神は最初に蛇をエバをだます悪役として登場させ、アダムとエバのお互いへの責任転嫁を罪とした(原罪)。
民数記でイスラエル人は神とモーセに逆らったため蛇にイスラエル人を噛ませ死なせたが、モーセが作っ
た青銅の蛇を見れば治るという神の言葉を信じた者には癒しとして治した(神への従順の要求)。しかし
神が要求したのは「誰もが嫌う蛇を見る」という『従順さだけ』であって、蛇そのものに意味はなく、た
だの偶像である。列王記第2で、神に従順なダビデは偶像である青銅の蛇をアシェラ像と共に破壊した。
すべてのイスラエル人が偶像を崇めていたからだ。新訳になると、ユダヤ人の間で形骸化していた信仰を
悔い改めさせるために、罪を背負ったイエスが砕かれる必要があった。それはイエスの言葉を信じる者に
とっては癒しである。イエスと共に十字架に絡みつく蛇が砕かれることは、アダムとエバが犯した原罪を
砕くことであり、創世記3の「女の子孫がお前のかしらを砕く」という預言が成就したことになる。因み
に、青銅は銅ではない。銅にスズ等の不純物が混ざった合金である。旧約時代は鉄より融点が低く鋳造加
工が容易な青銅が使われていただけである。モーセが作った「燃える蛇」は、溶けて赤くなった青銅であ
る。
バカムーチョが必死に唱える一元論も、フタを開ければ「原罪が時代を経て1周して消滅する」というだ
けである。