>>540
Bまちまりさんの実体変化
まちまりさんは「実体変化」という言葉を使いませんが
まちまり神学では、「見捨てないで」と言った刹那、
精神的に神から離れて、実体的に「蛇」へと変化したのです。
カルバンのキリスト綱要では十字架の受苦の時からやっと
「神から離れた状態」が開始されますが、これは受苦の強調です。

C改革派神学で「霊的に受苦」の意味
単に神から離れて精神的に苦しんだというだけの意味です。
軽番は霊的に軽いので、精神的という意味以上はありません。

Dロマ 8:3肉において罪を罰せられた の件
芋虫のモンゴリアン・ブルー・スポット(MBS)さんはなぜか
ここで神性と人性を出して、「受肉(人性)のみが罰せられた」という意味だと
主張されますが、なぜですか? トミーもそんなことを主張しませんよ
ましてや改革派神学でもない。
更に市川さんの「十字架に架けられたのは罪そのもの」と
ロマ8:3の「肉において罪を罰せられた」はまったく同じことを言っています。
ロマ書も市川さんもここで問題にしているのは霊肉ではなくて「肉」です。
論点を拡張して迷走するのをやめましょう。

E あなたの設問が間違っています。
「十字架に架けられたのは罪そのもの」とは、誰の罪かと尋ねるべきなのです。