「不二一元論」及び、それによる「解脱」という方向性を選択することは
全く個人の好みでいいと思いますがね・・・・

それを「仏教も同じ」とやると、「ちょっと待って」となります。

「基体」を設定するか否か? は非常に重要で、それこそが、他の宗教(特にアドヴァイタ系)との分水嶺になると考えます。

前にも書きましたが、ダライラマさんも

>「心身関係」対「個体のアイデンティティー」の本性についての、ブッダの見解は、
無我論の原則にしたがっています。その原則は、存在を構成するスカンダ(蘊)、
つまり心理・身体的集合体のほかには、それから独立の、自律性を持った、
永遠に生き続ける魂などはない、というものです。これは、⇒『仏教のすべての宗派に共通で、普遍的な教義です。 』

と言っています。

(ちなみに、中観派では、心理・身体的集合体を構成する『構成要素』自体も
『空』と見做すところが、他派と差異になるかな?)