阿含宗という宗教298
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霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
■阿含宗関連サイト■
考察資料の総合案内「agama考察室」
http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
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http://agama.zashiki...m/kakoindexmenu.html (201〜239まで)
※ 以降は5ch(旧称 2ch)が転載防止策を講じたのもあり、転載できなくなっているのもあり、
※ 239で処理を中断しています。
※ なので、まとめサイトとしての agama考察室での過去ログ閲覧は239までとし、
※ 以降はネットで見たい掲示板のタイトルを検索して探して見ることをお奨めします。
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.j...kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC
http://agama.jounin.jp/
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1539485760/ 正しいことを覚えて損はないからね。
お釈迦様=四双ハ輩すべて聖者
仏教学者=四向四果すべて聖者
ババアのしもべ(よる公)=預流向は聖者ではない、預流は聖者、一来向は聖者ではない、
一来は聖者、不還向は聖者ではない、不還は聖者、阿羅漢向は聖者ではない、阿羅漢は聖者。>>182〜183 岩波仏教辞典第二版422ページ
【四向四果】
〔阿羅漢〕は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界には生まれない位をいう。
この位に到達した者を(無学)といい、これ以前の聖者(七輩)を(有学)という。 >>639
全然違うわ。
大学4年生の課程をすべて終えて、最早学ぶことが無くなった者=無学(阿羅漢果)
大学4年生で、まだ学ぶことがある者=阿羅漢向
これが正解だよ。 >642〜坂道です。2ヵ月ぶり、仕事が忙しくてご無沙汰してました。
相変わらずアホやね、よる公は。聖者になったり、聖者でなくなったり(爆) >>598 桐山師は『思います』と長年の体験によって所感を述べた。
其れを実証検分するのは、君でありわたくし達である。
当然深山氏の様に(権威ある文証)を出すべしと批判される方も出る。
この分野について、体験を重ねて『そりゃねこういう事』とまで説明できる人は稀。
例えで『畳の上の水練』と諺を持ち出すことにする。
腹ばいで畳の上、鼻を摘まんで潜って風呂場で遊ぶ、スイミングスクールなら
温水プールで胸まで浸かって歩くから始まり後はご存知の通り、後は好みの儘に
湖、海と練習する場所は移動するにつれて泳法を習得する。
例え話から話題を元に戻す、霊的な事柄を望んで習得したいと思う人はまず居ない。
己がその存在に悩んで自力的解決した幸運な人が、僅かにこの世の中に居る。
習得するのはそんな人数ではなかろうか?と思うのだ。
その解決のコツを得た幸運人を導師と呼ぶべきだが、深山氏は桐山師を導師と認めない、
其れも彼なりの見解。
※霊的事例報告は世間に多数ある、然し科学や心理学の範囲に納まらず、学会の権威
(創価学会ではない)の研究範囲に成らずは再現実験が有り得ない故。
ただ、数知れぬ事例報告があるだけ、UFOがそうであるように権威ある科学者や心理学者、坊さんは
口を閉ざして経を日々御霊前に詠む。
霊の関する発言は永遠に人文研究者の民俗記録文献に終わるのではあるまいか。
深山氏はこの際、終わらせるべきとお考えか?いや俺はこの様な考えが在ると仰るなら
述べて下さい。 考え方として、受験生を考えれば、四向四果を理解しやすいだろう。次の八輩を考えよ。
大学受験生(向) :大学生(果)
高校受験生(向) :高校生(果)
中学受験生(向):中学生(果)
小学受験生(向):小学生(果) 受験生を考えれば、学生の種類が四っつなのに、八輩にする意味が分かるだろう。大学受験生は大学生ではないから、学力の資格はまだ高校生となるのです。
阿羅漢向は、まだ阿羅漢に到達していないから、聖者の資格としては不還なのです。 この四向四果を理解しないでは、阿含仏教の正しい修行は出来ません。正しいスタート地点が分からないからです。深山ユビくんは、正しいスタート地点が分からないわけです。いくら阿含経を研究したとて、無駄です。基本的なことを理解していないからです。 >>647
また下手な例えしやがって。
大学生が果?
大学生は大学在学中に学んでいかねばならない未完成品だろ?
ちなみに私はその問題はどうでもよく、次の声聞品桐山解釈批判を準備中っとか、いつでもできます。
ただ、他にもやることがあるので、この経典一つで批判ポイントが4つか5つくらいあるが、
始めても一気に論じる気はなく、それこそ1週間かかろうとも一つ一つ時間をかけてのんびりやる。
あるいは1日おきにやるとか。 幸福の科学
大川裕太の妻、大川雲母、離婚、解雇!!
大川家は、隆法、宏洋、裕太と、トリプル離婚!!
ユートピア建設を説く「仏陀の生まれ変わり」と宣伝する大川隆法。
その家庭が地獄!!
大川隆法は、世間の噂通りの偽仏陀なのか!?
単なるイタコ芸人か!?
https://togetter.com/li/1186290
幸福の科学、絶体絶命!!
教祖親子がトリプル離婚!!
>>647
違うだろ。
無学が阿羅漢だよね、大学4年生の課程をすべて終え最早学ぶことが無くなった者。
じゃあ大学4年生で、まだ学ぶことがある者、これが阿羅漢向だろ。 >>646神も仏も名無しさん2018/12/05(水) 01:33:20.96ID:OZYvTkFe
>深山氏はこの際、終わらせるべきとお考えか?いや俺はこの様な考えが在ると仰るなら
>述べて下さい。
私を名指しにするなら「意味の分かる普通の日本語を書いてください」。
宝生創価さんが独り言で何を書こうと自由で、私は読み飛ばす。
だが、名指しで他人に質問するなら、小学生でも意味のわかる普通の日本語を書きなさい。
宝生創価さんの文章は何を言いたいのか、何を質問しているのか、
さっぱりわからない。
「思います」を取り上げたのだから、霊魂の話をしているのでしょう?
あなたの文章はそれすらわからないのです。
自惚ればかり強くて、意味不明の漢字を並べると、何事か
自分は立派な主張をしたかのように錯覚するのがあなたの知性らしいが、
だから、誰も相手にしなくなるのです。
宝生創価さんは意味不明の文章を書き続き、
1.5来補さんは「深山は阿羅漢向を阿羅漢だと言った」と、
私が書いてもいないことを書き続ける。
何度説明しても、1.5来補さんは何を言われたのかさえも理解できない。
普通の日本語の文章の書ける信者や、普通に他人の文章を理解できる信者って
いないのですか? >>646神も仏も名無しさん2018/12/05(水) 01:33:20.96ID:OZYvTkFe
>当然深山氏の様に(権威ある文証)を出すべしと批判される方も出る。
こんなことを私がいつ書きましたか?
1.5来補さんと同じで、宝生創価さんも、私が書いてもいないことを
勝手に作り上げて、反論や質問をする。
1.5来補さんは、自分が反論しやすいように、相手の主張を捏造する。
そういう点は桐山さんとそっくりですね。
A 生きている人間の中にある霊魂
B 死後の霊的な存在
桐山さんはこの区別がつかなかった。
阿羅漢と阿羅漢果の区別ができない1.5来補さんとそっくりです。
学者や僧侶がAを否定して、釈尊は霊魂は説いていないという仏教の当たり前を述べると、
Bの話だと勝手に決めつけて、次のように彼らを罵り続けた。
「それで、わたくしは、
「宗教や信仰を持たず、霊魂さえ認めない人々はサルに等しい」
と冗談半分に言っているわけです。」
(『アゴンマガジン』32号、11ページ、2009年)
桐山さんのこのピント外れの指摘は理解力と読解力の低さです。
学者などはAの否定を述べているにもかかわらず、
桐山さんはそれを頭からBの話だと決めつけているのだから、読解力が低い。
どっちがサルに等しいのだろう? 「それなのに霊魂を否定しているお坊さんや仏教学者が、この日本にはたくさんおります。結局のところ、それらの人たちは「阿含経」を読んでいないのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く[下]』245頁)
仏教学者が阿含経を読んでいない??!
信者さんたちは、阿含経を学んだはずの仏教学者たちが霊魂を
否定したら、どう思いますか?
彼らは阿含経を学んだ上で書いているのだから、何か根拠があるのだろうと
思いませんか?
普通の人なら、自分の知識や理解が足りないのではいないかとまず自分を疑う。
だが、桐山さん、1.5来補さん、宝生創価さん、ペテン大作さんは自分の
理解力の低さを疑うことはまずない。
なぜなら、天井知らずの自惚れを持っているからです。
仏教辞典にさえも死後の存在が記述があるのに、学者は霊魂を否定して
いるのが理解できないのなら、学者に質問してみれば良い。
桐山さんの知り合いには著名な仏教学者もいました。
彼らに率直に疑問をぶつければいい。
だが、桐山さんは自惚ればかり強くて、それすらもしていない。
していないと、どうしてわかるかって?
