主教機関誌AGONの記事。
猊下霊言は御止めに成った方が賢明。
誰が文責を負うんですかね?既成事実を今のうちに作って置く、という
生狡い根性ならば、専用のカスタム地獄が口を開けますよ。 >>922
うふふ、
前スレ>>182
四向四果には、預流、一来、不還、阿羅漢、という四っつの聖者の位があって
預流未満が預流向、一来未満が一来向、不還未満が不還向、阿羅漢未満が阿羅漢向
であるわけさ。つまり四向は聖者の位ではないのだよ。四果が四っつの聖者の位
なのだよ。これ分かってから議論しな。
>>922で四向も聖者の位だと理解したかな?少しは進歩したかな?
まだグチャ論を繰り返す?(いい加減にしないと見っともないですよ) >>936
レジャー修行してる預流向なんていねーよ。おめーだけだよ。
前にも示したことがあるが 、桐山さんはこんなことも言っていたな 。
とりあえず 例祭には出席し、 毎日の勤行だけはやっているけれども、梵行などに参加しないのは信者 。
例祭に出席し毎日の勤行も欠かさないのは当たり前として、熱心に梵行に励むのが修行者 。
とりあえず会費だけは払っているのが会員 。
諸君は全員修行者となれ。 会員や信者ではダメですよと言っていた。
つまり阿含宗においては修行者しか預流向と言えないでしょう。
ましてや千座行から解脱宝生行に変わった時 、今までに勤行に充てていた時間を梵行に向けよという指導になったので、
ますます梵行しないと因縁は切れないことになる。
てゆーか、もうあなたは自分が何を主張したいのかすらわからなかったみたいですね。
あなたは三結を断ったシュダオン果、預流果夜からが聖者で 、まだそこまで達していないものは聖者でないと言ったわけだ。
それがいつのまにかサンガが全員聖者であるか否かなんて話にすり替えている。 >>937
そうです。それが正しい七覚支です。
私が最初に示したものと同じです。
私は正しい行い等を選び取り、正しくない行いは選ばないとしたが、
こちらははっきりと善悪と表現されており、わかりやすい。
>>938
だったらこの矛盾をどう説明するよ?
桐山さんは念覚支は念を強くする純然たる成仏法の技術だとした。
そして択法覚支は、数ある宗教の中から阿含宗のような正しい宗教を選びとるとした。
そして今回示した経典は、念→択法→・・・・・の順番に修行することが大切だとした。
すると桐山七覚支では、念を強くする成仏法の技術を修行してから、あらゆる宗教の中から阿含宗のような正しい成仏法を伝える宗教を選ぶ
という話になる。
正しい成仏法を伝える阿含宗を選ぶのが先でないと、正しい念覚支が修行できないだろ?
この矛盾をどう説明するよ? >>939
だから下巻にはそれと反対のことが書いてあるのだ。
ちなみに上巻よりも下巻の方が新しいということはあなたにも分かりますよね ?
早く下巻を読みなさい。 私はテーラワーダ気づきの瞑想説明の七覚支と桐山師説明の七覚支とどちらが正しいのか、実際に阿含経に当たって調べてみたのよ。その結果、桐山師が正しいとの結論に達した。ユビくんなど、盲目的に気づき瞑想を信じただけだろ。それじゃあダメだね。 >>945
じゃあ実際にあたってみた阿含経を示してみて。 四禅で解脱云々のレスも続いたけどね。釈迦仏教の場合、四禅で解脱はあり得ないの。欲を離れて喜楽生じて初禅に入る→これは欲界を離れた瞑想だから預流クラスの瞑想だと分かるだろう?第四禅は心安定して煩悩無く清浄→これは一来クラスの瞑想だよ。 ↑なぜって、四禅の次が六神通生じる不還の禅定だからね。不還(阿那含)から神通の世界だとは、桐山師提示の阿含経に書かれている。どの本かは伏せる。わかった人も伏せてほしい。これは自分で気づくべきだ。気づかない人は、実力不足だと自覚すべきなのだね。 暇だったので、久しぶりにのぞきに来たら、性懲りもなく、また馬鹿なことを言ってるな!
>>948
ろくに瞑想もせず、頭の中で妄想して勝手に邪説を振りまいてるんじゃない!
君は、全く「定」、更には「心」というものを全く理解していない、理解しようともしていないようだ。
実際には、解脱には四禅すら必要ない。そう言っても、きちんとした師に就いて、瞑想実践していない君には分からんだろうがな。
これ以上この話題には触れない方が、阿含宗の為だと思うが、敢えて続けるなら、恥をドンドン世間に振りまき、阿含宗のインチキぶりを、お気の済むまで晒すがいいwww
こんな呆けたことを言い続けるなら、マトモな殆どの仏教徒は、その名を聞いただけで笑うぞ!
恥を知りなさい! >>945
あたまおかしい人の意見ですねwww
ヨル公の意見だからなwww 大体、真剣に仏教瞑想を始めたら、阿含宗の教えなど、可笑しいと気づくはずだし、少なくとも、批判的にならざるを得ない。
ミャンマーにでも、タイにでも行って、キチンと瞑想してみなさい。
馬鹿らしくなって、あんないい加減な書き込みは出来なくなるはずだ。
「念」が集中力などと言っている時点で、アウトです。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。