【仏教】 悟りを開いた人のスレ312【天空寺】
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>>591
自分の心が静か、と見ているうちは、無明だっての。。 >>632
別に無明でも構わんがw
心は静かなんだわw
おれは現実を話してるだけに過ぎんよ 近代仏教学では、クンダリニー・ヨーガが仏教の中で本格的に修行さ れるようになったのは、八世紀にはじまる後期密教からで、それもヒンドゥー教のヨーガとの接触によって影響を受けたのだという考え方が、支配的だ。
実際、現在ビルマやスリランカに伝えられ、シャーキャムニ・ブッダの教えにもっとも忠実だと考えられている上座部仏教のなかには、座法と呼吸法の制御によって、クンダリニーを覚醒させるという修行法は見あたらない。
ところが、彼は、野蛮にも、この仏教学の『常識』をクンダリニー・ヨーガの体験から、あっさり転倒してしまうのだ。 後に麻原彰晃に多大な影響を与えることになったとされるラマ・ケツン・サンポ+中沢新一『虹の階梯』 の初版が平河出版社から刊行されたのは一九八一年である。
(中略)
確かに当時「八正道や止観の瞑想」には飽き足らないものを感じていた仏教研究者のなかに、この本に記されたエキゾティックかつエソテリックなヨーガの加行法にある種の活路≠見出す者がいたとしても不思議ではない。
だが四諦、八正道の教義や止観の修法に限界を感じたという仏教学者たちは、本当に失望するほど初期仏教の教えや修道に精通していたのだろうか。
パーリ聖典、ニカーヤ、阿含経典を熟読していただろうか。
その瞑想実践である観行(ヴィパッサナー瞑想)、止行(サマタ瞑想)を十分に修していたか。
大いに疑問だ。 当時ポップカルチャーの世界には、各種オカルティズム、超心理学、超古代史、終末論、陰謀論などが瀰漫 していた。
価値の相対化はたちまち単なる価値の紊乱に転落 し、普遍的なリアリティは無秩序な「差異の戯れ」に放散していった。
その潮流が仏教や仏教学の世界にも流れ込み、密教ブームやチベットブームを牽引することになった。
かかる状況の下で、初期仏教を、ヒンドゥー教のサーンキヤ学派や後期密教、グノーシス主義などの神秘思想、神智学などと習合≠ウ せようという構想はごく自然ンなものと受け止められた。 大事だよなぁ、↓
普遍性や一般性への志向が失われ 、論理性や実証性は軽んじられ 、すべては修辞と解釈相様に過ぎないという相対主義が勢いを増しつつあった 。
こうしたなか 、仏教学という領域で 、頑なまでに資料文献の実証性に立て籠もって他説を斥け続けた三枝の態度は異様に映ったのである 。
論争に臨んだ彼の意図を再度引用しておこう 。
「概念の規定が不徹底ですと 、なにもかも一つになってしまい 、いわゆる仏教フロシキ論によって 各々が曖昧模糊のままで一枚のフロシキにまるめこまれる危険性があり 、それは仏教独特の諸思想の多様性とは全く似て非なるものであることを 、充分に顧慮しなければならないでしょう 」 人と触れ合う愛欲に溺れずに生きてきたそろそろ悟れるか?と思えばそうじゃないが愛は無常で悟りから遠のかせるのなら童貞の方が覚者としては成立すると思う まあ何年も修行やら勉強してきた人間からしたら
なんも知らんと覚醒した人間なんか認められへんもんなんかも知らんなあw 童貞ぐらい捨てとけw
ここにおるやつらみたいに拗らすぞw >>641
もう半ばヤケに近い職場も男しかいないし出会いの場へ行く金も時間もない >>633
どう説明していいやら?
教科書読んで勉強してくれと言っても反発するんだろうしな〜。。
じゃあ、「心があって、それが静かだ」という判断は誰がしてるの? >>643
意識やな
思考が働いている状態と思考が止まっている状態を比較すれば判断は可能
意識が覚醒しているから無意識は存在しないしね 「キリストや釈迦などは、クンダリーニ覚醒によって悟りを開いた人たちなのです。」
こんなキチガイが世に蔓延る始末www 心が静かかどうかは我において比較級だよ
普段の自分より静かであれば、静かである、と認識する
たかだか普段の自分より少しばかり静かになったぐらいで、悟りじゃーとか言いたくなるのは普段何にも努力してない証拠
でも、小さな一歩でも、その個人にとっては大きな一歩なら、それでいいじゃまいか 麻原は釈迦は原始仏典に則ってはいないって言ってたぞこれが本当かは知らないが >>648
いやいや完全に止まるんだよ
おれの場合はw >>645
だけど「心が静かだ」と言語化しているということは、自我の認識なわけだろ。。
ここまでは、OK? >>650
完全に止まるんだよ、という執着がなくなれば、もっと深いところに行けるようになるかもよ
知らんけど >>651
自我の認識とは少し違う
蝉が鳴いているか鳴いていないかを認識するのに自我は必要ないようにね >>652
別に執着などしとらんよ
事実を述べているだけで 蝉が鳴くのを認識する時は、そりゃあ我は消滅して「蝉が鳴く」になるわな
でも、そんなことは誰だって普段、無意識でやってることで、誇ることでもわざわざ言うことでもない
認識ってのはそもそもそういうもんだ
>>654
ふーん、そんなんだ
完全ってなんなんだろうね
止まるってなんなんだろうね >>653
それはそうだけど、あなたは「おれの心は常に静かだ、おまえらは違う」と言語化して比較しているだろう?