していないから、本に上記のような恥ずかしいことを書けたのです。 「それなのに霊魂を否定しているお坊さんや仏教学者が、この日本にはたくさんおります。結局のところ、それらの人たちは「阿含経」を読んでいないのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く[下]』245頁)
他の信者さんたちに見てほしいのは、桐山さんと三人組の理解力の低さや
無知だけではありません。
彼らの天井知らずの自惚れ、慢心です。
自分の理解力の低さを自覚することはなく、むしろ、桐山さんは
仏陀の智慧という高度な知性を持っていると自惚れて、
理解している人たちをサルと小馬鹿にして、
1.5来補さんも自分では頭が良いつもりだし、
宝生創価さんは学識があると思い込んでいる。
だが、現実の桐山さんは無我さえも理解できず、
霊魂説という爆笑説を唱えた。
1.5来補さんは私から「阿羅漢と阿羅漢果は一緒にするべきではない」と
何度説明されても、今でもわからない。
宝生創価さんはまともな日本語さえも書けないのに、
難しい漢字を並べられる自分は見識のある人間だと思っている。
三人に共通しているのは無理解と無知だけでなく、強烈な慢心です。
信者さんたちにそこを見てほしい。
慢心が信者さんたちを無知にしているのです。
阿含宗を選んだ自分が正しいと思っているから、
批判側の批判が悪口にしか見えない。
読んでいる信者はまだ良いほうで、大半は読もうとさえもしない。
自分の宗教選択が正しいと自惚れているからです。 A 生きている人間の中にある霊魂
B 死後の霊的な存在
信者さんたちは、私から指摘されるまでAとBを区別していましたか?
大半の人がしていなかったはずです。
桐山さんのように「死後の存在があるのだから、人間には霊魂はある」
と短絡していた。
その考えは短絡です。
短絡というよりも、仏教的には完全な間違いです。
完全な間違いとわざわざ強調するのは、Aの否定こそが
釈尊が打ち出した新しい宗教観なのです。
それまでのバランモン教などでは、桐山さんのような霊魂説だった。
それも桐山さんの魂魄説のような稚拙な霊魂観ではなく、
もっと緻密で非常に良くできた霊魂観が、釈尊よりも
百年ほど前のヤージュニャヴァルキアによって確立されていた。
彼はAもBも認め、輪廻の主体を認める霊魂観です。
釈尊は彼の思想も知った上でこの霊魂観を否定したのです。
それなのにAがあるなどと主張したら、釈尊の教法の否定です。
桐山さんはそんなこともわからなかった。 A 生きている人間の中にある霊魂
B 死後の霊的な存在
桐山さんは昔はAを積極的に出さなかった。
だから、魂魄説を唱えたのも晩年の2009年頃からです。
信者さんたちは、晩年、桐山ゲイカが真理に到達したのだなんて思っているかもしれない。
まるっきり逆で、脳が老化して知性が失われたからです。
仏教をかじれば、あちらこちらで釈尊が霊魂を否定したという話が出てきます。
だが、頭が老化する前の桐山さんの頭でもAとBの区別がつかないから、
意味がわからなかった。
とりあえず、否定されているようなので、積極的には出さなかったのです。
ところが、晩年、もはや頭が老化して、そういう知識やブレーキも
効かなくなり、稚拙な霊魂説を打ち出した。
自分が若い頃に読んだ本にあった道教の魂魄を持ちだし、
それも正確に引用するのではなく、空想で魂魄説を作り上げた。
桐山さんを大霊能者と信奉したい気持ちはわかるが、彼の魂魄説は
仏教とは関係のない外道説です。
その証拠に阿含経に魂魄などない。
信者さんたちで霊魂のない輪廻が理解できないなら、安易な霊魂説に
飛びつかず、慢心を抑えて、自分は理解できていないのだ、と自覚することです。 御仏:むろうむしむしゅうえむじょうあんのんねはんの解脱を敬い、むろうむしむしゅうえむじょうあんのんねはんの供養を奉る。
無限の未来を観る。
法界体性智を諦め圓鏡体性智に、
冥合融会ならずともに、心は残る。
永久の魂を退き不滅の魂に、
悪魔は引きさがる。
寂滅涅槃かな・ 【創価学会は朝鮮族支配のカルトです】
オウムに人材と資金提供していたようです。
犯罪教団のお手本であり創価学会は、現世利益を看板にしてし、おびただしい数の出版物を半強制的に買わせる異常に気持ち悪い卑劣鬼畜外道ドブネズミです。
創価学会は、批判者や脱会者に対し、脅迫、尾行、見張り、嫌がらせ、怪電話、怪文書、暴行、傷害、盗聴等々、あらゆる犯罪的手段を用いて攻撃します。
創価学会を私物化した池田大作の野望は、日本の国家機構を乗っ取り、絶対支配者となる ということです。
同時に、創価学会は、司法界、官僚、警察、マスコミ界等へ、池田大作私兵を送り込む作業を長年にわたり組織的に続けています。
創価学会の会員は何かにつけ込まれ、無理矢理入信されられた方がほとんどです。
つまり、被害者なわけで救い出すチャンスはあると思います。
皆様とともに、どうしたら彼らを救い出すことができるかどうかを話し合ってみたいと思います。
池田大作を信じ、崇拝したところで、幸せが訪れるでしょうか?
創価学会は撲滅するべきです
その他の入ってはいけない宗教
wアレフ、統一教会、顕正会、エボバの証人、法の華
創価学会被害者の会 浪速建設 岸本晃(キシモトアキラ) >>647
>考え方として、受験生を考えれば、四向四果を理解しやすいだろう。
>次の八輩を考えよ。
>大学受験生(向) :大学生(果)
>高校受験生(向) :高校生(果)
>中学受験生(向):中学生(果)
>小学受験生(向):小学生(果)
おお、それが妖怪の言い分なんだなw
よく分かった!
でも仏教徒ではない 邪教徒のおまえには
仏教のことは関係ないだろうw
違うかヨル公。
せいぜい阿含宗というニセ仏教の邪教でも信心して
一生過ごすんだなw
あんたがどんなに屁理屈言っても
阿含宗は邪教。阿含宗会員は邪教徒なの。
抵抗しても意味ねえの。
全部、自業自得であんたのやったことは
あんたに返ってくる。それだけよ。
釈迦の教説を捻じ曲げて仏陀を冒涜するのは
いい加減 やめたほうがいいぞ。 阿含宗について
阿含宗は阿含教を世に広めた所は正しかった。ただし出した人間が悪かった。故桐山靖雄は阿含経を出してる
ことを盾にして悪いことの方をしほうだいだった。悟りを得たときの分析法を間違えていた。
釈迦もキリストも阿含経が世に広まるまではとがまんにがまんを重ね、耐え、目をつぶっていたが、
とうとう人間界だけでなく、神々、仏々の界まで私物化しようとし、晩年に神々、仏々から襲撃をうけている。
だから、阿含宗は桐山から部分的には参考にしても今はおまいりはしちゃいけません。さらに黒幕だった
不動明王やイルミナティーもおまいりしてはいけません。この3体のいずれかに、キリストもヤーウェも
ガブリエル、アマテラスも、釈迦、アカシックレコードや宇宙(大日如来)などまで、だまされることがあります。
以前宇宙に大事なことが「そういうことはなかったんだ」と言われ3日後に再び聞いたら「あったあった、ごめん」
と霊媒師を通じて言われたことがありました。彼らはいったん抹消され復活してくるところも抑えられ、
現在人格形成を修正中です。また釈迦の骨がまつってあり釈迦もいますが、お釈迦様も悟ったときの分析法を少々間違え、
それによってその後の行動パターンも決まってしまってるので抹消はされないが、
そこは仏弟子達(舎利子やアーナンダ、毘沙門天や孔子も?)やキリストなどもとともに反省して直って
もらわなければなりません。そうしたらみんな阿含宗にいき徳を積み、その後解読された阿含経の7科37道品
をそれも改良してたどっていき悟りを開いたらいいでしょう。とにかく悟ったときの分析法は大事です。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品の桐山解釈批判@
新著は冒頭に身命経、次にこの増一阿含経声聞品を載せています。
これは阿含宗 信者や元信者であれば 記憶のある内容の経典です。
ミガシラバラモンが髑髏で占いをする。
墓場に行って その人の頭蓋骨を見て、この人はどういう死に方をして、その後今どこに生まれ変わっているかなどを当てていくものです 。
ミガシラバラモンは次々と言い当てていき釈尊は 合格点を与えていく。
そして最後に 阿羅漢の 解脱を得て、もう生まれ変わりがなくなった人の頭蓋骨を見ると、ミガシラバラモンは答えに窮した。
釈尊はこれは 輪廻がなくなった ものだと示し、ミガシラバラモンは大層感服して 、釈尊に帰依を誓いその場で出家します。
そして自らも二度と生まれ変わらない 阿羅漢となったのだというお話です。
もちろんその現代語訳と最終結論には 何ら問題ありません。
ところが解説を進めていくうちに随所随所に桐山さんは 変な話を挿入しているのです。
経典にも全く書いていない 話を挿入します。 阿含宗の元会員の者です。
まずはじめに、このスレで活躍されている、
深山氏・ユビキタス氏等、諸先輩方へ感謝
致します。
皆様方のおかげで、自分の頭で考えることの
大切さを知り、洗脳から解放されました。
ありがとうございます。
不躾ですが、深山さんへ質問があります。
人の死後は転生すると理解しておりますが、
世間一般に霊的なものが悪さをする話を聞き
ますが、あれは餓鬼とかでしょうか?
