>>386
なるほど
個と全体と二元するのではなくて全体の中に個があると一元するわけですか
全体の一部の一部の者なり、とメフィストフェレスを思い出してしまいましたがw

キリストの一部として、キリストの十字架を自分の全体として考えれば自己はどこまでいっても個は孤立しない、と考えられますね
唯物論がいつの間にか唯心論に変わってしまうようです
自己自身でありながら神に措定されることも実現可能なように思えてきますね