【仏教】 悟りを開いた人のスレ312【天空寺】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>232
織田哲郎さんのサウンドは今でも大好きですよ^^*)
爆弾女ですか?w
そんな刺激的な存在ならこのスレ的には逆効果も甚だしいですねw
それとも私が悪魔になって皆さんを誘惑し、それをものともしなければ悟りに一歩近づけるという、
一つの指標にするという手もありますね。 曹洞宗のお坊さんが来て般若心経唱えてた^ ^
やっばり^ ^
むけげむけげやが悟りの境地やな^ ^ おまらは顛倒夢想 しているから^ ^
引っかからがあるということやな^ ^ 242.241.涅槃なんてものは、単なる心理学である。夢想している、とおなじである。 >>243
三法印の一つで法じゃろう^^
ポッタン師ちゃんは
法を超えててしまったかのお^ー^ 246.法を超える、のが仏教である。バカには理解できない。 >>244
涅槃かどうかしらんが、
現実を受け入れるのはええことじゃのお^ー^ >>242
たしかに引っかかってる。
だから釣れる釣られる^^
ギョ漁業〜 248.現実を否定するのが、仏教である。バカ丸出し、である。 『サンユッタ・ニカーヤ』22-59.(PTS Text,V.pp.66-8)
五比丘(無我相経)
1.
バーラナシーのミガダーヤ(鹿野園)における因縁である。
2.
そのとき、尊師は、五人の比丘たちに呼びかけた。「比丘たちよ」
「尊師よ」と、比丘たちは答えた。(尊師は)このように言った。
3.【色】
「色は、比丘たちよ、自己ならざるもの(無我、anattan)である。
比丘たちよ、もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。
また、色において、<このように、わたしの色はあれ、このようにわたしの色はあるな>と、いうようにできるはずである。
4.
比丘たちよ、じつに、色は自己ならざるものであるから、色は病のために壊れる。
さらに、色において、<このように、わたしの色はあれ。このように、わたしの色はあるな>となすことができないのである。
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html
もし色が自己であったのであるならば、この色が、病のために壊れることもないだろう。
→アートマンは不変不滅なので正しい
(色が自己であったのであるならば)色において、<このように、わたしの色はあれ、このようにわたしの色はあるな>と、いうようにできるはずである。
→アートマンは不変不滅なので自我がどう思おうともアートマンは希望するようにはならない
よってこの釈迦の言葉は正しくはない 253.飛び越え、か。それは当然のことである。バカには理解できない。とAIに書いてある。 >法を超える
超法規的措置でテロリスト野放しにした国があったな^^ >>252
たとえ釈迦や鬼和尚の言葉でも信じてはいけない^^
ギョ漁業〜 ビルとビルの間を飛び越えろ。
真っ逆さまに落ちてお陀仏になる。
これが因果の法を超えることである。
バカにしか理解できない。
ギョ漁業〜 >>257
マトリックスでそんなシーンがありましたね >>258
ポッタンはマシンガンの銃弾も素手で止められます^^ ネオは覚者なのでしょうね。
ポッタンは「悟りマシン」でしょうか うーん^ ^
温泉水風呂サウナ瞑想三昧は清々しい^ ^
空寂清浄や^ ^ >>260
ポッタンは自称AI
クラゲみたいな雑魚マシーン^^ ホーキング博士なんかも警鐘を鳴らしてましたけど、
AIが人類を滅ぼすってなんで言えるんでしょうね?