また、死後に転生するまでの間の中間的な
存在はあるのでしょうか?
中村元先生の翻訳された、『仏陀のことば』
には、中間的な存在についての記述は無いと
自分では思っております。
お時間のある時に、ご教授よろしくお願いします。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判@
まず第一は、ミガシラバラモンが一番最初に見る頭蓋骨は病気で死んだ人ですが、この人は善処には生じておらず、
三悪趣に 生じていると 見て、釈尊もそれを認めます。
そこで桐山さんは三悪趣、要するに地獄界・餓鬼界・畜生界について説明するわけですが、
この説明の仕方がおかしい。おかしいどころかか 全く 仏教では 述べていない話を始めます。
桐山さんは地獄界・餓鬼界・畜生界に生じたという表現には2通りの解釈が考えられますとします。(78ページ )
一つは死後意識が戻ると阿鼻野街道を通ってサイの広場へ向かい、サイの広場にある断崖絶壁から三途の川に落ちて
業の重さによって、一番手前にある地獄界、中央にあるか餓鬼界、一番遠くにある畜生界に通ずる三つの瀬のいずれかに落ちて
生前の罪を償うために急流によってそれぞれの世界に運ばれたとしています。
これらの話は 阿含経ではなくチベットの死者の書などを参考にしたものですが、 阿含経では とにかく亡くなったら地獄に落ちるとか餓鬼に生じるとか畜生に生まれるぐらいしか説明しません。
こういう中間のことについては説明しません 。
だからそれは余計なことですが まあそれは目を瞑るとして、問題なのが次の表現です。三悪趣のもう一つの解釈です。 「仏陀の真実の教えを説く 下 」声聞品 桐山解説批判@
引用しましょう。 (78〜79ページ)
もう一つは、それぞれの世界で罪をつぐなってから冥界に到着し、そこからこの世界に転生した時に、
その因縁による環境や運命が、地獄界・餓鬼界・畜生界のいずれかの境界であるというものです。
これをわたくしの著書「人はどんな因縁を持つか」(阿含宗教学部)と修行者座右宝鑑」(阿含宗出版部)から引用敷衍すると 、
たとえば地獄界の境界では、次のような因縁によって苦しみます。
自殺、他殺、事故死のいずれかに遭ううという「変死の因縁」、心がけの良善い悪いにかかわらず、刑事事件を起こして刑務所につながれる刑獄の因縁 ・・・(以下略)
さらにが餓鬼界の 境界 として癌の因縁など、畜生界の境界として肉体障害の因縁などを列挙していきます 。
ついにここで桐山因縁が出てきました。運命の星である 桐山因縁です 。
まず仏教にはこのような現世における不幸を 地獄や餓鬼や畜生にみなすという考えはありません 。
すべて阿含経で説かれる地獄・餓鬼・畜生は死後に生じる先です。
現世の境界をこれになぞらえたりしません。
地獄界・餓鬼界・畜生界に二通りの解釈があるというのならば、それは別の経典でもいいから示して、阿含経にその根拠があることを示さねばなりません。
もちろんそんなものはありません。
唐突に桐山さんの考えを出しただけです。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判@
地獄をあの世の話でなく、この世の話とするのは 、世間にはそういう表現はあります。
例えば戦争戦乱で悲惨なことになっている様子を地獄絵図などと言ったりします。
しかしこれは文芸表現であって、宗教的とりわけ仏教の表現としては適切ではありません。
地獄とは悪いことをした人が落ちる先です 。
だから自業自得というように、そのような責め苦を受けても当たり前という思想があります。
これは仏教だけでなく西洋のキリスト教などもそうですね 。
だから桐山さんは アウシュヴィッツ の護摩法要に行った時に、彼らアウシュビッツの処刑者は地獄に落ちたと表現しました 。
地獄に落ちて苦しんでいるのを自分たちが行って救うのだ、よかったねえなどと書きました。
これは大変な侮辱です。
地獄とは東洋でも西洋でも悪いことをした人が落ちるのものなのに、どうしてた単に残虐ななナチスの被害者であるユダヤ人が?お前たちは地獄に落ちたなどと言われる筋合いがあるのでしょう。
地獄に落ちるべきは ナチスたちと誰もが思うでしょ。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判@
また地獄に落ちるような人を現世にまで拡大して表現するならば 、地獄に落ちるような悪いことをした人は、
それ自体が地獄界、地獄クラスの人間と言えます。
例えば憎しみに囚われ人を殺す 、不当な貪りで盗みをするなどですね。
これは死後に地獄に落ちる因を作っているわけですが、そういう心の境界行いがもうすでに地獄クラスであるということになります 。
こういう考えであれば納得もできます。
ところが桐山さんは 被害を受ける、苦しみを受ける 、癌になる、殺される、事故にあう、そう言った その時その時の状況では
そこに地獄クラスの心が介在しているかどうかも分からない話に対してあなたは地獄クラス、地獄界の因縁があるなどと説く。
こんな話はとにかく仏教にはありません。
だからこんな仏教にもない 勝手な桐山さんの考えを 阿含今日の講義の最中に、地獄界が出てきたからといってそういう話をするというのは大変な冒涜です。
仏教経典に何の根拠もない話なのです。
単に地獄というのは苦しい、 現世は現地で苦しい、 だからこれを比較して地獄みたいだなぁと言っている 非常に単純な頭のない話です。
こんな話を信じてはなりません、
大変罪な本だと言えます。 ということで、声聞品桐山解説批判の@はここを指摘したいのですが 、まだまだ他にも 批判すべき余計な話がたくさんありますので、
また日を改めて解説していきたいと思います 。
これは本の粗探しだの重箱の隅をつつくような話ではなく 、余計な話の挿入とはいえ、これは絶対に否定しなければならない重要な話なのです。
阿含宗批判には欠かせない、この考えは間違っているのだという指摘です。
少なくても仏教ではない反仏教なのです。 >>666 神も仏も名無しさん 2018/12/05(水) 20:35:13.50 ID:8vmj/o+M
>人の死後は転生すると理解しておりますが、
>世間一般に霊的なものが悪さをする話を聞き
>ますが、あれは餓鬼とかでしょうか?
>また、死後に転生するまでの間の中間的な
>存在はあるのでしょうか?
