>>605
C 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」は十字架上で神から離れた唯一の証です。
また、蛇になった、という修辞に関してはバプテストの隠喩法を例証したはずですが。
あなたは、「エリエリレマサバクタニ」が神と繋がっている根拠と、
バプテストの隠喩法が特例的に許される根拠を
挙証せねばなりません。

D カルヴァンが霊的に軽い、と私見される理由は
改革派が終焉説だからです。
すなわち改革派は原始キリスト教時代の霊性、とくに
霊的な罪に関してはルターの百倍重く受け止めてます。
正教会入門の解説を引用すれば、人性において霊的死を体験されたのです。

E 改革派最古の聖伝ジュ信仰問答で、「神性は隠された」とされます。
ここをもって、人性のみが裁かれたと解釈されます。
扨て、縷説してる通り ロマ8:3の肉は、神性の対義語すなわち人性であって
霊性の対義語すなわち身体を意味しないのです。
したがって、市川先生の「霊レベルで罰せられた」という説は
ロマ「人性レベルで罰せられた」の真理に見事に包摂されるのです。

F 罪そのものと なられたのは救い主、と明言されたのです。
「我々人類の」という不文律の所有格を明文化すると、主旨が如何に変容するというのですか?

G あなたは目的論や動機論に論点を置換されますが
私が質疑してる問題点は
形而上において 主の霊はどこに存在していたのか、というwhereです。

H 苦、死、罪、悪。それらは神から離れるというご理解で宜しいですか?