例えば、俺もキリストは贖罪において「人性に死に、神性に生きた」みたいな表現をする時がある

でもこの表現が意味するのは一つの位格である子なる神が神格と人格に分裂して人格だけ死んだ、というトンデモではもちろんなく、

一つの位格である子なる神が人性において死に、贖罪を果たすことで三位一体の神の計画を成就したという意味で生きる、ということ

ようするに死という神から離れる現象を通じて、逆に、神と一つになる=預言の成就という神秘であり、奇跡なんよね

円錐を二次元の世界で眺める存在がいたとして、円錐は丸だ!三角は異端だ!、いや、円錐は三角だ!丸は異端だ!と罵り合ってるようなものだよな

実際は、円錐とは円でも三角でもある
形而上の事柄を語るときはこの例のようなことがよくある

だから、これだけだ!みたいな排他的ゴリ押ししか手巻きない人は三位一体を理解することは出来ない

神的な存在への畏敬に欠けてるからだ