>>619
アドホックと言ったのは、伝統的なキリスト教では復活を、受肉-贖罪-復活という一連の神の計画に
位置づけて、罪を贖われ新生した朽ちない体の人類の予兆としてキリストの復活体を見るのに対し
(ゆえに第二のアダムと言われる)
この一連の流れを切り捨てて、復活体を単に神の万能性に帰着させる様を言ったものね

メルキゼデクはキリストに比せられるし、キリストの予型として扱われることもあるから
ここでのヤハウェをエル・エリヨンと等値するのはよしとして、ヤハウェを名乗る神が複数いるとなると
キリスト教的にも旧約の民はヤハウェを騙る邪神に騙されてジェノサイドやら生贄やらを行っていた、って
ことになるけど、なるみはそういう理解なのかな?
どちらにしても神は複数いることになり、多神教となってしまうのでは?
俺は元々ユダヤ教は多神教から唯一神教へと変遷したと考えているから
それでもいいんだけど、なるみ的には多神教は許容できるの?

> ナザレのイエスは人間ですよ。当たり前じゃない。肉体を持ってたのですから。
> キリストは神です。神は死にも苦しみもしません。

イエス=人性、キリスト=神性とするなら、これは伝統的なキリスト教の範囲内だから特に問題ないね
ただしイエス=人格、キリスト=神格とするなら、まさに先に述べた「合体ロボ」そのものになってしまって
神学的にも正統とは異なるね

> 一般の教会でいう「神の怒り」について書いたの

エル・エリヨンの怒りではなく、世に存在する悲惨の教会的表現ってことね
これは了解した

> 神は人の罪を償いませんよ。罪を赦す権限はお持ちです。

許す権限は正統と同じ、償わない(贖わない)という部分が正統と異なるってことだね