>>680


432 イエスの名は、神ご自身のみ名が、罪の普遍的、決定的なあがないのために人となられた御子に現存しているということを意味します。
イエスの名だけが救いをもたらす名です。
以後、すべての人は、イエスの名を呼び求めることができます。御子は受肉によって万人と結ばれたからです。
したがって、「わたしたちが救われるべき」名は、「天下に」、この名のほかには「人間には与えられていないのです」。

433 救い主である神のみ名は、年にただ一度、イスラエルの贖罪のため大祭司によって呼び求められていました。
そのとき、大祭司はいけにえの血を至聖所のあがないの座に振りまきました。あがないの座は神の臨在所でした。
聖パウロがイエスにいって、「神はこのキリストを立て、その血によって……罪を償う供え物となさいました」(ローマ3:25)というとき、イエスの人性において、「神はキリストによって世をご自分と和解させてくださった」(ニコリント5:19)ことを表しています。