【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 217
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
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※前スレ
【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 216
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535182877/ >>89
そのような、話ではありません。
誰でもよい所はあります。
けれど、名無しさんの話は、
客観視に該当しない、
これはこれ、それはそれが、出来にくい事柄に
言及しても仲裁になりにくいと思ったからです。
お気持ちは、わかりますが。 >>100
つまり、十分の一を捧げないのは、イエスを信じていないということなんですね。
赤貧の中にある人についても例外ではなく。 >>96
ええ、その解釈において相違があるのでしょう。
でも、共通点は無罪であるという事。
神の呪いを受けた罪人を贖うというのは、
どの範囲なのかは、もう私たちには
解りがたい事ですね。 「十一の義」や「罪による災害」は聖書通りの真理ですが
時に直言を避け配慮する世俗の道義も
派生するかもしれません >>102
私は正直な話、マラキ書についての解釈は福音派の解釈とは違うものを信じてます
まちまりさんたちがどう信じていようが
「ほらね」と思われようが
どうでもいいです >>103
無罪だったとしたら
二つの疑義が生じると思います
一点目 誰が有罪となったか
二点目 神は冤罪を裁く義があるか
ということです 聖書に書かれているイエスは、十分の一を捧げられない者を責める
方ではありません。
それは、むしろファイリサイ人のすることです。
本当のイエスは、人の足りなさや弱さを知って、憐れんで下さる方です。
聖書が描いているのはそういう方です。 >>98
違わないですよ
実行した上で、「違うな」と思ったのなら、それがシャロンさんの自由意志なんです
そして5chで聖書や教理を元にした批判があり、まちこさんはそれに共感しただけなのでは?
もともとシャロンさんはまちこさんを擁護する側だったでしょ?
まずそれをまちこさんが認めないと前に進めません >>102
クリスチャンでしたら、御言葉を信じることです。 >>101
仲裁ではなく、教理上の正しさ、についての話だと思いますけどね
そういう客観的な足場がないと水掛け論にしかなりません >>107
人の足りなさをイエス様の恵み(祈り)で補うのです。 聖句を あれこれ 詮索していくと
不毛な神学論争へ発展していきます
「罪とされた」と聖書に明記されてるのであれば
「ただしホントの罪とされてない」と無断で注解してはならないと思います >>111
十分の一に囚われて、もっと大切なもの見失っている人に対してイエスが言った言葉です。
マタイ23:23 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。
これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。
十分の一を収めることより「慈悲」のほうが重要だとはっきり言われています。 全教派で最も影響力のある教理は基本信条
その基本信条において、三位一体の子なる神であるきりすとの人性は罪以外人と変わるところはない、とされている限り、三位一体の子なる神は罪において人と同様となった、みたいな解釈は異端でしかありません
例えば原罪という概念
正教会は原罪を一定認めていますがカトリックやプロテのように教理化を避けています
正教会にとって原罪の概念は様々な語弊を招きかねないので「積極的に語らない、定義しない」というスタンスです
罪となった、を「積極的にキリストは罪を犯した」とする解釈は異端でしかなく、その発想の元はヘーゲンさんの私的啓示です
この点におきいては、まちこさんの立場は偽である、と言わざるを得ません
繁栄の神学でもおそらくそこまではっきり言ってないと思います
シャロンさんとまちこさんの拗れは「まちこさんの私的な態度」から生まれている、と思ってます
一方、その上で、シャロンさんにも色々と問題があるからクレーマー的である、も同様に正しいと思います 十一の義は律法であり 遵守せねばなりませんが
福音において律法主義は陰府に封印されました
律法は重要ですが、律法主義は不要だと思います まちこさんの難しさは彼女が自身を牧師である、と認識しているところです