これは自我の認識ではないのか? 馬鹿馬鹿しい。
単なる現量状態で、比(非)量がない状態なだけだろ?
それがどうかしたのか? >>655
蝉が鳴くにはならないよ
蝉が鳴いているだよ
それと同じように
思考が動いている
思考が止まっている
と認識するのみだよ >>656
事実を述べているに過ぎないよ
君たちの心が静まっていないのも事実だし
おれの心が静まっているのも事実
ただそれだけだよ
君たちが納得いかないのはこちらの問題ではないよね まさか、まさか、まさか!
その程度の体験で、あわれだの、屁理屈だの、デタラメだの、無心だの言ってる無いよな? 心が完全に止まるのはあれだ。滅尽定だよ。
解脱した人だけが入れる最高の禅定。
ただの阿羅漢だよ。よくある話さ。 >>658
思考っつーのは働きよ
形なんてない
存在が働きそのものになる
思考の作用の一つである観察
観察も働きだ
観察してる時は観察になる
観察になる時、観察対象に意識を向けている
われは消滅してわれは観察対象になる >>659
単に、現量の比(非)量だろ?
それがどうかしたの? >>662
そういうのは良くないよ
結局無理に自我を抑え込んでるに過ぎないからね
ちょっとつつけばすぐ出てくる >>659
だから、事実にせよ、現実にせよ、言語化する以上は、自我による認識。。
もっと厳密に言うと、この言語を媒介にした認識によって、あなたにとっての事実、現実が構成される。。
実体が存在するのは間違いという話は、また別だけど、あなたの言っている事実、現実はあなたの自我がつくった夢のようなもんだ。。
蝉にせよ、おれの心にせよ、おまえらにせよ、全部あなたのの自我が構成した夢のようなもんだ。。
で、その夢を実体視するから無明なの。。 >>666
言語にしなくても心が止まっているのは事実だよ
そもそも止めようとして止まったのではなく勝手に止まったのだしね
自我の死で >>662
思考とその思考を観察するのに時差があることには気づいているか? >>665
うん、当たり前のことを語ってます
その当たり前のこととは、思考が働く時に我は消え去り働きそのものになるってこと
観察したら観察になる
観察対象になるってこと >>667
自我は死にませんよ。最初から無いですよ。そんなものは。 >>668
時差はなくなるんだよ
意識が覚醒すると >>667
自我が死んでようが、生きてようが、あなたの認識、は無明なの。。
もちろん、誰でも無明はあるから、それが悪いとは言ってないが、惑いの中にある、という自覚は持ってもらいたい、気づいてほしいと思うわ。。 >>670
例えば記憶喪失になったと思って貰えば分かりやすい
昨日までの自分が誰だかわからない感覚
その時始めて自分というものがわかる >>671
ホントに時差がないか、よく観察してみてください。。
対象意識とその対象意識に気づくのは同時かどうか?
気付きがはやければ、時差が無いように感じるかもしれんが、たぶん違うぞ。。 >>673
いや自分なんてものは無いんですけど。無我ですけど。
たぶんそれは記憶障害ってやつじゃないですかね。 >>672
きみにとって無明でもなんでも構わないが
事実を伝えているに過ぎんよ
余りにもトンデモ覚者がのさばっているもんだからね >>675
何度も言うが意識の覚醒が時差をなくすんだよ
>>676
それはまだきみが自分というものを知らないと言うだけに過ぎないよ 意識は常に現起す。無想天に生まれたると。
及び無心の二定と、睡眠と悶絶をば除く。
(唯識三十頌)
意識は第四禅定や無想定や滅尽定、亦たは深い睡眠や気絶したとき止むとされている。
それはともかく、思考停止はいわゆる現量で比(非)量してないだけの事でしょ?
