>>648
こんばんは
地上の楽園を見つけようと思うことはそこまでよくない事なのだろうか、と思います
天の種は天に属するが、その種を地上で育てている事にはならないでしょうか
つまりこの場合の種とは信仰であり、信仰とは地から天に向けられるものだからです

荒野の第3の言葉でこの地上の権威を退けました
自由を自ら引き渡し隷属することで平穏を感じ、収穫を得る事ではなく収穫を与えられる事で喜ぶ
何が言いたいかというと、それが現実の多数者であるという事実がどーしても消えないという事です
権威を退けると共に神をも退けてしまう事にならないのだろうか、と考えます

イエスは人間を高く見積もり過ぎたのではないか、とたまに思います
そういう人間で、意思の自由を持って信仰ができる人が多数になった時、それは地上に楽園を見つけた時のように思います