公的には牧師ではないですが、単立教会を夫婦で運営している関係上、そうなりやすい
牧師は教職者です、そして、教職者は信徒を神の元まで導く役割を担ってます
その役割としてのまちこさんは、余りにも感覚的で誤解を招く言葉を語りすぎている
ようするに教職者として未熟である、という点も問題の根幹の一つだと認識しています
この教職者としてのまちこさん、という属性に対して批判がなされている、と言ってもいいと思います
仮に彼女が一宗教スレコテでしかない場合、今のような批判のされ方にはならないと思ってます
これについてもまちこさんが牧師と自認し、それを演じ、他者との関わりにおいて、牧師であろうとするところに、問題の種が潜んでまつ >>114
>積極的に罪を犯した
神殿で積極的にあばれ 自ら罪とされ されました >>117
聖なる場から商人を追い出すことは罪でしょうか? まちまり一味はキリスト教徒ではなくヘーゲン教徒
キリストを罪人に仕立て上げて献金をだまし取るなどもってのほか もう一度言います。
神が呪う、と言うことは神が離れると、この世の呪いが来るのです。 >>119
そういう語り口だから感情的な話にしかならない
信仰の深さ、でいうとまちこさんは一定深めてると思われる
それは彼女が語る言葉や過ちを犯したと認識した時のリアクションが語ってる
性格も善良で基本的に隣人の幸せを願ってる
それとこれとは別
まちこさんが間違っているのは教理においてで、人格は素晴らしい方だと思われる
ふつうにいい人 >>114
>三位一体の子なる神であるきりすとの人性は罪以外人と変わるところはない、
>とされている限り、三位一体の子なる神は罪において人と同様となった
>みたいな解釈は異端でしかありません
三位一体の子なる神は
低く卑しきにへりくだって
罪とされました >>120
まちこさんはよ解釈もあれば他の解釈もある
言葉の本当の意味するところは何か?という話は「その解釈」についての話です
そして教理とは、みなが色々好き勝手に解釈し、混乱を招くのを避けるために存在します
そしてその正しい解釈である教理から見た時に、まちこさんの解釈は偽である、ということです >>113
だから、神はイエス・キリストを送ったのです。
クリスチャンでしたら、イエス・キリストのお名前で、自分が十分の一金ができるように神に願うべきです。
イエス・キリストのお名前があるだけでも充分です。
御言葉もいただきました。
ローマ10:11 主を信じる者は、誰も失望することがない。
ローマ10:12〜13 ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
主の名を呼び求める者 は誰でも救われる。
イエス・キリストのお名前で恵みをいただき、その恵みによって神様から祝福されるのです。 >>118
当代は福音が齎されてませんので、公的には自明の罪です
内村鑑三の無教会派が 特にその立場です >>125
モブたんのロジックでは最小単位の神の宮である個人の魂から肉の欲を締め出すと公的な罪になりますな >>123
福音派の教理において まちまりさんの教説は 無欠です
改革派、聖霊派においても ほぼほぼ 正論です 尖った改革派だと
「地上の恩寵など救いちゃうわボケ」と突っ込むかもしれませんが >>127
神が罪を犯して、サタンになる、みたいな文脈ではありません
全ての教派は基本信条から離れることはありません
罪になった云々は「表現」でしかなく、無罪性にあるキリストがその属性を一時なくした、みたいな意味ではありません
文章は指示対象を持ちます、ようするに「意味」が重要であり、単語イコールゲームしてるわけではないす
ここら辺の温度感が分からないのはネクザたんが無神論者だからです >>126
内村鑑三はおたくと同じ無教会派です
彼は 当代におけるユダヤ人の義も積極的に認め
当時のユダヤとキリストを 同じ神を仰ぐ霊的兄弟としてます。 >>130
ソーワット
誰が何言ったみたいなスネ夫持ち出されても俺には何の関係もない
ネクザたんにはそもそも関係のない話なんだから横入りしてくんな >>129
聖句に立ち返りましょう
罪とされ 呪いとされ たとする真理に対して
字義的に解釈するのが福音派です
おたくにはおたくの教理があるのでしょうから
正当性を相対化してください >>131
内村鑑三先生の無教会神学と河童真理教
どちらが正統の論陣か
大体分かりそうなものです >>133
おまいほんと、ええとこの娘たんなんだな
親にスポイルされ続けてきたのがよく分かるわ >>132
ようするに聖書的にNGってことよ
おまいら外野は「意味」はどうでもよくて「単語」だけしか分からん状態よ