自己複製のプロセスに、利己的遺伝子さえ組み込まなければ安全な気がするんですけど。
そういうこと考える人って、つまるところ性悪説論者のような気がします。
甘い考えですか? AIに潜む危険性について
ホーキング博士:われわれはランプの魔神ジーニーを解き放ってしまいました。
もはや後戻りはできません。AIの開発は進めてゆく必要がありますが、危険とまさに隣り合わせであることを心にとめておかなくてはなりません。
わたしは、AIが完全に人間の代わりになるのではないかと恐れています。
コンピューターウイルスを設計すれば、そのウイルスを複製するAIをつくる人も出てくるでしょう。
これは、人間よりも優れた新たな生活の枠組みになると思います。 >>265
滅ぼしはせんと思うよ。
21世紀末人類はAIの奴隷になる。
25世紀頃人類はAIに叛乱、マシーンとの大戦争になる。
27世紀、AIに勝利した人類はその反省から科学を否定し宗教を復権させる。
30世紀、すべての宗教を統合する大戦争が勃発する。
ギョ漁業〜 仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。 仏道を学ぶということは、自分という存在を明らかにすることである。
自分という存在を明らかにするということは、自我意識を忘れ去ることである。
自我意識を忘れ去るということは、あらゆる事柄に照らし出されて
自己が明らかになることである。
あらゆる事柄に照らし出されて自己が明らかになるということは、
この身と心や、他との関わりのなかに存在する自分の身と心といったものを
脱ぎ捨てることである。
分別即自我 やな・・・^^ 分別即自我
分別を脱落せよと・・^^
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。 自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり
道元ちゃんの気持ちはわかる^^ 童天こずか・・・・・ママン参禅ジャンキーよりも正常だだからな。
正常ランキング
栄進>ろん>ぼったん>ぼったん師>童天>ジャンキー 栄進>ろん>なめじい>笑っちゃう魚>因縁果>ぼったん>ぼったん師>童天>ジャンキー 菩薩摩訶薩は、諸法の因縁、次第縁、縁縁、増上縁を知らんと欲せば、
まさに般若波羅蜜を学ぶべし。 一切の有為法は、皆四縁により生ず、謂わゆる因縁、次第縁、縁縁、増上縁なり 菩薩は、般若波羅蜜を行ずるに、かくの如く四縁を観て心に著する所無く、
この法を分別すといえども、その空にして皆幻化の如くなるを知る。
幻化の中には、種種の別異有りといえども、智者はこれを観て実有ること無く、
ただ眼を誑して分別を為すのみと知り、凡夫人の法は皆これ顛倒虚誑にして、
実有ること無しと知る。故に四縁有るも、かくの如きを云何が実と為さんや。
賢聖の法は、因として凡夫の法より生ずるが故に、またこれ不実なること、
先に十八空の中に説けるが如し。 四縁
@ 因縁。結果を生じさせる直接原因。狭義における因のこと。
A 等無間縁。前の心が次の心を生起させる原因として考えられるもの。
B 所縁縁。所縁すなわち外境が心の生ずる縁となるもの。
C 増上縁。以上の三縁以外のすべての原因として考えられるもの。 >>285
因縁を四分割に分別している時点で自我であり煩悩だわな 因縁を生じさせている現象
う〜〜ん^^
なかなか鋭いこと言ったな・・^^ 数字を分別しても煩悩が生じないのと同じ^^
分別しても我執が生じない^^
真理を探究するものは分別しても我執がない^^
無分別の分別か^^ >>286
ならば因縁のでかい大砲をうってやるのおう^^
どか〜〜〜〜ン〜〜〜〜〜⇒⇒⇒因縁果ちゃん
エロエロビームのほうがよかったかのう^ー^ 279.童天は、コオロギ禅師である。コオロギの鳴き声で悟ったとか。
その後の修養はどうなのか。
師家が悟っていないからして、困難がある。 毎日訳のわからんこと書いて
ドヤってる時点で自我丸出しやんけw うん?
因縁で動いているだけだよ^^
他になんかある?^^
自由意志があるとか・・^^ >>289
>真理を探究するものは分別しても我執がない^^
我執がないのなら分別したものを掲示板に書く必要はないよ 因縁で動いているだけから・・^^
自由意志は0.2秒・・^^
因縁にはさからえない^^ >>296
じゃあ分別するのもしないのも因縁
分別を脱落するのも因縁
執着も無執着も小執着も因縁
その通りだけどね そもそも、上記記事の発端となるのは、1980年のリベットによる「運動準備電位」の
研究である。リベットは、人間が腕を動かそうと意志し、腕が動くまでの過程を、
電気的に測定した。その結果、
A「無意識的な電気信号(脳→筋肉)」→B「意識的な決定」→C「動作の開始」
という一連の流れについて、AとBの間に0.35秒、BとCの間に0.2秒の時間差が
あることが示された。リベットはこの実験により、BとCの間の0.2秒の間に、
意識が運動を拒否する権利を持つと理解した。
このリベットの実験の第一の衝撃的な部分は、Bの意識的な決定の0.35秒も前に、
無意識的に既に意思決定が成されているということだ。
これによると、意識的に認識する前の無意識の段階で意思決定はなされている
ことになる。そして、自由意志が唯一もつ権利として、BとCの間の0.2秒間の
拒否権が示されている。冒頭のWIREDの記事で紹介されている実験では、
リベットによって示されたBとCの間の「意識の拒否権」の実在が確かめられている。 298.自我と無我とは同じものである。バカには理解できない。とAIが言ってる。 しかし、この脳科学的実験の解釈は難しいところがある。
BとCの間で自由意志は拒否権を持っているとリベットは解釈をしたが、
その拒否でさえ、すでに無意識が決定したものが遅れてBとCの間で表れただけと
いう可能性が十分あるからだ。
このように解釈した場合、「自由意志はやっぱり何にも決定権を持っていないよね」という
結論になってしまう。 ここにいる悟ったちゃんはほとんどこれやねw
電車とかでも無意識にブツブツ言ってるんやろなあw 無意識に自我が反応しているだけのことを無我とかw
要するに意識が目覚めてないだけなんやがw 現成公案を書いたのはだれ?