それがどうかしたの? 事実は集中して観察しましたってことでしょうね。
普通の事です。もう少し頑張ってみて下さい。
無我が理解できるまで。 >>677
だけど、あなたは色即是空の空がわかってないだろ。。
空っぽという意味じゃないぞ。。w
実体が無いとは、即ち言語認識は全部間違い、言語化できる事実現実は存在しないということだ。。
だから、平等になって、差別無しになる。。
屁理屈じゃなくて、よく考えればわかること、これが基本な。。
だから、あなたは何を言っても間違いしか言えない、勝義から見れば。。 何かドラッグ体験を事細かくレポートしてる人みたいね >>680
だから普通のことについて語ってるわせでしょw
無我は諸法実相であり真如でしょ
それが分かるってどのレベルまでを指してるのか知らないすけど、本質的な意味で分かるなら結構遠い未来の話すよw
>>682
迷走してますなw
仏陀がこれみたら、無我も悟りもない!(分からんことはどうでもいいから、やれることやれや!って意味)とか言いそうw >>681
きみの物差しで測ることに何の意味があるんだい? >>686
おれの言ってることわからんだろ?
よくよく瞑想してくれ、教科書通りの基本、しか言ってないから。。 まあきみらは悟りとはこうあるべきだと思い込み過ぎて
自分というものを固め過ぎてしまってるね
それが逆方向だと言っているだけなんだが
頑なになってしまうと難しくなるんだろうね >>688
悟りとは真理に気づくことで、有身見、疑、戒禁取見が無くなることだと、釈尊もおっしゃられてますけど。
それ以外に悟りは無いですよ。 >>689
妄想?
事実を述べているに過ぎないが?
よかったら自分のレスを読み返して頑なな自分を観察してみたらどうだい? >>691
事実はあなたが、集中して観察したって事でしょ?
それは悟りでは無いですよ。
普通の事です。
悟ると「自分」とか「自我」という概念が根こそぎ無くなりますから。
もうちょっと頑張ったほうがいいですよ。 >>688
何度も確認するけど、それは単なる現量でしょ?
そしてその現量を「心が静か」とか「思考停止」とか爾後に比(非)量してるんでしょ?
それは別にあなただけの特別な状態ではなくて、普通に誰にでもあるんだけど?
確かにその自覚が無い方はいますけど、少し佛教を学べば分かる事だし。
そんなチンケな体験で「あわれやのw」とか「屁理屈ばっかやなw」とか「デタラメっすなあw」とか?
はぁ・・・・
独学は毒学だなぁ。
だめだこりゃ。 すでに悟りを開いた方はかなりいらっしゃるようなご様子ですね >>691
因果(縁起)-無自性-空というのは、ゆるぎない真理だぞ。。
ちと考えればわかる。。
だから、実相無相になる。。
あんたは、有相、有心、実体視の迷妄の中で、妄言を言ってるだけなの。。
おまえは、両親無しで生まれて来たのか?w >>692
事実はクンダリーニが覚醒して自我が死に
その数年後に室戸岬で蓮華を観たというだけのことだよ
概念としての自分というものはなくなりはしないよ
なぜなら概念だからね >>693
あなたの考える悟りとか、私の考える悟りなんてものは無いですよ。
悟りは真理を悟ることです。真理は誰にとっても真理です。
「あなた」の悟りとか、「きみ」の悟りとか言ってる時点で、有身見がまだ残ってる証拠ですから。
それは悟りでは無いです。
無我を理解している人は、「きみ」の悟りとか言いませんから。 「キリストや釈迦などは、クンダリーニ覚醒によって悟りを開いた人たちなのです。」
こんなキチガイが世に蔓延る始末www 「自分」とか「自我」とかがなくなるってのは本当なのかな?
「自分がある」ってのもはたらきであって、それはなくなりはしないような >>697
「蓮華」の中に「世界」全部がおさまってないかな? >>696
仏教用語を並べられてもよくわからないが
なぜ両親無しで生まれてきたのか?となるのかはもっとわからない >>698
きみにはまだ自分は無我を知っているという自我が残っているから
そう言ったまでだよ >>697
概念としての自分を保ち続けるのを自我を張るというんですよ。
悟った人はくだらない概念は捨てます。
ゴミを頭の中に入れておいてもしょうがないでしょう。 >>661
>ただの阿羅漢だよ。よくある話さ。
阿羅漢って悟りの数歩手前ですよね?
よくある話なんすか?
今日じゃなくてもいいので、もう少しだけ話を聞いてみたいです >>703
あなたがこの世に生まれたのは、縁起じゃないのか、因縁によってではないのか、と聞いているだけだぞ。。
そのくらいわかれよ。。w >>702
そういうのではなく実際に観たんだよ
>>705
リンゴをリンゴという概念で表すように
自分を自分という概念で表すことに
なんの問題があるんでしょうか? >>706
阿羅漢は完全に煩悩を滅ぼした人で、完全に無我の人です。
輪廻から解脱した人です。心が完全に停止できる人です。
今日も一人いるみたいですよww 蓮華を見たから、選ばれしものなんだろう、てんぐちゃん。。
マンガの世界だわ。。w >>708
「蓮華」って、「自分」が見るもんではないような
見聞覚知の外から「存在」「世界」そのものにまみえたときにあらわれるんじゃないかな
だから、「自分」が見るんじゃない >>707
もちろん原因と結果
因果によって存在しているが
それがどうかしたのか?
>>710
もしそうだとして
きみになんか不都合があるか? >>708
クンダリーニが覚醒して「自我」が死んだんでしょう?
概念が死んだんですか?何が死んだんですか? >>708
魔境についての論文があります。
一瞥されることを”強く”勧めます。
駒澤大学佛教学部論集
「禅病 : 『首楞厳經』に見る五蘊」
渡邊 幸江 >>711
その表現は正しいと思う
>>713
それまでの自分が消えたんだよ
記憶を構成していた中心がね
>>714
それはきみが読んだ方がいいんじゃないかな?
自覚がないようだが >>709
阿羅漢と菩薩の関係って分かりますか?
弥勒菩薩みたいな特別な存在とそれ以外の菩薩を分ける閾値ってどこにあるのでしょうか? >>715
それは記憶障害といいます。
おやすみなさい。 「智慧の声が聞こえた」
「仏像が礼拝を要求してきた」
「黄金の炎が立ち上がるのを見た」
「室戸岬で蓮華をみた」
x≦系圭 \
,ィ升圭圭圭圭ハ ⌒ト、
{圭圭圭圭圭圭.i}.圭圭\ ヽ i i l l l l l l l l l l l i /
入圭圭圭圭圭ヌ圭圭圭ハ 二
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i圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭. い 二 そういうの一番嫌なんですけど・・・
|圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭ハ 二
|圭圭圭圭圭圭圭ヲ⌒マ/圭「⌒! 二
{圭圭圭圭圭>!ヽ Y マ圭し | 二
X´_ _ r1┤ l ト. マ/{ jメ.从\ 二
∨ y ノ´ ! | | l| l | | Nハ⌒´ 二 もういや、仏教やめようかな・・・
l / /l| | :| | ! j .| | Y:| .二.
l | | | | ; ト、 i Z 二
/| ! ! !.从 ヽ ! .N 二
/ ∧. N \ . 从 リ ∨ // ! ! ! l l l l l l l l l l ! ヽ
| / ∧ |\ / ∧_ノ ∨
| / / ∧ | \ }/ / / l|
| / / ∧ !  ̄ ! !_ // j|
| / / / } .l | |_ / .'
|⌒ \ / リ | | , ' /
∧ / / | ∨ . / /
/ ∧ / /| ! ∨ / / >>716
菩薩になりたいんですか?
阿羅漢になりたいんですか?
どっちにしろ修行することですよ。しっかりと。 >>717
まあ記憶を絶対だと思っている人からすれば
記憶障害ということになるかも知れんな
自分と記憶との関係性だな >>719
なるほど
理解できました
ありがとうございます
行は今世では多分ちゃんとやらないですね
別のことをちゃんとやれ、と言われてるようです 何度も確認するけど、それは単なる現量でしょ?
そしてその現量を「心が静か」とか「思考停止」とか爾後に比(非)量してるんでしょ?
それは別にあなただけの特別な状態ではなくて、普通に誰にでもあるんだけど?
確かにその自覚が無い方はいますけど、少し佛教を学べば分かる事だし。
それを覚醒とかw >>720
おれは至ってまともだが
きみは気をつけた方がいいんじゃないか? >>722
済みません、レス先違いでした。 <(_ _)> >>723
今生で悟るつもりが無い人は来世でも悟れませんよ。きっと。
来世に人間に生まれるとも限りませんし。 >>725
だから、蓮華を見たとか魔境ですからw
それと、何度も確認するけど、単なる現量でしょ?
そしてその現量を「心が静か」とか「思考停止」とか爾後に比(非)量してるんでしょ?
それは別にあなただけの特別な状態ではなくて、普通に誰にでもあるんだけど?
確かにその自覚が無い方はいますけど、少し佛教を学べば分かる事だし。 697 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/08/16(木) 02:16:55.14 ID:L81DYruu [24/31]
クンダリーニが覚醒して自我が死に
その数年後に室戸岬で蓮華を観たというだけのことだよ >>729
蓮華を観たのは事実だし
きみがおれを魔境だと思うレスを具体的に上げてくれないかい? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています