無門関(むもんかん) 第27則:  不是心仏(ふぜしんぶつ)

本則:

南泉和尚、因(ちな)みに僧問うて云く、「還(かえ)って人の与(た)めに説かざる底(てい)の法(真理(さとり)有りや?」。

泉云く、「有り」。

僧云く、「如何(いか)なるか是れ人の与(た)めに説かざる底の法?」。

泉云く、「不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ、大衆)、」。
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注:

南泉和尚:南泉普願(なんせんふがん、748〜834)。唐代の禅者。馬祖道一(709〜788)の法嗣。

百丈懐海、西堂智蔵とともに馬祖門下の三大師の一人。

法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願→趙州従シン

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現代語訳?
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本則:

 南泉和尚にある僧が尋ねた、「今迄誰も説かなかった法が有りますか?」。

南泉は云った、「有る」。

僧は云った、「今迄誰も説かなかった法とはどのようなものですか?」。

南泉は云った、「心でもなく、仏でもなく、衆生でもないものだ」。


和尚に僧が聞いた。「まだ人に説かれなかった法がありますか」 和尚は「ある」と答えた。「それは何ですか」との僧の問に和尚は答えた。「心でもなく、仏でもなく、物でもない」

〇 今までに説かれなかった真理(さとり)と言うものはない。
  水の中に居て渇(かわ)と言う、事と同じで、真理(さとり)の真っただ中である。
  これは説明不可のものである。
  理解(りげ)ではだめで、体得せよ、と胸倉を締め上げる。