神が作った世界に悪はない、はキリスト教的には違うんだな
悪の創造も神秘としか言えないけど、神の栄光を表すために必要なものだ、と考えられている
ようするに、悪を経て、それを克服する先に、さらに善が強化される、みたいな価値観
放蕩息子でいうところの放蕩でもある

悪とは何か、と問われれば神の性質から離れているもの、みたいな抽象化ができる
神の性質の濃淡があり、淡の部分が悪である
その部分に境界を作り、存在性を付与すると魔的な存在と言える

魔的な存在は善に壁として立ち塞がり、善がその克服を通じてさらに強化される
その善の強化の行き着く先に完全、がある
不完全な世界では創造はオンゴーイングになされ続ける
神の創造には悪は不可欠であり、それは善に立ち塞がることにより善をより強化する機能を持つ

そして、その完全への善と悪がおりなす高め合う運動が創造、ということなのだろう