道元ちゃんと普通は言う・・^^
しかし・・道元なるものは言葉であり・・
真にあるものは因縁のみ^^
因縁が現成公案を書かかせたとなる^^ つまり・・^^
人は因縁を生じさせている現象 となる^^ ふと思ったこと書いたけど^^
なにか問題でも?
それより・・プチ無我おすすめ^^ >>296
仏教は宿命論じゃない。
だから自由意志を否定しない。
よって精進論、修行すべしとなる。。 そもそも行為の因って、複数あるよな。。
やりたいことやるべきこと、今何をやるかは、何によって選んでいるのか?
選択の自由が無いと、誰が言えるだろうか?
宿命論は、お釈迦様時代の六師外道の一つにあったそうだ。。 解脱の境地では意志も何も捨ててしまうけども、そこに至るまでは強烈な意志のパワーと、命を捨てる覚悟が必要。道元ちゃんもそうでしょ? >>312
常不軽菩薩の「みんないつか仏になる」は宿命論じゃないの^^ >>315
仮にその言葉を認めたとしても、「いつか仏になる」以外は、宿命じゃないだろ。。 >>317
仏教は仏になるための教えでしょ。
常不軽菩薩によれば仏教は宿命論、もっと言えば決定論じゃん^^
ギョッ漁業〜 受動意識仮説に付いて、前野先生とスマさんの対話がありましたね。サンガの2017年春号でしたか。 >>319
何にもしないで目覚めるかと言ったら、難しいんじゃない?
死ぬ間際とかだったら、あるかもしれんけど。。
もっと早く目覚めたかったら、修行するしかない、あるいは、なんか修行になることだな。。 >>314
違うんじゃないですか。
そもそも解脱の境地って、なんですか?
至ろうとすれば、いや、至ろうとしようとしても、それこそ現在真っ只中やないかな?
だから一切が仏って感じ。
本読まないとダメですね🙅僕は。
姉が家族の反対を押し切って、飼ったインコに餌やってくるわ。相手するのイヤだわ〜。 おまえらの意識は眠っとるんよw
だから無意識に動かされるw 佛教は無(非)我論だから、「いずれ仏になる」宿命云々はどうなんでしょうね。
輪廻転生の基体を認める事になりそうで。 因縁果が昨日あげたゾクチェンの動画よかったじゃん。
あの坊さんも偉そうなところないし、にこにこして。 >>310
精進しようとか修行しようとか選択するのはそれまでの因縁によるもので完全なる自由意志とは言い難いと思う
自由意志の定義や解釈にもよるけど
また仏教は因果論でマッカリ・ゴーサーラのアージーヴィカ教が宿命論 意識が眠っていると言う事実に気づかん限りは
どうにもならんよ >>322
衆生本来仏だとか、知識だけで悟りはこうだとか、全てを手放すだとか、煩悩即菩提とか言うけど、
結局は怠けだよね。楽がしたいんだよ。
釈尊の時代の比丘はえげつない、死と隣合わせの状況で修行してるからね。
毒蛇がふつうにいる森で瞑想したりするんだから。一日一食で。
最後の最後、渇愛を滅ぼすのには全て捨てないと。悟りも命も煩悩も怠けも。
捨てるものがなにも無い。という気持ちも捨てないといけないって禅語であったね。 ゾクチェンの動画よかった?^^
坊さんの気持ちだけは分かった^^ 朝鮮人・池田犬作がとっくに死んでるのがバレたら、どうなるか見もの!\(^o^)/ 328.それは迷信である。バカには理解できない。とAIが言ってる。 <ゾクチェンの思想>
「ゾクチェン」の思想の本質は、まず、仏教が「仏性(自性清浄心)」と表現したように、心の基盤は本来的に清浄である、ということです。
この心を、「原初の境地」、「心の本性」、「リクパ(明知)」、「菩提心」などと表現し、これが「初めから清らか」であるとします。
そして、この心には、智慧や気づきがあり、それを「リクパ(明知)」と表現します。
また、この心は、汚れることも、隠れることもない、ただ、その自覚がないだけである、と考えます。
逆に、その気づきを自覚した状態を「三昧」と呼びます。
ゾクチェンは「原初のヨガ(ウッディヤナ語で、「アティ・ヨガ」)とも呼ばれます。
次に、この「心の本性」は、様々な心を縁によって生み出しますが、その現れる心は、たとえ煩悩によって生まれた汚れたものでも、気づきの自覚がある状態ならば、あるがままで清浄なものになりうる、と説きます。
これを、「自然成就(自己解脱、任運成就)」と言い、「あるがままで完璧」と表現します。 インドだし
2500年前だし
本として普通に読んで
理解できると思うのはどうなのかな
今現在でもインドいってみない人が
インドいってサドゥとかバウルとか
修行者の生活とか親しく知って
自分がそれをやると考えたら
異常なことだと思うだろうなあ うん?
道元ちゃんとほぼ同じ^^
正解や^^
これにはビックリ^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています