スマナサーラ信者ってよくこんな適当な本を真面目に読めるね。
スマナサーラ教は制御願望と超人願望が生んだオカルト。
その超人のベクトルがニーチェの超人とかいうレベルではなく中二病の世界。
スマナサーラも森羅万象を冷笑し、超越者気取りなわけだ。
そりゃスマナサーラ信者も他人を見下し、独善的な世界に生きるわ。
以下スマ著「心は病気」より。


>仏教では、精神的なはたらきそのものを、物理学や科学と同じように徹底的に分析して、
>互いの関連性を理解する。そして自分の思うままにしようとするのです。(P82)

前章で「自我が消えれば問題も消える(P66)」と言っておいてこれ。
実際は自分!自分!がスマナサーラ教。このようにスマナサーラ教は人間の欲望に訴える。

>仏教は、人間の幸福を実現するために「心の次元を破って超越することを目指す教え」(P84)

>仏教では「ノーマル」ではなく「超越」を目指す
>仏教の教え、道、真理については、ある共通の形容詞を使って超越的なことを示しています。
>それはariya(アリヤ)という形容詞で、「聖なる」という意味があります。
>英語ではnobleと訳しますが、「普通よりたいへん優れていて、超越したレベル」(P90)

はい、スマナサーラ教が超人願望系なのがわかりましたね。
それと自分の心を支配する「自分」なんか修行してもできません。
そもそも、こんなものが仏教なのか。はいスマナサーラ教ですね。ごめんなさい。
普通に世の中で働いている人はスマナサーラのような傲慢な人間以外みんな心の制御なんてやっている。
ストレスを管理しながら。スマナサーラのように不平不満ばかり言ってる人間はアホばかり。

科学は理論を応用、実用化し実践という形でうまくいっている。
スリランカ仏教のように妄想理論を重ねて実践してみたら結果が伴わない。
それならこの定義でも科学と合致しない。まぁスマナサーラ教はオカルトなんですが。
スマナサーラ教のように教祖は暴力的で仏教を実践できない破戒僧では理論が間違っている。

>科学には、このような「実践的な側面 practical aspect」が確実にあるのです。
>そういう視点で経典を読むと、お釈迦さまが心を科学していることがよく分かります。(P83)