∞ノノハ∞
川^〇^ハレ仏教の坐禅観に付いて掲載されていました
愛知学院大学 禅研究所
http://zenken.agu.ac.jp/zen/text/h19.html

鏡島元隆先生は、インドから中国を経て日本に伝わった仏教の坐禅観は、
三つの画期的な転回がなされたといわれる。
第一は釈尊による転回、第二は慧能による転回、第三は道元禅師による転回である。

第一の釈尊による転回であるが、インドのヨーガの修行は苦行であったが、釈尊はこの苦行を否定された。
釈尊は六年間に及ぶ苦行を捨てられ、ネーランジャラー河(尼連禅河)で沐浴され、村娘のスジャータの捧げる乳粥の供養を受け、
ブダガヤーの菩提樹下において結跏趺坐をされ、成道された。
釈尊は、結跏趺坐の坐禅の修行を通して、徹底的に自我心を対治して、
現世において悟りに到達するための修行とされたのである。
釈尊以来、原始仏教・部派仏教・大乗仏教において、様々な修行法が案出されたことは、本稿の(上)(中)において、すでに検討してきた。

第二の六祖慧能(ろくそえのう)(638-713)による転回についてみていくことにしたい。
慧能は、静処(じょうしょ)で心を丹田(たんでん)に移し、自我心を対治するインド仏教の坐禅を否定した。
慧能の坐禅観は、悟りを得ることにその目的があり、自己の本性を見、自己を究明することにあるとした。
悟りを得る機縁は、必ずしも坐禅によらないとした。
つまり慧能は、坐禅に対する執われを否定し、坐禅そのものを否定したのである。
慧能は、坐禅の宗教である禅宗から坐禅を否定するというような結果を導いたのである。慧能以降の禅宗の流れは、この延長線上にあるといっても過言ではない。

第三の道元禅師による転回は、六祖慧能の坐禅観を逆転回させた。
慧能は、仏法を悟りの宗教と捉えることによって悟りから坐禅を開放した。
それに対して道元禅師は、逆に仏法を坐禅の宗教と捉えることによって、坐禅から悟りを開放したのである。