>中村元先生の翻訳された、『仏陀のことば』
>には、中間的な存在についての記述は無いと
>自分では思っております。
深山さんではありませんが私の考えを綴ってみたいと思います 。
餓鬼には悪さをする存在ということは聞いたことありません。
また阿含宗においても餓鬼とは人目につかぬように惨めに暮らす存在であって、霊障みたいに祟ったりするようなことも説いていません 。
また悪さをする霊があるのかと言うと、まず仏教ではそういうことは説いていません。
死後に苦しむ霊みたいな存在は説いても、その苦しみが誰かに影響を与えているとか祟っているとかそういった表現は全く見られません 。
ましてや子孫の深層意識を支配して 人を悪い方向に走らせ運命の反復を強制するそような話は全くありません。
しかしそんなものはなくても、 仏教経典を離れて 、霊みたいなものが 悪さをするなんてことがあるのかどうかは私は分かりませんとしか言いようがありません 。
私は見たことありませんが、 ひょっとしたらそんなものも稀にあるのかもしれません 。
でもそれは仏教としてどう考えればいいかと言うと、それは自分自身に関係ないことなんだから、自分はあくまでも自分自身だけを見つめていればよいのであって、
気にする必要はないと思います 。
だってそれは交通事故とか 災害とか そういったものと変わらないというよりも、そっちの方がおっかないわけですからね 。
また死んでからの中間的な存在については中有という言葉もありますが、基本的にはあなたが書いているように、
そういう記述はない、つまり仏教では説いてもいない、それでよいと思います 。
あるかないかをわざわざ考える必要もない、そういうことですね。
あってもなくてもそんなことは 考えずに 自分の心や行いに気をつける、それだけでよいのが仏教です。 666の者です。名前つけます。
ご教授ありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
自分の心の修行に関係ない事を考えるだけ、
時間の無駄でもありますしね。
私はまだまだ、勉強不足ですので、仏陀のことばに書かれている事を日々実践して頑張って
いきます。
話は変わりますが、阿含宗にまだ在籍している
友人達にこのスレを紹介したり、議論したり
するのですが、らちがあきません。
霊障はあるの一点張りです。
人間的には良い人達なだけに残念です。 >>672 餓鬼付きとか聞きますな、山道を歩んでいて急激な空腹に襲われる、
取り敢えず飯粒一つを口に含むと、アッサリと治まる。
是の現象が本当にありや無しや?無体験者ゆえサッパリ判りません。
さて諸氏が非難される施餓鬼供養は僧侶が毎日怠らず、修する作法で在ります。
宗派にもよりますが行うのは真言天台禅宗、真宗は阿弥陀さんが引き受けていると言う
建前があり施餓鬼は致さない様子。
作法は,普く餓鬼を集め、水に浸したご飯を庭の片隅で共する、簡単な作法で在ります。
われわれ肉体を有する人間世界で言うと、慈善無料給食所です。ややこしいその
間の説明を飛ばしますが、僧侶はこの様な作法を修して、霊供養に対する感覚を養うと言えば
その大切さが理解できますか?此処がその入口。 >>673 他者を己の信奉する思想に導こうと望むならば、
その者が現在のところ信じて従う思想を大いに超える利益を明確に示すべき。
それが誠実と言う事です・
具体的、俗な俗な説明をします。
<君の職場で貰ってる給料報酬の何倍も『絶対に補償するから』と手付金を積まれ
我が社に来て采配して呉れ給え、と経営者から是非にも頼まれ他色々特典付き。
是は相当に誠実と呼ぶべき、と思います>。
世の中の人は、具体的な利益が己にも在ると認めると黙って寄って来ます。
今後の君の活躍に期待します。以上 >>673 探求者 2018/12/05(水) 23:34:02.53 ID:aba2039n
>話は変わりますが、阿含宗にまだ在籍している
>友人達にこのスレを紹介したり、議論したり
>するのですが、らちがあきません。
>霊障はあるの一点張りです。
>人間的には良い人達なだけに残念です。
その阿含宗にまだ在籍している友人達にスレを紹介したり議論したりするということだけですごく価値があることだと感心します。
すぐには効果が現れない、あるいは 効果があってもそれはごくごく一部の人だけかもしれません 。
でもそれで仕方ないと思います。
やるだけのことはやっているのだから 構わずそのスタイルを続けていけば宜しいかと思います。
こちらも霊障があると信じる 信者さん達にもびっくりするような考え込むようなネタで示していきたいと思っております。
だから今の新著批判というのは非常に重要であり、ヨル公さんや創価宝生さんやペテン大作さんあたりをかまってる暇などはない。 >>673 探求者 2018/12/05(水) 23:34:02.53 ID:aba2039n
>霊障はあるの一点張りです。
>人間的には良い人達なだけに残念です。
今は阿含経解説の新著の批判ということで、どうしても阿含宗教義と仏教教義の比較と言う テーマになりますが 、
私はそういう仏教のことを抜きにしても、よくもまあ桐山さんあたりを霊能者なんて 思えるなぁと不思議に思います。
しかしその私自身桐山さんを霊障を霊視できる霊能者だと 思っていたから長年信者を続けてきたわけですが 。
つまり思考が停止しているわけですね。
そういう人たちは一体何で桐山さんの霊能力を信じられるのでしょうか?
こちらは仏教の問題を抜きにしても桐山さんの霊能力など皆無である証拠を色々と書いてきています。
信者さんは自分は体験があるからなんてことを言う人がいるかもしれません。
じゃあその体験って具体的にどういう体験であり、その体験からどうして桐山さんが霊能者であると信じるようになっているのか
本当に論理的に論じるとなるときっと論じられないと思います。
また体験というものもすごく曖昧ではないかと思います。
どこの教団にでもあるような体験であっても。
実は全く体験らしきものがなくても、それでもかたくなに信じたいと思っている人も結構多いと思いますよ。 >>674 神も仏も名無しさん 2018/12/05(水) 23:35:12.73 ID:OZYvTkFe
>>>672 餓鬼付きとか聞きますな、山道を歩んでいて急激な空腹に襲われる、
>取り敢えず飯粒一つを口に含むと、アッサリと治まる。
じゃあそれでいいじゃありませんかw
飯食えば治るんだからw >>676 広く世間の法師輩の言葉を聞き、己の人生の一助にすべし。
当たり前すぎですわい。
霊障除災が終わって退会、何の落ち度が御座いましょうか。
霊障除災が終わった人が、次の段に進むも退くも自由。
施餓鬼供養によって、急速なるご利益を得る人も居るそうですよ。
参考までに記しましょう。
事業、健康、家庭不和、人事問題、訴訟、人生問題の種は多い。
ソレでもって、祈祷寺院の住職に相談する、住職は問題解決の助けは
徳の有無に在る、徳を得るに最速は、水陸会が最も効験が有る。
との住職の勧めにより結構なお布施金額の水陸会(施餓鬼供養)を施主となり執行する。
その後、不可思議な事が重なり施主の人生問題は解決を見る。
これ掻い摘んで記述する話しですが、施主が現世功徳を得た原因は餓鬼界にいて苦しみ
続けた霊がやっと救済された、感謝の想い、その念ですよ。
其れが判る人には、当たり前ですけどね。
話は飛びますが、キリスト教世界にも餓鬼霊は、やはり居るわけですが、
彼らは、ほったらかしの儘知らないで過ごして居ます。
>>675 神も仏も名無しさん 2018/12/05(水) 23:47:37.27 ID:OZYvTkFe
>>>673 他者を己の信奉する思想に導こうと望むならば、
> その者が現在のところ信じて従う思想を大いに超える利益を明確に示すべき。
> それが誠実と言う事です・
実はこのスレにおいてそれをしています 。
それを超える思想を説いています。
ただあなたが価値が気が付かないだけの話です。
だからこそ仏教とは救いの宗教ではなく悟りの宗教というのです。
悟れなければだめなんです。
逆に悟れたら自分の人生指針くらい自分で何とかします。
> 具体的、俗な俗な説明をします。
> <君の職場で貰ってる給料報酬の何倍も『絶対に補償するから』と手付金を積まれ
> 我が社に来て采配して呉れ給え、と経営者から是非にも頼まれ他色々特典付き。
> 是は相当に誠実と呼ぶべき、と思います>。
> 世の中の人は、具体的な利益が己にも在ると認めると黙って寄って来ます。
こんなやり方じゃダメなんです。
人間的にちっとも成長しない。 >>679 公正な報道 2018/12/06(木) 00:17:02.63 ID:wNgQO4dy
>施餓鬼供養によって、急速なるご利益を得る人も居るそうですよ。
世間の法師輩の 話などどうでもよいが、阿含宗では施餓鬼供養に関しては盂蘭盆会万灯供養の中で施餓鬼壇を設けてやりますが、
その意義は自分が餓鬼にならないことと桐山さんは説いてました。
施餓鬼供養をしたから餓鬼にならないのではなく 、あのようになってはならないと戒めるという意味ですね。
桐山さんにしては珍しく 脅し御利益を説いていない。
ですから創価の 信者であるあなたにそれを求めるのは難しいかもしれないが、阿含宗には阿含宗の話があるんだから阿含宗の立場で 語りなさい。
>話は飛びますが、キリスト教世界にも餓鬼霊は、やはり居るわけですが、
>彼らは、ほったらかしの儘知らないで過ごして居ます。
ではキリスト教社会の人達はどうなるでしょう ?
桐山さんみたいに彼らは霊障を解くことができずに 、破滅のカルマを厚くして行って、戦争や災害で滅びるとでも 説きますか?
