2000年前に人間に降下されて、復活された復活体は、
霊の体を纏われた、栄光体であり、
体といっても、別物です。

でしたら、再臨される時は、同じことを繰り返すのではなく、
栄光体です。

2000年前にすんだことは、復活と聖霊の働きとして
改心、目が覚めるのですが、
再臨においては、それを目撃したり体験したりで
気付くというような、繰り返しではなく、
イエスキリストからは、
イエスキリストの栄光体での未経験が起こる次元にシフトされており
過去と同じであるはずはありません。

ですから、再臨では、すべてが同時に大変動が起きるであろうであり、
その時は、艱難と最後の審判と携挙が、恵みと悔い改めで気付きを
促してくださっていた期間も
あるいは、悪魔の策動の期間も、次元変化の時空で
未経験で起きるというのでなければ、再臨ではないということに
なります。

他宗教の者に対して、何様かのように云々している傲慢さ、
つまり、身勝手な思い込みで傲慢を生きたキリスト教の者が、
この未知の再臨、最後の審判、携挙で
最も直撃、されることでしょう。