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@改革派の「霊的」が「精神的」だというリアル
ウ告白第二十九章 主の晩餐について

七 この聖礼典における≪見ゆる要素≫への≪外面的≫な参与にふさわしい信仰者たちは、
同時に、信仰によって、【内面的】にも、現実的に真実に、
しかして≪肉体的≫、≪自然的≫にではなくして【霊的】に、
十字架につけられたキリストと彼の死のあらゆる恩典とを受け、摂取する。
その際、キリストの体と血とは、≪身体的≫あるいは≪肉的≫にパンと葡萄酒との中に、
それらと共に、あるいはそれらの下に有るのではなく、
現実的に、しかし【霊的】に、要素そのものが
彼らの≪外的感覚≫に対して現在するのと同様に、
このさだめを信ずる者たちの信仰に対して現在する。

この【霊的】は、
≪見ゆる要素≫≪外面的≫≪肉体的≫≪自然的≫≪身体的≫≪肉的≫≪外的感覚≫に対置され
いることからも明白に精神的なものだ。

A改革派を異端認定
してませんよ。霊について未熟だと指摘しただけ

B神についても答えられない。 霊についてもわからない
ということですね

芋虫のモンゴリアン・ブルー・スポット(MBS)さん ご苦労様でした