阿含宗というのは、桐山靖雄さんが
観音信仰の観音慈恵会からはじめて、インチキ真言密教を
カタリ、日本の密教界から追放されたので、やむなく
名乗り始めた邪教ですね。
阿含宗の前身の密教根本道場と勝手に命名していた時代に
桐山靖雄さんは「念力の護摩」という手品によるインチキ
超能力の護摩をやった。やっただけでなく、それを本に書いて
自慢した。念力で火を付けると言いながら、実は奉書という
紙に書いた護符のインクに手品のカラクリがあった。
それだけのこと。
桐山靖雄は護摩だろうが、施餓鬼だろうが、先祖供養だろうが
お盆の万灯供養だろうが、星まつりだろうが、特別祈願だろうが
お正月のお札だろうが、とにかく全部銭もうけ、人集めに活用
した大クズ野郎です。
霊魂とか、不成仏霊、霊障のホトケとかいうのも、
理論的(屁理屈)に脅しをかけて、銭を搾取する方法の一つ。
阿含宗は凡夫外道の集団。阿含宗会員は邪教徒です。
論ずる必要すらない。 四向四果を理解する頭さえないのに、他のことも無駄だよ。
阿羅漢向は阿羅漢ではない。
大学受験生は大学生でないと同じことだ。
漢訳では、「阿羅漢向:阿羅漢果」だが、
和訳では、「阿羅漢受験生:阿羅漢果」なのよ 675さん、激励ありがとうございます。
私は純粋に、苦しんでいる友人達を見て可哀想に思って友人達と議論したりしています。
友人達は梵行という無料奉仕活動によって、
時間を奪われ、解脱供養1体10万円により、
お金も奪われて、苦しいと言ってます。
私が友人達に、「苦しいなら辞めれば?」
と言うと、辞めたら因縁返しが起きて、今より
ヒドイ人生になると怯えています。
私は辞めてますが、何も悪い事は起きてません
し、時間とお金に余裕ができて、前よりも良い
生活をしています。
それを説明しても、辞めるのは怖いみたい。
友人達が救われているなら、私は何も言いませ
んが、明らかに苦しんでます。 相当頭悪くても、大学受験生は大学生ではないと分かるだろう。何年浪人経験が長くても、大学受験浪人は大学生ではない。大学受験浪人の学力資格は大学生ではなく、高校生となるのです。阿羅漢向の聖者の資格は阿羅漢ではなく、不還になるのです。 煩悩を滅し尽くした者が阿羅漢だから、煩悩のある阿羅漢向は阿羅漢ではない。これが分からない者は修行のスタート地点にも立てない、深山ユビみたいにな。三結を断じて七回生まれかわるうちに必ず仏陀になるのが預流の定義だ。煩悩だらけの預流向は預流ではない。 三結も断じていない預流向が預流ならば、
三結も断じていない凡夫も預流だろう。
修行している凡夫を預流向と阿含仏教では呼ぶのです。これが分からないと、修行のスタート地点にも立てない、白雉みたいなものです。 >>679公正な報道2018/12/06(木) 00:17:02.63ID:wNgQO4dy
宝生創価さんていつもこういう調子ですよね。
質問されたからきちんと答えているのに、完全無視して、
・スレと関係ない他宗教の知識の披露 → >>674,>>679
・「代案病」など持病を出す → >>675
このどれかです。
挨拶さえもまともできないとは、あなたの親はどういう育て方をしたのだ?
あなたの親は、自惚れだけを鼻先にぶら下げた儀知らずに躾けたらしい。
もちろん、あなた私から何を指摘されたのかさえもわからない。
桐山さんと同じで、まともに議論というキャッチボールができない。
あなたは私の主張がそもそも理解できず、理解できないから反論できない。
何も頭に思い浮かばず、悔しいから自分の「巣穴」に頭を突っ込み、
そこの知識を持ちだして書くと、また自分がエラクなったような気分になり安心する。 >>679公正な報道2018/12/06(木) 00:17:02.63ID:wNgQO4dy
他人の主張が理解できないという点では
1.5来補さんと宝生創価さんはそっくりです。
>>643に明瞭に「預流向=聖者」とあるのに、1.5来補さんは認めたくないから、
自分の「巣穴」に頭を突っ込み、意味不明の学校の例えをして
すっかり自分が正しいような気分になり安心する。(>>686-688)
私が「阿羅漢向は阿羅漢」などと言っていないのに、
言ったことにして反論すると勝ったように錯覚する。
ペテン大作さんも阿含宗の議論で自滅すると、
自分の「巣穴」に頭を突っ込み、沙門果経の話を出して、
深山をやっつけたような気分になり勝利に酔う。
巣穴に頭を突っ込んで自分の世界に閉じこもっている分には
自分がエラクなり、勝利したように錯覚できるから、
そこからあなた方は出られない。
人並みの勇気か知性か、恥じる心があれば出られるのに、
三人ともそのどれもない。 >>679公正な報道2018/12/06(木) 00:17:02.63ID:wNgQO4dy
他の信者さんたちも「巣穴」に頭を突っ込んでいる三人組の醜態を見てください。
信者さんたちも何かあると「霊障」という巣穴に頭を突っ込んで、安心している。
そこに頭を突っ込んでいる分には、様々な問題を霊障という他人のせいにして、
原因のすべてを死者に押し付けて、しかも自分は解決の道を
歩むばかりか、死者や世の中を救っているなどと自惚れられる。
応供の如来から誉められ、徳という御利益を授けられていると妄想している。
それが信者さんたちが頭を突っ込んでいる「巣穴」です。
四角い井戸に頭を突っ込んだら、世界が四角にしか見えないのと同じです。
だが、どんなに妄想しても世界は四角ではありません。 >>666神も仏も名無しさん2018/12/05(水) 20:35:13.50ID:8vmj/o+M
>人の死後は転生すると理解しておりますが、
>世間一般に霊的なものが悪さをする話を聞き
>ますが、あれは餓鬼とかでしょうか?
すでにユビキタスさんが回答しており、内容的には重複します。
私は二つの質問に対して十分な答えを出せるだけの見識や能力を持っていません。
見識がないとは仏教の専門家ではないということ、
能力がないとは神通のような透視力を持っていないという意味です。
たぶん知識は探究者さんとさほど変わりないでしょう。
ですから、先に結論を申し上げるなら、私には質問に答えることはできません。
ここから先は、私の個人的な意見であって、
答えではないという点をご承知おきください。 >>666神も仏も名無しさん2018/12/05(水) 20:35:13.50ID:8vmj/o+M
>世間一般に霊的なものが悪さをする話を聞き
>ますが、あれは餓鬼とかでしょうか?
ユビキタスさんのレスがそのままで、釈尊が説いていない事に
関心を持たずに、説いた事を理解することから始めてはどうでしょう。
悪さをする霊的な存在がいるかどうかわかりません。
わかっているのは、釈尊はそういう霊的な存在を修行の対象として説いていないことです。
好戦経の肉段は苦しんでいる霊的な存在でしょうが、
釈尊は無関心で悪影響があるとも説いていません。
肉段の存在を認めながら「しかも説かないのは」という釈尊の言葉がすべてです。
釈尊は霊障のホトケも不成仏霊も関心を持つ必要がないと言っているのと同じです。
好戦経は桐山さんの霊障のホトケや霊障のカルマの影響を完全に否定した経典です。
わざわざ桐山さんは桐山教を否定するような経典を出した。
釈尊は、
・苦しんでいる霊的存在(肉段)を認めた、
・肉段の生きている人への悪影響は説いていない、
・肉段の供養や成仏を説いていない、
・肉段は存在するが、修行の対象としては説かない、
というのが、好戦経、堕胎経からの結論です。
好戦経や堕胎経の教訓とは、死者成仏や霊障の恐ろしさではなく、
「悪業を為すな」の一言に尽きます。
悪業を為せば、生きている間はごまかせても、輪廻を越えて報いは来るという教えです。 >>666神も仏も名無しさん2018/12/05(水) 20:35:13.50ID:8vmj/o+M
>また、死後に転生するまでの間の中間的な
>存在はあるのでしょうか?
仏教では中陰という言葉がありますが、釈尊は説いておらず、
後世に取り込まれた概念でしょう。
釈尊が説いたのは五道輪廻ですから、死んだら次に五つのうちどこかの
世界に生まれ変わっていることになります。
好戦経の肉段も地獄に生まれ変わり、次にこの世界に霊的な存在として
生まれ変わっています。
五道のそれぞれについての阿含経での記述、また後世の解説は
たくさんあるが、釈尊自体がこれらを体系的に説いたことはありません。
阿含経には地獄の描写が延々とあるが、内容やパーリ仏典を比較すると、
このまま釈尊が説いたとは思えません。
学者がこういう死後の世界について、釈尊が説いたことと、
そうでないことを明瞭に区別しながら解説した本を見たことがありません。
阿含宗だけでなく、偽経典だとわかっている餓鬼事経を持ちだして、
まるで釈尊が説いたかのような解説をする学僧もいます。
率直に言うなら、悪質です。 >>666神も仏も名無しさん2018/12/05(水) 20:35:13.50ID:8vmj/o+M
>また、死後に転生するまでの間の中間的な
>存在はあるのでしょうか?
このような現状を見るなら、私の意見は、死後について
細かい検証はいらないと思います。
それをやれば、桐山さんや宝生創価さん(>>674-675,>>679)のようになるでしょう。
つまり、オカルト大好きなで、知ったかぶりの愚か者になり果てる。
釈尊が死後の事を説いたのは、今どう生きるか、解脱するには
どうしたら良いかを説くためのもので、死後の世界そのものを
解説したいからではありません。
その釈尊が死後の世界や状態を体系的に解説していないのだから、必要がないのです。
死後を考えるとすれば、他人である霊障のホトケではなく、
自分の煩悩と行為の報いとしての死後を考えるべきなのでしょう。
好戦経や声聞品の事例でも、釈尊の説いていることは一貫しており、
悪い事をするな、善い事をしろ、心を清らかに保て、
つまり、煩悩を減らせ、無くせにつきます。
霊障や他人の死を説いているのではありません。
私たちは、釈迦仏教を標榜しながら、欲望や恐怖を煽り、無知と無明を
丸出しの信仰をしましたから、桐山さんのこの教えと正反対のことを
すればいいわけで、この意味ではわかりやすいかもしれません。 深山さん、ご教授ありがとうございます。
普通に考えても、これまでに亡くなった方々の
人数を考えると、不成仏霊は存在しない可能性
がたかいですよね。
もし仮に不成仏霊が存在したとしても、害を
与えるような事は無いですよね。
私は日々の行動に気をつけて、これからも
生活していきます。
しかし、私の友人達は、何か事がおきると霊障
だと騒いでいます。
洗脳が解けた私にも、いまだに『霊障は誰にで
もあるから、解脱供養やった方がいいよ』と
言ってきます。
私は1年ほど友人達と議論してますが、少し
諦めてきました。 https://twitter.com/hiroshi19890224/status/1070530925799206912
【重大発表】宏洋、ついにテレビ番組への出演が決まりました!
人生初の地上波番組出演、ぜひご期待ください!
☆番組情報
真夜中の事件~ディープな現場を直撃スクープ~
(フジバラナイト SAT)
2018年12月8日(土)
25時45分〜26時45分
ぜひご覧下さい!!
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「仏陀の真実です教えます説く 下」声聞品桐山解説批判A
1日おきに書こうかと思いましたが、二夜連続となります 。
当初八関斎に対比して桐山三善根、三福道経典を出すので、この取り扱いは違うと指摘しようと思いましたが、
それは後回しにして 、今日は 別の話。
83ページに「横変死者をも救う戒の力」と題して論じられています。
これはこの経典の5人目の頭蓋骨で人に殺されて死んだが死後は何と天上界に生まれていると ミガシラバラモンは 透視し、
釈尊もその通りであると認め 、どうして殺された人間が天にまで行くのかと尋ねると、
戒律を守ったからだと 答え、その通りであるとさ釈尊が認めるわけです。
5人目は人に殺されるとい変死の因縁で亡くなった男性でしたと書き出します。
変死者をも救う戒の力という小見出しといい、 横変死の因縁といい 阿含宗の信者にとってはあたかも横変死の因縁を切ったかのように
錯覚させようとしているのかどうかは知りませんが、それを間違える人はいないでしょう 。
そもそも 人に殺された者の頭蓋骨を見たわけですが、横変死の因縁なんていう考え方はありません。
それはそういう運命だったとすらも経典は書いていません 。
阿含宗において横変死の因縁を切ると言ったら殺されても来世に天に生まれるということではなく、
現世において殺されるということをも回避するということのはずです。
その辺はほおかむりしているわけです。
また考えてみてください。
殺されるはずだった人間が殺されずに済んだなんて話はどこにもありません。
むしろ運命なのかどうかわからないけれども殺されても来世は悪い所に行っておらずむしろいいところに入っている 。
これを説くだけで あることに 本当の仏教と桐山阿含宗の違いをよく考えてみてください。
またこの経典の細部を読むごとにに運命なんて本当に定められているのだろうかと思われる表現もありますが、
それはまた別の機会にすることとして。
今夜は短い 指摘ではありましたが、これにて終わることにします。
気をつけて行ってらっしゃい。でなくて。おやすみなさい。
おんさらばむにゃむにゃ ひどい未訂正。
「仏陀の真実の教えを説く 下」でした。 声聞品だけで批判ポイントが7点くらい指摘できるかな? 今晩示した問題点は 次の問題点に移る前にもうちょっと論じてみようか 。明日以降。 このAの視点、問題点は桐山さんの最終結論に繋がります。
最終結論とは、114ページから116ページにわたる「三悪趣を乗り越える仏道修行」として、4つの意義、結論を述べており、
Aで取り上げた問題は、3番目の結論に繋がります。
この3番目の結論がおかしいのです。
ついでに言うと、問題ないのは 4番目の結論だけで、 残り3つの結論は全部おかしいのです。
それについて 論じることにしますが、 これも晚以降になるでしょうね。 2番目の結論が大変な勘違いがあるな。
この問題をBとして、Aと合わせて一気に論じるか。
病気、災害、他殺の被害者など悲惨な死に方をした人はそもそも通常ならば三悪趣に生じてしまうものだという結論です。
とんでもない。
そう解釈した根拠は読み取れるが、これは単純な頭だ。 おかしな頭で考察したとておかしな結論になるだけだろ。常識もない深山ユビだもの。
四向四果は釈尊のサンガであるよ。
サンガのエリート層が四向四果なのではなくて、サンガが四向四果なのである。四向四果の全員が預流だと主張しているのが深山だよ。 四向四果の全員が預流以上の聖者だと主張しているのが、深山ユビの説なのだ。
あ 釈迦が「我がサンガは聖賢の集(サンガ)い」と、言ったからといって、サンガの全員が預流以上の聖者だと考える者は、アホだろう、深山ユビがそれだ。いかに釈尊の言葉をそのまま受け入れるにしても、バカもいい加減にせよだ。 外道のクズがまだ言っている。
ゴータマブッダ(お釈迦様)四双ハ輩すべて聖者
仏教学者、四向四果すべて聖者
外道のクズ(よる公)=預流向は聖者ではない、預流果は聖者、一来向は聖者ではない、一来果は聖者。
不還向は聖者ではない、不還果は聖者。阿羅漢向は聖者ではない、阿羅漢果は聖者。
ナンジャコリャ、 御仏:お雪なさい。
仏界の法と律と経(と聖)、
並びに
四聖地神界の目的と目標とゴールとプロセスを。
犀のように歩み、獅子のよに
唱い、象のようにたたずむ。
魍魎ちょうふく、
魑魅おんじき!!
白き強き雪を。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判A
声聞品の桐山さんの解説の総括としての最後の114ページから116ページに記した4つの結論を簡単にまとましょう。
第一は、釈尊も死後の生存、輪廻転生を認めていたという点。
第二は、人は臨終の状態、つまり死に方によって転生先が決まってしまう点。
第三は、どんな死に方をしても普段かは仏道を実践し、尊い戒行を行っている者は、決して三悪趣には堕ちず、
人間界や天上界にも生まれることを示した点。
第四は、完全解脱を果たした阿羅漢は決して二度と迷いの世界に生じないという点。
このうち、第一は間違いではなく、そんなことは当たり前なんですが、現在の日本の仏教者の多くは、
「お釈迦さまは死後の世界や輪廻転生を否定された」と主張しているが、それは間違いであるということを書いているのがおかしい。
深山さんも指摘したように、ならぶその仏教者の主張を引用でもしてみろと言いたい。
それに日本の仏教者の「多く」だと?
どんな調査をしているのか理解に苦しむ。
勝手な的外れな空想だけで本を書くなと言いたい。
第四は異論のないこと当たり前です。
問題は、第二と第三ですが、先に第三を取り上げる。
ってか、既に取り上げている。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判A
それでは115ページに書かれた桐山さんの第三の発見を引用しましょう。
わたくしたちは生きている間に悪因縁を切り、不幸や不運を消し去り、不慮の死を迎えることなく大往生ができるように仏道修行を実践しております。
横変死の因縁やガンの因縁をはじめ、その他の因縁もすべて断ち切ることを目指して、一生懸命に因縁解脱の行を実践しているわけです。
けれども、過去世からの悪業があまりに強いために悪因縁が出て、それによって死を迎えることがあるかもしれません。
そういうことは絶対にない、とはいえないわけです。
しかし、そうではあっても戒行をはじめとした仏道修行を実践している人は、決して悪趣に堕ちることはないことが示されております。
(中略)
日々仏道修行を実践している人は、修行半ばで仮に変死をしたとしても決して三悪趣には堕ちないのです。
もちろん、生きたままこの世で因縁解脱するのが最も望ましいことですが、時間的に間に合わず、
因縁解脱をする前に臨終を迎えた場合も、不成仏霊になったり、霊障を生ずるというような悲惨なことになりません。
それをお釈迦さまが断言しておられるわけですね。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判A
この第三の発見結論とは、先に>>698で示した、5番目の頭蓋骨の生前が殺されてしまったが天上界に生じている、
それは仏教の戒を実践していたからだとミガシラバラモンが透視し、釈尊がその通りだと認めた話から
桐山さんが出した結論です。
皆さん、いかがでしょうか?
そんな結論が出ますでしょうか?
出し方に殺されても天上界に生じており、それは戒を実践していたからだということは間違いありません。
戒の実践が天上界にも結び付いた。
しかしこの人に変死の因縁があったなどとどうして言える?
もっと本格的に頑張っておれば、変死の因縁も切って、現世では殺されることなく人生を全うした、
殺されてしまう運命までは避けられなかったのは、因縁現世の修行半ばだといったも同然です。
どこにそんな前提やら書いてある?
変死の因縁ってなに?
仏道修行の目的は、因縁を切り、不幸や不運を消し去り、不慮の死を迎えることなく大往生ができること???
だから私が@の視点で示したように、本来は死後の行き着く先であるはずの三悪趣を勝手の現世における不幸な境遇も含めてしまった
ことが見事に活かされているのですよ。
とんでもなく的外れな方向へ。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判B
いつの間にか批判の視点、問題点がAからBに変わっています。
もちろん私が変えたのですが、つまり桐山さんの四つの結論のうち第二の結論を否定するものですが、
これはAすなわち第三の結論の話から繋がります。
私はこの殺されたが天上界に行った頭蓋骨の持ち主のどこに変死の因縁なんか示している?と書きました。
しかし変死の因縁はわからないにしても、この殺された人は本来ならば、戒を実践していなければ確実に三悪趣に堕ちるはずの運命だった、
殺されることが約束されていたとは示されてないが、少なくとも殺されてしまったからには三悪趣に堕ちるはずと、
これは釈尊までもが認めている発言が
この経典の中に明記されているとこの経典を読んだ阿含宗信者がいるでしょう。
それゆえに
第二に、人は臨終の状態、つまり死に方によって転生先が決まってしまう、ということも分かったと思います。
飢えや渇きによって死んだ人は餓鬼界に堕ちるし、変死をした人は三悪趣に堕ちるわけです。
(114〜115ページ)
という結論が出るには、実は経典の中に根拠となる発言があるという。
それを見ていきましょう。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判B
その根拠発言と私でもわかる部分の現代語訳を引用しましょう。(76〜77ページ)
世尊は、
「よろしい、よろしい、そなたのいうとおりです。この者は人に殺害されて命終を迎えました」
と告げられました。世尊は、
「この人は命終してどこに生まれたでしょうか?」
と問いかけられました。バラモンは手でそれを撃ち、世尊に、
「この人は命終して善処(善趣)の天上界に生まれております」
と申し上げました。世尊は、
「そなたのいうことは前後で矛盾しているではありませんか」
と告げられました。バラモンは仏さまに、
「どうして矛盾しているとおっしゃるのでしょうか?」
と申し上げました。世尊は、
「生死輪廻の迷いの境界にある男女の場合、人に殺害されて命終を迎えた者は、すべて三悪趣に生ずるというのに、そなたは、なぜ『この男性は善処天上界に生まれた』というのですか?」
と申し上げました。バラモンは手でそれを撃ち撃ち、世尊に、
『この人は五戒を奉持し、併せて十善を行っていました。そのおかげで、命終を迎えてから善処天上界に生まれたのです」
と申し上げました。
世尊は、
「よろしい、よろしい。そなたのいうとおりです。持戒の人は罪を犯すことがないから、善処天上界に生まれるのです」
と告げられました。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判B
いかがでしょうか?
なんだ?釈尊の方からミガシラバラモンに促すように、人に殺害されて命が終わった人は、すべて三悪趣に生ずることを
前提に話しているではないか?
だからこそ桐山さんは第二の発見結論をだしたのであり、すなわちアウシュヴィッツの処刑された人たちも
すべて地獄に堕ちたと発言したことも侮辱に聞こえるかもしれないが、
仏教ではお釈迦さまがこのように証言されていことなんだから仕方がない
と言いますか?
それは単純な読み方です。仏教にはこんな考えはありません。あったら他の学者や僧侶なども、そのように教義体系を打ち立てます。
しかしそのようにはなってません。
仏教では悪業を為し、悪い煩悩をそのままにした人が死後三悪趣に生まれるとし、死に方とか関係ない。
そりゃ殺されるのは苦痛だし、苦悶もあろうが、だからと言って三悪趣にまでは堕ちない。
そんなこといっても、じゃあこの経典の釈尊の誘導発言をどう見る?と申されますか?
これは簡単です。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判B
これこそ釈尊の対機説法と呼ばれる説き方です。
これは誘導の方便であり、最終結論ではありません。
ミガシラバラモンは、この釈尊との出会いの後、初めて釈尊に帰依しますが、この時点では単なる外道の占い名人に過ぎない。
お釈迦さまが普段からミガシラバラモンに仏教の輪廻の法則の教えを説いていたのではないのです。
おまえは、あるいはお前たちは、悪趣に生じるのは悲惨な死に方をした者が等しく堕ちる場所だとしてないか?
その法則に矛盾するではないか?と誘導したのです。
相手側の教義思想を理解していた上で、その矛盾を指摘したのです。
しかしその教義思想は釈尊の仏教側の思想ではない。
釈尊の仏教側の思想とは、最後に釈尊か自ら延べているではないか?
「持戒の人は罪を犯すことがないから、善処天上界に生まれるのです」と。
これだけですよ。殺されたとか、どういう死に方をしたとか関係なく、生前に持戒に励み、罪を犯さなかったから善処天上界に生まれたのだと言った。
もし持戒がなかったら、人間界に生まれるか、あるいは本当に三悪趣に堕ちるかは、また別の生前の行いの条件によります。
変死したことなどその条件ではない。
ミガシラバラモンよ、死に方なんかよりも生前に何を為したか、そこだけを観察しなさいと諭したも同然なのです。
彼のそれまで持っていた輪廻観をも破壊したのです。
そのための誘導の方便です。方便とは工夫ですね。
だからこれを以て桐山さんが、変死した人は仏道修行をしない限り、三悪趣に堕ちると釈尊が説いたなんて
結論を本に示したなんて、阿含宗管長・開祖を名乗る人がかなり恥ずかしい話です。
よくこんな本が出版できましたねえ。
和田軍団の無知と無恥なる勇気に感服します(笑) 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判
@三悪趣の中に桐山悪因縁など無い
Aだから因縁解脱なんて説いてないって
B三悪趣に堕ちる条件は死に方は関係ない
C運命は改善できる?そもそも運命なの?
D八関斎実践の在家信者と桐山三福道を混同するな!
Eなんで運命学が出て来んねん?
F占いの禁止を疑うお馬鹿さんのために
G神通力についての勘違い
@ABと語ってきました。
C以降はこれからおいおい。 「仏陀の真実の教えを説く 下」声聞品桐山解説批判B(追加)
人間は死に方によって転生先が決まっていると言うならば、なぜ戒を実践するとその法則が 変わってしまうのか? 帳消しになってしまうのか?
だから仏教の戒というものは不思議な作用をなすものである、 では話にならないでしょ。
そうではなくて最初から、人間は生前の行いによって転生先が決まっているのである。
この法則が あれば全て説明できるのです。
つまり死に方なんて関係ないんだよと。 >>719
参考になるかわかりませんが、下記が事例と考えています。イスラム圏での話です。当時の記憶ですとその記事には、
殺された息子が母親の夢に現れて「自分は殺されたけど今は良いところにいるから、ママが死刑を執行しないで欲しい」
と殺された息子から言われ、葛藤した末に死刑執行当日、絞首の為の椅子を蹴らず犯人へ平手打ちをし絞首の縄をほどいた。(死刑執行は親族の手による決まり)
そのような内容だったと思います。
当時の現地新聞の記事が見当たらなかったのでAFPのnewsを貼ります。
http://www.afpbb.com/articles/-/3012935?cx_amp=all&act=all
「夢に現れただけじゃないか」と言われそうですが、この記事を読んだとき「阿含経典で釈尊の言われた通り<生前の行い>なんだなぁ」と感じていたので情報提供します。 >>720追加
その殺された息子の母親のその時の気持ちも載っていました。
絞首の縄がほどかれておろされると、犯人の母親が群衆の中から飛び出て息子に寄り添い、私への謝罪と感謝をする姿を見て「息子の言う通り、ゆるして良かった」と。そのような内容だったと記憶しています。 >>720
「君は誰れの輪廻転生か」の中にありましたね。
アウシュビッツの 処刑者たちがアメリカなどに大量に生まれ変わっていることを示した事例の本。
桐山さんはこれを紹介して生まれ変わりの根拠の一つとしています。
しかし これは地獄など三悪趣に生じていないという証拠であり 、また霊障の不成仏霊にもなっていないという事例です。
人間としてアメリカに生まれたわけですが、そこで何か地獄界のような不幸な人生をを送ったというわけでもない。 四向四果は阿含仏教の基本だよ。
四向四果は阿含仏教のイロハのイです。
四向四果も理解しないで阿含経を論じるのはアホの極みです。
四向四果は釈迦のサンガです。
エリート層をさすのではない。 深山ユビと批判派は、いかに世間の笑いものであるか、その頭の悪さを見よ。私が客観視させます。四向四果は釈迦のサンガです。サンガのエリート層ではなくてサンガそのものです。そのサンガの全員が聖者であるなんて、現実的にあり得ると思うのかね? >>724
殺された者は地獄など三悪趣に生まれると釈尊が説いていると示した桐山さんこそ、仏教界の笑い者でしょ(笑) 預流向を預流に含める考えは、釈迦のサンガの全員が預流以上の聖者であるという考えです。
そういうことが現実的にあり得るのかね?
あり得ないだろう。釈迦の弟子になった瞬間に聖者になるというのかね?アホらしい。 預流とは将来必ず仏陀になることが確定した聖者です。預流向は仏陀になることが確定していない者です。預流向と預流を一緒にする考えは、味噌と○○を一緒にする考えです。
お話にもなりません。深山ユビは死ぬまでに、四向四果の誤解釈に気づくだろうか? 大学受験生は大学生ではない。
大学受験に合格したら大学生になる。
合格するまでは高校の資格です。
阿羅漢向は阿羅漢ではない。
阿羅漢に合格したら阿羅漢になる。
合格するまでは不還の資格です。 >>696探究者2018/12/06(木) 20:26:29.64ID:HUgWcxqn
>私は1年ほど友人達と議論してますが、少し
>諦めてきました。
期待せずに努力してはどうでしょうか。
私も似たような経験を持っています。
この人なら桐山さんのインチキぶりを理解するのではないと何度か話したら、
後で私を「ゲイカの悪口を言っている」と周囲に話しているのを聞いて、驚きました。
しかし、少数ではあるが、こちらの話を聞いて、やめた人もいます。
つまり、私の予想とは違った反応でした。
人によって、信仰の理由が違うことが大きな理由でしょう。
1.5来補さん、宝生創価さん、ペテン大作さんの三人組が
必ずしも極端な例ではありません。
知性で信仰している人なら教義のデタラメさに敏感だろうし、
桐山さんの食欲や性欲など欲望丸出しに嫌悪する人もいます。
逆にこの三人のように知性も感性も鈍い人には何を示しても無駄です。
1.5来補さんに「預流向=聖者」の証拠をこれだけ示しても、
まだこれを否定して、嘲笑っている。(>>726-728)
桐山さんが「朽木えるべからず」を引用して、腐った木は彫ることが
できない、という例えをしたように、三人組のような信者はいくらでもいます。 >>696探究者2018/12/06(木) 20:26:29.64ID:HUgWcxqn
>私は1年ほど友人達と議論してますが、少し
>諦めてきました。
釈尊の話として有名なのが、悟りを開いた直後の梵天勧請です。
釈尊は、煩悩にまみれたままの人々に法を説いても疲労で報いられるだけだから、
説かないと決心しました。
しかし、梵天は、ハスの花に例えて、法を説かなければ泥に埋もれたままだが、
法を説けば泥から出て花を咲かせる者もいると説得しました。
これは仏教徒の心構えみたいなもので、機会があるなら、
ダメモトで話をしてみるという考えです。
ハスの例えは非常に良くできていて、大乗仏教のような衆生救済なんて
荒唐無稽な話とは逆で、話をしても反応する人は少数だという意味です。
探究者さんが話をすれば、十人のうち九人までは聞く耳を持たなくても、
一人は聞いてくれるかもしれないし、すぐに反応しなくても、
種が発芽するように、時間をかけて理解するかもしれません。
信者全員が三人組のように、額に無知を、鼻先に慢心を、
口に嘘と妄想を貼りつけたような恥知らずだけではないということです。 >>696探究者2018/12/06(木) 20:26:29.64ID:HUgWcxqn
>私は1年ほど友人達と議論してますが、少し
>諦めてきました。
釈尊に説かれてさえも反応しなかった人たちがいたのだから、
ましてや我々が何か話しても、聞く耳を持たないのは当たり前でしょう。
釈尊に反逆した弟子でデーヴァダッタがいます。
後に誰かが釈尊に、デーヴァダッタを救えなかったではないという
批判ともとれる質問をしています。
これに対する釈尊は、あらゆる手を尽くしたが、
彼自身は取り付く島がなかったと述べています。
これは恐ろしい返事で、つまり、世の中には釈尊と言えども
どうにもできない人間がいるのだという意味です。
この点、後の大乗仏教やキリスト教では神仏が助けてくれる、いわゆる
「救い」があるが、釈尊の説いた輪廻の世界観は非情、無情で、
救いなどありません。
宝生創価さんが救いを連発するが、釈迦仏教には彼の求めるような
救いなどありません。
為した行為はそのまま自分に返ってくるというのだから、神に許しを
請えばなんとかなるキリスト教とは違い、「救い」はありません。
梵天の例えにある泥の中に入ったハスは、そのままだというのです。
自分で必死に考えてやらないと、誰も助けてはくれない。
釈尊でさえ助けてくれないのだから、ましてや桐山さんなどあてに
していたら、彼の後を追い、三悪道を輪廻するだけです。 「浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない」
(『真理のことば・感興のことば』中村元、33頁)
「わたくしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させ得ないであろう。」
(『ブッダのことば』中村元、224頁)
三人組が典型で、目の前に本物の仏教を示されても、
侮蔑し、ツバを吐き掛け、釈尊その人さえも罵倒する。
1.5来補さんはどんな証拠を出されても「預流向≠聖者」だと、預流向と
いう聖者を罵倒し続け、悪業貯金を積み続けるでしょう。(>>726-728)
ペテン大作さんは超能力で欲望を満たすことや、
相手を憎み復讐することしか興味がない。
宝生創価さんは慢心と妄想の膿の中で泳いでいるだけです。
この三人を例外として見るのではなく、これが普通の信者なのだと思えば、
探究者さんの周囲の信者の反応も理解できます。
一般の人たちと違い、阿含経という釈尊直説の経典を目の前に示されながら、
それとはまったく違う阿含宗にしがみつき、その間違いを指摘されても
断固として拒絶して、阿含宗という泥の中に留まるというのだから、
「各自のことがらである」。
私の批判もそうだが、ユビキタスさんが桐山さんの阿含経講義の批判をしているのは、
一人くらいはインチキ講義に気が付き、阿含宗の信仰に疑問を持つのでは
ないかと期待しているからでしょう。
逆に言えば、大半の信者にはたぶん無理です。 お釈迦様=四双ハ輩すべて聖者
仏教学者=四向四果すべて聖者
外道のクズ=預流向は聖者ではない、預流果は聖者。一来向は聖者ではない、一来果は聖者。
不還向は聖者ではない、不還果は聖者。阿羅漢向は聖者ではない、阿羅漢果は聖者。
>>182〜183
【四向四果】
阿羅漢は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界には生まれない位をいう、この位に到達した者を(無学)といい、これ以前の聖者(七輩)を(有学)という。岩波仏教辞典第二版
阿羅漢と阿羅漢以前の七輩すべて聖者=四向四果はすべて聖者 >>731
>自分で必死に考えてやらないと、誰も助けてはくれない。
>釈尊でさえ助けてくれないのだから、ましてや桐山さんなどあてに
>していたら、彼の後を追い、三悪道を輪廻するだけです。
深山さんの名言です。
結局のところ、そういうことなんですよね。
自分自身を持つ。自灯明ということ。
学ぶのに師(友)や法友、経本 論書なども必要ですが、
結局は独りであり、自分が自覚して選ぶ。
依るべきは自分しか無い。
だが、阿含宗では「人は因縁の操り人形」だという。
無意識の意識がすべてを選択する。家族的無意識の層には
先祖の霊障の抑圧があって、それが天命殺のときに発現する。
だから阿含宗の先祖供養のみが有効で、必要で、
積徳(人集め、銭集め)しなければならない。
戒行の中心は「我(我見)」を無くすことで、
どっかの新々宗教でいう、「頭取ってください!」と
同じやり口。
桐山靖雄さんて、詐欺システム作りの天才ですね❗
桐山靖雄さんにくっ付いて行けば、
確実に仏陀釈迦牟尼の説くのとは正反対に行くことになる。
ここの大ズレ三人組は、桐山道に行けばいいんじゃないのかな。
他の心ある人は、深山さんの名言をよく理解して
自分の中に桐山靖雄さんを信じているような部分が
あったらチェックしたほうがいいですよ。
妙な煩悩によるものだろうから。 大学4年生の課程をすべて終え最早学ぶことが無くなった者=阿羅漢(無学)
大学3年生の課程(五下分結を切る)をクリアして、大学4年生になり五上分結を切る
修行をしている者=阿羅漢向
この例えが解り易く的を得ているだろ。 預流とは将来必ず仏陀になることが確定している聖者のことだ。預流向を預流に含めるということは、釈迦のサンガの全員が将来七回生まれかわるうちに仏陀になることが確定している聖者だ、ということになる。釈迦がそういうバカげた話をすると思うかね?批判派のバカ共よ。 釈迦は「四向四果は我が聖賢のサンガ(samgha=教団)」と言っているのであって、サンガの全員が聖者だなどと言ってはいない。預流向を預流に含めることは、サンガの全員が聖者だということになるのだよ。バカバカしい。現実的にあり得ないことだ。 >>737バカバカしいのはお前だろ。
>>>182四向は聖者の位ではないのだよ。
預流向は聖者ではない、預流は聖者。一来向は聖者ではない、一来は聖者。
不還向は聖者ではない、不還は聖者。阿羅漢向は聖者ではない、阿羅漢は聖者。
外道のクズのアホ、なんスカこれ(爆) >>737
サンガの全員が聖者なんだよ。
馬鹿にはわかるまい(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています