カルケドン
われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において
完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、
人間性においてわれわれと同一本質のものである。
「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」
神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、
人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、
神の母、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、
二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、
分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
この結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、
むしろ各々の本性の特質は保持され、唯一の位格、唯一の自立存在に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、
唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。

同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
とあるので、人性の中に、霊魂と肉体とがあると考えているようだ。

つまり624「魂が身体から離れていること」=「死んだ状態」は人性に
限定されている