単語の指示する意味が分からない状態で、意味について議論しているのに、単語の話しか出来ないから、そもそも同じ土壌で対話する可能性が断たれている、という結論にしかならない
あとは、感情だけが暴走する感じだよな
それがネクザたんの今までの一生だ まちまりさんは福音派、と申しましたが
福音派は二大教派があります
「聖霊の賜物は終わった」とする聖句を信ずるのが
伝統的なディスペンセーション主義
「聖霊の賜はつづいてる」とする聖句を信ずるのが
近来の聖霊刷新運動です
まちまりさんは後者です >>135
短絡的、逐語的、字義的ではなく
文脈的、比喩的、置換的に解釈するということですね。
それは福音派神学ではないのです。
あなたには あなたの教理があります。
がんばって求道してください。 >>137
解釈が介在しない文章は、「この世の中に存在しうるか?」この問いに考えれば秒で答えがでるだろ >>124
十分の一を捧げることよりも、障碍年金生活をしていて十分の一を捧げられない人を
理解し、憐れみ、そういう人に寄り添う「慈悲」のほうが重要だとはっきり聖書に書か
れているのですよ。
何故それを無視するのかが理解できません。 >何故それを無視するのかが理解できません。
なぜなら天に積む富よりも地に積む富を重視したいから 十分の一献金についてですが、アメリカでは「国民皆保険」というものが実現しない
背景には「教会」というものが挙げられます。
教会には医者もいれば弁護士もいる。
教会に給料の十分の一を納めておけば人生のいろいろな悩みが解決するのです。
日本国においては、「給料の12%」を社会保険料としてすでに納めているのが
サラリーマンですが、弁護士が果たして機能しているのか、医者と喧嘩ばかりしていないか?
などが問われるのが、社会保険料の実態です。
私も、いろんな病人を診ましたが、子供の頃の「喘息の発作」が癲癇の原因であるのに、
そのことを指摘すると「俺、そのことを医者に言ってないんだよな」とか、
直立困難歩行困難の車椅子の若者に「高熱が原因だ」と言っても「それは医者に言ってません」
という具合に、医者のダメだしならばいくらでも可能なのが、現在の医療の水準なのです。
そのあたりから、教会のあり方次第では、お金は取っていいという側面があります。 >>139
私の場合は献げられないというわけではないのですけど 河童の人はちょっと黙っていて下さい。
私の言っていることまで、ただの言いがかりに思われていまうので。 献金自体はいいんだよ
隣人愛の文脈での献金は推奨されていることも事実
しかしここて大切なのは「隣人愛」であり「金の量」ではない、「愛の深さ、量」が天に積む富だ
一方で金の量は問題にならないか、と問われれば現実的な問題は生じる
牧師の平均年収は200万程度だとも言われる
とてもじゃないがこれでは生活できないし、施設維持費、人件費、催し費などを考えるとボランティアみたいなもん
だからベーシックインカムとして労働しながら牧師をボランティアでやらないといけない
ふつうに運営するためには金がかかる
だから善意での献金は物理的には必要
ヨーロッパでは教会に金を集めて、教会がそれを分配する、みたいな「社会的な機能」も持っている
どうせ金を集めるなら、ただしき人のところに集めよう、という価値観
献金は必要であり、霊的な意味でも地的な意味でも間違ってるわけではない
でもそれが十一しないと神の恩寵が得られない
献金すると願望が実現しだす
これはクリスチャンにしか分からない
みたいなまちこさんの「主張の仕方、認識」であるところから道がひん曲がってんな、ということになる
まちこさんの十一献金をめぐる主張が批判されているのはこの点においてのみ お金が欲しいだけよ。どこの教会の牧師さんだって、喉から手が出るほど、お金が欲しいの。それが現実です >>145
まちこさんはそういう人じゃないの知ってるでしょ
彼女は私的体験に確信を持ってるだけすよ
単純なロジックで
・今までの経験上
・信徒が献金しだすと
・信徒の人生がうまく回り始めた
みたいな現象に何度も遭遇して、
献金=神の恩寵を得られる
と論理で結ばれて、それを信じるようになったってだけ
そういう私的な体験を教理に結びつけちゃうところから問題だと思う
不思議なんだけど、そうなんだよなーレベルだと今みたいに批判の対象にはならない 馴染みの弁護士には仕事を台無しにされてばかりです。
弁護士に仕事を頼むと「拳を振り上げた」と向こう側に伝わり、敵対的な空気になったり、
「鼓膜」というものがそもそも、人体には存在せず、「耳の問題は口の問題・飲み物の問題」
ということを理解しない医者に、父親の耳にメスを入れられほとんど聞こえなくされました。
そういう、医者や弁護士の不勉強は宗教の側で引き受けてもいいのかな?
とは思いますね。 いいえ。現実問題として、教会を維持するのに多額のお金が必要なのですよ。
お金が欲しいというのが本音なの。 でもバブル時代ならまだしも、今の超不景気な貧しい時代に
10分の一献金に期待するほうが無理。
投資でもすればいいのにね 教会に通ってるくせに、その運営費は牧師自腹で払え!でも信徒である俺は一銭も払う気はない!でも教会は運営しろ!みたいな態度のなるみさんみたいな人はまちこさんとは違う意味で、同じぐらい間違ってるとは思うな 何言ってるのさ。現実をみなさいって。信徒なんてほとんど集まらない。
ほとんどがお年寄り。その年金もわずかなものです。
実際、投資でもしない限り無理でしょ。 >>152
だからまちこさんは飲食店を経営してるみたいね
ほぼボランティアみたいなもんだから偉いと思う
趣味の時間がないから夜中にピアノを練習するとか泣かせるわ まちまりにいいこと教えてあげる
ポンドが今日明日147まで上がります。
これだけ言えば十分でしょ。
活かせるかどうかはあなた次第 >>142
マラキ3章の神の約束を神様に聞こえるように口にだして、
私は祝福されています。
と言って、感謝の祈りを捧げてください。
アブラハムが自分の子を信じて神に捧げた時、神は、アブラハムの子を返してくれて、そのうえアブラハムを豊かにしてくださいました。
それと同じ、 あなたの献金を豊かにして返してくださいます。 神の国を拡大するどころか
維持すら難しい時代です
改革派教会がリフォーム500万としたら
正教会は1200万 >>138
可及的ダイレクトに直訳するのが福音派です
彼らは人為的、比喩的な解釈を「置換神学」として差別します 主が「霊的に死んだ」というまちまりの断言は
彼女のメンターのヘーゲンから来ていますが、
ヘーゲンのオリジナルではありませんでした。
EWケニヨンが出どころです。
私これだけは許せません。 >>98
あなたはサタンが好きなのですか
両ケネスはサタン礼拝者です、はっきり申し上げます。
これは知る人ぞ知る事実です。
博識のリンゴさんが知らぬはずがありません。
もし知っていて黙っているなら彼には誠意がありません。
知らなかったなら彼は嘘つきです。 >>159
「霊的死を体験した」とは
ディオクレアイア府主教著『 正教の道』に明記されてます。
諦めましょう。 >>160
ヘーゲンさんが、サタン礼拝者と思うのは、あなたは風評被害に遭われていますよ。
ネット重視ではなく、ご自分の目で聖書をお読みください。 >>160
昨日あなたが忌避してた法王のハンドサインは
「I♥Uサイン」と呼ばれるものです
ケネスコープランドは法王から祝福されました
一方、富井健は国内で異端認定されました イエスの教え
慈悲>十分の一献金
(マタイ23:23に明記)
まちこの教え
十分の一献金>慈悲 >>159
霊が死んだ、と言うことは、神が離れている状態です。
先ほども言ったように、この世の呪いの中にいます。
そして、イエスを主とした人に、聖霊が住み、神に対して生きることになります。 >>163
あなたは、あなたの口から出る実を食べるようになります。 >>164
富井健さんが異端認定とは、どういうことですか? >>168
キリスト教再建主義に関するWikipediaと吉祥寺の森によると
彼は、国内で唯一 オーバンアベニュー神学を継承する静岡の聖書教会に居たということで
異端視されてると、と解説されてました >>171
アホ言うな!
