白隠禅師の坐禅和讃の引用とは、珍しいねぇ。

隻手の音声(せきしゅのおんじょう)の公案もそうなんだけれど、わかりやすいことを念頭に、どうしたらさとらせるかに腐心されたね。

白隠禅師ご自身は無地の公案に取り組まれたがなかなか透過することができなかったと、言う。

犬にも仏性がございますか。答える、無。

一日(あるひ)乞食(こつじき)の時、民家の前に立ちお経を唱えていた。
無地の公案が頭から離れず、長い時間お経を唱えていた。
その家の婆(ババ9はごめんなさいよ、とトックニ断りを言え怜太のだが、この王さん一向に立ち去ろうとしない。
遂には怒りだして、長い柄の竹ぼうきを逆さに持って思いっきり脛をひっぱたいた。
無防備の状態に足に激痛が走り、突然さとった。

のちに白隠禅師はお弟子さん達にも、無地の公案を与えていたが、なかなか初関を透れないお弟子さんも多かった。
現在二の頃白隠禅師のお墓には、取り囲むようにしてそれらのお弟子さんたちのお墓が並んでいると言う。
死後も禅師を囲んで公案に取り組み、坐禅修行を重ねていて、禅師も見守っているのだろう。
そこで、冴え騎手の公案を考え出されたのである。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)の公案は、欲おっくのお弟子さんたちを透過させた。

白隠禅師はこのように、ご自身も透過に苦労されたので、誰にもわかりやすいように工夫された。
坐禅和讃もその一つである。