>>489のカテキズムのスタンス2/2

312 このように、神がその全能の摂理により、被造物によって作られた悪、たとえそれが道徳的悪であっても、その悪の結果から善を引き出すことがおできになることを、人々は時とともに理解することができるのです。ヨセフは兄弟たちに次のように語っています。
「わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。……あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(創世記45:8、50:20)。
これまでに行われた最大の道徳的悪は、神の御子を排斥し殺害したことです。
これはあらゆる人問の罪が原因ですが、神は満ちあふれる恵みによって、そこから最大の善であるキリストの栄光とわたしたちのあがないを引き出されました。
とはいえ、悪が善になるわけではありません。

313 「神を愛する者たちには、万事が益となる」(ローマ8:28)。聖人たちの証言がこの真理を確認し続けています。
たとえば、シエナの聖カタリナは岶分たちに起こることがらにつまずき、反抗する人々」に語っています。「すべては愛から生じます。すべては人間の救いに向けられています。神が行われるのは、ただこの目的のためです」。
また、聖トマス・モアは殉教を間近にして、娘にこう書いています。「起こることは何であれ、神様のお望みなのだ。ところで、神様が望まれることはすべて、たとえわたしたちには最悪に見えても、最善のものなのだよ」。
ノリッジのジュリアンはこういっています。「神様のお恵みによって学んだことですが、わたしは信仰をしっかり守り、すべてがよくなることを同様に固く信じなければなりません……あなたは、すべてがよくなることが分かるでしょう」
(カテキズム)