宇宙意識 境界の像 したがってラーマクリシュナによると時間から永遠性(本当はこれが神話の指している場なのです)への
移行にさいして、純粋にヨーガ的な方法は、世界もろとも自分自身を超越の中に滅却すること、献身の対象たる聖像が含んで
いる形而上学的な意味をとことんまで追求し、それらの像の心理的な枠を一切捨て去って、ついには心そのものの解消にまで
到着する事なのです。しかしより穏やかで献身ということに即したもうひとつの方法があります。それは崇拝の対象となるこ
れらの像が境界の像であり、したがつて二つの世界に属しているかららです。つまりそれらはイメージ的な外延の人間的な魅
力においては時間的であり、同時に永遠性へと開かれているのです。 
<超越的ビジョンの眼>が開くのは、どこでもない「そこ」においてです。芸術の道においてそれは、まさに
あの瞬間(ジェじぇエームス・ジョイスを引用すれば)「美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑された心がこ
ういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識する瞬間〔・・・〕審美的快楽の輝かしく静寂な状態」に他なり
ません。インドではこの状態に到達することがヨーガの典型的な目標とされています。それはさまざまに記述されていますが、
究極的には涅槃と呼ばれるものです。これは天国のような場所としてではなく、(情念)、(像悪、?)、(そして(迷妄)という
心の三重の火が消えることとして理解されなければなりません。・・・という語は「吹く」を・・は「消す、吹き消す」を意
味しており、文字通り解釈すれば「吹き消された、過ぎ去った、消滅した」という意味になるからです。