(´・ω・`)パ-ン
⊂彡☆))Д´) >>166
神は契約により
「神の子」とされた者を人間の不備によって手離したりはしません。
人間の側で勝手に離れたとしても神にとっては大切な子どもです、
呪ったりしません。
✝
とこしえにいます神はあなたのすみかであり、
下には永遠の腕がある。
(申命記 33:27 ) >>169
十分の一献金は大切だけど、それ以上に大切なことがあるとイエスが言っているのに、
十分の一献金は神さまの約束なので、イエスの言うことは受け入れらないということ?
あなたはいったい誰を信じているの? なぜ私はアメリカ南部に縛られているのだろうか?
それは体力に限界があったから。
黒人は奴隷だと言うけれど、奴隷と言われるほどひどい扱いは受けていなかった。
故郷で「胸」をヌード写真でさらしただけ。
ブルジョアかと言われると嘘になる。生活は貧しかった。
お金になるから、黒人の私でもヌードになった。
胸をさらした場所が私の居場所。
できることなら、すべての女がイスラムのように顔をヴェールで覆って欲しい。
お金を稼ぐ方法(憲法・民法)さえ知っていれば、胸をさらさずにすんだのでしょう。
黒人にカトリックなんていないわ?
お父さんが「処女としての私」を芸能界に導いてくれるほどの金持ちではないから。
ヴィトゲンシュタインが「ヌード写真」を撮りまくったときに、南部の黒人女は土地から
離れられなくなった。
「私はここにしか居場所がない」
それがいじめの理由なの。
なぜ、まるで赤子のように「故郷」に縛られているのだろう?
東大に受かった男に「ついていって芸能界デビューする女」はヌードになっていなかった。
裸の写真をさらした女が故郷に残った。
脱ぐか脱がないか、男たちはそれを問題にした。
脱ぐことは「故郷に帰る」ことを意味したからだ。
https://www.youtube.com/watch?v=MkJcZrW1m0s&t=20s >>167
私は悪口を言ったのではありません。
事実を明らかにし警告しました。
>>170
悪意の風評を流さない事です。 >>171
何故、イエス様は死んだのですか?
>>174
まぁ、ピッピさんか、幸せでないと言ったので、十分の一金の話しをしました。 >>158
はい、一人で直訳内容を基本信条に反する文脈で解釈してればいいのでは?
ネクザたんはウィキペディアン無神論者だから、別にそれでいいと思うよ >>176
私とあなたとの見解は全然違います。
どうしてでしょいか? >>166
まちこさん、霊的死は神から離れた状態を意味しますが、それがキリストに適応される時に、なぜまちこさんは「その意味を定義」しようとするのですか?
神に見捨てられた民の苦と同化する、という行為は「自罪を犯してサタンそのものになる」とどう結びつくのですか?
また、誰がそんなことを明言してるのですか?
基本信条はそのままで、かつ霊的死(人類の罪の結果である苦難を味わった)で都合が悪くなる理由が分からないんすよね
それこそ、繁栄の神学をまちこさんなりに、私的に強調しないと、そうならないと思うんだけど また、十字架の贖罪は敗北である、みたいなトンデモ解釈も「私的にそう信じるのは勝手だけど」「牧師を自認し、隣人にもそう演じ、その上で十字架は敗北である」と語ることは聖書じゃなくて繁栄の神学を信じてる、と言われてもしょうがないんじゃないかな、と思います >>180
aho
ナザレのイエスという人の実質は神です。
神が神からどうやって離れるのさ。
出直し的な 胸を写真家に見られたら、当然、写真家は勃起するわね。
そのあと何をしたかは秘密。
マルクス主義者は彼女たちを自由にしようと考えた。
都会に出て「ハウスキーパー」をやる女もいた。
地方自治に興味のある創価学会と、都会で強さを見せる共産党の違いがここにあった。
民主主義、それが多数決だとするのならば、人間の半数は女だった。
女たちの行動原理を理解しなければ、政治は分からない。
女は群れる生き物だ。
田舎で群れる創価学会と、都会で群れる共産党の違いがある。
なぜ群れるの?それはトイレの数が女は少ないからよ。
国にトイレの数を増やすように圧力をかけるのが仕事だったし選挙だった。
ジェニファー・ホーンスビーや、ラエ・ラングトンが、ヌード写真を「言論の自由」から
外そうとした。
宮沢りえが「芸術のため」と言ったことに怒りを感じていたのだ。
鈍い女だった。
篠山紀信が、裸体に勃起したあとに何をやったかがバレないと思ったのだろう。
下町の「人情」って何だと思う?
どの女も「ハウスキーパー」だったのよ。
https://www.youtube.com/watch?v=a5wsdatwxhM >>188
人性においては死んでますよ
まちこさんやネクザたんは霊的死という単語を肉的死と同じ意味合いで捉えてますが、霊的死とは神から離れて孤立することにあり、言葉通り、霊的に死んだわけではないすね
その意味ではキリストは神性において死んだわけではありまてん >>171
いくら君らがイエスを「神」したくても、旧約が聖書の一部である以上、それは
絶対に不可能。イエスが信じる神は、旧約の神であり、旧約の神は、イエスを神
とも、神の独り子とも認めていない。しかし、旧約を聖書から排除すれば、イエスの
自称権限はすべて旧約の真似から生じているのだから、イエスは旧約の神の冒涜者で
あり、従って、神でも神の独り子でもない。「痛し痒し」とはこのこと。
キリスト教には、永遠に解決不能な問題だw。君も、いい加減で諦めろよw。 >>176
キリスト教再建主義
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%86%8D%E5%BB%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9?wprov=sfla1
日本のキリスト教界からの評価
ミレニアムを主宰する富井健は
彼が牧師をしていた聖書キリスト教会において、
この神学に傾倒していたが、
同教会から異端ではないが危険な教えであると宣言されたことからもわかるように、
日本の教会において、この神学を適用するのは危険であると認識されている。
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現代の風景 - 随想 吉祥寺の森から
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52030475.html
イルミナティ、フリーメーソン、終末預言、ポスト・ミレ、千年王国・・・。
彼の得意なフレーズには、この種の陰謀論や
勝手に作り上げた「理念」や「学説」のお題目が鏤められている。
日猶同祖論を真顔で信じ込んでおり、
天皇制や神道とキリスト教の同根性を説く。
揚げ句の果てにこの世で常温核融合が実現したと無邪気に信じているなど笑い話そのもの。
その止めようもない誇大妄想は新興宗教のそれに近い。
独自に思いこんだ奇天烈なキリスト教理解。
それが捻れに捻れ末期的な最後形態として
どのような航跡を描くかという観察事例としては好適である >>178
罪とされたことを覆す基本信条は存在しません 什一をお金にしたのは誰なんですかね
腹立つことの一つだ >>189
神の無罪性は誰が何と言おうと、動くことはないんす
なぜなら、それなしに贖罪はあり得ないからです 私、人性においても死んでない立場です。
悪しからず
死んだというのは、人の眼からすれば死んだの。
イエスは死んでいませんでした。生き返ったじゃん >>186
カトリック神学では 肉体のみの死
正教会、改革派、一分福音派では 霊的死ないし危機
いい加減に 教理を相対化しましょう >>191
誰が有罪になりましたか?
神は無罪を裁きますか?
ということです
御子の罪を形骸化してる人は
自分の罪を形骸化してるのです 「死人は出血しない。仮死だったからイエスは「再生」したのである。 」
イエスの生涯 遠藤周作 新潮社; 改版 (1982/05) 全き神が 全き人にへりくだり
全き罪とされ 全き死を遂げられました
これが両性説の贖罪論 >>196
その奇説は
どこの教会も採用してません wiki
何をもって人間の死とするのか、その判定や定義は文化、時代、分野などにより様々である。
(→「死亡の判定・定義」節を参照)。
一旦は命が無いとされる状態になったが再び生きている状態に戻った場合、途中の「死」とされた状態を「仮死」や「仮死状態」という ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています