献金自体はいいんだよ
隣人愛の文脈での献金は推奨されていることも事実
しかしここて大切なのは「隣人愛」であり「金の量」ではない、「愛の深さ、量」が天に積む富だ

一方で金の量は問題にならないか、と問われれば現実的な問題は生じる
牧師の平均年収は200万程度だとも言われる
とてもじゃないがこれでは生活できないし、施設維持費、人件費、催し費などを考えるとボランティアみたいなもん
だからベーシックインカムとして労働しながら牧師をボランティアでやらないといけない
ふつうに運営するためには金がかかる
だから善意での献金は物理的には必要

ヨーロッパでは教会に金を集めて、教会がそれを分配する、みたいな「社会的な機能」も持っている
どうせ金を集めるなら、ただしき人のところに集めよう、という価値観

献金は必要であり、霊的な意味でも地的な意味でも間違ってるわけではない

でもそれが十一しないと神の恩寵が得られない
献金すると願望が実現しだす
これはクリスチャンにしか分からない
みたいなまちこさんの「主張の仕方、認識」であるところから道がひん曲がってんな、ということになる
まちこさんの十一献金をめぐる主張が批判されているのはこの点においてのみ