青銅の蛇はキリスト教ではキリストの予型とされている、は客観的な事実だよ
青銅の蛇の蛇は、形状は蛇だけど「癒しと人類の罪を代わりに背負う」という「意味」の「象徴」なんすよて

従って、青銅の蛇は贖罪の象徴なんす

一方で、まちこさんの十字架蛇説は、「キリストが罪を肩代わりした」ではなく「罪そのものになった」だからそもそも贖罪を敗北と捉えているわけす

この差異を理解できず、「蛇だから」みたいな表面的な議論続けても生産的な議論には永遠になりません

客観的に言い得ることは、「キリスト教では青銅の蛇はキリストの予型である」ということです

この点については誰がなんと言おうと、変わることはありません