>>684の続き

535 イエスの公生活の始まりは、ヨルダン川でヨハネから洗礼をお受けになったときです。
ヨハネは、「罪のゆるしを得させるために悔い改めの洗礼」(ルカ3:3)をのべ伝えていました。
おびただしい罪びと、徴税人、兵士、ファリサイ派、サドカイ派の人々、娼婦たちなどがやって来て、ヨハネから洗礼を受けました。
「そのとき、イエスが来られた」のです。洗礼者ヨハネはためらいますが、イエスは願い続けて、洗礼を受けられました。
そのとき、聖霊がはとの形でイエスの上にくだり、「これはわたしの愛する子」(マタイ3:13-17)と宣言する、天からの声がします。これはイエスを、イスラエルのメシア、神の御子として現す出来事(「公現」)でした。

536 イエスの側からすると、その洗礼は神の苦しむしもべとしての使命の受諾であり、その開始でもあります。イエスは罪びとの列に加わります。イエスはすでに「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)であり、はや、流血の死の「洗礼」を先取りしておられます。