> もともと空なのに、どうしてそれをさらに空じる必要があるのか?

思考が働くときはは思考三昧、妄想が出るときはは妄想三昧、それ以外ありえないわけで、それをどうにかしよう、がまず間違いなんじゃないでしょうか?

なりきる、とかもよく言われますが、本当は、それも変な話ですよね。

なりきろう、と思えば、それで離れるわけですから。。

やっぱわかっていないときの方便ということでしょうか、空ずる。。。 』



→ 空と言うのは、これなんぞ、ですよね。

空を透らなければ、いったい何についてのおしゃべりなんですか、と言う事です。

誰もが 空なんてーのはもうわかってるんだ、と言っている。

で、それを空を口にする。

でも、空は一瞬にして失せるもの。

どこまで行っても、色は色で、空であったため市はない、のです。

色即是色、です。

ところがシャキャ族の聖者が悪魔に誘われます、あなたは全世界を手に入れますよ、と。

色即是空、とは、ヨシュアも仏陀も、手に入れた全世界の王です。背番号が有れば、1です。

世界を成り立たせている秘密を手に入れた、と言う実感ですね。

そこが 乞食の(こつじき)の白隠が民家の婆(オババ)に思いっきり脛をひっぱたかれたところであり、
道元が2では無い、一如だとなった激しい昼間の作務の疲れから坐睡してしまった修行僧が如浄の皮のスリッパでひっぱたかれたそのところです。

妄想(もうぞう)、無いものを有ると思い、有るものを無いと思う。

空とは、妄想(もうぞう)です。

空即是色、と我(われ)に 還(かえ)らなければなりません。

そうなると、奇をてらったような禅僧など、いつまでばかやってんだよ、と言う事になります。