内村鑑三 (一九一八年一二月の『聖書之研究』より)

再会の日は定められたのです。その時のラプチュア(携挙)、
これを思って再臨の日が待たれます。
 もしこれが迷妄(めいもう)であると言うなら、
詩も歌も美術も宗教も、美という美、善という善はありません。
聖書に、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神はご自身を愛する者たちのために備えられた」(Tコリ二・九)
 とあるのは、この事を言うのであると思います。