澤木老師の言葉2

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上とこの六道は、ただわれわれの「ノボセの目盛り」じゃ。ほんとうにノボセが下がったら、仏である。

サトリとは損すること。マヨイとは得すること。

坐禅は善も悪もこえたものである。修身の話ではない。共産主義も資本主義もみんなヤンダところに坐禅はある。

工夫とは般若の智慧をピカピカにみがきあげることじゃ。考え込むことではない。

人間の仕事を何もせぬのが坐禅である。

こんなに利口ぶって、こんなにバカになってしもうたのが、人間というバカモノである。

人間がサトッタら、人間の話である。人間の話でないのが、坐禅である。

坐禅とは、われわれのナマニク(生肉)でかためたホトケである。